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第六話 一条さんとクラスメイト

 何の予定もない日曜日。

 カーテン越しに差し込む光が柔らかい。

 こんな日は惰眠を貪るに限る。

 という事で、もう一度布団に潜り込んだ。

 が。

 机の上に置いてあったスマホが震えだした。そのバイブレーションの勢いで、今にも机から落ちそうだ。

 誰だよ一体。こんな朝早くから。

 僕はやむなくベッドから這い出て、相手を確認することなく、通話ボタンをタップした。

『遅い! もっと早く出なさいよ!』

 一条さんからだった。


 一条さんの話はこうだ。

『これから街に買い物に行く』

 僕は青くなった。

 一条さんが買い物に? 一人で? まさか?

 一応訊いてみた。

「ひ、一人で行くの?」

『一人に決まってるじゃない』

 これは一大事だ。

 学校の中ならいくら迷ってもどうにでもなる。最悪、校内放送で『その場を動かないで』と呼びかけておけばいずれ見つけられる。

 でも街に出るとなれば話は別だ。

 災害用の無線スピーカなんて、迷子くらいでは使わせてもらえないだろう。

 放っておけば、明後日の方角にずんずん歩く一条さんの事だ。

 探そうとしても範囲がぐっと拡がる。

 携帯やタクシーを総動員しないと見つけられないだろう。

 下手すると死活問題だ。

 と言うわけで僕は自らの休日を放棄した。つまり一条さんの買い物に付き合う事にした。

 ──まぁ、『ボディガード』だしね。


「どうせ、始めから僕を呼び出す気だったんでしょ?」

「何で?」

 一条さんの返事は素っ気ない。僕の前を歩きつつ、振り向きもせず、僕の疑問を疑問形で返してよこした。

 ──やれやれ。

 後ろ姿とは言え、私服の一条さんを見るのは初めてだ。派手も地味でもないまさに普段着。だがベースがいいのか、薄手のパーカーにミニスカ、スニーカーと言う飾りっ気のない出で立ちでも充分映える。美人さんの特権とも言えるだろう。

