姉の心(後)
外で春の嵐がぴゅーっと吹き荒れている。もう何日か遅かったら、花びらの舞が見られたかもしれない。日ざしは穏やかで、中々過ごしやすい天候だから、今日は今日でいいと思うけどね。でも、桜の散るさまはやっぱり格別なの。
そういえば、私も千鶴ちゃんに訊いてみたいことがあったんだ。この機会にと思って、話題に上らせる。
「千鶴ちゃんは、どうして隼人と一緒にいようと思ったの? 家の都合で天狗と婚約しなければけならなかったけれど、隼人以外にも短命種の天狗で年齢の近いの、いないわけじゃなかったんだよ」
隼人がらみで短命種コミュニティと関わったから、多分その辺の長命種に比べて短命種の情報が入りやすい。
私が知っているだけで、隼人より五歳上、一歳下の短命種もいるから、彼らが候補に上がっても不思議ではなかったと思う。
「それ、は」
「任務の一環だと割り切ったのかな?」
か細く消えそうな千鶴ちゃんの言葉に繋げる。
いくら千鶴ちゃんが僅かでも天狗の血をひいているとはいえ、彼女はヒトの摂理に身を置いている。
天狗は器用に見えて、心だけは不器用だ。例外なく恋に落ちるのは一度きり。その相手と心を通わせられなければ、非常に寂しい生涯を送ることになる。
隼人の傍にいることを選んでくれたけれど、彼女の心の在処だって気になる。一方通行だと互いに悲しいから。
「違います。むしろ、割り切れなくなったからこそ、一度婚約破棄をしようとしたほどなので」
「えっ!?」
私はうっかり湯飲みを手から滑らせた。調度として床の間に鎮座している壷とお揃いの華美な模様のもの。幸いにも割れなかったけれど、折角入れてもらったお茶が座卓の上に広げられる。
慣れた手つきで台拭きを用意し、お茶を片付ける千鶴ちゃんに、申し訳なさで一杯。
千鶴ちゃんがぽつぽつと経緯を話し始めた。
要約すると、隼人が千鶴ちゃんへの思いを知らなかった頃、弟への気持ちを自覚した彼女が、隼人の好きな人と幸せになってほしいからと婚約破棄を申し入れようとしたという内容。
初耳だった。一時的にでもそんな事態になっていたなんて、ちっとも知らなかった。式の時の上機嫌な隼人と、少し緊張気味の千鶴ちゃんが、私にとって彼女との初対面だったから。
「俺の振る舞いが最悪だったし、当時は千鶴も天狗のことをそんなに知らなかったんだよ、美森。今は……多分、大丈夫だ」
「もっと自信をもって言えないの? 隼人」
「色々考えても、どこまで伝わっているかなんて分からないからな。それに、千鶴がこうして美森と言葉を交わすのだって、一般的な天狗の考え方を知りたいから、らしい。千鶴の熱心さが嬉しいから、俺だってセッティングしてるんだ。そうでなきゃ、俺は狭量だからな。千鶴を美森の目にも触れさせたくないんだよ」
ヒトと比べて唯一の存在に執着しやすい天狗。その中でも、隼人は抜きん出ていると思う。
真綿で包むようにそっと、そっと千鶴ちゃんを扱っている。肝心の彼女が、真綿の敷物から自らの意思で転がり落ちているみたいだけど。
「と、とにかくだな。千鶴なりに俺のことを考えてくれているのを分かっているから、美森は余計な心配しなくていいんだよ」
「隼人。そういう言い方はないわ」
千鶴ちゃんが隼人を諌めにかかる。今にも噛み付きそうな隼人を宥める様子は、まさしく猛獣使い、わーお。
今現在、隼人が天狗の姿をとっているからね。尚更そんな絵になる。
「私や隼人の情とは少し違うと思うけれど、美森さんだって隼人のことを考えてくれているのよ。その言い方はあんまりだわ」
「美森が分からず屋だから」
「私は気にしていない。隼人が私のこと理解してくれたら、それでいいもの」
私は驚きのあまり、二の句が告げなくなった。
千鶴ちゃんの言い分は、思いの他私たち寄りのものだったから。
