上履き忘れ・秋
「しまった、しまった・・・。」
アキはいま高校1年生。からりと晴れた秋空の下を、春から履き始めて大分履きなれた革靴でパタパタ学校に向かって走っていた。通っているのは、家の近くの私立高校。制服は濃い茶色のブレザーにチェック柄の濃い紺色のスカート、学校指定の紺色のソックス。地元の女の子からはその趣味のよさに人気というが、入学するのは難しいそうだ。中学のころから成績の良かったアキは上位で入試に合格し、入学を決めた。道路わきの街路樹にはすっかり色づいたイチョウが並び、歩道はその落ち葉でいっぱいだ。昨日から今日にかけては雨だったので、まだ地面は濡れており、落ち葉で滑らないように気を付けながら、学校への道を急ぐ。
「はあ、はあ・・・あと10分!」
今日は10月の3連休明けの火曜日。休み明けで体が鈍っていたのか、いつもより20分も遅く起きてしまい、身支度に時間もかかり、ぎりぎりで出発してしまったのだ。学校の準備もできておらず、何か忘れたのは必至。いまは遅刻しないよう走るのが先である。
5分後、ホームルームがあと少しで始まるというとき、やっと靴箱についた。そこで、早速自分の忘れ物に気が付いた。
「あれ?上履き・・・、あ~!」
なんと、上履きを持ってくるのを忘れたようだ。
「どうしよ、どうしよ・・・」
周りでは遅刻寸前の生徒たちが素早く上履きに履き替え、教室へ走っていく。今まで学校内を靴下でなど歩いたことのないアキは、少しためらったが、そんなことで時間を使っている暇はない。
「もうっ、いいや!」
履いてきた革靴を乱暴に靴箱に投げ込み、グラウンドからの砂がたまったコンクリートのたたきを通り、階段を3階まで紺色の靴下で駆け上がった。教室に駆け込むとまだ先生は来ておらず、2分後にやってきた。
「おはよ~、アキ!あれ?上履きは?」
「うん、忘れちゃったみたいなの・・・。」
「わ~、大変だね。靴下でいるの?」
「うん、そうするしかないね・・・。あ!、体育館履きがあったような・・・。あ、こっちも持って帰ってたよ・・・。」
「あらら・・・。まあ、いいんじゃあない?」
「うん。トイレの時は貸してね。」
「はいはい。」
そういって、靴下の裏を見てみたが、すでに埃で白く足型に汚れがついていた。
「うわ~、真っ白になっちゃった。」
「一日そのままでいたらすごそうだね・・・。」
1時間目、2時間目と教室で授業、その後、3時間目は体育だ。
授業中は上履きを履いていないことに、気になって仕方がない。椅子の下で組んでみたり、机の脚につけてみたり・・・。そして次は体育の時間。、今日はチームごとに分かれてダンスの練習だ。体操服に着替える時、靴下も白いものにかえる。脱いだその紺ソックスの裏は埃で朝よりずっと白くなっていた。しかし時間もないため、そんなことは気にしていられず、着替えるとすぐに更衣室を出て靴下で体育館へ。体育館シューズも忘れたアキは、友達に借りるタイミングも逃してしまい、靴下ですることに。アキのチームは体育館の下のホールで練習。そこはコンクリートのたたきで、グラウンドから吹き込む風にのってきたり、土足する人がいたりするせいで砂が積もっている。ちょっとでも靴下で歩くと砂が足裏につき、すぐにアキの靴下も汚れてしまった。その上激しく踊ることで、床に足をこすったりしてさらに汚れはひどいことに。少し休んで、足を前に投げ出した時には、
「うわ!アキ、くつしたまっくろ!」
「え?うそっ!なんで?」
「砂がざらざらするもんね、ここ・・・。」
「もう、さいあく~。」
体育も終わり、靴下を脱ぐと、素足の足裏にも砂がたくさんたまっていた。
「ほら、足ばっかみてないで、はやくいくよ!」
足裏の砂を取っていると、もう次の授業が始まる時間に。上履きを持っている子たちの中には靴下は教室で履いたり、次の授業は素足に上履きを履いて受けたりする。声をかけた友達たちも、制服はきっちりしているが、靴下はバッグに入れているようで、素足で上履きを履いていた。しかし、上履きのないアキは裸足で帰るわけにもいかない。まだネクタイも結んでおらず、片づけもしていなかったが、次の授業まであと5分。教室まで走っても3分はかかるので、今から靴下を履きなおしている暇はない。おまけに次の授業は厳しい先生。ちょっとでも遅刻すると廊下にしばらく出されるか、正座させられるか、授業中ひっきりなしにあてられるか。どれにしてもアキにとってもっともいやなことだった。急がないと。
「先にいっとくよ!」
友達らは更衣室を出て行った。大急ぎで体操服を袋に入れると、もう始まるまで時間がない!