「タクシーとかで移動すればいいのに。そうすれば、とりあえず街までは行ける」

「問題はその後。分かってるでしょう?」

 一条さんは振り向き、僕を睨みつけた。デフォルトが睨みっぱなしなので、振り向いてくれた事を鑑みるに、機嫌はそんなに悪くはないようだ。

「な、なに人の顔見てんのよっ!」

「え? いや別に」

「ああっ、今『別に』って言ったな? ええ、ええそうでしょうよ、どうせ私は希代の方向音痴で一人で街に出る事も歩く事も出来ませんよ!」

 面倒だった。

「とにかく買い物済ませようよ。何の買い物?」

「黙秘する」

 う……何か、嫌な予感がする。

「とにかくあんたは方角を案内してくれればいいの。場所も道もここに入ってる」

 一条さんは自分の頭を指差した。

 そう。

 一条さんは一目町並みを見れば、何がどこにあるのか瞬時に理解し、地図を頭の中に構築する。問題は、地図はあってもどの方角向かえばいいのか分からない事だ。

「まったく不便この上ないわ。場所も道も分かるのにそこに辿り着けないなんて」

「そうだね」

「そのためにわざわざ人の手を借りないといけないなんて、ホント面倒」

「そうだね」

「加藤さんの告白を振ったってホント?」

「そうだね……って、なんでそこで加藤さんの名前が出てくんのさ!」

「いや、引っ掛かるかなーと思って」

「そう簡単に手の内は明かしません」

「つまんない」

 一条さんはぶーたれた。

「つまるつまらないの話じゃないでしょ? せっかくの日曜なのに。一日寝てようと思ったのに」

「あんた、割と尾を引くタイプ?」

「そ、そんな事はないです」

「何で敬語?」

「うーん。話題を変えよう」

「あ、逃げた」

「逃げてない。戦略的撤退って言うんだよ」

「ホント口だけは達者だわ」

 そこまで言って、一条さんは肩を竦めた。

 正直、予定も何もない日曜日は、独り者の男子にとっては空しさ以外何物でもない。

 デートの約束があるわけでもなく、かといってぶらりと街に出ても、先生とばったり会って忘れていた宿題の事を思い出したりと、あまりいい思い出はない。

 今日がどうなのかは分からないが、とりあえず一条さんの生存率は高まるだろう。

「今、私の悪口言わなかった?」

「いーえー」

「なーんか引っ掛かるわねー」

「気のせいだよ。それよりこの辺じゃない? その店があるのって」

「え、そう?」

 一条さんはそう言って目を閉じた。脳内地図を確認しているらしい。

「目の前に十字路。右側に三階建てくらいのビル──合ってる?」

「うん、合ってる」

「じゃここね」

 ──うげ。

 僕は思わず仰け反った。

 ──下着、屋さん……。

「どしたの?」

 一条さんは、僕の反応を不思議なモノでも見るような目で見た。

「い、いや何でもないよ。僕はここで待ってるからさ、行ってきなよ」

「は? あんた、私に店の中で迷子になれっての?」

「い、いや迷子にはならないでしょ? この店一階だけだし、出口も……一カ所しかないし」

「あんた、私の方向音痴、舐めてるわね」

 そんなの自慢にもならない。

「コンビニですら迷う私に、一人でお店に入れというわけね?」

 一体どうやったらコンビニで迷うんだ? と言うか、今までどうやって日用品とか調達してたんだ?

「その顔は、今までどうやってたか疑問に思ってる顔ね」

 どうやら顔に『図星』が出ていたらしい。

「今までは全寮制だったから、ほとんどの店は同じ学校の生徒がいた。だから誰かに着いていけば店から出られた。でも今は違う。あんたしかいないのよ」

「いや、だからって、ここは男子禁制じゃないの?」

「へ?」

「いやだからさ。し、下着屋さんでしょ? ここ」

 数瞬の後。

「この大バカっ!」

 一条さんの怒鳴り声が飛んできた。顔が真っ赤だった。照れているのか怒っているのか分からない、そんな顔だ。

「勘違いしないでっ! 私はただ、その、何よ、色々買わないといけないから。ああ恥ずかしい……そう言う目で見るからそう思うのよ。いい? 平常心で入れば大丈夫。いいからついて来なさい!」

 支離滅裂な命令で、僕は止むなくその店に足を踏み入れた。

 こんなトコ、僕には一生無縁な店のはずだった。

 どこを見ても飛び込んで来る色んなモノ。

 僕はひたすら下を見て歩いた。顔が熱い。とんでもない買い物に付き合わされた。

 対する一条さんも似たようなものだが、目的がある以上、僕を連れて歩かないと買い物が出来ない。

 地獄なのか天国なのか分からない時間が流れた。

 店員とのやりとりなんて耳に入ってこない。何度か「いいわねー」とか「お似合いですよ」とか、僕には想像も出来ない言葉が飛び交ったような気がしたが。

 そして僕と一条さんは何とか買い物を済ませ、疲れ切った顔で店を出た。

 揃って深く深呼吸し、ため息と一緒に色んな物を吐き出した。

「さぁ次よ」

 ──切り替え早いなぁ。

 僕はまだダメージが残っている。なんか辱めを受けたような気分だ。

「次の買い物って何?」

 僕は場所ではなく対象物を確認する事にした。場所だけだとそこに到着するまでに心の準備が出来ない。

「次……は、ううっ……」

「?」

「せ、」

「せ?」

 一条さんの顔が赤くなった。それで何となく予想がついた。また女性特有の買い物ってわけだね。

「……生理用品……」

 もうどうにでもなれと思った。


 とにかく色々あったが買い物自体は順調だった。訊けば後は食料品くらいだと言う。それなら問題ないだろう。牛肉買うのに男女の差なんてないし。

 と、食料品で思い出した。時計を見る。お昼の時間が間近だった。

「どこかで何か食べる?」

「そうねー」

 一条さんは思案顔だ。僕は別に何でもいいのだが、今日のメインは一条さんだ。一条さんの趣味に合わせようと思った。

「ファストフードでいい?」

「うん?」

「いや、だからファストフード」

 意外な気がした。

 海外にまで拠点を持つ学園のオーナーの孫が、街中でファストフード。これは偏見なのかなぁ。

「僕はいいよ。安上がりで助かる」

「分かったわ。今日は私が奢る」

 ──今日は?

