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【10】天狗の契り

 再度私の意識がもどる。まだ周りが暗かった。枕元に置いているスマホで時間を確かめると、午前五時半。当然、日付は変わっている。

 昨日体育の授業を受けたにも関わらず、思いの他、身体を纏う不快感もない。これも、山瀬の仕業だろうか。


 足元にずしりと重みを感じる。上半身だけ持ち上げてみると、足元に大きな影が横になっている。

 厳密にはベッドサイドに勉強机の椅子をもってきて、それに腰かけている。そして、上半身だけベッドに預けている。


 背中に黒い羽が畳まれていて、すぅっと浅い寝息を立てている。顔は人の肌っぽさがあって、目元は良く知った顔の名残があるけれど、口元が黒いクチバシのように著しく変化している。

 けれど、一度目にすると、クチバシ顔の方が自然に思えた。多分、こちらが山瀬の本当の顔だから。人間顔、元々の山瀬の造形の名残は十二分にあるけれど、美形でどこか作り物めいていた。それも好きになれなかったのかも。


 我を忘れて、暫く彼に意識を奪われる。自分の中に僅かに流れる、彼の仲間の血が騒ぐ。私は断然、こちらの方が好みだった。


「……なんて、私に思われたところで、山瀬には意味がないよね」


 独り言は空しく暗闇にとける。日の出までまだ少し時間がある。


 昨晩、多分山瀬の秘術だよね? で、強制的に寝かされたからか、あれとは別の秘術でも施されたのか、すこぶる体調が良い。

 彼を起こすのも悪い気がしたから、そっと抜け出して朝の散策に出ることにした。彼の冷えた身体に、ベッドから剥がした毛布をそっとかける。起き出す気配は無い。余程疲れているのかな。




 キーだけ持ち出して、外に出た。

 寝巻きに分厚いコート一枚という格好だ。パジャマは紺色無地の上下だから、遠目だとそれだと分かりにくいと思う。今は少し寒いけれど、歩くうちに温まるからこれでいい。それにこの時間帯だと、誰にも出会わない。


 秋に葉を落とすから、冬は丸裸のイチョウの木。街路樹として植えられたそれに沿って、ひとり街を練り歩く。

 街だろうと、山奥だろうと、海沿いだろうとも。景色を見ながら、変化を楽しみながら歩くのが好き。

 街中だと、お店や施設のリニューアルや開閉店、季節による自然、あるいは人工的な移ろいがメインかな。


 隙間隙間で、山瀬のことが頭を過ぎる。

 私が不在の間に山瀬が目を覚ましたら、部屋から退散するかもしれない。もう二度と、会話すらできないかもしれない。


 でも、それでいい気もした。暗がりの中だけど、天狗の山瀬を見て、何かが満たされた。

 そうして私は、何でもいいから山瀬の事を、もう少し知りたかったんだと気付いた。山瀬の本性を垣間見て、自分との隔たりを理解した。それで良かったんだと。


 むしろ、山瀬が去っているのを期待して、私はこうして外に身を置いているのだとも。

 最後に彼の背中を見送るのは、寂しすぎるから。

 別れは、あっさりしていたほうがいい。


 小さな公園に近付こうかというところで、私は思わず足を止めた。

 明らかに人のものとは異なる、嫌な気配がする。得体の知れない、何か。多分、到底太刀打ちできない。

 何者か分からないけれど、隠す気のない気配がとにかく怖い。身の毛がよだつ。


 ……来た路を戻ろう。震える身を無理やりおさえこんで、踵を返そうとする。


 向こうが動いた。しかもこっちに来る。気配に反応したのがまずかったのだろう。私は、特に気配を隠しもしなかったから。 隠したとしても、向こうのセンサーに引っかかってしまえば、ますます興味を持たれてしまう。


「どうしたんだい、お嬢ちゃん。いきなり踵を返したりして」


 後ろから声がかかる。間違いない。あの気配の主だ。

 私は観念して、声の主の方を向いた。でっぷりとしたおなかのラインが目立つ、人の良さそうに見えるおじさん。でもどこか怖くて堪らない。


「まあ、大方ワシの気配に勘付いたのだろう。それはいい。そんなお嬢ちゃんだからこそ、天狗の契りの気配がするのだろうて」

「天狗の……契り?」

「知らぬのか。天狗の口吸い。彼らにとって何よりも神聖視する行為でな。お嬢ちゃんから気配がするから声をかけてみたんじゃが」


 口の中がからからに乾いている。随分と水分を摂っていないからというのもあるけど、この場の支配する空気の重さも、私から色々なものを奪っていく。


「契りのこと自体は、知ってます。けれど、心当たりが……」


 辛うじて言葉を搾り出す。心当たりなんてない。だって、知っている天狗なんて山瀬しかいないし、彼には好きな人がいる。

 私との繋がりといえば、破棄する予定の婚約だけ。そんな私に、契り……?


