翡翠と紅玉
書いたまま放置していたものです。
せっかくなので投稿。
白と灰が入り混じる厚い雲が広がっている。
冷たい風が頬を撫で、激しい心臓の音と皮膚の下に流れる血潮の本流を感じる。
一体どれほど飛び続けたのか、目の前は先程と然程変わりのない暗い灰色と白の世界のみ。緊張感で冷たくなった指先で自分の下にいる翡翠の鱗に指を這わせ、少し撫でた。冷たいはずのそれは主人の魔力と反応して仄かに暖かく、冷たくなった指先と共に硬くなる心をも溶かすようで安心する。
何時も助けられる己が相棒に笑みを浮かべ、低く問うた。
「翡翠、感じるか……。」
問いに、チラリと瞳孔の割れた金の瞳がこちらを見た。美しい金はそれ以上なにもせず視線を逸らすが、彼の事を良く知る者にとってはそれで十分だった。
「何か来たな...」
そう言った途端、銀の線が横を通り過ぎた。鋭く尖ったそれは良く龍狩りに使われる重厚感のある矢である事を素早く読み取り、怒りと共にクロスボウを構える。勿論これは人間用である。たとえこの矢が龍に当たっても弾きかえす。梶は翡翠に任せ後方から来る阿保二人組を射落とすことを重視として攻撃する体制をとった。
空の上、男は黒い短髪を掻き毟りながら深い溜息をついた。
何故自分はこの様なところにいるのか、何時ものこの時間には。落ち着く我が家で1人酒の頃合いである。
「何で俺がこんな事、しかも彼奴と一緒というのがなぁ……」
再度大きなため息をついた男に対して、前方から女の声が飛んできた。
「レンドール隊長‼︎本気で飛んで下さいよ!離されていってるじゃあないですか!」
一応は女の上司であるのだが、なかなか口の利き方がなっていないのは何時ものこと。イグニス・レンドール・トゥアン第13番隊長は再度嘆息した後、声を張り上げた。
「クリス‼︎お前に前方に出る許可は与えていない!戻ってこい!それに追いつく必要はない。目的地は分かっているのだからな。」
すると暫くの沈黙の後、前方から速度を落とした龍体が雲の切れ間から姿を現した。見ると上に乗った隊服を着込んだクリスはやけに慌てた様子である。
「どうした。何かあったのか。」
「た、隊長……。」
その先を言おうとしないクリスに、彼女の装備に目を走らす。隊支給の矢が、一本無い。
「お前使ったのか、龍討伐の矢を……」
ヒュン
風切り音と共にクロスボウの矢が横を通り過ぎる。それで全てを理解した。
「クソッ‼︎ 来るぞクリス‼︎ お前は後で飯抜きだ!」
「はいぃぃ!」
即座に戦闘態勢に移ると続け様に矢が通り過ぎて行く。いくらクロスボウといえど、龍ではない自分の相棒には矢が刺さる。龍には龍である事はイグニス自身良く知っていた。それに追跡中の人間に仲間がいないとも限らない。
「チッ、こんな日に限って雲が厚い……。」
次第にもう一匹の龍体が姿を現わす。美しい翡翠の龍。色付きである。身体も普通の龍よりふた回り大きい。
そしてその背にはフードを被り、クロスボウを構える人の姿。フードから覗く緑の瞳が印象的である。
今や此方に向き直り、敵意を向けてくるその相手は相当の手練れの様にみえた。
「何の様だ……龍を傷付ける愚かな龍乗りよ。……殺されたいのか……。」
静かな、耳障りのいい声は怒りに低く響き、イグニスの神経をざわつかせる。手練れの気配を敏感に捉えた相棒が身じろいだのを感じ、下手には動けないと悟るが、半人前はそうは思わなかったらしい。
「貴方には国家反逆罪の疑いがかけられています!大人しく投稿して、その色付きから降りなさい‼︎」
クリスの威勢の良い声に文字通り頭を抱えたくなるイグニス。
(煽ってどうするよ、あの阿保…)
龍乗りに龍から降りろと言うのは、立派な侮辱行為にあたり、それも色付きは世界に圧倒的に数が少なく、滅多に契約を結ばないため貴重とされる。クリスは目の前の人間が無理矢理従わせていると考えて、先程の言動だろうが、ありえない話だ……特にこの龍は。
「言いたい事はそれだけか。仮にも龍にのる娘。」
静かな怒気に思考が乱れる。そんな中でも本能的に臨戦態勢を取れるのは鍛錬の賜物ではと自分を褒めつつ、速度を上げ前にでる。
「私の部下が大変失礼した。貴殿並びに識龍殿にも深く謝罪したい。私の騎獣にはクロスボウは通る、下ろしてはいただけまいか。」
深々と頭を下げる。
「……少しは話が出来そうな者がいて助かる。」
フードから聞こえる声に余裕が出来た。クロスボウも下ろし、だが敵意は健在。何かあれば即座に攻撃されるだろう。
「ありがたい。貴殿に話を伺いたく後をつけさせて貰った。また、王命により私たちは動いている。ご理解いただきたい。」
「全く心当たりは無いが…。話くらいならまぁ、良い。ついて来い。」
一方的に告げると速度を急激に上げた。
慌ててそれに追従する形になるが、一先ず危険な状態では無くなった。
「レンドール隊長!なんで話し合いなんですか!そもそも罠かもしれないんですよ?」
「うるさい、クリス、お前は相手の力量を測れるようになれ。なんの為に私の元についている。
下手をすればお前は一瞬で殺されていたんだぞ。」
不満そうな顔で詰め寄るクリスに言えば、まだまだ納得していない様だ。
成長を気長に待つしかないのか、気の強く、良くも悪くも真っ直ぐな性格人間は裏の世界には通用しはしない。
「それから、俺が話している間は何も喋るな、良いな?」
「………はい…。」
強めに言えば、渋々といった感じの返答がある。本当に、何故こんな馬鹿正直ものを連れて行かなければならないのか。彼女が数少ない龍乗りだからか、まだ理由はありそうだが…取り敢えず上司には後で文句を言っておこう。
そんなことを考えながら高度を下げつつある翡翠色の龍とフードの人物を追うのだった。