「……だって、一応買いだめはしたけど、いずれまた来なきゃいけないし……私だって、恥ずかしいんだからねっ!」

 やっぱり恥ずかしかったのか。

「いいよ、奢られるのはまた今度って言うか、僕の手持ちがない時に奢って貰えると助かる」

「あんたの都合になんか合わせてられない」

「そりゃそうだ」

「と言うわけで、今日は私の奢り。文句はないでしょ?」

「まぁ……ないね」

「何か引っ掛かるわねー」

「気のせいだよ」

 実際、僕としては女子に奢られる事に若干の抵抗がある。こう言う時はきっと男子が支払うものだと思っているからだ。

 ──はて? こう言う時ってどんな時だ?

 その時だった。

「お! 結城、結城じゃないか!」

 いきなり目の前に近藤が現れた。

「……近藤? 珍しい、のかな?」

「まぁ珍しいだろうな。街中で会う事って今までなかっただろう?」

 確かに。少なくとも近藤とは町中で『ばったりと出会った』事はなかった。

 と、ここまで考えてから、しまったと思った。

 可能性の一つとして、クラスメイトに会う事は考えていた。学校周辺で大きな街といえばこの街くらいだからだ。

 しかしだ。

 よりによって近藤に会うとは思いもしなかった。

 僕は目だけでちらりと一条さんを見た。見かけは平静を装っているが、心中穏やかではないだろう。近藤から逸らしている視線からも明らかだ。とっととどっか行かないかなとでも思っているに違いない。それは僕も同感だが。

「ふうん……」

 そんな僕たちの思惑を無視して、近藤は意味深な台詞を紡いだ。

「俺の中で色んなモノが繋がったよ。やー今日はいい日だ。大収穫だな」

「何の事だ?」

「いや──俺はこれで消える。意味は分かるな?」

 ──近藤、お前勘違いしてるぞ!

 そう言いたかったのだが、なぜか言葉にならなかった。

「とりあえず貸し一つだ。いや二人分だな。やー面白いのが見れた。ホント今日はいい日だ」

 最悪だ。

 今後僕と一条さんは、近藤に勘違いされたまま学校に行かなくてはいけない。何かの試練かこれは。

 ──今この場でコイツを()ったら平穏が戻って来るよな?

 その時だった。

 衝突音と破壊音。

 そして悲鳴。

 それらが周囲のビルを揺るがし、大気を震わせた。


「何だ、どうした?」

 近藤が慌てて音がした方向に目を向ける。

 だがここはビルが建ち並ぶ街の中心だ。ビルで反響した音では場所が特定出来ない。

 僕は思わず叫んだ。でもきっと思惑は伝わったはずだ。

「一条さん!」

「ちょっと待って。北は?」

「あっち!」

 衝突音と破壊音は、自動車とビルの外装材が衝突して破壊された音だ。

 その場所は、今一条さんの頭の中にある。

「……そこの道を抜けるとT字路があるはず。ええと右手に街灯が立ってる。それとたぶん、タイ焼き屋さんかな、人が集まりそうな店がある。でもここからじゃ目の前のビルの死角に入って見えない」

 僕はビルを見た。位置を確認する。脳内に部分的な位置情報が構築される。

「こっちだ!」

 僕は、駆け足で現場に向かった。後を追って来る一条さん。近藤はその場で立ち尽くしていた。その方が面倒が少ないからそのままにする。

「ビルを右手に回り込む」

「ええ」

 そしてビルを回り込み僕が見たのは。

 ──ああっ、ダメだ!

 僕は回れ右をして一条さんを止めた。

「何よ、現場はそこでしょ? なんで止めるの?」

「見ない方がいい」

「!」

 これで一条さんには伝わったはずだ。後は救急に連絡を入れる。携帯を取り出す手がもどかしい。

 僕がやっとの思いで携帯電話を手にした時、遠くから救急車のサイレンが聞こえてきた。誰かが先に通報したようだ。次いでパトカーのサイレンも聞こえてきた。

 ──対応が早いな。

 僕はちょっと疑問に思ったが、何にせよ対応は早い方がいい。

「いい? 今日はこれから家に帰る。買い物は中止だ。理由は君の家に着いてから話す」

 一条さんはこくりと頷いた。

「近藤!」

「おう」

「お前もだ。今日は下手に動かず、すぐにここから離れるんだ」

「何でだ?」

「まだ進行中だ」

「何がだよ」

 会話がもどかしい。一条さんのようにはいかないか。

「トラックが暴走している。今は一人でも多くこの場から離れる必要がある」

「なんだと……」

 近藤の思考が停止した。

「あそこには姉ちゃんがいるんだぞ……」

「!」

 それはまずい!

