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薬師と仔狐の乱  作者: 蝸牛
第一部
10/31

春にさよなら

じゃり、と踏みしめたのはいつも踏んでいる庭とはちがう感触の地面。

不思議に思って、少年は顔をあげる。

少年の黒曜石のような瞳が、いつもとは全くちがう場所を捉え驚きに見開く。

長くどこまでも続いているかのような少年の髪がさらりと彼の頭の動きに合わせ揺れた。


まず、目にはいったのは立派で、紅く大きな鳥居。

注連縄も頑丈で太く、敬われているのは明らか。

次にその鳥居のまわりへと目を向ければ整備された石畳と砂利。

神社なのだろうと遅れて理解した。

それにしても何故だろう。こんな場所は見たことがない。

不気味に思った結香は引き返せないかと試みるが、どうもできないようで、鳥居と逆側に歩いても見えない壁に阻まれている。


行くしかないのか。


道一杯におっきく設置された鳥居は、奥に何かいますよと雄弁に語るが、その奥の何かがこちらを危険にさらすかどうかは教えてくれないのだから性格が悪い。

こんなときは何だかんだと勘がたよりになるのだがその勘さえも長く眠っていた事によって使い物になら無かった。


仕方なしに、なんの対策もせず鳥居をくぐる。くぐらず待つと言う選択肢もあったが、結香の知識上"ナニカ"に拐われた、または招待された時にじっとしていると録なことがない。

結香の知識と言えば全て書物上のモノだが、何も頼れる物がないこの場所で頼りにできるものといったらこれしかないのだ。


くぐった瞬間、圧倒的な威圧感が結香を襲った。


「っ!?」

びくりと肩が跳ねて、それだけ。

その一瞬のうちに、鈍い輝きを放つ刃が結香の首筋に当てられていた。


「弱くなったものだな、九尾狐」

「だ、だれ……」


低く艶のある男の声が結香の耳をくすぐり、静寂に支配された鳥居の奥に染み込むように砂利を踏む音が鳴った。

結香の目の前に、誰かが立っている。

それも相当の手練れだと、言われずとも解った。

こころなしかまわりの空気も冷えた気がして、結香は顔をあげられない。


「恐怖で前も向けないか。お前程度に仕えるなど、烏天狗の恥さらしだ。

そうは思わぬか、墜ちた鬼才殿」

「っ、なんだと!」


元来能天気である故基本的に温厚である筈の結香は、目の前の男が言った言葉に本能的といってもいいほど根本のところから反抗心が沸き上がってきた。

かっと目の前が紅くなり、かつてないほど顔をしかめて相手の目を睨み付ける。

首筋の刃など、最早なんの障害にすらならなかった


だが、その威勢も長くは続かない。


流れ落ちる夜の月下の雪のような銀髪に、血よりも鮮やかに赤い切れ長の瞳。

嘲る薄い口元もすっと通った鼻筋も、眉目秀麗とはこの男のためにあるかのような天上の美しさを称えているそのお顔に、それに合ったすらりとしなやかな極上の筋肉を持っていて、温厚で気弱な結香であれば見た瞬間押し黙るような美しい烏天狗がそこにいた。


「なんだと、のつづきは?」

「あ、いやっ……」


勿論威圧感もある。殺気は超一流のモノで、一瞬でも反抗したことを後悔した。

しかしそれ以上に、至高の芸術品すら隣に並べば一瞬で霞むようなきらきらしい美青年の真顔はとても怖い。

温厚さよりも気弱、臆病な性格の方が大きい結香はすぐに押し黙った。


だからこそ気がつかなかった。

俯いた結香を見つめる青年の眼が、眩しいものを見るかのように細められていることを。



どのくらい、青年と対峙していただろうか。

首筋の刃のせいで結香にとっては永遠のように感じたものだが、実際は短いのかもしれない。

おもむろに首筋から刃が退いたとき、ほうと詰めていた息を吐き出した。

それを青年に呆れた目で見られたが怒る気力もなかった。


「――わかった、お前に託そう」

「え」


ぽんと優しく肩に手を置かれ、驚いてぱっと前をみた結香の瞳に、綺麗に青年の妖しく紅く光る瞳が写った。

その瞳になにか覚えがあるような気がして、もしかしたら欠けた記憶のなかの誰かなのかもしれないと自然に思う。


いつの間にか、あたりは耳に痛いほどしぃんと静まりかえっていた。


すぅと目の前の男が息を吸う音すら大きく聞こえるほどの静寂、それを打ち破ったのはやはり彼だった。


『久遠の支配から解き離れし大妖怪。千里に渡る悲鳴は至るところから聞こえ、赤雲の空は晴れる事はない

妖の統治の下長い歴史は幕を閉じる』


幾重にも重なる声が結香の頭に響き、それに耳を塞いだ瞬間その声は止んだ。

それと同時に、男の体は崩れ落ちる。

烏天狗の予言の能力だと、何故か確信した。



「どうしよう……このままじゃ紫翠が」

晴れることのない赤雲や千里に渡る悲鳴など、予言の内容は明らかに酷いものであった。

ほらやっぱり、妖の統治下に置くと碌な事が無いのだ。

もう後戻りのできない、絶望に突き進むしか出来ない状況に大泣きしたくなる。

だって無理だ。妖力もなくて立てない僕なんかが助けに行こうとしたところですぐやられるに決まってる。


……ん?妖力?


その言葉に引っ掛かりを覚えた結香は頭のなかに詰まっている蔵中の巻物の妖力についてかいてある所を浚い出す。

確実に何か大切なことを忘れている。

もしかしたらそれが紫翠を助けることに繋がるかもしれない。

そう信じて、巻物を紐解いていたら。


「あった!!」


やはり当たっていた。

九尾狐の最期の力についてだ。


何て今にぴったりの物なのだろうかと歓喜した。

結香が見つけた九尾狐についての情報とは、人間が書き記したものらしい。


"九尾狐は最期に妖力を振り絞ることにより、一時的に神を越えることが出来る"だそうだ。


どうせもうそろそろで結香の命は尽きるのだ。これに賭けても良いだろう。

最期の命、親友のために使えるのなら本望だ。


結香はその場に座禅を組み、目を伏せて集中する。


ぽっ、ぽっ、ぽっ、ぽっ、と九つの狐火が辺りに浮き始め、それに妖力を込めた辺りで、結香は目を瞑った。



「……今行くよ、紫翠」


待つばっかりは、もうたくさんだ

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