猫耳クールな美少女が、にゃあにゃあとNKKの契約をせまってきた!
チャイムの音がした。
時間は夜の10時。ちょうど大学のサークルの飲み会から帰ってきて、楽な服装に着替えようとしているところだった。
一人暮らしをしていると、遅い時間に友人が突然訪ねてくることがある。事前に連絡がないことも多い。高校生から大学生になった俺達は、そのようにして、高校生のときにはできなかった自由のひとつを、楽しんでいるのかもしれない。
―――誰だろう。今日はもう眠たいから、なるべく早く帰ってくれるといいなあ。
あくびをかみ殺しながら玄関のドアを開ける。
しかし訪問者の姿を見て、俺は一瞬で酔いも眠気もぶっとんだ。
黒い猫耳をつけた見知らぬ女の子が、玄関に無表情で立っていたのだ。
彼女は全身黒いスーツに身を包んでいる。年齢は自分と同じくらいだろうか。二十歳そこそこに見える。
よく見れば端正な顔立ちをしている。猫っ毛をした短い黒髪と、眼鏡の向こうに見える大きな瞳は、そのまんま猫を連想させる。
女の子は自分の姿に疑問を感じていないのか、恥じらうそぶりすらなく、クールで涼し気な雰囲気を目線に漂わせている。
猫耳をつけた女の子が、こんな時間に俺に何の用事があるというのだろう。彼女の猫耳から視線が離せないままに、何が起こっているのかを思案する。
その硬直状態が十秒ほど続くと、彼女はポケットから名刺のようなものを取り出す。そこには、ただこのようにだけ書かれている。
『NKK(猫・可愛い・協会)会員No.222 真夏夏美』
「夜分遅くに失礼します。わたくし、このような者です」
ボーカロイドを連想させるような、機械的な声をしている。
感情の起伏が一切感じ取れない、そんな種類の声だ。
「……と、言われましても。何ですかこの『猫可愛い協会』って。失礼ですが、聞いたことがないんですが」
「ええ、まだ知名度の低い団体なのです。しかし、これからの日本にとって、非常に重要な活動をしている団体なのです」
「はあ……具体的にはどのような活動を?」
「猫って可愛いですよね? しかし、その猫の可愛さというものは、何の対価もなしに得られるものではありません。猫が安心して暮らせる社会秩序が保たれているからこそ、猫はその可愛さを存分に発揮できるのです」
「あ、はい……」
ひとまず頷いてみるが、何一つ要領を得ない。その様子を察したのか、彼女は説明を続ける。
「そのように猫が安心して暮らせる社会秩序を実現する活動を、我々NKKは行っているのです」
「なるほど。でもいまひとつイメージできません。例えばどのようなことをして、その猫の社会秩序というやつを保っているんでしょうか?」
「そうですね。例えば、近年では猫の虐待動画をネットにアップロードするような輩がいます。言うまでもないことですが、これは非常にけしからないことです」
「ああ。ネットの掲示板なんかでみたことがあります」
「我々NKKは、例えばそういう行為をする個人を特定し、合法的にタコ殴りいたします」
「いや、タコ殴りにした時点で非合法な気がするが……」
「その法的な解釈は各人の心に委ねるとして。とにかくまあ我々は、そのような活動をしているわけです。猫が安心して暮らせぬ世界は、手段の如何を問わず、是正しているのです」
眼鏡の向こうから、大き瞳が鋭く光る。
その温度の冷たさに、心の芯がぞっと震える。
「え、ちょっと待って。俺は別に猫を虐待なんかしたことないぞ!?」
「今日は別にタコ殴りにしにきたわけではないのです」
「じゃあ、何の用でここに?」
「端的にいいますと、月々の『受猫料』をお支払い頂くためのお願いをしに参りました」
「『受猫料』? なんかテレビの受信料みたいな感じですね」
「ええ、概念としてはそれをパクってます。猫の可愛さを享受する対価として、我々の活動費をお支払頂きたいのです。貴方……猫、飼ってますよね?」
「いや、うちのマンション、ペット禁止じゃないけど……俺は猫を飼っていないですよ」
「へえ。本当ですかね。では上がらせて確認させて頂きます」
と言いながらすでに靴を脱ぎ、玄関からあがりこんでくる。
「ええ……っ!ちょっと……。部屋散らかってるし……」
「うーん……。本当にいない……」
「だから言ってるじゃないですか!」
「信じられませんね……あんなに可愛い猫を飼わないなんて……そんなことって……」
彼女はやや青ざめた表情で、爪をかみながらぶつぶつとつぶやく。
「えっと。というわけです。うちには猫はいません。『受猫料』とやらを支払う必要もないでしょう。そういうわけで、お引き取り下さい」
「分かりました。しかし貴方には、きちんと猫の可愛さを知ってもらいたいところです。というわけで本日、貴方にはこれを無料でプレゼントさせて頂きます」
そういって彼女はカバンの中から、長細い何か取り出す。プラスチックでできた、オモチャのねこじゃらしだ。彼女はそれを無表情で俺に手渡す。俺はそれを両手で受け取り質問する。
「これは?」
「猫と戯れるためのおもちゃです。はい、試しに振ってみてください」
言われるがままに、それを胸元の前で左右に振ってみる。
すると……次の瞬間、まったく想像してなかったことが起こる。
「にゃあ!!!」
最初は何が起こったのか、理解ができなかった。