 僕は即断した。

「分かった。近藤、ついてこい。お前のお姉さんを探す。一条さん、そのビルの中に入って一歩も動かないで。後で回収する」

 言葉は乱暴だが、今は一刻を争う。一条さんは、僕の指示に従ってビルの中に消えた。

「近藤、焦るなよ?」

「ん? あ、ああ」

 僕はビルの陰から様子を窺う。トラックは壁に突っ込んで止まっているが、車輪が回ったままで、タイヤからは白い煙が上がっていた。アクセルが踏みっぱなしになっているようだ。前輪もひっきりなしに左右に動く。そのせいでトラックの挙動が読めない。何かの拍子にこっちにすっ飛んで来る可能性がある。

「近藤、タイミングをとるぞ。三、二、一で向こうのビルまでダッシュだ。いいか?」

「お、おう」

「じゃ行くよ。……三、二、一、来い!」

 僕と近藤は、トラックが突っ込んだビルから向こう側のビルまで全力疾走した。

 途中、僕の視界には色んなモノが飛び込んできた。瓦礫、人、ガラス、血。

 ──血? くそっ!

 いくら僕が頑張ったって助けられるわけじゃない。救急隊員に任せるしかない。

 それより近藤のお姉さんだ。僕の脳内に今走った範囲の風景が浮かび上がる。そこにはいない。近藤のお姉さんは見当たらない。

「近藤、お前のお姉さんはどこに行くって言っていた?」

「え? ああ、そこでソフトクリームを買うとか何とか……」

 ──ちっ!

 僕の脳裏に横倒しになったソフトクリームの看板が浮かび上がった。そこに人はいたか?

 ぐるりと周囲を見回す。さっきと違う箇所はどこだ? 近藤のお姉さんが動けるようなら、僕の頭に焼き付いた映像と違う位置にいるはずだ。

 ──いた!

「近藤、あそこ!」

 僕が指差した先には、足を真っ赤に染めた女性がいた。

「姉ちゃん!」

「あ、待て近藤っ!」

 その時だ。トラックが急にバックした。

 ──マズいっ!

 近藤の進路と一致する!

「近藤! 一秒、いや二秒止まれ!」

「あ? 何でだよ! そこに姉ちゃんが……」

 そう言いつつ、近藤の足が止まった。

 その横を猛スピードでトラックが通り過ぎた。

「おわっ!」近藤は思わず仰け反り、尻餅をついた。

 大丈夫。あの程度なら怪我はしない。

 救急隊員が近藤のお姉さんの元に駆けつけた。

 まずは一安心か。

 僕は大きく息を吐き出した。

 トラックはバックしたまま別のビルに激突した。エンジン音が消えた。今度こそ止まったようだ。

 僕は周囲を見渡した。一面に散乱するガラス、コンクリートの破片、そして──人。

 幸いにも救急車の到着が早い。何人もの救急隊員が、倒れている人、泣いている人に駆け寄る。

 近藤のお姉さんはストレッチャに乗せられていた。

 ──収まったか、な?

 その時だった。

 混乱収まらぬ人だかりの中、僕の視界の端に見知った人物が映った。さっきまではいなかった。

 僕は振り向いた。だがもうその人物は姿を消していた。

 ──まさかな。

 この街はそれなりに大きい。学校関係者とばったり会う事は、別段不思議ではない。それに、僕の見間違いの可能性だってある。

 ──いや、それはない。

 この手の状況下で僕が記憶違いをした事はない。

 ならなぜその人物は僕を『見た』上で姿を消したのか。

 ──橘先生がなぜ?

