【07】人は何かに縛られて生きるもの
本日二度目の更新です。9時の更新が既読でない方は、前話をお読み下さい。
集団で騒ぐのも悪くないけれど、朝から晩までの団体行動には流石に参った。疲労困憊デス。
一人になりたくて、適当に理由をつけて六人部屋から出た。隣の部屋の前には、売店にいた警備のお姉さんの一人が。時計を見ながら誰かを待っている風を装っている。こうしてお嬢様を外から監視している。
私に気付いてそっと目配せをくれた。私もそれ以上は返さない。誰の目があるか分からないから。
今は、男子の入浴時間みたい。旅館の浴衣を身に纏う、見知った顔の往来がちらほらある。
開放感からか、いつもより大きな声で会話する人も。ただでさえ、一般人より音を拾いやすい耳を持っているから、うるさくて仕方がない。
『榛葉ァー。お前、地味沢と仲いいじゃん。実際のところ、どうなんだ?』
一番拾いたくないものが、耳に飛び込んできた。一部の級友から、私が地味沢と密かに呼ばれていることは知っていた。はやし立てる、下卑た笑い声をBGMに、彼らの会話は進んでいく。
その場を離れる。離れるけれども一度捕らえてしまったアンテナは、中々対象から外れてくれない。
お嬢様の護衛の折には重宝する能力だけど、今だけは怨みたい。聞きたくない! いや!!
でも、そんな私の心なんてお構い無しに、彼らの声は勝手に私の鼓膜を震わせる。
『唐沢さんは、ないかな。色々控えめだから。後ろの席の塩屋さんが華やかだから、尚更際立つな』
ガツンと頭の後ろを、硬いもので殴られた。そんな衝撃だった。
恋、なのかは分からない。榛葉君は、クラスで割と仲が良くて、ちょっと気になる男子ではあった。そんな彼から、たとえ聞こえていないと思われているにせよ、はっきりと『ない』と言われたことは、やっぱり衝撃的だった。
けれども、私だから聞くことの出来た話。すぐ傍での会話ではない。この場で勝手にショックを受けていたら、どう見ても不審者だ。足取りも普通に、普通に。そして聴覚のアンテナを、強引に別のところに向ける。
『あ、山瀬だ。偶然! 最近付き合い悪いじゃん。ねぇ。折角こうして会ったんだし、今から、どう?』
甲高い声が発した思わぬ名前に、動揺する。
山瀬って、あの山瀬? そうじゃないかもしれないけれど、このタイミングで拾い上げるには微妙な名前……。
『断る』
何とも気だるそうな、情のない声。この尊大な抑揚に覚えがある。ありすぎる。やはり、私が思い描いた山瀬だったらしい。
相手は他校の修学旅行生か、あるいは個人で旅行に来た大学生や社会人あたりか……。
『もう。つれないなぁ。あんなに愛し合ったのに何を今更』
『愛した記憶なんてない』
『ヤだ、なに、サイテー!』
スリッパで床を蹴った音が響いたと思った五秒後、私は非常に強い衝撃を受けた。
殺気のない気配は避けづらくて、ぶつかってしまうんだよね。……今みたいに。
そして山瀬と目が合う。出歯亀をしてしまったことも、しっかりばれた。
自販機の横で、私はあたたかいミルクティーを持っていた。何故か山瀬のおごりで。
猫舌の私は、まず手を温めてから手をつけるんだ。
京都にまで来て、どうして、私は山瀬と二人きりでこうしてるのかな。
お嬢様の警護なら話は分かるけれど、互いに休憩中の身なのに。
色々あってがっつり一人になりたい気分なのに、どうして離れてくれないんだろう。
考えるまでもなかった。山瀬もおそらく、あれを聞いていたんだ。彼なりに慰めてくれているのだろうか。
「山瀬って、好きな人、いるの?」
「いる」
無意味な沈黙がつらくて、とっさに出た質問。山瀬は律儀に返してくれた。……って、いたんだ。好きな人。
「前に女性らしい人がタイプだって聞いたけど、その人は女の子らしいの?」
「ああ」
山瀬、切なそうな、苦しそうな、でも優しさをたたえた目をしていた。
こんな顔、見たことない。
「山瀬は、告白したりしないの?」
「しない」
即答だ。きっぱりと拒絶の意を感じる。
