【12】このたび夫にランクアップした私の婚約者は、文字通りの天狗。(終)
山瀬と二人、里に報告に行ったら、予想通りの、否、予想以上に早い展開だった。
人間として、私も山瀬も未成年。山瀬が十八になっていなくて、戸籍上の結婚はまだ不可能。けれども、山瀬も私も、天狗の世界でいうところの大人に該当するため、報告から三日後には、天狗式の婚礼が執り行われる。今はその直前。
人式の結婚式なら、白無垢や色内掛に、日本髪が重たかったかもしれない。
けれど、今の私が頭に着けているのは、大きな装飾のついた一本の簪と、ビーズや布で綺麗に飾り立てられた櫛が二本。もともとかんざしを使っているから、日常と大差ない頭飾りに安心感を覚えている。
「綺麗だ……」
人の姿をとっている山瀬は、上機嫌だ。
私は、所々に金糸や、黒い羽が織り込まれた、独特の風合いの装束を纏っている。見慣れない生地の着物は、天狗の伝統的な花嫁衣裳なのだそうだ。黒い羽は山瀬のもので、天狗の男が成人する前に反物を作り、結婚相手に合わせて誂えられるらしい。
山瀬は、私との婚約が決まってすぐに、準備したという。体に丁度良く整えられた衣装が、山瀬の私に対する想いの大きさを物語っている。
あまりのなじみ具合に驚いて、そのからくりを尋ねたら、人間以上に鋭い感覚を持つ天狗は、目測だけでサイズを把握できると返された。
女子としては若干残念な肢体の持ち主なのに、既に伴侶にと思うと、気恥ずかしいどころの話じゃない。儀式が控えてなければこの場を去っている。山瀬にすぐに捕らえられると分かっていても、気持ちの問題が、ね。
私の希望で、今日に先立ってデートをすませていた。
まず、里を訪れる前に、街で山瀬の好む場所を色々と案内された。五年もの期間を過ごした街なのに、カタクリの群生地があちらにもあることを、山瀬に案内されるまで知らなかった。
他にも、色々と新発見があって、私はとても充実した時間を過ごせた。
もちろん、あの日の約束どおり、里でもデートを楽しんだ。
馴染みの蕎麦屋のおばちゃんに冷やかされたたけれど、悪い気分じゃなかった。
意識にとらわれている間に、目前に、見覚えのある少女が現われた。バレンタインの時に、山瀬と麗しいツーショットを見せた彼女だ。私と視線が合うと、満面の笑顔を向けてきた。
「美森です。私は長命種なので、こう見えて……隼人の姉です」
山瀬のもとを時折訪れているというお姉さん。ちらりと聞いていたことを、今になって思い出した。
透き通るような声に、儚さと強さを併せ持っていて、思わず聞き惚れてしまう。
美森さんと山瀬は同じ親から生まれているのだから、美少女なのも納得だ。よくよく見ると、鼻や口は山瀬とそっくり。色素の薄い山瀬と違って、緑の黒髪、しかも真っ直ぐの山瀬のと違って波打っているから、遠目だと姉弟だと分かり辛い。並べば絵になる二人だ。
美森さんのことを長命種の天狗だと知らなければ、年下としか思えない。間近で見て、やっぱり十代前半としか思えなかった。
「隼人、でかしたわ! こんな美人さんをものにするなんて!」
美森さんのはしゃぎっぷりは、社交辞令とは思えず、私は呆然としてしまう。
山瀬といい……天狗の世界では、私の顔って案外人気なの? それとも、山瀬とお姉さんの感性が、天狗の一般とも少しずれているの?
とにかく、姉弟のやり取りに、口を挟まないことにした。
弟が先に世を去ると分かっていて、それでも弟の元を訪れてくれる、唯一の身内。つい顔を綻ばせて甘えてしまうよね。
山瀬と、美森さんの心の内は、私には分からない。けれども、彼らの間の絆の強固さを垣間見た気がして、安堵する。
式が執り行われる。厳かな雰囲気だけは伝わるけれど、進行する天狗の言葉もよく分からず、山瀬に任せるしかなかった。
暫く経った頃、私の頭に山瀬が手を添えたと思ったら、山瀬の肩に、私の頭が寄せられた。
つられて、私の身体が山瀬に預けられる格好になる。
二人きりのときならいいけど、今は数が少ないとはいえ、人と天狗入り混じりで視線を感じるのに。頬がジンと痺れる。恥ずかしいったらこの上ない。
山瀬の、造形の美しい指が、私の顎の下に添えられる。顔の角度が急に変えられたと思ったら、唇に柔らかな感触が触れた。
山瀬に口付けされている。人の唇の柔らかさのほうが好み……って、面々の目前だ。私の頬が、痺れを通り越して痛くなる。
まってっ!!