 脳裏にその一瞬を再生する。

 視界の端とは言え間違いない、橘先生だ。確かにこちらを見ていた。

 そして僕がもう一度見た時、そこに橘先生はいなかった。

 仮説が僕の頭の中で渦巻く。

 そんなバカな。と言う思いの方が強い。

 僕を見つけ、無事だと判断した可能性。

 僕を見つけ、見つかるとマズいと判断した可能性。

 そんなのいくらでも思いつく。

 ──どうであれ、僕に出来る事はないな。

 と。

 一つだけあった。

 一条さんを回収しないと。

 僕は一条さんが駆け込んだビルに向け走り出した。


「心配した」

「ゴメン」

「謝罪禁止」

「でも、ゴメン。君を一人にした」

「君って呼んだ」

「ゴメン」

「もうっ!」

 一条さんはたまらず声を荒げた。

「事故がある度にヘコんでたら、あんたこの先どうすんのよ?」

 そりゃそうだ。

 事故だって僕が起こしたわけじゃない。どちらかと言えば、被害者側の立場だ。

「もういいじゃない。近藤君のお姉さんも見つかったんでしょ?」

「足に怪我してた」

「そう……それで救急車が」

「うん。大丈夫だと思う」

 真っ赤に染まった足の描写は言わないでおいた。一条さんに知らせる必要がないと判断したからだ。

「せっかくの買い物日和だったのにね」

「バカ……」

 一条さんは優しい。優しいけど不器用だ。

「帰ろっか」

「そうね」

 僕と一条さんは、『横に並んで』、足取りも重く街を後にした。

 途中、近藤から携帯に連絡が入った。

 お姉さんは一二針を縫う大怪我だったが命に別状はないと言う。

「良かったじゃない」

「でも跡が残るかも知れない」

「もう!」

 一条さんは僕の前に回り込み、腰に手を当てて僕を睨んだ。

「あんたはネガティブ過ぎ。大体あんたのせいじゃないんだから、とっとと頭切り替えなさい!」


 僕は一条さんの家にいた。

 僕が『あの場』で見た事を説明するためだ。

「何か飲む?」

「んー?」

「じゃ珈琲ね」

 勝手に決められてしまった。まぁいいか。

「理事長は?」

「今日はゴルフだって。最近はドライバーが飛ばないってボヤいてた」

「当ててみようか?」

「何を?」

「飛距離」

「言われても、私には何の事かさっぱり。一一〇で周ったとかなんとか」

「まぁ……僕も分からないや」

 珈琲カップが二つ、ダイニングテーブルに並んだ。立ち上る湯気と共にいい香りがした。

「インスタントじゃありませんからね」

「分かってるよ。あまり気にした事ないけど、結構いい香りがするんだね、珈琲って」

 僕はいつかの理事長の真似をして、何も入れないブラックで飲んでみた。

 苦かった。

「ミルク入れたら?」

「いいよ、このままで」

「意地っ張り」

「それよりも」

 僕は本題を切り出した。

「大変な事になったね」

 一条さんは黙ってテレビの電源を入れた。

 ニュース速報が報道されていた。レポーターの男性が興奮気味に事故の詳細を述べていた。

 テロップが流れ被害状況が画面上に流れた。

「……死者は出なかったのか……奇跡だね……」

 僕は脳裏に焼き付いた光景を再生する。何かをわめきながら逃げ惑う人、逃げようとして動けなくなっている人、その他何人かその場に倒れていた。防衛本能だろうか、詳細がぼやけていた。

