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第四話 なぜか迷子な彼女

#第四話 なぜか迷子な彼女


 僕は廊下に立ち尽くしていた。

 目の前には、明らかに他の部屋と違う重厚な扉。

 そして扉にくっついているプレート。

 『理事長室』

 今この部屋には、一条さんと、そのお祖父さんがいるはずだ。

 何を話しているのかは大体想像出来る。

 ──今朝の一件だろうな。

 今朝一条さんは、ここ最近学園界隈を賑わしていた『不審者』を取り押さえた。

 色々びっくりなのだが、事はそれだけでは済まなかったようだ。

 一条さんのお祖父さんは口やかましく頑固だと聞いている。

 曰く。

 人前では大人しくしろ。

 人と歩くときは一歩下がって歩け。

 とにかくうるさいらしい。

 そんな一条さんのお祖父さんの事だ、『不審者』をねじ伏せて目立ってしまった事についての『お咎め』なり『説教』を、長々と述べているに違いない。

 ──後で愚痴られるのは僕かぁ。

 まぁこれも『学級委員長』の勤めだ。




 僕はため息を吐きつつ、廊下に目を落とした。

 放課後の校舎内は静かだ。

 その上、ここは理事長室の前だ。つまり北校舎の最上階。

 誰がここを談笑しながら通るものか。

 僕はただ待っているのも何なので、窓から下を覗き見た。

 ここ一条育英学園は、東、北、西に校舎を構え、コの字型をしている。つまり、北校舎から見える景色は、それなりに広い校庭で部活動に勤しむ生徒たちなわけだ。

 と。

 ギギィと音がして、扉が開いた。

 だが全開ではない。

 薄く開いた扉から、白い手がおいでおいでしている。

 ──ええと?

 それはつまり僕に『理事長室』に入って来いって事か?

 僕が戸惑っていると手が引っ込んだ。そして替わりに一条さんの顔が出て来た。

「何やってんのよ、とっとと入って来なさいよ!」

 目が笑っていない。

 どうやら本気らしい。

「ぼ、僕が? 何で?」

 一応の抵抗を試みる。きっと無駄だが。

「他に誰がいるのよ。いいから来なさい!」

 むんず。

 僕は腕を引かれ『理事長室』に引きずり込まれた。


「君が結城君かね?」

 入って早々、理事長から声をかけられた。齢七〇くらいだろうか。ロマンスグレーの髪を後ろになでつけ、高そうなスーツを着込んでいた。さらになぜか苦々しい顔をしていた。

 僕がこの学校に入学して二年。今日のこの日この時まで、見た事も話した事もない理事長。

 その理事長が僕を呼んだのだ。しかもなぜか不機嫌そうに。

 これは、何だ?

 一体僕が何をした?

 僕はただ、一条さんを『ここ』にお連れしただけだ。

「君は口がないのかね?」

「は、はい。僕が結城徹也です。二年二組です」

 いっぱいいっぱいだった。

「……クラスがどうとかはどうでもよろしい。まぁ座りなさい」

 そう言って勧められたのは、ふかふかの来客用のソファだ。小さなテーブルを挟んで二つ、これまたふかふかしていそうなソファが並んでいる。きっと本革だ。

 おそるおそる、ソファに腰を下ろす。

 ふかー、と腰が沈み込んだ。そのまま抜けなくなりそうだ。

 緊張でカチカチになっている僕の隣に一条さんが座った。なぜか沈み込まなかった。何かコツでもあるのだろうか?

 理事長は、畳一畳分くらいあるデスクで、これまたふかふかなワークチェアに座り、不機嫌そうにこちらを見ていた。

 長い時間が過ぎた。気がした。

「結城君」

「は、はい!」

「君は、人間GPSなのだそうだね」

「は、はい?」

「孫から聞いている。千寿が方向音痴なのは聞いているな?」

 一瞬、千寿って誰だ? と思ったが思い出した。一条さんの事だった。

「は、はい! 聞いております!」

「そんなに緊張する事ないのに。いつもみたいに、人を食ったような口調で話せばいいでしょ?」

 一条さんはそんな緊張しまくりの僕を見て、ため息をつきながらさらっと毒を吐いた。

 ──そうは仰いますけどね、初対面で、しかもこの学校の最高責任者の前なんですよ?

