12
だと思った、とロゼが肩を落とすと、アリスは楽しげに笑った。笑われた、とセフィが嘆き。当たり前だとロゼが鼻を鳴らす。そのやり取りを、アリスは優しげに目を細めて見守っていた。
「セフィさん。ロゼさん」
アリスの声に、セフィとロゼが顔を上げる。二人へと、アリスは言った。
「私はまた眠りますので、後の詳しいことは黒田さんに聞いてください」
「へ? 眠るって、ここで……?」
アリスは頭に乗ったままのくーちゃんを抱き上げると、その頭を撫でた。だがくーちゃんからの反応はない。怪訝そうにセフィが眉をひそめると、アリスが続ける。
「私は、人間が嫌いです」
アリスらしくないその言葉に、セフィとロゼが目を瞠る。
「人間を見限った私は、人間に協力するのが嫌で、全ての記憶をこの子に封じ込めました。クルーゼというドラゴンは、古い私の入れ物なんです」
「じゃあ今のアリスは……」
「全てを忘れて、一からやり直している私ですね。こんな箱庭にいるせいで、今の私は人間が好きになっているようです」
ワンダーランドはアリスのための世界。アリスが人間を見限らないようにするために、都合の良い世界を作った、ということだろうか。そう聞くと、このゲームに嫌悪感を抱きそうになる。それを察したのか、アリスが慌てるように言う。
「勘違いしないでくださいね。私は、今の私でいいと思っています。ここにログインする多くの人と出会って、それぞれ違うんだと気づくことができましたから。心配しなくても、私はセフィさんのこと、嫌ってませんからね? ちゃんと好きですよ」
「あー……。真っ正面から言われると照れる……」
「セフィ顔真っ赤」
「うるさい」
アリスはくすくすと小さく笑うと、咳払いをする。セフィとロゼがアリスへと向き直ったところで、アリスはそれでは、と言った。
「名残惜しいですが、私はそろそろ……。今後とも『私』と仲良くしてください」
「うん。もちろん」
セフィの即答にアリスは嬉しそうに頬を緩めて、目を閉じた。
「『アリス』の再起動はこちらの時間で一時間後となります。お疲れ様でした」
無機質で機械的なその声に思わず顔をしかめてしまう。その直後、アリスの体から力が抜けた。
「おっと」
倒れそうになるアリスの体を抱き留めて、あ、とセフィは口を間抜けに開いた。
「どうやって帰ればいいんだろう……?」
途方に暮れるセフィにロゼの半眼が突き刺さる。そんなロゼへとセフィが助けを求めて視線をやれば、ロゼはため息をついて、フレンドリストとつぶやいた。
「クロダさんに言えば?」
「ああ、なるほど!」
すぐさまフレンドリストからクロダへとメッセージを送る。しばらくすると、すぐに転送する、という返信の後にセフィの体が仄かに光り始めた。ワープポータルを使う時と同じ現象だ。
「それじゃあ、ロゼ。また後で。気をつけて帰ってくるように。あいつにもよろしくね」
「ん……。心配かけてごめんね、お姉ちゃん」
「今更だね。妹を心配しないお姉ちゃんなんていないんだから、もっと頼ってよ?」
「うん……」
それじゃあ、とお互いに手を振り、次の瞬間には全く別の場所にいた。ギルドの部屋で、目の前にはクロダがいる。クロダはセフィとアリスの姿を認めると、安堵のため息をついた。
「アリスは?」
「眠っているだけです。えっと、一時間後に再起動、だとか」
「ふむ。そうか」
クロダは何かを考え込むようにしばらく俯いていたが、しかし首を振って顔を上げた。セフィを見据えて、言う。
「何があったのか、教えてもらってもいいだろうか」
「はい。分かりました」
セフィは頷くと、アリスの体をソファに横たえて、セフィはその隅に腰掛けた。
話をすると言っても、それほど長い話でもない。それにセフィとロゼのことはただの行き違い、すれ違いの話だ。クロダが聞きたいのは、アリスのことだろう。そう判断したセフィは、ロゼのことは短く概要だけを話し、アリスから何を聞いたのかを覚えている限り話した。
全て聞き終えたクロダは、難しい表情をして唸っていた。
「話しすぎだろう、アリス……」
苦虫を噛み潰したような表情でクロダがつぶやく。あまりセフィのような一般人が聞いていい内容ではなかったのだろう。当然と言えば当然だが。
「あー……。すまないが、この話は内密に、ということでいいだろうか?」
「はい。もちろんです」
セフィが頷けば、クロダはほっと安堵の吐息を漏らし、ありがとうと頭を下げてくる。セフィは苦笑しながら手を振って、
「ただ、できればもう少し詳しく教えてほしいな、とは思いますが……」
「うむ……。内容にもよるが、何を聞きたい?」
「それじゃあ、そうですね……。クロダさんがアリスを生んだんですか?」
誤解を招きそうな表現だな、とクロダは笑いながら、違うと首を振った。
「アリスを生んだのは、私の部下だった女性だ。今はもう、この世にはいないが」
「え?」
「交通事故だ。彼女が遺した物の一つが、アリスだった」