「酷い」

「そうだね」

「知り合いはいた?」

「いや……見つけたのは近藤のお姉さんだけ。後は知らない人だけだった」

「嘘ね」

「どうして?」

「私に現場を見せなかった」

「あの時はそうするしかなかった。トラックがまだ動きそうだったし。一瞬だけじゃ誰がいるかなんて分からないよ。僕は超能力者じゃない」

「でも、近藤君のお姉さんを見つけた」

「近藤からヒントもらったからね」

「そう……」

 一条さんは、砂糖とミルクを入れ、カップに口をつけた。

「こんな身近な場所であんな事故が起こるなんて」

「心配はこの後だよ」

「どう言う意味?」

「僕が見た時、トラックはまだ動いていた。運転手は生きてた。そして、バックした。明らかに意図的な動きだった」

「誰かを狙ったって事?」

「どうかな……目標が人なのか物なのか分からない。これは、今日の夕方のニュースか明日の新聞を見ないと分からないな」

「何か引っ掛かってる。そんな顔してる」

「へ?」

「ちょっと黙ってて」

 一条さんの目が、僕を捉えた。

 話すか、話さないか。

 僕は迷った。

「あんたが迷うって事は学校関係者ね」

 僕は答えない。

 まだ迷っているからだ。

 一条さんは目を閉じた。

 息を吸い、ゆっくり吐いた。

「……橘先生ね」

 僕はもう驚かなかった。

「一条さんが転校してきてから、何かしらの事件が二つ。そこになぜか橘先生の名前が登場する。これは偶然かな?」

「二回までは偶然かも」

「三回目は違うよね」

「もう一回あったら私も疑う。でも橘先生の思考パターンは私の中にないから……」

 そうだろうね。授業でしか接点を持たない先生だ。そうそう会話出来る状況にはない。

「どうせ僕らに出来る事はないよ」

 僕は頭の後ろに手を組み天井を見た。

 やけに天井のシミが気になった。


 翌日。

 僕は新聞を見た。普段なら流し読みをするだけなのだが今日は違う。目を皿にして地方記事を探す。

 あった。

「軽トラック暴走。負傷者多数」

 見出しは小さいが、詳細が書かれていた。

 軽傷者一〇名ほど。あれだけの大騒ぎにしては被害が少ない。奇跡だと思った。ただ、軽傷者の中には近藤のお姉さんも含まれている。他人事じゃないのだ。

 そんな事を思いつつ読み進めて驚いた。

 記事にはトラックが無人だったと書かれていた。

 ラジコンカーみたいなものか、それとも予め走行パターンを設定したあったのか。

 前代未聞の出来事だった。

 記事はその言葉で締めくくられていた。

 そりゃそうだろう。

 この事件を小さな地方記事として扱う新聞社の気が知れない。

 ──テロみたいなモンじゃないか。

 テレビを点ける。

 朝のニュース番組だ。どこかのチャンネルでこの事件の報道がないか、チャンネルを適当に切り替える。

『──驚くべき事に、トラックは無人で──』

 あった。

 僕は食い入るように画面を見つめた。

『目撃者の情報では、路肩に停車していた無人のトラックが急に動き出したとの事です。無人トラックはそのまま直進してビルに衝突、その後なぜかバックしました。原因は今も分かっていません』

 テレビ局の取材でもこの程度か。

 詳細なメカニズムは分かっていないようだ。

 後は被害者のリストがずらずらと画面に映った。

 僕はテレビを消した。

 詳細は公表されるだろうか? 下手に公共の電波で流すと模倣犯が出て来る恐れがある。

 遠隔でエンジンを始動。アクセル周りの制御を電子化すれば、ちょっと機械に詳しい人間なら制御装置を作れる。

 新聞を読み返す。

 トラックは廃棄処分されていたはずの車両だったと書かれていた。

 ──これじゃ辿れないな。

 警察は大変だ。どの車の廃棄工場から盗難があったのかどうか、片っ端からしらみつぶしに調べないといけない。

 ──でも僕は警察じゃない。

 なので第三者としてこの事件を考えられる立場にある。

 問題は目的だ。

 一体何の目的があったのか。

 白昼堂々、人混みの中でトラックを暴走させる目的。

「そんなの分かるわけないよなあ」

 登校中に一条さんとも話したが、同じ記事を見ている以上、思うところは同じだった。

「あまりに突飛で、事件そのものよりメカニズムに目が行ってる。日本の報道ってダメねー。視聴率稼ぎにしか見えない」

「それは同感だけどね」

「何か意見がありそうね」

「いや。今はないよ。分からない事だらけだ」

 僕は衝突の瞬間を見ていないが、ビルの破損状況を見る限り、そんなにスピードを出してはいないように見えた。車体が形を留めていたからだ。それに、ひっきりなしにステアリングを操作し、向きを変えようとしていた。まるで、そこから逃げだそうとしているように。

 それを言うと、一条さんは僕の意見を一蹴した。

「犯罪を犯した人の頭の中なんて、どうなってるか想像も出来ない。想像もしたくない」

 ごもっとも。それは正論だ。そもそも僕たちは犯罪者じゃないし。

「でもその後バックした。近藤が轢かれそうになったけど。あれは、あれは明らかにその場から逃げ出そうとした行動だと思うけど、どうかな」

「うーん……私は車に詳しくないけど……そう簡単にバック出来るの?」

「いや? マニュアル車にしてもAT車にしても、ちゃんと『バックギア』にシフト操作しないとバックしない」

「そうなの?」

「そうなんですよ。だから、その場から車を動かしたのは、何か理由があるはずなんだ。」

「あらやだ。あんたが探偵に見えてきた」

「柄じゃないね」

「分かってるじゃない」

「ステアリングとかギアの制御についての詳しいメカニズムは警察の手で解明されるだろうから、僕たちが気にするのは目的だけ。さっぱり分からないけどね。分かっているのは一点だけだ」

