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【04】黄色と赤のコンボが憎いオムライス

 静謐の中、空気の流れもはっきりと視える。空気の重たさも……全てを肌でしかと感じ取る。

 息を飲む、弓がしなり、矢が空気を裂く音。何もかもが私の心を引き締める。


 私が通う学園の隅っこに、ひっそりと存在する弓道場。お嬢さまが美術部に顔を出さない日は、私はここで唯一の弓道部員として過ごしている。

 表向きは、兼部。でも、美術部員としての活動はフェイク。私の美術センスのなさは、部長にこっそり苦笑されるレベルなんだ。少々磨いたところで取り繕えない。それでも、お嬢様の護衛をするべく、弓道部は常に一人きりで寂しいから、偶に顔を出させてくださいと頼み込んでいる。


 だからこそ、聖域での会は、私の貴重な癒しのひととき。


 弓道場のど真ん中から突如伸びる、逆三角形のシルエット。

 部員は私ひとりきり。だから、断りもなく、私以外の人影が床に這うことなんてないのに。


「……山瀬。君だって部活動に所属しているでしょう」


 影の主はすぐに分かる。色素のやや薄い髪に長身の男は、学生服を纏っていると、なおさら悪目立ちが過ぎる。天狗や鬼が異邦人の類だという説がある。山瀬のハーフ顔を見ると、その説はあながち間違ってもいない気さえする。


 人の気配をよむことに長けた忍の私、先日の油断しきった散歩道ならともかく、神経を研ぎ澄ましている弓道の最中だ。影が視界に飛び込むまで存在に気付けないことが、彼が常人で無いことを証明する。


「先日も言ったが、剣道部は形ばかりだ。俺を気にせず続けたらいい、唐沢千鶴」

「そうさせてもらうわ。いつもは一人きりだから、気を散らされるなんて経験は、滅多にできないしね」

「つくづく生真面目だな。まあいい」


 山瀬はククッと愉快そうに喉を鳴らす。不快だけれど、舌打ちを神聖な道場に響かせたくなくて黙殺した。


 弓道は競技だけど、私の場合は、実戦での集中力も求められる。山瀬の存在が障りになる程度なら、半人前。

 右足を動かして、体位を作る。慣れた動作に迷いはない。安定を得るために、下腹部に気を溜め、弓に矢をつがえて、的を凝視する。


 私は、弓を持ち上げる瞬間が一番高揚する。

 ゆったりと弓を引いて、会、離れ。弓が空を切り、たんっと音を立てて的を射る。


「見事な残身だ。ヒトにしておくのは少しばかり惜しいな」

「どうも」


 残身は、射終わったときの姿勢。一連の集大成。山瀬の口笛交じりの賞賛に、私は素直に喜べなかった。

 天狗である彼は、弓道用のものではなくとも、私より巧みに弓矢を操るのだから。




 帰宅の道中も、山瀬に絡まれている。

 一応山瀬が気遣ってくれているみたい。普段は華やかそのものなのに、彼が気配を消していると、誰も気付かない。

 私以外の人間が一人いて、私と会話していることを認識しても、相手が山瀬だと分からないようだ。


 どうしてこんな事に、なんて嘆かない。自分の失敗はきちんと把握している。

 家の事を訊ねられて、一人暮らしなのを零してしまったのが悪かった。

 中等部のころは、母親もこちらで一緒に過ごしていた。けれど、中等部の三年間で、私に家事を一通り仕込んで里に帰ってしまったんだ。


 そうしたら、忍とはいえ、女の子の一人暮らしが心配だとのたまった。余計なお世話だ。

 そのまま、自宅マンションの前までついてきた。部活動のときとは違って、言葉数もなかったから、まさに影。


「ここだから」


 一応、オートロックで、セキュリティーがそこそこ厳しい二DKに住んでいる。

 家賃は、お嬢様の家の負担だ。お嬢様のご学友が、特待生でもないのに貧乏暮らしというわけにはいかない。仕事の上で、そこそこの育ちの娘さんという振る舞いが、暗に求められている。

