天狗と赴く夏祭り(後)
和モノ夏企画作品は、これにて完結です。
「もう、恥ずかしかったじゃない!」
林に差し掛かったところで、思わず吠えてしまった。
あの場に私の知り合いもきっといた。田舎の集落の情報網の恐ろしさは身に染みている。だからこそ、明日以降出歩くのが怖い。いくら面をつけていたとはいえ、私だとすぐに知れている。隼人が私の婚約者だと知っている人だっている。彼の赤毛が目立つから、お面を被っていたところでわかるだろう。
「ヒトに対して、千鶴が誰のモノか示しただけだ」
隼人の主張は揺るぎない。彼が言うには、既に誰かの『お手つき』に手を出す妖は滅多にないそうだ。独占欲の強い天狗のなら尚更。
ただ、ヒトは違う。相手がいると分かっていても手を出す不届き者が存在する。だからこそ、隼人はことあるごとに、ヒトに向けて主張したがるみたい。
「主張するなとは言わないけど、もう少し時と場合を考えてほしいよ」
「善処する」
しぶしぶといった体で隼人が答える。善処でなく完璧を目指してもらいたいけど、厳しそうだ。隼人が私に対して独占欲を見せるのは、むしろ嬉しいのだけど、それでもね……。
「俺はお前を戸惑わせてばかりだな」
「戸惑いが全くないってことはないけどね。嫌ではないのよ」
彼の思うように人前で表現できないから、せめて少しでも、別の方法で不安を和らげたい。
「私も薄っすらながら天狗の血をひいているせいかな。天狗の血を入れたいって唐沢家の事情を抜きにしても、あなた以外の誰かとこうするなんて、考えられないの」
「千鶴」
繋がれた手を、私の意志で強く握りこむ。手を繋いで、隣に立って、思いの丈をぶつけ合う。そんな相手は隼人だけ。
互いの熱で汗ばみ、吸い付くような触り心地になった手のひら。この心地よさを手放す気なんて、ないのだから。
「でも困ったわ。箸巻をもう一本食べたかったのに、あんなことしてくれたから屋台に近寄れなくなったじゃない」
「何なら俺が単身買いに行くが」
「折角の逢瀬で単独行動するの? そっちの方が嫌よ。だからまた次の機会にする」
今この手を離すなんて考えられない。すぐ隣で同じものを見ていられる時間は結構貴重なのだから。
だからといって、一緒に手を取り合ってあの屋台に戻る勇気もない。今夜は諦める。
隼人が、指の腹で私の下頬を撫でて、つっついた。
少しご機嫌斜めだったから、無意識のうちに頬を膨らませていたのかもしれない。そんなタイミングで頬を弄ってくるのよ、この天狗は。
「千鶴らしいな」
らしくなく、ふんわりと笑うのは反則。私、ちょっと腹を立てていたのよ。ふつふつと沸き立っていた苛立ちが、あっという間にかき消えてしまう。
「さて、花火は何時からだったかな?」
筥迫と一緒に入れていたスマホに目を通す。電波の施設や建物から離れると電波があまり入らないから、この場では専ら時計代わり。
「あと五分くらいかな。でも、もういい場所は大体おさえられていると思うよ」
「まあ、任せてくれ」
隼人の口の片端が上がったかと思うと、私の足が地面から離れた。彼に抱えられたと気づいた時には、文字通り、宙を舞っている私。隼人の背中に、漆黒が広がる。本性をとって、ぐんっと昇る。
何度か隼人に抱えられて飛んだけれど、この感覚くはまだ慣れない。飛行機に乗ったときの負荷どころではない。身体にのし掛かる重さと耳鳴りに耐えながら、案外厚い胸板にしがみついた。
隼人は人智を超えた異能を持ち合わせている。けれど、人の社会に身を置く以上、なるべく能力を使わないようにしていると言いながらも、結構駆使しているように映るんだ。今の件も含めて、指摘はしないけれど。
「ここにするか」
隼人は下駄を履いたままなのに、器用に木の枝の上に乗っていた。私の目前には苔むした木の幹が迫っている。
隼人は私を片手で支えて、もう片手を幹に。黒い鱗で覆われた手の、鋭い爪が深々と刺さる。そのまま、木に預けた手に沿わせて私を枝に下ろす。