私は自他共に認める地味な人だけど、山瀬は……もう少し言い回しをソフトにしさえすれば、絶対にもっと人に好かれる。
悲しいかな。天地がひっくり返ることがあっても、彼の口調や性質が簡単に変わるとは思えないけどね。
「唐沢の婚約のことは気にしなくていいんだよ。山瀬側から破棄してくれたら、どうこう言われることもないからね」
「唐沢千鶴の立場はどうなる?」
「私のことなんて気にしなくていい。別にいいんだ。唐沢の家の実態を知って、私に忍の適正が認められた時点で、自由に振舞うのは諦めたから」
私から断りを入れたケースほどではないけど、山瀬から断られたとしても、間違いなく私の立場は好転しない。
けれども、唐沢家の、忍としての一面を知ってしまった以上、私が逃れる術はない。歯車として拾い上げられて、組み込まれてしまっているのだから。
「そうか」
「任務をこなしながらだけどさ、里から離れた学校で過ごすのも、結構楽しいんだよ。知らなかった世界が見えるのが大きいね。高等部を卒業したら、任務以外で里を出ることもなくなると思うから、貴重だよ」
「自由は欲しくないのか?」
山瀬の言葉を一瞬理解できなかった。
自由なんて言葉や概念だけで存在しないものだと思っていたから。人は何かに縛られて生きるものだって。
「考えたこともない。幼い頃から身についたものは、変えようがないし、唐沢以外で生きる自分の姿が想像できない。でも、山瀬まで私の許婚って立場を押し付けられたからって、唐沢の家に縛られる必要はないからね」
山瀬は『唐沢の忍』でも、ましてや厳密には『ヒト』ですらない。
天狗の事情はよくわからないけど、彼を縛るものは、彼の立場から容易く断ち切れる、唐沢の家からのお願い程度しかないはず。彼は『自由』なのかもしれない。
「そもそも、どうして俺を切り離そうとするんだ?」
「山瀬に好きな人についての話を振ったときの顔、すごくいい顔だった。だからかな。山瀬のこと、応援したくなった」
婚約者がいるのに別の人に恋愛って、事情が会っても不誠実だ。唐沢をきっぱり断ち切って、山瀬の好きにしてほしい。
「無駄だ。目がないからな」
「……山瀬で目がないって……ひょっとして、既婚者が相手だったのかな? それなら無責任なこと言ってゴメン」
一見美形に見える山瀬だ。表面だけ知っていたときは、振る舞いに腹を立てることもあったけれど、彼を知ればそうでもなくなった。
上っ面だけで判断するなと、過去の私を叱り飛ばしたい。
「既婚者ではないが、俺がそいつの対象になる気がしない。伝えようものなら、ごめんの一言で片される」
「そっか……うまく、いかないね」
「そういうものだ」
山瀬が遊んでいるのも、本命に振り向いてもらえないからかな?
寂しさは分からないでもないけれど、そんな事をしたらますます遠退きそうだけどな。
「……でも、好みの作りではないとか、悪目立ちすぎるというのでなくて、地味って評価で良かったのかもしれない」
「どういうことだ?」
「女の子としての魅力はないけれど、忍としては、価値があるでしょう」
唐沢の忍としての立場は、私が生きている限り付きまとう。
そちらでプラスの評価になると思えば、これまでの私の振る舞いだって、決して無駄なものではない。
恋して誰かと心を通わせてみたいという夢は、諦めたほうがいいと、改めて実感したけれど。
「唐沢千鶴は前向きだな。その姿勢は、悪くない」
面白そうに、山瀬が笑う。横顔をわたしに、見せてくる。
いつもの不遜な雰囲気よりは、ずっといい。もっと柔らかく笑えないのかな。
そうしたらきっと、山瀬の好きな人だって、彼に振り向いてくれると思うのに。
そこからどう過ごしたのかよく覚えていない。気付けば山瀬と別れて、旅館の部屋に戻っていた。
いぐさの芳香漂う部屋に、きちんと布団が敷かれていた。まだセーラー服を身につけていた私が、ひどく場違いに思える、安らぐ空間。
山瀬の苦しそうな顔が印象的で、思えば不思議だけど、自分の痛みや苦しみどころじゃなくなっていた。
読んでくださりありがとうございます。
次回の更新は、27日9時を予定しています。