「ああ、もう!はやくしなきゃ」
最後の一人となったアキは大急ぎで靴下とタオルを手に持って裸足のまま更衣室を飛び出した。
「あっと・・・」
しかし電気を消し忘れたことに気づき、いったん戻る。電気を消したその時、アキの手から片方の紺色の靴下が床に落ちた。あわてていたアキはそれに気づかずドアを閉め、教室へ向かった。更衣室には片方の紺ソックスともう一つ、アキが体育で使った、砂で真っ黒な白いくるぶしソックスが1組、残されていた。
ぺタペタペタ・・・
裸足のアキの足音が、すでに教室に入ってしまったのか、誰もいない廊下に響く。裸足で走ってるなんて、汚い、恥ずかしい・・・。早くいこっ
階段を駆け上がる。床はざらざらしている。ふと腕時計をみると、始まるまではあと2分。何とか間に合いそうだ。教室に着くと、みんな席についていた。ガラリというドアの音に、みんなの視線を買ってしまい、少し恥ずかしい。そして、前のドアから入ってしまったため、裸足で走ってきたのがバレバレ。女子の何人かには笑われてしまったが、何とか間に合ったことに安堵した。教室の真ん中あたりの、自分の席に着く。足裏を見てみると、予想通り、土踏まず以外に廊下などの砂やほこりがついて、白かった足裏が、黒く見えた。
「うわ・・・。」
さっき砂を払った意味ないじゃん、と、つい声に出してしまいそうだったが、すんでのところでとどまった。
「あ、早く履いておこ。」
靴下をはこうと、バッグから靴下を取り出す。しかしそこにあるはずの靴下が、ない。
「あれ?」
「ねえ、宿題やってきた?アキちゃん。」
「え~、え?え~!」
あ、宿題、すっかり忘れていた。どうしよう・・・。すると、まだ授業の用意もままならないのに、先生が入ってきてしまった。目つきが、いつもより、険しい・・・。そういえば、2時間目の授業でひどく怒ったとか・・・。最悪だ~!
「はい、号令!」
「きりつ、れい!」
「はい、じゃあ、今日は前回の問題の答え合わせ・・・。んと、じゃあ、お前の列、問題番号1から順に1題ずつ板書して。宿題にしてたと思うから・・・。はい、すぐ書く!」
アキの列が当たった。みんな前の黒板に書きに行く。素足で帰ったアキの友達も、もう靴下をきっちり履いている。しかしアキはそんな余裕がなかった。ああ、混乱してきた。とにかく、あたった問題を書かないと!仕方なく、裸足で黒板へ。ちょっと、恥ずかしいかな・・・。先生も、何にも言わないだろうし。早く書いて席に戻って、靴下履かなきゃ。でも、靴下どこいったのかな・・・?
簡単なところでよかった。おかげでやってきてないけど、すぐに書いて戻れた。バッグの中を再度探すが、履いてきた紺色の靴下のもう片方どころか、体育で使った白いスニーカーソックスさえも見当たらない。その間も先生の解説は続き、とうとう授業は終わり。結局ずっと裸足で過ごしてしまった。恥ずかしそうに足をちぢこめて最後まで過ごした。おかげで体が涼しくなった。しかし、足裏はより真っ黒に・・・。この後はお昼休み。お弁当を食べて、後は、おしゃべりかな・・・。そのまえに、靴下履かなきゃ。
「ねえ、アキ、ご飯食べよ。」
「あ、うん、ちょっと待ってて。靴下履いてくるから・・・。」
「あ、そういえば、裸足じゃん!珍し~。汚れちゃったんじゃない?」
「うん、ほら」
つい友達に足裏を見せてしまった。真っ黒なのに・・・。恥ずかし~!