私の足が接した面が案外平らで、下駄のままでも何とか乗れた。そういう場所を選んでくれたのだろう。
「見晴らしはどうか?」
「すごい。震えるほどね」
声が上ずったのは興奮と、足元に不安を覚える恐怖から。隼人と違って私は、翼や宙に浮く手段を持たないからね。
枝に腰を落として幹に背をもたれると、目前には開けた空。人の頭で遮られることのない特等席だ。ただし、大抵の人は使えない。
空を飛ぶモノだからこそ知る世界。隼人の手をとったことで、私もまた恩恵にあずかった。
隼人のお面で覆われていない部分が、黒曜石みたいに変化している。嘴だと人型と比べて表情が分かりづらいかな。けれどとにかく、こちらの方が『隼人らしさ』が滲み出ていて好きなんだ。飄々としている彼は、本性の方がしっくりとくる。
「喉が乾いたりはしないか?」
「さっき買ったお茶がまだ並々と。ぬるくなったけど、これで十分」
ボトルを振ったら、お茶が中で渦を巻く。
箸巻も食べたから、飢えることもない。花火を見るにおいて、足元の覚束なさ以外は何の憂いもなかった。
「おさまりが悪かったかな。一応過ごしやすさと景観を兼ねた枝を選んだつもりだったが」
「落ちたら真っ逆さまだからね、私は」
「なら、俺に身を預けたらいい」
隼人が私を抱き寄せた。いつの間にか人型に戻っているけれど、彼はヒトより優れた運動神経を持ち合わせているから、余裕綽々といったところだ。しっかり体重をのせても、隼人自身が木の幹のようにびくともしない。
私ばかり足を引っ張っていて、悔しい。
「また頬が膨らんでい……始まったか」
風が火薬の臭いを届けたかと思えば、光の筋が鮮やかに花開く。煌めき、枝垂れ、痺れるような音とともに、暗い《とばり》に置かれてはかき消えた。
空気がもうもうと立ち込めた煙で燻され、空に立ち込める。私たちが陣取っている木の枝にも、煙はまとわりついてきた。
「煙は高いところの欠点だな。千鶴は煙たくはないか?」
「これくらい、平気」
「そうか」
立っているときより隼人の顔が近いから、面を着けたままでも表情、というより目が分かりやすい。私をすれば心配して、彼の視界一杯に私が収まっていて、何となくこそばゆい。
何度か見た構成の花火だけど、見方が変わるだけで別物に思えた。近年は横目で見て終わらせることが殆どだったけれど、今回は久しぶりに堪能している。
一杯に広がる大迫力で、遮るものがないから、音も全身で受け止めて。隣で私を抱き留める天狗がいなければ、こんな経験をせずに日々を過ごすところだった。
否、ただの天狗ではダメ。隼人だからこそ、楽しくて幸せになれる。
最終章に差し掛かったのだろう。花火の音が激しくなり、空も一段と明るくなった。
足元もはっきり見えるんだ。女性の、特に浴衣に目を奪われる。浴衣の模様や帯を眺めるのは好きだし、こんな視線から見るのはやはり新鮮で、つい見惚れた。
「花火から目を外して、何を見ているんだ」
「浴衣の娘さん。揺れる袖や帯がかわいいから目に留まるんだ」
「千鶴の方が、よほどだけどな」
私の視界が一瞬失われた。外されたお面に遮られたからと気づいたら、隼人の影が迫ってくる。
今度は彼のなすままに、唇の施しを受け入れた。花火が上る中、木の上なんて誰も見はしないし、迂闊に動いてバランスを崩すのも頂けない。身を背後の幹に預ける。硬くて柔らかいような、そしてほんのりあたたかい、不思議な感触だった。ぴちゃりと立つ水音が、私の頬を熱くする。
「は、隼人……んうっ」
普通の天狗は口づけを神聖視しているため、こんなに交わさないらしい。事あるごとに幾度も千鶴のを攫う隼人は、かなりの変わり種だと思う。
でも、隼人が変わり種で良かった。唇のぬくもりや柔らかさを味わえないのは、ちょっと勿体ないからね。
「花火、終わってしまったな」
「来年も見にきたらいいじゃない」
私の肩を抱く手に、ぐっと力が込められた。
最後まで読んでくださり、ありがとうございました。