「そんなに怒らんでも、とって喰うつもりはないのにのぅ。……お嬢ちゃん。迎えが来たようだから帰りなされ」


 得体の知れないおじさんが、虚空を見て楽しそうに呟いた。


 彼の視線を追う。黒いものが目一杯広がっている。人の背丈をゆうに越えそうな長さの、翼。

 何よりも、『それ』からの圧力が凄まじくて。隣にいるおじさんの比ではなかった。

 カタカタ震える身体を、押さえ込むことができなかった。


 『それ』が何なのか確かめることもできない。目を、顔を逸らしてやり過ごそうとするだけ。

 視認しなくても、理解してしまう。とてつもない圧力も混じる、とても良く知る気配。……毎日傍にある、山瀬のもの。

 天狗、というより山瀬が、こんな殺気とも呼べそうな圧を放つ存在だったなんて。今更ながら、彼との差を痛感する。


――明らかに置かれている世界が違うもの。破棄で正解だったのよ。


 先祖は向こう見ずとか恐れ知らずだったのかもしれない。一族の中に天狗の血を入れることができた。

 でも、今、薄まった血が、より濃い血に対して警鐘を鳴らしている。僅かに残った彼らの名残が、身の程知らずと訴えかけてくる。


「何をしてる?」


 怒気を含んだ山瀬の声。彼のこんな声は、聞いたことがない。


「なぁに、このお嬢ちゃんと少しばかりお喋りをしていたんじゃ。ワシはもう満足したでの。気をつけて帰りなさい」


 おじさんが私の背中をばしっと叩くと、何故だか山瀬の圧が強まる。え、何、この重たい空気。本当に勘弁して欲しい。

 わたわたしている私をよそに、おじさんはあっという間にどこかに行ってしまった。消えるかのように忽然と。

 山瀬が舌打ちをする。……やめて、本当に今の山瀬が怖い。


「唐沢千鶴」


 山瀬の声が、私の名を呼ぶ。身がガクガクと震えて止まらない。

 顔を手で覆い、指の隙間越しに、彼の姿を見た。


 学校で気だるそうにしている男とは、欠片も思えなかった。

 白っぽい色が基調の、修験者のような装束を纏っている。よく見たら、耳元も黒い羽で覆われている。

 背から生えた一対の黒い翼を、目一杯広げている。眼光は鋭い。朝日を受けて、山瀬の髪や目が赤く輝いていて、ますます神々しく思えた。


 天狗さまと呼び、敬う対象。これが山瀬の本性なんだ……。


「で、あの男とは話をしていただけなのか?」


 山瀬の問いに、私は全力で首を縦に振っていた。

 話していた、というよりほぼ一方的に話しかけられたと言ったほうが正確だけど、とにかく、会話以外の事なんて何もしていない。だから誤りではない。


「大体、そんな格好で出歩いて。……調子が良くなったのかもしれないが、お前は昨日、倒れたんだ。ヒトの身は案外もろいんだから、もう少し労れ」


 最近、山瀬の気配が希薄だったからかな? 説教ですら嬉しいなんて、末期だ。

 頬が熱い、けれどもすぐに冷たくなった。


 私、泣いてる……。

 山瀬は全く表情を変えない。


「……大分明るくなってきたな。人の往来があれば目立つから、場所を変える」


 今の山瀬は、修験者のような身なりの鴉天狗だ。人の目に留まりでもしたら、厄介どころの話ではない。

 私が頷くと、山瀬は私の腰をとった。次の瞬間、私の足が浮く。力を入れた様子もなく抱き上げたんだ。やっぱり人間離れをしている。


 ぼんやりとそんなことを考えていたら、私の視界がくにゃりと歪んだ。

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