1話:夢の中でイケメンが縛られていました
「はて?ここはどこかな?」
気がつくと藤ノ木=ミゼル=アヴィルタは退屈な教室ではなく、何も見えない真っ暗な空間に一人立っていた。
「おーい、メルー!シノアー!誰かいませんかー?」
誰からの返事もない。
いつの間にかクラスメイトも机も椅子も黒板も、ミゼル以外は消えている。
ここはどこだろう?
夢?それとも誰かに幻惑の術でもかけられた?
ナタリア先生の魔術体系学を受けていたはずなのだけれど、実は3限目の幻惑の実技訓練だったのだろうか。
教室で授業を受けていたという光景も、今のこの真っ暗な状況も対戦相手の術に引っかかったから、とか。
精巧な幻惑は現実と区別がつかない。対戦相手が先生やクラスの成績の良い子だったりするとよくあることではある。
もしくは、あまりに魔術体系学が退屈すぎて寝てしまい、ここは夢の中、とか?
なんだかやたら長い精霊術師の家系の名前を先生が黒板に羅列していたのを覚えているので、寝てしまった可能性はかなり高い。
どちらにしろ、大丈夫よ!
いつもと違う私の様子に先生かクラスの誰かが気がついて起こしてくれるはず!
暗くて何も見えない空間。どんどんと広がる不安を抑え込むように、ミゼルは自分にそう言い聞かせた。
まずは自分にできることからやっていこう。
よく分からない場所だけれど、できることはきっとある。
ミゼルはとりあえず、幻惑解除の術を試してみることにした。
体内深部の魔力を循環させ、短く呪文を唱える。
「領域を侵すもの、まやかしを魅せるもの。疾く往ね、疾く去れ」
そして口をつぐみ、鼻をつまんで耳から体の空気と魔力を出すイメージでフンッと力んだ。いわゆる耳抜きだ。
フワァーっと魔力が少し外に出ていくのを感じる。
ふむふむ。
魔力は身体から耳、そして外へなんの抵抗もなく、さらりと抜けていった。
幻惑のような、自身の魔力と違うものが体内にあるときは、ざらりとした引っかかりのようなものを感じる……と授業で習った。
それがない、ということはこの真っ暗な空間の原因は幻惑ではない。つまりは実技訓練中、ミゼルが対戦相手の術に盛大に引っかかったわけではないということだ。
「先週の幻惑の授業ちゃんと受けてて良かった〜」
2ヶ月前に習ったのであれば、あまり勉強熱心とは言えないミゼルのことだ、幻惑解除の方法なんてすっかり忘れていただろう。
幻惑じゃないとすると、これは夢ということかな?
こちらも試してみることにする。
夢かどうかを確かめることは、幻惑かどうかを確かめるよりも簡単だ。
それが自分の夢の中であれ、他人の夢の中であれ、夢の世界は強い意志に従う。
世の中の常識や法則よりも自分の願いや意志が勝るのが夢だ。
今、一番欲しいのは明かりだよね。
ミゼルはランプが欲しい、と心の底から願った。
すると灯りのともったランプがミゼルの足元に現れた。
「これは夢確定ね」
ホッとした。
誰かが助けてくれるとは思っていても真っ暗な、わけの分からない空間は怖い。
ランプの暖かな橙色の炎が辺りを照らす。
さっきまで自分の指先すら見えなかったのに、自分の姿も見えるようになった。
ミゼルはいつもと変わらない格好だった。
紺色のブレザーに赤のチェックのスカート。
ロングの黒髪もここに来る前のまま。
あ、靴が校内用の上履きだ。
やっぱり授業中に寝ちゃったのかも。
しかしランプだけでは光源が不十分で、自分の姿は見えるけれど、周りが見えにくい。
そうだ、いっそのこと太陽でも出してみるか。
ミゼルはランプを出したときの要領で太陽を願った。
けれどもランプの時とは違い、何かの別の力が働いているのかゴゴゴっと周囲が揺れただけで何も現れなかった。
ミゼルとは違う別の意志があるようだ。それもかなり強い意志。
太陽は諦めて、ランプを頼りに周囲を探るしかない。
手に持ったランプを光が遠くまで届くように高く掲げる。
ミゼルがいるのはどうやら屋内のようだった。
広いホールのようなところで、天井は高く石壁には絵画がかけられている。
学校の夏休み中に家族で一度訪れたことのある古城のエントランスが似たような雰囲気だったな。
その古城と決定的に違うのは、ここは屋内だというのに壁にも床にも蔦が張り巡らされているということだった。そしてボロい。
ランプを近づけてよく見れば壁に掛けられた絵も、ところどころ色が剥げていて損傷が激しい。
