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同類とカタクリの花とコーヒー(後)

 喫茶店と、二人の通う学校のほぼ中間点に、異様に高いところまで続く石段がある。

 男女四本の足が上りきった先に、山肌に赤紫の点が視界いっぱいに広がっている。淡い色の頭を、恥ずかしがるように傾げて咲かせる小さな花が正体だ。


「こんな場所があったんだ……」


 清浄で静謐な空気も含めて、千鶴にとって、春先の郷里で馴染みの光景だった。名所とされている程だ。群生するカタクリの花たちは、春の妖精と称されるに相応しい、ひとときの現。

 今回隼人に案内されたのは、街中にある寺の裏手の小高い山。彼女の故郷に劣らない勢いで、花が舞い乱れている。


「知る人ぞ知る、この季節には中々人気の撮影スポットらしい。この寺のSNSでも取り上げられている」


 隼人が慣れた手つきでスマホをタップして、インターネット上にある寺の情報を開く。

 寺のスタッフ手ずから、四季折々の情景を撮影し、紹介していた。その中でも紅葉と並んで一際輝くのが、カタクリの花だった。

 千鶴の目が一しきり画面を追いかけたところで、隼人がスマホをボディバッグに片付ける。空いた手で、千鶴の肩を抱き、自らへと寄せた。


「山瀬とデートしなければ、私が一生知ることのない風景だったかもしれない」


 山からのおろしが、下ろされた黒髪をさらう。


「そうかもしれないが、何かの因果で知る機会があったかもしれない。仮定を考えても仕方がない話だけどな」

「そうね。でも、今こうして山瀬と見ていられるのが嬉しい。ここを教えてくれて、ありがとう」


 隼人の肩に、こてりと頭を預けた。千鶴の耳は、熟れたりんごのように染まる。


「お前のそういう反応を見るの、悪くはないからな」

「もう……」


 お寺の隅っこだ。しかも、すぐ近くに隼人以外の『人ならずモノ』の気配を、千鶴も感じている。羞恥心も湧き上がるのに、隼人から落とされる優しいキスが、千鶴の心を躍らせる。制止なんて不可能だ。




 石段を下るとき、隼人は先行して、一歩後ろをいく千鶴をずっと気遣っている。

 千鶴は、低いとはいえ、滅多に履かないヒールつきのブーツを履いている。石の窪みにヒールがはまり、足元が覚束なくなることもあったから。

 隼人が、手袋を片方だけ外した右手で千鶴の手を拾い上げたときには、スマートさに鼓動が鳴った。と同時に、過去に彼と関わっただろう女性の影に、千鶴は一人悶々としてしまう。


「こんな風に、誰かと出かけたのが初めてだったから、すごく新鮮」


 自らの気持ちを誤魔化すように、話題を出す千鶴。

 隼人との婚約以前の千鶴は、英語の勉強が追いつかず、休日を潰していた。誰かとどこかに出かける余裕なんてなかったのだ。


「高校生活は残り一年だ。勉強面や、仕事面で俺も手助けする。だから、もう少し誰かと出かける経験も、しておいた方がいい」


 肩をとり、隣を歩く男を千鶴は見上げる。やや夜の長い季節だけれども、十二分に明るい空を背景に、隼人が笑んでくる。


 忍の任期、つまり、千鶴のこの街での生活は高校卒業まで。以降は郷里から大学に通いながら、旅館の仕事を覚えていく。天狗と契った時点で、彼女の未来も定められた。

 千鶴は一族に反発するつもりは毛頭ないけれど、故郷に少しばかり窮屈さも感じている。里にいる必要性も感じているものの、もう少し里の外で見識を広めたかった。


 大学が無理なら、今しかない。幸いにも、隼人というこの上ない味方が傍にいる。


「ただ、俺以外の男と二人きりはダメだ。千鶴は変な野郎よりは強いかもしれない。だが、潜んでいる人外は、どこにいるか分からないからな。過信しないでくれ」

「そうね。今日、そのケースをまざまざと見せ付けられたから、肝に銘じておく」


 しかめ面の隼人の言葉に、千鶴は首肯した。

 隼人の独占欲の強さからの一言かもしれない。けれども、彼女の脳裏によぎったのは、先ほど寄った喫茶店のウェイターだ。柔和な笑顔が印象的な、同学年の少年から受けた思わぬカミングアウト。人ならず者の気配を見せなかった彼に驚いたと同時に、自身の未熟さや限界を悟らせるものになった。


「さすがだ」

「自分の領域を弁えて、深入りしないことだって重要よ。任務を続行、あるいは完遂するためには必要な能力だもの」


 自らがとらわれることなく永らえること、不可能であれば、他に引継ぎを確実に行うこと。千鶴が忍として、幼い頃から幾度も刻み込まれてきたことだった。特に優秀な忍には、自らの力量を正確に見極めることを強く求められた。過信して命を落とされたら、それこそ里の痛手だから。