彼女はクールな表情を崩さず、それにじゃれついてきたのだ。
まるで小さな子猫のように。
「えええ……」
「さあ、もっと早く、左右に振るのです」
ねこじゃらしを激しく左右に振ると、彼女は一心不乱にそれにじゃれついてくる。
「にゃあ!にゃあにゃあにゃあにゃあ!……にゃあ!!」
こ、これは……。
ダメだ……可愛い……。
先程までクールな口調で話していた女の子が、我を忘れたようにねこじゃらしにじゃれついている。
黒いスーツ。黒い猫耳。凛々しさと可愛さの同居した、不思議な雰囲気をかもしだす美少女。そしてその彼女を、指揮棒で操るごとくじゃれつかせているのが、俺なのだ。そう考えると、言いしれない支配欲が湧き上がるのを感じた。
しかし……。
彼女から冷淡な声が発される。
「ダメです。この下手くそ」
「え?」
「動きが単調です。もっと猫の視線に気を配ってください。一瞬、猫の視界から消えるような、そんな意外性のある場所でねこじゃらしを振るんです」
「はい。えっと……こ、こうですか?」
俺はねこじゃらしの動きをトリッキーに変化させてみる。
「にゃー!にゃにゃにゃにゃーーー!!にゃ? ……にゃにゃにゃー!!にゃー!」
ねこじゃらしの動きに合わせて、彼女は小さく飛び跳ねたり、床の上をごろごろと転がる。しまいには、お腹をみせながら寝転んだりする。
美しい彼女が自分のねこじゃらしさばきで、こんな姿を見せる。不思議な支配欲が満たされていく。
「いいですよ。その調子です。高低差にもメリハリをつけて」
彼女は猫が顔を洗い気持ちを落ち着かるような動作をする。その仕草も可愛らしい。
「はい……!」
……といったように。
俺と彼女は、そんな謎の遊戯を約十分間ほど行った。かつてない高揚感に包まれて、間違いなく人生で最も充実した十分間だった。
激しく動いたり跳ね回った彼女は、息をはぁはぁと切らしながら、ハンカチで汗をぬぐう。ハンカチからはふんわりと、香水の甘いかおりが漂う。
「はぁはぁ……と、いうわけです。大分上手になりましたね。そのねこじゃらしは先程もいいましたように、貴方に差し上げます。これからも、大切にしてくださいね」
「はあ……。お疲れ様でした」
「では、次に契約を結んで頂きますね。月額2222円です」
彼女はハンカチをポケットにしまうと、カバンから契約書とポールペンを取り出し、私にすっと手渡す。
「……ええと。さっきも言いましたが、俺は猫は飼っていないです」
「存じ上げております?」
「猫を飼っていないので、『受猫料』を支払う理由がないのです」
「ああ、それはですね。猫を飼っていなくても、猫と遊ぶ設備を有している世帯は、受猫料を支払う義務があるのです」
「……は?」
「このことは、愛猫法第5条にも記載されています。貴方はねこじゃらしを持っているので、支払い義務が発生する要件を満たしているのです」
「そんな……。これは今、貴女が私にくれたものじゃないですか。こんなのって、罠じゃないですか」
「罠も何も。愛猫法でそうなっているのだから、仕方ないじゃないですか」
彼女は無表情で肩をすくめる。そしてその無表情な顔を思いっきり俺に近づけてきて、小さな声でささやく。
「それに……楽しくなかったとは言わせませんよ? さ、たったの月額2222円です。考えるだけ時間の無駄ですよ? 早く契約書にサインをしてしまいましょう」
「うう……」
楽しんでしまった後ろめたさがあったのだろうか。俺は言われるがままに、契約書にサインをする。
すると彼女は一瞬だけニヤァっと笑う。
「偉いですねえ。これで猫たちの安心が得られるというものです。猫たちに代わって、私からもお礼申し上げますね」と言った。
それから彼女は頭を下げて「お礼に猫耳触ってもいいですよ」と言った。契約書を書き終えた俺は、猫耳をなぜてその場で2222円支払う。何かを判断する能力を、まるっきり彼女に奪われてしまった。そんな不思議な感覚におちいる。
「また来月、集金しに来ますね。ねこじゃらし、大切にして下さいね」
そう言い残し、彼女はマンションから出ていった。
彼女が部屋からいなくなると、俺は起こったことをもう一度自分の頭の中で整理する。
思わず契約を結んでしまったが、値段以上に楽しい時間を過してしまったのも事実だ。自分の判断が誤っていたのか、正しかったのかは、よく分からない。
釈然としない気持ちを心の内に押し込めながら、スマホのインターネット機能でNKKについて調べる。しかし『猫可愛い協会』なる団体の情報はどこにもなく、まったく関係のない会社のサイトしか見つけることができない。
「よく分からない。まあいいか」
そう言ってスマホをソファーの上に放りなげる。
そして代わりに、ねこじゃらしを手にとってみる。
彼女は来月も集金にくると言った。
そのときにまた、あの充実した十分感を過ごすことができるかもしれない。彼女にまた会えて、あの時間をすごすことができるのであれば……2222円は安いものだ。
それから一ヶ月が経った。
チャイムの音がした。
時間は夜中の10時。俺はねこじゃらしを後ろ手に隠しながら、玄関のドアを開ける。
そこには全身黒いスーツに身を包んだ、小太りの中年男性が、黒い猫耳をつけて立っている。
見たことのないおじさんだった。