「なに、それ?」

「集団での登下校が解除されないって事」

「面倒だわね」

「まぁねー」

 結局結論が出ないまま学校に着いてしまった。


 *


 教室に入るなり、近藤が抱きついてきた。

「結城ぃぃぃ!」

「何だよ、僕にその趣味はないぞ!」

「これは俺の感謝の表現だ」

 近藤はそう言って僕から離れようとしない。

「何の感謝だよ」

「昨日の事だ」

「だったら尚更だ。僕は何もしてない」

 ここで近藤は、やっと僕から離れた。

「いや。お前は俺の姉ちゃんを探してくれた。それだけでもう、今までの『貸し』はチャラだ」

 ──『貸し』がなくなるのはいいけど。

 どうも教室の雰囲気が違う。

 皆が僕を見る目が違う。……気のせいかな。

 一条さんはいつも通り小さな声で「おはよう」と言って、自分の席に座った。

「一条さん」

 声をかけたのは三浦さんだ。僕は内心驚いた。一条さんが転校してきてから二週間くらい経つが、誰一人として(僕以外という意味で)一条さんに声をかけたクラスメイトはいない。

 僕は素知らぬ顔で、近藤を適当にあしらいつつ、耳だけそっちに向けた。

「近藤から聞いた。昨日大変だったんだって?」

「え? うん、まぁ」

 一条さんが戸惑っている。是非そのご尊顔を拝見したいが、近藤と話し込んでいるのでそれができない。ちょっと惜しい。

「ニュースも観た。無人のトラックが暴走したって。私も事件の直前までそこにいたから、もうびっくりだわ」

 ──ふうん?

「街中で同じ学校の人と会うなんて滅多にないからね。近藤のお姉さんも大変だけど、危ないよね」

「そ、そうね。気をつけないと」

 一条さんは受け答えでいっぱいらしい。慣れてないんだなー。

「もうね、近藤が『姉ちゃんの命の恩人だし、俺も助けられた』って、言いふらしてるからさ。詳しくは知らないんだけど……一条さんて凄いらしいじゃない?」

「え?」

「近藤が言うには、一発でお姉さんの居場所を当てたって。それ、どうやったの?」

 そうか。この雰囲気は好奇の目だ。昨日は非常事態だから一条さんの『マップ能力』を使わせてしまった。それが裏目に出たのか。

「いえ、私は何も……」

「またまたー。結城君もだけど、良く冷静でいられたと思うわ。私なんかだったら、パニクって何がなにやら」

 そこに近藤が加わった。

「そうそう。俺もびっくりだ。なんでビルの向こう側で起きてる事が分かったんだ? それに結城が声かけてくれなかったら、俺もトラックに轢かれてた」

 まずいな。近藤が事細かに事情をまき散らしてる。このままだと一条さんの『能力』がバレかねない。

「たまたまだよ。あそこは入り組んでるし、大きな音がしたからこっちかなと思ったんだ。ね?」

 一条さんは神妙な顔でこくりと頷いた。

 僕はとりあえず事態(?)の収拾を図った。

 これ以上大事(おおごと)にするのは一条さんにとってあまりよろしくない。

 僕は思いつきで三浦さんに声をかけた。

「そう言えばさ三浦さん。昨日、橘先生を見なかった?」

 本当に思いつきだ。だから答えなんか期待してなかった。

 ところが。

「何で知ってんの? 結城君は超能力者なの?」

 まさかの正解。僕は内心驚きつつ、出来る限り平静を装った。

「ええと、いや違うけどさ。僕も見かけたから。何か言ってた?」

 まさかね。あり得ない、そんな事は。これは仮説だ。しかも全然根拠がない。

「やー……。私、一人で出歩いてたから『一人で街に出るのは感心しないな。今日は大目に見るが』とか言われた。それでその場から離れたのよ。もし橘先生と会わなかったらと思うとぞっとするわ。偶然って重なるのねー」

 僕は三浦さんの言葉を吟味・解析した。前半はいい。学校の先生なら当然そう言うだろう。でも後半の『今日は大目に見る』が引っ掛かる。なぜ『今回』ではなく『今日』と言ったのか。