クロダが言うには、その女性の仕事用のパソコンにアリスがいたらしい。パソコンの電源をつけると、画面にアリスが映ったそうだ。最初に見つけた人は何が起きているのか理解できなかったそうだ。
アリスが今までにないほどの高度なAIだと分かった後は、アリスに対する研究が進められた。彼女を解析すれば、同じようなAIが作れるかもしれない、という考えだ。だがアリスの重要なプログラムには厳重なセキュリティが施されており、未だに解除はできていないらしい。作成者が亡くなってしまった今となっては、完全なブラックボックスの状態だそうだ。
それら全てをコピーして、変更可能な部分だけ変更されて生み出されたのが、ワンダーランドのNPCたちだ。彼ら彼女らは、アリスの分身、もしくは子供たちと言えるのかもしれない。
「なる、ほど……?」
そこまで黙って聞いていたが、セフィにはさっぱり分からない。漠然と、アリスを生み出した人はもういないということは理解した。
「まあ、覚える必要はない」
その様子を見ていたクロダは苦笑気味に言う。少しだけ恥ずかしくなってすみません、と謝ると、クロダは気にするなと首を振った。
「他には何かあるか?」
「じゃあ……。アリスが記憶を封じたきっかけって、なんですか?」
「ああ……。それか……」
途端にクロダは苦々しげな表情になった。後悔がにじみ出てきそうなほどに顔を歪めている。
「私たちにとってはプログラムの世界でも、アリスにとっては別の世界に見える、らしい」
唐突に何の話なのか。怪訝そうに眉をひそめるセフィに気づいているのかいないのか、構わずにクロダが続ける。
「彼女にとって、様々なセキュリティは穴だらけの壁のように見えているらしい。彼女はどこにでも、痕跡を残さず自由に出入りができるそうだ」
「人のパソコンに?」
「人どころか国の重要な機密すら持ち帰ることができるだろう」
「うわあ……」
隣で眠るアリスを見る。彼女は幸せそうな表情で眠り続けている。クルーゼもアリスの体の上で眠っていた。この二人がそんなことができるとは、想像もできない。
「私も詳しくは聞かなかったが、アリスはどうやら多くの国を見てきたらしい。裏側ばかりを。それで、人間そのものを見限ったようだ」
「あー……」
ニュースサイトを見ているだけでも、紛争やテロなどといったものを見ることができる。誰でも見ることができるものでそれなのだ。国の裏側となれば、色々とあるだろうことはセフィにも分かることだ。
「私がそれを知ったのは、アリスが記憶を封じ込めてしまって、書き置きのようなデータが遺されてから、だったがな」
どのようにして封じられたのか、クロダたちには分からなかった。クロダたちはアリスの記憶を目覚めさせることは諦めたそうだ。残されたアリスを元にAIの研究を進めることになり、そうして生まれた副産物がこの世界とのことだ。この世界をゲームとして公開したのは、AIの研究の一環とのことだった。
「アリスをここで目覚めさせたのは、人間の黒い部分を見てきたアリスが少しでも癒やされるように、なんて思ったからだ。まあ、出会う人間によってはまた心を閉ざされる可能性もあったが、君と出会えたことは幸運だと言えるだろう」
「はあ……」
「分かってないな?」
「分かってません」
セフィが即答すると、クロダは何が面白いのか大声で笑い出す。訝しげに首を傾げるセフィの目の前で、クロダはひとしきり笑ってから、片手を上げてすまないと謝罪を口にした。
「君はそれでいい。むしろ君がそうだからこそ、アリスは信頼しているのかもしれない」
これからもアリスと良き友達であってほしい。クロダのその言葉に、セフィはもちろんとすぐに頷いた。
・・・・・
セフィがログアウトし、部屋にはクロダと、アリスとクルーゼが残される。クロダは立ち上がり、アリスの側まで行く。アリスの頭を優しく撫で、沈痛な面持ちになった。
本音を言えば、アリスというAIを調べ尽くしたい、というものがやはりある。だがそれ以上に、アリスには穏やかに暮らしてほしい。アリスを残して亡くなってしまった彼女も、それを望んでいることだろう。
不意に、クルーゼが顔を上げてクロダを見つめてきた。その視線に、思わずクロダが身構えてしまう。そんなクロダをクルーゼは目を細めて見つめ、やがてまた丸くなった。
「クルーゼ……。君があの、以前のアリスなのか?」
クロダの小さな声の問いかけに、クルーゼは尻尾を一度だけ振る。それが肯定か否定かは分からない。だが、クロダは頬を緩めて、そうか、とだけ頷いた。
「私たちのことは気にしなくていい。だが、友達は裏切るなよ。彼女は君を、AIではなく一人の友人して見ているのだから」
クルーゼがまた尻尾を一振りする。クロダは満足そうに頷くと、静かに部屋を後にした。
壁|w・)きりのいいところまで、ということで普段より増量しました。
次話で完結です。