あまり人に手入れされていないお城のようである。
ミゼルは奥にのびる廊下にランプを向けた。
夢が覚めるまでじっとしているのは性に合わない。
これが誰かの夢であるのならミゼル以外の誰かに会えるかもしれないし、そうでなくともミゼルがこの夢に呼ばれた理由が転がっているかもしれないのだ。
何もなくても、どんなところか見ていれば、あとで夢占いの得意な子に占ってもらうこともできるもんね。
あくまで自分ではなく他の人に占ってもらう。
ミゼルは夢占いが得意ではないのだ。
床を這う蔦に足を取られないよう気をつけながら廊下を進む。
「あの、誰かいませんか〜?」
返事はない。
廊下は長く長く続き、蔦はどんどん多く、より太くなっていく。
途中、ドアがいくつかあったが全て蔦で覆われていて、通れなくなっていた。
「おーい、だーれーかぁー!」
延々と続く蔦の廊下に飽きてきた。
ミゼルの呼びかけもだんだん、いい加減になる。
「だーれかっ!だっれー、ああっ!と、あぶな!」
調子に乗って躓いた。
倒れこみそうになるところを何とかバランスを取り踏ん張る。
「びっくりしたー……なんか、蔦が」
床を見ると蔦が急に左へと曲がっていた。
いや、床だけではない。
天井や壁を這う蔦も一斉に左へと進行している。
木製のドアをぶち抜いて。
今までのドアは封鎖するように蔦が覆っていたのに、ここはその逆で、蔦たちが先を争うようにドアを貫通していた。
怪しい。怪しすぎる。
というか怪しさしかない。
「何かあるならこの先なんだろうけれど、行く気が失せる光景だなぁー」
誰に言うでもなくミゼルは呟き、先陣切る突撃兵の如くドアに突っ込んでいる蔦の一本を引っ張ってみた。
ビクともしない。
うむ、どうしようか。
ミゼルは腕を組んだ。
蔦も植物。燃やすという方法が一番手っ取り早そうだけど、ここは夢の中、反撃されたら面倒そうだ。
取り敢えず、開かない扉の前で唱える古来からのお約束の呪文でも唱えてみようか。
ミゼルは冗談半分、気軽な気持ちでその呪文を口にした。
「開けー、ごま!」
言った途端、蔦がバキバキと物凄い音を立ててドアを破壊しながら両端へ退き、ミゼル一人屈んで通れそうな隙間を作った。
「ええー、こんなので開くとか逆に怖いんだけど。歓迎されても困るんだけど……」
空いた隙間からに恐る恐る入る。
部屋の中は廊下同様、蔦だらけ、ボロだらけだった。
擦り切れた絨毯とギィギィと鳴る床。
天井中央に所々ガラスが欠けたシャンデリアがぶら下がっている。
窓は、あった………………けれど
「え?え?どういうこと??」
窓は蔦と、黒い影のようなもので覆われて枠しか見えない。
黒い影が人のような形をしているようで、慌ててランプをかざす。
と、ミゼルは息を呑んだ。
なんとそこには蔦で雁字搦めにされた人が貼り付けにされていた。
腕、足、胴の至るところに蔦が巻きついている。
頭には蔦がなかったが意識がないのか、うな垂れているため長い髪に隠れて表情は見えない。
「あ、あの大丈夫ですか?」
そう、問いかけてみる。
下を向いていた頭がわずかに動いた。
「う、う……」
生きてる!
しかし蔦に身体を締めつけられているのか、苦しそうにうめき声をあげる。
首にも蔦が絡まっていたので、呼吸がしにくいのかもしれない。
「いま助けます!」
これは罠かもしれない、とも思わないでもないけれど、目の前の人はかなり衰弱しているようで、見るからに痛々しい。
放っておけない。
ミゼルは床にランプを置き、蔦を外そうと駆け出した。
が、
「だめ、だ!くる、な……」
「え?」
弱り果て、首を動かすこともだるそうだったのに、身体に残っていた全ての力を吐き出すような叫び声で拒絶された。
けれども、走り始めたミゼルは急には止まらない。
両手を伸ばし蔦に触れようとしたところで何かに弾かれた。
「えええ!」
バチバチッと強力な静電気が起きたときのような音とともに、後ろに吹き飛ばされる。
その刹那、蔦に囚われた人と目があった。
男の人だった。
艶を失い、焦げた藁のようにバサバサになった長い黒髪。頰は疲労でこけている。
しかしミゼルを見つめる炭色の瞳は澄んでいた。
蔦で囚われていても自由を求める純粋な光が見えた。
そして何よりも黒髪の間から垣間見える鼻や唇は端正で美を見出すことができる。
この人、めっちゃイケメンだ!!
そう思った瞬間、ミゼルの視界は暗転した。