 仮にボロ屋の一K住まいで、変質者の類が出没したとしても、締め上げることは容易い。

 流石に、山瀬のような人外なら厳しいかもしれないけれど、彼らはプライドも高そうだから、私みたいなちんちくりんはきっと相手にしない。


 オートロックを見せつけ、暗に大丈夫だと伝えたつもりでも、この男には伝わっていなかったみたいで……結局、家に押し入られてしまった。

 その上、遠慮なく空腹を訴えてくるものだから、やむなく夕食を作ったわ。


 一人でチキンソテーを食べるつもりで仕込んでいたのに、予定を変更した。肉の塊を一口大に、色とりどりの野菜も一回り小さくさいの目に刻んで、ご飯と一緒に炒める。

 冷蔵庫に使いかけのトマトピューレが残っていた。今は亡きチキンソテーのソースにするつもりだったけれど、惜しげもなく投入する。

 肉にしっかり味をつけていたから、塩コショウは控えめに。

 そして、隠し味のお好みソース。野菜のうまみが凝集されている上に、ほんのりとろみがある万能選手。有能な忍だよ、キミは。色が微妙になってしまうけれど、タルタルソースへの参入を、個人的に歓迎したい。


 オムレツも、成功したと思うほうを、山瀬用の皿にのせて割り開いた。チキンライスを少し多めに盛っている。

 押し入ったとはいえ、唐沢家の一員としては、持て成すべき客なのだ。その辺は心得ている。


 彩りでパセリも添えた、トロトロ卵のオムライス。海藻サラダとスープつき。

 無言で皿を眺めた山瀬は、スプーンを手に取り口に運んだ。

 所作がいちいち美しくて、私の心臓が変な動悸を打ってくる。私はスプーンを動かせずに、思わず見とれていた。見てくれだけはいいからね、この男は。


 尊大な態度で色々文句をたれるのかと構えていた。それに反して、山瀬は無言でオムライスを平らげていく。


「ごちそうさま」


 そして食器を纏める。最後まで感想は皆無だった。けれど、綺麗に完食されたから、まずいとは思われていないのだろうなと、良い方向に考えることにした。




 山瀬は、連日押しかけてきた。三日目になれば、もはや下準備の段階で二人分用意するようになっていた。

 人の気配がある食卓は結構久し振りだった。けれども、こんなに会話の弾まないものは望んでなかった。


 多分、山瀬の中には食べながらお喋りするという選択肢がないのかもしれない。厳しく躾けられていると、黙って食べるのが当たり前になっていることもあるから。

 沈黙が苦痛なので、食事の時間中はテレビをつけるようになった。

 そうすると、食後にくだらない番組についてぽつぽつと会話が成立するようになった。やはり彼の習慣なのだろう。


「これ、置いておく」


 一週間ほど経った頃、食後に、山瀬が封筒を置いた。

 中を確認すると、六人の福沢諭吉。材料費をいただけること自体はありがたいけれど、六名は多すぎる。

 一人分、夕食代だけなら、材料費一万程度あれば割と事足りる。一体どれだけの期間を想定しているのか。大目に見ても二か月分だと言われたらまだ納得するけれども。グレードアップもあまりしたくないし、そんなに居座られたくないから困る。


「ねえ、やま……」


 私は言葉を失った。

 二日目から、食器を流し場まで運んでくれるようになっていたけれど、まさかの洗い物。

 こだわりがあるから置いておいてと言いかけて、はたと気付く。私がいつもする方法で洗っているって。

 数日間、観察されていたとしか思えない。けれど、視線は感じなくて……妖の怖さを、改めて痛感する。


「そんな手だと唐沢千鶴の任務に差し障りがあるかもしれないからな」

「そう……」


 最近ちょっとあか切れしがちな手。それに気付かれていたとは、何たる迂闊。


「洗い物、ありがとう。御礼にリクエストでも承るわ。即日は難しいけれど、週内くらいでよければ大抵のものは作るよ」

「初日に食べたやつがいい。また食べたい」


 初めに作ったもの。一瞬考えてすぐに至った。黄色と赤のコンボが憎いオムライス。

 でも、リクエストするならオムライスと言えばいいのに……。


「山瀬、ひょっとして……オムライスを知らないの?」

「ああ、あれはオムライスというのか」


 知らなかったらしい。天狗の人間教育の精度に不安を覚えてきた。

 まあ、私には関係ないけどね。

 読んでくださりありがとうございます。

 次回の更新は、25日21時を予定しています。

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