1時間で書くと言ったな。アレは嘘だ、30分で書き上げた。
出会いが人を苦しませる。
それは承知だ。人は外から差しのべられる手によって大なり小なり自分を変えられてしまう。
内に籠った方が苦しまずに済む。何も変わらないという平穏があるからだ。
例えば、私の馴れ初めを話そう。
ある日、確か夏の夕暮れだ。
私は彼女に告白された。名も顔も記憶の隅にあっただけの、何も知らなかった彼女の心。
私なんかを好きになるんだなと、私は彼女の心を知った。
私は当時、ぶっきらぼうな雰囲気を纏っていた。
文武両道何でも出来る俺は、自分一人で何でもこなせる天才だと自惚れていた。
これでイケメンであればモテたりしただろうが、生憎私は常に険しい顔をしていて、周囲から不良のように怖れられていた。
そんな私に声をかけたのは彼女が初めてだった。手紙で私を体育館に待ち伏せ、「好きです」と一言だけ言った。
私にとって初めての経験だった告白は、私を一週間ほど悩ませ、ようやく了承という結論を出すまで時間を費やしてしまった。
彼女は私と違い、よく笑い表情豊かであった。コミュニケーション力も高く、周囲にはいつも人だかりが出来ていた。
私はその輪に入らなかった。恋人となって以降も、交わることはなかった。
だが遠目で見たとき、彼女の笑顔は処世術であって、ただ人との会話をのらりくらりとやり過ごすだけの表情でしかないと気づいた。
それを知ったときの、人の心の恐怖たるや、その笑顔がふと自分に向けられてニコッと微笑まれた時の自分の身震いと言ったら。
「楽しいよ、人といるのは」と、二人きりの時の彼女は答えた。
「楽しいか?俺には分からんが」と、かつての私は彼女に勉強を教えながら尋ねた。彼女は壊滅的に頭が悪かったからだ。
「人と話すということはね、その人の話したい、一緒にいたいという気持ちを知ることなの。それって、自分っていう器が広げられてもらってるようで素敵じゃない?」
と、頭が悪い割に口の回る彼女は答えた。
「俺は、お前といてもそうは思わんぜ」
「だけどこうして勉強を教えてくれるじゃん。便利な恋人さん♪」
そういってイタズラっぽく微笑む彼女は、どこか他の人に向ける笑顔とは、また別のものであった。
彼女は色々要求し、かつての私はその都度要求に応え、いつしか彼女の思考を何とか読んでエスコートするまでになった。
「出来るようになったじゃん、恋人さん♪」
彼女は調子づきながら、デート場所の海辺でクルクル回る。
「色々分かるようになってきたし、ずっとアタシの恋人として隣にいてもらおうかな」
「それは困る、お前を考えることで精一杯なのに、これ以上勉学の時間とか減らしてまでお前に費やすなんて面倒もいいところだ」
「あはっ、ノロけたー」
彼女は回るのを止まり、私の顔を覗きこんだ。
「だけど、無駄って思ってないよね。アタシと一緒にいることを楽しんでるから」
いつも通りの笑み、私が最後に見たその笑顔は、今までにない真面目な瞳だった。
彼女とのデートから初めての登校で、彼女がいきなり転校したことを朝の会で告げられた。
何ヵ月も前から決まってて、出来るだけ皆を悲しませたくないからと先生は言った。
皆が泣くなか、私は彼女が周りに何も告げなかった理由を考えた。
人に心の内を明かさず、だけど誰よりも周りと一緒にいることを大切にした彼女。
彼女がいない分暗くなったクラスは、いつしか「夜逃げ」「富士の病」といったゴシップのネタとなり、何ヵ月かすると彼女がいないことが普通の日常となった。
私はといえば、今まで通り文武両道をこなした。
だが、私の心には空白が出来た。彼女と交わって広げられてしまった自分の器。
彼女を考えるだけの容量が空いた器を私はどうしても満たすことが出来ず、今まで以上にがむしゃらに文武両道に励んだが、それでも自分の器は埋まらない。
その穴を埋めるには、誰かに埋めてもらうしかないと、私は人と接するようになった。
彼女を見てきたからか、友達を作る方法を知るのは難しいことではなかった。
いつの間にか私の回りに人だかりが出来て、私の心には今まで感じなかった感情が芽生えた。
大人になり、人との付き合いを大切にする職業についたが、今でも彼女のいない分の穴は埋まりきらない。
それは苦しいことだが、同時に自分の中に自分以外のものを受け入れる器もできた。
面倒だし、ままならないことまる。
だが私の心に後悔はない。そう思おうとするには、あまりに心地よい穴だということを、今の私は認めている。
だからだろう。ある日音信不通の彼女からいきなり再会の呼び出しを食らったことも。
何とか予定を空けて、急いで彼女の元へ向かっている私は、疲れて面倒で苦しみながらも、彼女へと心の器を広げて受け入れる。
「やっぱり来てくれた。だから好き♪」