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薬師と仔狐の乱  作者: 蝸牛
第一部
1/31

仔狐と薬師

1525年、5月27日。


桜の花弁がはらりはらりと舞い落ちる。

落ちた先は、社の奥に位置するとある屋敷の縁側だった。

そこはどこもかしこも古く、悲鳴をあげていた。

縁側や大広間の床、立派な箪笥の上にまでしつこいくらい埃が積もっていて、とても人のすんでいる場所とは思えなかった。否、そこに人などはすんではいない。

住んでいるのは、可哀想な一匹の子狐だけである。


縁側に舞い降りた桜に、小さな手がするりとのびる。不健康なほど白く、細いその手には、到底似つかわしくなど無い重厚な手枷がはめられていた。

もう一度大きく風が吹いた。

ひらりと花弁はまた大空に飛び立ち、小さな手はそれを追う素振りをしたが、諦めたように地面につく。

そしてまた奥に引っ込んでいこうとしたのだが。


「なぁ、アンタここの子か?」

「っ!?」


がしりと強く手首を掴まれ、手の主はびくりと肩を震わせた。

誰も寄り付かないような辺境の地に住む手の主は誰かの姿を見ることすら久しいというから、当然の反応である。

手首を掴んだのは少年のようだった。

まだ元服前の年若いおのこで、黒い髪をひとつ結びにし、つり上がった意思の強い濡れ羽色の瞳をまっすぐに手の主に向けている。

服装は一般的な麻のものであったが、そんなことも気にならないくらい強い目だった。


「親とかは何処に居るんだ?オレは流れの薬師なんだが、どうやら道に迷っちまったみたいでなぁ」

「え、あの……?」


少年の言う通り、少年からはお薬の臭いがし、大きな箱を背負っている。

今まで出会ったことの無い荒っぽい口調に手の主は困惑していた。

どう返せば良いのかわからないと言った風に、無駄に辺りを見回したりしている。

それを薬師の少年がどうとったのかは解らないが、


「アンタ名前何て言うんだ?」


と、その手を引っ張り日の下へ引きずり出した。

ざぁと、また風が吹いた。

姿を現した野狐に、いや、元九尾に歓喜を溢れさせ、草花ははらはらと最後の力を振り絞りその野狐を少しでも近くで見ようと彼の近くへ舞い落ちる。


また、少年も目を見開いた。

濡れ羽色の長い長い、どこまでも続くような髪と、儚げな生白い肌。驚いたかに開かれた瞳は少年が昔1度だけ見たことのある、黒曜石のように深く黒い。

そして何より……


「アンタ……化け狐だったのかっ」


頭に生えた大きな狐の耳と、その身に不釣り合いなほど大きく沢山の狐の尾を認めたからである。


今までただの子供と思って話していた少年は、狐の姿にヒッと引きつった声を出した。

少年もまた神や妖を信じるもの。九尾と言われる化け狐は例え見た目が少年の力で組みふせそうな幼い見目であろうと、少年にとって恐怖の対象だ。


狐の表情は一瞬陰り、悲しそうな子供の顔になった。

少年がそれに違和感を覚え、声を発しかけるが、狐のおどろおどろしい声に口を閉じてしまう。


「ばれてしまっては仕方がない……

我は結香。千年を生きる大妖怪、九尾じゃ」

「ひ、ひぃいっ!!」


ぞわぞわと結香の周りに黒いもやが集まり始める。

蛇のように結香に絡み付くそれはどう見ても只人のものではなかった。

結香はゆらりと立ち上がり、暗い瞳で少年を見据えた。


一触即発の空気だ。


先に動いたのは、結香だった。

少年の目の前で、地を蹴りその手を少年の首めがけて伸ばし……


「ぎゃん!!」

「うわぁあああああ!! ……って、え?」


ビタン!!と盛大な音をさせて、顔から地面に勢いよく突っ込んだ。

そしてうつ伏せの体勢のまま動かなくなる。

何処かで下手な鶯の声が聞こえ、へたりこんでいた少年はその醜態を目を見開きまじまじと見つめる。

その間少年の脳裏には、自分を追いかけてきて躓いて転んだ小さな甥の姿が浮かんでいたそうだ。


そよそよと風が吹く。


結香は暫くうつ伏せでいたが、きゅうにぷるぷると震え始め、唸り声を出す。

少年に結香を怖がる意思は最早無かった。


「だ、大丈夫か……?」

「この体勢を大丈夫と言えたなら引きこもってなんていません……」


同情した少年は、目の前の子供に手を差しのべた。

耳や尻尾が丸まっているのを見てさらに同情し、生暖かい目付きになる。

結香は差し伸べられた手をゆっくりと見上げて、じっと見つめた後、おそるおそる手を取った。


「ありがとう、ございます」

「いやいーって。こっちこそすまないな、無理してたんだろ?」


その言葉で辺りを見渡した結香は、やっと周りに集まっていた黒い靄が消えていることに気がついた。

結香の顔がくしゃりと泣きそうに歪んだ。

尻尾は力なく垂れ下がり、先程まで見せていた生き物の気配すらなくなった。

その変化に気がついた少年は気遣わしげに結香の目を覗きこむ。


「きゅーびの力が……せっかく少しだけ残ってたのに……」


子供らしく大きな黒目がちの瞳にみるみる涙がたまる。少女のような容姿もあり、ぽろぽろとこぼれる大粒の涙に少年はとても戸惑った。



それと同時に薄桃の花弁と長い黒髪が風に吹かれ揺れる姿の、えもいわれぬほど幻想的な光景に息を飲む。

透明な涙がぽたりと地面に落ちた。


日が暮れ始め、物の輪郭がわからなくなってきた頃にやっと子供は泣き止んだ。

それまで慰め続けていた少年は、涙がピタリと止まったのを見て詰めていた息を吐く。

二人して縁側に座り込み、両の手を繋いでいる状況に笑いだしたのはどちらだったか。

いつのまにか、潜めた笑い声は大きくなっていき、跳ねるような楽しげな声となっていた。


名前も知らない人の子と、こんなに笑ったのは初めてだと結香は笑う。

そうだ、名前をいってなかったと少年は気がつく。

名前を教えてくれるかと問うた結香は己の言葉に驚いた。

少年は気が付かずに、嬉しそうに首肯して名前を教える。


大切なものをこぼすように、噛み締めるように少年は結香に耳打ちした。


――――紫翠


目を見開いた結香は、いい名前だと微笑んだ。



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