すぐに唇は離れた。身動きしたかった。けれど、顎にあったはずの山瀬の手が、いつの間にか背中に回され、私の腰を片腕ごとまとめて掴んでいるものだから、動けない。もう片方の手で、私の頭が、山瀬の胸元に押し付けられている。
天狗の花嫁衣裳も私の妨げになる。蹴り上げようにも、裾が重たい。この衣装をまとって出来る方法があるなら、今すぐ私に教えてほしい。
顔だけ何とか動かすと、見慣れた意地の悪い笑みが目に飛び込んだ。手足は出せないし、儀式の最中、声高らかに抗議するわけにもいかない。私にできたのは、キッと山瀬を睨むことだけ。
「ああ、その顔だ。眼鏡無しだと、ますますいい」
満面の笑みを浮かべられて、感情が霧散する。
ずるいよ。山瀬が好きな人に見せる顔。ずっと見たかったものを、こんな場で惜しげもなく出してきて。
式が終わって、旅館の客室で、二人並んで座っている。
「山瀬にはめられて、染められている気がする。自分がなくなりそうでちょっと怖いな」
思わずこぼれた不安。
「俺に簡単に染まってくれる気がしないからな、唐沢千鶴は」
「そう?」
意外な返答に、私は思わず問い返していた。
「お前は案外我が強いんだ。だからこそ、俺は気に入っているけどな。飽きる気がしない」
先ほどの、綺麗だの一言より、ずっと強く私の心を掴んだ。
私に何かを見出して、傍にいてくれる。そう認められて、嬉しい。
「これからどうしようか」
「唐沢千鶴がつくったオムライスを食べたい」
気恥ずかしさで、思わず話題をそらしてしまった。
あれからこの日までに、更に二回オムライスを作ったけれど、山瀬が飽きる気配はない。
前回はうっかり卵を固くしすぎて、ご飯を包み込むことが出来なかった。それでも嬉しそうに全部平らげてくれた。できるものなら作りたいけれど……。
「今日は金曜日だけど、クタクタで無理よ! 、申し訳ないけど」
「疲れさせたのは分かっているから、今日とは言わない。近いうちに」
山瀬が私の肩を抱き寄せる。あの日以降スキンシップが増えたけれど、慣れない私はひたすら戸惑っている。
「……ここに宿泊している間は、山瀬には旅館の食事が出るよ。私は賄いだけど」
「俺も賄いがいいな。オムライスが無理なら、お前と同じものを食べたい」
「極端に変なものは出ないと思うけど、賄いだよ? 結構いきあたりばったりなの」
お客様に出すようなものと違って、見映えもしない。偏りだってある。
良い食材を使っていて、味は上等なのは保障できるけれど。
「え、そっちの方が楽しそうじゃないか。ますますいいな」
「じゃあ、伝えてみるね。厨房係がおっかなびっくりしそうだけど」
「別にとってくったりしないけどな」
真面目くさった顔で、山瀬がぼやく。
「やっぱりね。天狗ってヒトにとって畏怖の対象なの。私にとっての山瀬だってね」
「そういうものなのか」
それまで態度を変えたつもりはなかった。けれど、本性を顕したときの神々しさに、思わず震えてしまったのだから。
「そのくせ、ヒトは欲深くて傲慢なの。私は好きな相手が誰かの横で笑っているのが辛くて距離を置いたけれど、やっぱり自分の手で幸せにしたいなって」
山瀬にキスを仕掛けた。
立っていると身長差があるから、私からは出来なくて。でも、今なら。
「私なりに山瀬を幸せにするわ。これは誓い。山瀬と違って、特別な力を込められないけど」
「お前だって立派な天狗の子孫だよ、千鶴」
天狗の血がすっかり薄れた私への、慰めなのかもしれない。
山瀬が愉快そうに笑いながら、私の髪を留めていた簪を抜く。はらりと落ちた髪に戸惑う間もなく、そっと額に口付けをされた。
このたび夫にランクアップした私の婚約者は、文字通りの天狗。彼と一緒の生活は、戸惑いも多くなりそう。でも、それを楽しみにしている私がいる。
最後までおつきあい下さり、ありがとうございます。