「ねぇ三浦さん」

「なに?」

「今の橘先生が言った言葉は、その、『間違いない』?」

「うん?」

 三浦さんは狐につままれたような顔をした。

「いやほら。『今日は勘弁してやる』だっけ?」

「ああ、違う違う。『今日は大目に見てやる』よ」

「そっか。ありがと。でも良かったよ。クラスの誰も被害に遭わなかった。被害者の方には申しわけないけど」

「まぁ俺の姉ちゃんはその被害者だけどな。でも大した怪我じゃなくて良かったよ」

 一二針だぞ? 大怪我だと思うんだけどなぁ。

 雑談はそこまでだった。

 予鈴が鳴り、香川先生がやってきた。

「ほれーホームルーム始めるぞ、席に着けー」


「昨日、街のど真ん中で大事故があった」

 香川先生は神妙な面持ちでそう宣言した。

「幸いにして、当校の関係者に被害者はいない。詳細はニュースや新聞で報じられているから、知っていると思う」

 多分、新聞読む習慣があるのはきっと僕くらいだ。

「ここ最近おかしな事件が立て続けに起こっている。先週の不審者騒動。で、昨日の事故。職員会議で決まったんだが、とりあえず集団での登下校は続行だ。とはいえ、休日の街中まで集団で行動しろってのは無理だ。今週から、私たちが街中を巡回する」

 教室中が騒然となった。

「一応、この学校の校則では、街に出る時は保護者同伴としてある。──まぁ守っている生徒はいないだろうが……」

 香川先生のこう言う点は好ましい。無理強いはしない。現実的に無理な事は押しつけない。柔軟な発想を持つ先生なのだ。

「私には気をつけろとしか言えない。その場においては臨機応変。冷静に対応する事。以上だ」

 はーい。

 クラス全員が元気良く応えた。

 ホームルームが終わり、僕は香川先生に声をかけた。確認したい事があったからだ

「香川先生」

「おう結城。なんだ?」

「先生は昨日どこにいました?」

「……それは答えないとまずいのか?」

「いえいえ。ちょっとした噂があって」

「何の噂だ?」

 僕はちょっと声のトーンを落とした。これは確認だ。ちょっと香川先生には騙されてもらおう。

「……実は、香川先生と橘先生が一緒にいたとかいないとか言う噂が立ってて」

「……なん、だと?」

 香川先生は顔色を変えた。そして嫌そうに眉根にしわを寄せた。

「……さっき先生が、集団でどうこうと言うので思い出したんですよ」

「……そんな根も葉もない噂、どっから湧いて出た?」

「……さぁ、そこまでは……で、どうなんです?」

「一緒にはいない。そもそも、私はアイツとは関わりを持っていない。これでいいのか?」

「ええ。もう」

 僕は香川先生が橘先生を毛嫌いしていることを知っている。と言うか、これは皆知っている。性格的にも繊細、用意周到な橘先生と、何事にも大らかな香川先生。まさに水と油だ。

 さぁ問題はこの後。どこまでリークしてくるかな、この先生は。

「ああ、そう言えば」

「はい」

「先週のミーティングで、アイツ変な事言ってたな」

「はい?」

「不審者の件が落ち着いたとは言え、休日に生徒が一人で街に出るのは感心しない。今週末から保護者同伴を徹底させるか、持ち回りで巡回してみてはどうでしょうってさ。その時は却下されたが、現実としてアイツが正しかったんだな。忌々しいが」

 香川先生はそう言うと苦々しい顔になった。

 ──よほど嫌いなんだろうな。

「おっと、今の話は内緒だぞ? とにかく私とアイツは一切、これっぽちも、何の関係もない。これでいいよな?」

「はい、分かりました」

「おう。じゃそう言う事で」

 言いたい放題言って、香川先生は教室を出て行った。

 ──偶然にしては出来すぎだよなぁ。

 僕は独り言ちた。

 ──事故が発生する前に巡回の提案をしていた。これは橘先生の動向は注視しないといけないかも知れない。

 根拠らしい根拠はない。これは僕の勘だ。

 ──勘、かぁ。

 勘と言えば、一条さんはどう考えているだろう?

 そう思って振り向くと、一条さんの周りにクラスの女子がわんさか集っていた。このクラスで唯一事故当時の事を知る女子だ。人が集まる理由も、本人が対応に困っているのも明らかだ。一条さんの目が僕を向いていた。これは助けが必要かな。

 適当に誤魔化せばいいのに。

 と思ったけれど、それが出来ないが一条さんだ。

 どれどれ。

 僕は一条さんを質問攻めから救い出すべく、その女子の群れに足を向けた。

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