 隼人行きつけの書店や服屋などを見て回り、日が大分傾いた頃に案内されたのは、無機質な建物。

 色とりどりの明かりが煌々と照らされて、中から大音量の重低音や、機械的な高音が不協和音を奏でている。


「ゲームセンター? ……ちょっと音がうるさいね」


 千鶴は手で耳を覆いながら、眉を顰めた。


「アミューズメントプラザって言うべきか。俺らにとっては少々耳に障るが、遊ぶには案外悪くはない。身体を動かすものや、頭を動かすもの、運頼みのものまで色々あるからな」

「なるほど。山瀬はどれが好きなの?」


 隼人の男性らしい節くれだった指が、フロア案内の看板を指し示す。中央より少し上の、四階。


「ダーツ」


 言い放った男は、狩猟者の目をしていた。


「普段からもう少しそんな顔をしていたら良かったのに」

「そうか?」


 学校では、隼人はやる気のある顔を見せない。以前の千鶴は、隼人の気だるげな、皮肉屋の一面ばかり見ていた。


「あ、でも山瀬が校内でますますもてそうだから、それも嫌だな」


 おどける千鶴とは対照的に、隼人からは表情が失せた。


「悪くは……ないな」

「え。まって!」


 ぽつりと零した隼人に対し、千鶴の上擦った声に浮かぶ、焦りの色。


「学校ではしない。そもそも千鶴を妬かせるのは、今の一瞬で十分だ。……妬き続けるのはつらいからな」


 隼人の言葉が、重たくのしかかる。


「山瀬は……誰かに妬いたことはあるの?」

「千鶴と親しそうに話す野郎には、一通り」


 破裂音かと思うような、千鶴の笑い声だった。

 普段、冷静沈着そうに見える彼女が、声をあげて笑うのは、非常に珍しい。というより、クラスメイトの誰もが知らない姿だ。


「わ、笑うなよ。俺は真剣にだな……」

「そんな山瀬に気付けなかった私も、大概だなって。恋に憧れていたのに、肝心のところで鈍くて」

「俺が勝手に好きになって、勝手に秘めていたからな。千鶴が気にすることじゃない」


 隼人の声のすぼみ方がおかしくて、千鶴は再び笑い出した。

 笑って、シュンとして、驚いて。千鶴が一日でこれほど感情の起伏に富んだ経験は、過去になかった。


 隼人は黒いボディーバッグからマイダーツを取り出した。服同様、ダーツ本体もフライトも光沢のある黒。

 マイダーツなだけあって、投じる腕前は相当なものだ。狙ったと思しき場所に、自在にダーツで的を射抜いていた。


 何種類かあるゲームのルールを簡単に説明され、千鶴もハウスダーツで投げたけれど、的に当てるのは案外容易ではなかった。

 慣れている飛び道具と僅かに異なる感覚に、大分苦しめられた。


 それでも、ゲーム自体はシンプルで、千鶴にとって楽しいものだった。


「千鶴は、ハウスダーツより、自分に合うダーツを探したほうがいい気がする」


 試しにと隼人のダーツを貸してもらった。重心がハウスダーツより後ろにあり、千鶴にとって少し投げやすく感じたけれど、ダーツ自体の重量が重たく感じられた。

 もう少し軽いものが良さそうと伝えると、いつか見にいこうという話になった。

 千鶴は、隼人との次の約束が、嬉しくて仕方がなかった。千鶴のマイダーツ探しと、更には再度のダーツ対決。




 ダーツを終えて外に出るころには、二人の影が背丈の倍以上に伸びていた。

 日も大分落ちて、茜色が空の一面を塗りつぶしている。


「山瀬。今日はありがとう。山瀬を知ることができて、良かった」

「そうか」


 ぶっきらぼうに返す隼人は、千鶴と視線を合わせない。

 夕暮れの中とはいえ、彼の耳は平素より赤く映った。


「山瀬がね、私の結婚話に乗ってくれてよかった。そうじゃなかったら、私、きっと、一生山瀬の事を誤解したままだった」


 千鶴の影が、隼人の影にくっつく。彼の長い腕に自らのものを絡めて、肩下からじっと見上げる。

 隼人が千鶴との婚約でオムライスを知ったように、千鶴は今日、ダーツを知った。


「よかったかどうかは定かではないな。俺よりいい野郎だって、そのうちお前の前に現われたかもしれない。決めてしまって良かったのか? 千鶴に限れば、式を挙げる前の今なら、まだ引き返せるけどな」

「そうすると、天狗の契りはどうなるの?」


 天狗を虜にしてやまない真っ直ぐな目が、問いかけが、隼人の心ごと射抜いてくる。


「だから、お前に限ればと言った。俺は、お前に口付けした時点で退路を断っている。それを悔いてもいない」

「ねえ、山瀬。私もよ。山瀬の手をとって、後悔なんてしていない」


 隼人の手をとって、その場でくるりとターンする千鶴。ゆるく巻かれた髪が、ふわりと彼女の首元で揺れる。


「結構歩きっぱなしになってしまったからな。うちが近いが、寄るか?」

「そうする。山瀬が淹れたコーヒーを飲みたい」

「そうか」


 何かを混入されても気付きにくいからと、自分以外が淹れたコーヒーを飲みたがらない千鶴。そんな彼女の一言は、隼人に対して全幅の信頼を示している。

 学校で互いの関係を触れて回らなくても、千鶴は隼人を見ている。彼女なりのメッセージに、隼人は目を細めていた。

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