彼女の主張を受けて、隼人が目を細めた。私が一度も見たことない、優しくて熱っぽい視線をお嫁さんに送っている。二人でいるところを見るたびに、隼人から千鶴ちゃんへの視線はどんどん熱いものになっている。
天狗の婚礼衣装を身に纏って、天狗の世界では夫婦になった彼ら。あれから一年ほど経つけれど、隼人から千鶴ちゃんへの愛は、とどまることを知らないみたい。
「むしろ、どうして隼人がこんなに私を想ってくれるのか、そちらの方が疑問かな」
私には何もないからと、ぽつりと加えた。乾いた笑い声をあげる千鶴ちゃんが痛々しい。
「じゃあ、千鶴ちゃんはどうして隼人を好きになったの?」
「えっ」
千鶴ちゃんの視線が泳ぐ。ぷっくりとやわらかそうな唇が、かわいそうなほどに震えている。
卓の上で握りこまれたほっそりとした手を、黒い鱗で覆われた手が包み込んだ。言うまでもない、隼人の手。
「これって、色々な要素の積み重ねで、とっさに語れるものじゃないんだよね。私たちだってそう。千鶴ちゃんがどうして私なんだろ? って思うように、隼人だってどうして選んでもらえたんだろうって思ってたみたい」
言葉に詰まったままの千鶴ちゃん。私は彼女から発言を奪い、言葉を重ねる。
「以前は苦手意識持っていたんでしょう? 隼人は、千鶴ちゃんを見ていたからこそ、好いてもらえるなんて思ってなさそうだったの」
だからこそ、弟は婚約者という地位を手に入れて近付いて、それで満足していた雰囲気があった。
彼女の手製の料理で、初めてオムライスを口にした。それなりに言葉を交わせるようになった。勉強で助けになったらしく礼を言われた。そんなささやかな出来事に、大きな喜びを見出していた。
「それは……」
「それに、隼人がそんな風に天狗の姿をさらけ出せるって、千鶴ちゃんが受け容れてくれているんでしょう?」
「というより、こちらの姿の方がしっくりきて好きなだけです」
隼人にとって、これ以上の殺し文句はないと思う。横目で見ると、目を逸らしているものの、照れているのは丸分かりだ。
「だったら尚更よ。本性を受け容れてもらえるなんて、隼人は果報者ね」
「ああ。俺自身、そう思う」
長命種だろうと短命種だろうと、天狗の恋愛は一生で一度きり。相手に逢えず、あるいはめぐり逢えても成就できない者が多々。
その分、相手に恵まれた者はたくさんの子どもを設けるんだ。私だって、隼人を除いても兄弟、両手の指で数え切れないほどいるからね。
割り切って身体だけ重ねるものも中にはいるんだけど、彼らは不思議と子どもに恵まれることはないんだ。
恋愛を成就させ、本性まで受け入れてもらえた。
短命種という業を背負ってはいるものの、他の天狗から言わせたら隼人はとびっきりの幸せものだ。私から見ても、羨ましいことこの上ない。
「こうして話せて良かった。思ったより隼人がずっと良い環境にいるみたいで、安心したわ」
「美森さん?」
「千鶴ちゃんもいるから、隼人に会うの、最後にしようかななんて」
殆ど関わることのない筈の私たち。心配が殆ど失せた今こそ、本来ある関係に戻るべきなのだろう。
「ここまで関わってくださったのに、そんな寂しいこと言わないで下さい」
「千鶴ちゃん?」
まさかの一言だった。
気をつけてはいるけれど、異形が宿に出入りしてたり、関係者と会っているともなると、評判に響くでしょうに。
私の懸念材料を伝えても、意思の強い瞳で見返してきた。
「そのときはそのときです。美森さんが他の親兄弟同様、老いていく隼人を見るのが辛いというのでしたら諦めます。隼人の絶対的な味方って、中々いないと思うので」
千鶴ちゃんは、隼人を想って私を引きとめようとしているんだ。参ったな。
「そう。それなら、また来てもいいのかしら?」
「はい、是非」
商売っ気のない、屈託のない笑みが眩しい。
偶に素敵な宿でのんびりするっておまけがつくと思えば、こういう関り方も悪くはない、わよね?