「うそ!アキ、大変だよ!こんなの男子に見られたら・・・。すぐ洗っといで!足洗い場で!」
「うん、そう思うんだけど、靴下が片方しかないの・・・。」
「え・・・、なんで?」
「わからない。ないよ!どうしよ~!」
「あ、体育用の靴下は?」
「それもない。きっと更衣室に忘れてきたんだ。今日はついてない・・・。とりいこ。」
「え~!今日もう鍵しまってるって先生行ってたけど・・・。今日体育の先生たち出張で、あの更衣室体育の時しか使わないからって。鍵は持って行ってるだろうし・・・。」
「じゃあ、今日このまま裸足で過ごすしかないじゃん!うわ~、せめて上履きでも持ってれば・・・。」
「私の貸したげよっか?」
「いいよ。迷惑かけちゃまずいし・・・。このままで。昼終わったら帰れるでしょ?」
「なんか、アキ、いつもと違うような・・・。なんか強くなったね。」
「なにいってんの。じゃあ、ご飯食べよ。」
「あ、ご飯は持ってきたのね・・・。」
そうはいったものの、やはりご飯を食べ終わったアキは、更衣室へ向かっていた。またペタペタ・・・と廊下にアキの足音が響く。すれ違う人の視線が足元に向いているようで、やはり恥ずかしい。更衣室に着いたが、やはりドアには鍵がかかっていた。
「やっぱダメか・・・。」
しょんぼりして教室に戻る。足裏はもう真っ黒だ。今まで見たことのないほどに。しかし、そこでアキの中の何かがはじけた。
「もう、いいや!結構裸足も気持ちいじゃん!ざらざらしてて。」
そういうと、廊下を滑るように教室へ帰って行った。
昼休みも終わり、掃除の時間。アキはなんと、トイレ掃除。
「あ~、なんでこんな時に限ってトイレ・・・。ねえ、ちょっと・・・。」
「ごめん、私も遠くに行くから、上履きは無理・・・。」
「え~。」
「まあ、外で待ってていいよ。教室の掃除とかしとけば?」
「うん。ありがと!」
そうして、教室でほうきで床を掃いたり机を運んだりした。男子からも裸足を突っ込まれたが、もう恥ずかしさはなく、笑ってやり過ごした。埃が足にかかり、足の甲も汚れたが、もう気にしない。
掃除が終わったら、体育館での全体終礼。友達と一緒に体育館へ移動する。1階まで降りると、廊下を端まで歩き、体育館への渡り廊下を通る。すっかり色づいたもみじが植えてあり、渡り廊下まで落ち葉が積もっている。裸足のアキは、その上を歩くのも気持ちよく思えた。体育館では専用の体育館シューズを履くが、それも忘れたアキはもちろん裸足。みんな靴を履いている中で、靴下さえも履いていないのはさすがに恥ずかしく思い、顔が真っ赤になった。上履きから履き替えはするが、体育館の床も埃や砂がたまっていた。座った時には足裏が見えないようきちんとスカートの中に正座した足を入れる。
全体終礼はすぐに終わり、再び教室へ。足裏は真っ黒。しかし今となってはアキにとってもうどうでもいいことだった。
教室での終礼はなく、帰る人はもう帰っている。吹奏楽部のアキは3日後の定期演奏会に向けての準備のため、ほかの部員たちと音楽室へ。もちろんそこでも裸足である。音楽室は校舎の3階。先生の説明を受け、指示のもと楽器を1階のホールへ下す。アキの学校は体育館のほかにステージを備えたホールも持っている。吹奏楽部の演奏や文化祭の発表などでここを使う。定期演奏会もここで行う。ホール内は土足だが、作業をスムーズに行うために今回は上履きのままでよいというお許しが出た。ホールは別棟のため途中砂のグラウンドを通る必要がある。それにグラウンドのすぐ前まで楽器を運んできて初めて気づいたアキだったが、ここで帰るわけにもいかず、裸足で強行突破した。ホール内はリノリウムのタイルの床。裸足の秋にはやはりざらざらしている。終わるころには足裏は真っ黒だなと思いながら、何往復もした。
作業がひと段落したころには、いつの間にか7時を過ぎてしまった。季節はもう秋なので日が沈むと結構寒い。作業を終えたアキはホールの席に座って、部員たちと談笑。もちろん靴は履いておらず、裸足だ。途中で取りに行けたかもしれないが、裸足が気持ちよくなって、そのままだったのだ。
「それにしてもアキ、裸足でよく頑張ったね。汚れてるでしょ?」
「うん、足裏真っ黒だよ。グラウンドの砂もついてるし・・・。」
「大変だったね~!」
作業を始終裸足で貫き通したアキの足裏はホールの埃とグラウンドの砂によって灰色に汚れていた。表にも砂が付き、運動会を裸足でした後のようになっていた。
部活の作業終わりのあいさつを終え、解散。靴下のないアキはグラウンドの足洗い場で足を丁寧に洗い、素足で革靴を履いて帰路に着いたのだった。その後、アキが上履きを忘れることはなかったが、裸足の気持ちよさに目覚め、時々裸足で過ごすようにもなったのであった。
おわり