 と言いたかったが、僕はそれを飲み込んだ。

「いえ、一介の生徒が、そんな軽々しい口調で話すような場所じゃないと思います」

 上手く言えたかどうか自信がなかった。

 だが。

 驚いた事に、理事長はふかふかのワークチェアから立ち上がり、僕たちが座るソファの対面に座った。距離がぐっと縮まった。僕は尚更緊張した。自分がこんなに小心者だとは思いもしなかった。

「ここにはわしと千寿、そして君しかいない。とはいえ、緊張するなと言っても無理だろう。どれ、もう少し話しやすくしてやろう」

 そう言うと理事長は、テーブルの上のカウンターベルを鳴らした。

 即座に女性が理事長室の奥の扉から現れた。扉が開いた音がしなかった。それどころか、ピンヒールでカーペットを歩く音すらしない。くのいちかも知れない。

「お呼びでしょうか」

「ああ、飲み物を──君は何にするかね? と言っても珈琲くらいしかないがな」

 選択肢はない。そういう事らしい。

「は、はい、それでお願いします」

 僕はそう言って(こうべ)を垂れた。

「珈琲くらいで頭下げない! あんた男でしょ!」

 容赦ない一条さんの罵声が飛んだ。

「……いや、男だからって、こういう場は、何て言うのか、その」

 もうしどろもどろだ。どうにでもなれって感じだ。

「ご両親に教わらなかった? ご年配を敬えってさ」

「そんなの教わってない」

「僕は教わった」

「じゃあ……郷に入っては郷に従えって学校で習ったでしょ?」

「それは、まぁ」

「ならそうなさい。背筋伸ばして!」

 僕は深く沈み込んだ姿勢で、背筋を伸ばそうとした。無理だった。

「無茶言わないでよ」

「珈琲でございます」

 僕の目の前に、すっと香り豊かなコーヒーカップが置かれた。

 ──い、いつの間に!

 恐らく秘書のお姉さんだろうが、退室した事も、珈琲のカップが人数分乗ったトレイを持って入って来た事すらも気付かなかった。やっぱりくのいちの血筋に違いない。

 僕は、目の前に静かに並べられたカップやその他をまじまじと見た。カップの『取っ手』が奇妙な形状をしていた。持ち上げたら折れてしまいそうに細い。シルバーの類も似たようなものだった。

「ミルクはお使いになりますか?」

 僕はまさか話しかけられると思っていなかったので、頭が真っ白になった。

「は、はい。お使いになります!」

「……バカ」

 一条さんは隣でこめかみを押さえていた。きっと呆れているんだと思う。

「いいんですよ、そんなに緊張なさらなくとも。そこに座っている以上、貴方はお客様です。もっとリラックスして構いませんよ」

 秘書のお姉さんは優しい笑みを浮かべ、フォローに回った。

「全くだ。昨日来た業者なんぞ、勧めてもいないのに勝手にソファに座って、許可もしていないのにタバコに火をつけおった。それに比べれば君の態度は正しい。だがそれではちと話しにくいな」

「……すみません」

「まず、人間GPSについて話してもらおうかな」

「──は?」

「千寿が言っておった。最近どうも話題が君の事しか出てこない。よほど学校が退屈なのか、それとも君が面白いのか、あるいは……」

「お祖父さま!」

 一条さんは勢い良く立ち上がり、理事長を睨み付けた。

 ──よくあんな勢いで立ち上がれるな。

 僕はソファに沈んだままそう思った。

「はは、まぁいい。何でも方角についてはそこら辺のカーナビより確かだとか。面白いな君は」

 理事長はそう言って呵々と笑った。

 来たときの不機嫌な顔は何だったのだろう?

「なに、理事長なんぞをしているとな、沢山の人間に会う。その人間がどんな人間か、善いのか悪いのか、剛胆なのか繊細なのか。それを確かめただけだ」

 ──何だここは? 心が読まれているのか?

「心を読んでいるわけではない。顔に出ておる。君は分かり易い。今時こんなに素直に顔に出る人物はそうそういない」

 褒められたのか、貶されたのか。

 あるいは両方かもしれない。

「さて、世間話はここまでだ。今朝の件、知っているな?」

 話題が飛んだ。

 僕は頭を切り換えた。ちょっとは緊張が解けてきたのかも知れない。

「はい。聞いてます」

 知ってます、ではない。僕は一条さんから事の次第を『聞いた』だけだ。その場にいたわけではない。

「ふむ……」

 理事長は僕の目を見ながら、珈琲カップに口をつけた。ブラックだった。

「知っての通り、君の隣にいるお転婆娘はわしの孫だ。色々あってここに転校させた。その『色々』の事情は聞いているかね?」

 一条さんが『お転婆』と言うキーワードにピクっと反応した。

 理事長は今度は『聞いているか』と言う言葉を使った。なら答えは一つだ。

「はい。聞いています」

「……いい答えだ。千寿、お前全部は話していないのだろう? 転校を余儀なくされた理由を」

「だってそれは」

「ここで全部結城君に話す。その方がお前も気が楽だろう?」

「それは……」

 一条さんはちらりと僕を見た。何かを期待する目だった。

 僕はすうっと息を吸い込んだ。

「一条さんの気が楽になるかどうか。それは僕が一条さんにどれだけ信頼されているかどうかによります。だから話してもらってもいいし、そうしなくてもいい。そうだよね一条さん?」

 僕は一条さんに逃げ道を用意したつもりだった。

「ほほう。信頼云々を持ち出したか。それでは千寿は話さざるを得ないな」

 しまった。このジジィ曲者だ。いつの間にか誘導されてる。

 僕の言葉を借りて一条さんを追い込んでいる。

 ──くそう、それなら!

「僕がそれを知ったとして、一条さんに接する態度が変わる事はありません。知らなくても同じです」

「それを『信頼』と言う言葉に結びつけると言うわけか?」

「そうです」

「だそうだが、千寿。選択肢はお前にある。話すも良し、話さぬも良し。結城君は、無理強いをしないと言っている」

 ちょっとした間があった。

「……少し時間を下さい」

 一条さんは、消え入りそうな声でそう言った。

「ふむ」

 理事長はカップを一気に飲み干した。まだ熱いだろうに。年を取ると言うのはそう言う事なのかなと思った。

「若い事は素晴らしい事だ。時間がたっぷりある。わしはな、心配しているのだよ」

「心配、ですか?」

 思わず口を挟んでしまった。

「どうやら、君も心配する側の人間らしいな」

 今度は僕が追い込まれた。逃げ場はない。そう直観した。

「はい」

「良し──分かった」

 理事長はソファから立ち上がった。

「今日ここに千寿を呼んだのは、君を呼ぶためだ。どんな人物か興味があってな。千寿は、この通りお転婆でじゃじゃ馬な子だ」

「お祖父さまっ!」

 理事長は一条さんの反論を無視した。

「控えめに言っても、沢山友人を作れるようなタイプではない。少なくとも、さっきから結城君にしているような態度を取れる友人は、そうそう現れないだろうと思っていたのだよ」

 僕はどうやら、友人として認定されたらしかった。

「わしはこの転校が正しかったのか、それを知りたかった。とりあえず今はいいように事が進んでいるようだ」

 一条さんは何も言わない。自分を心配してくれている事を察したのだろう。

「わしも老い先短いからな。結論は早いに越した事はないが……おっと、これは年寄りの世迷い言だ。気にするな」

 気にしますよ。結論とか言われたら。この場はお見合いか何かですか?

「ただし」

 理事長の鋭い目が僕たちを射貫いた。

「今朝の事は、何事もなかったとは言え感心しない。千寿、お前の取った行動は正しいかも知れんがが、わしからみたら間違いだ」

「なぜ? 私は正しい選択をした。結果がそうでしょう?」

「結果はな。だが可能性として、今ここにお前がいない可能性があった。それは認めるな?」

「……それは」

「わしが諫めるのはその点だけだ。だから条件をつける」

「条件?」

 僕はまた反応してしまった。この口が悪いのか。ちっとも思い通りに閉じてくれない。

「そうだ。千寿は一人では街中すら歩けない。帰ってこられなくなるからな。そこでだ」

 僕はごくりと生唾を飲み込んだ。

 裁定が下る。善い悪いは別として、僕が背負い込むモノが明らかになる。

「当面の間、結城君の傍を離れない事。つまり『ボディガード』だ。それ以外は大目に見よう」

 なんてこった。

 僕は香川先生から承った学級委員長としての『仕事』と、理事長直々に一条さんの『ボディガード』を任命されてしまった。

 まぁ、どちらも対象者が同じ。でも理事長の言葉だ。優先順位はこちらが高い。やることは変わらないが。

「……お、お祖父さま、それは」

「これは、わしが今決めた事だ」

 有無を言わせない。そんな力が宿った言葉だった。

「結城君は、幸いと言うべきか、お前のクラスの学級委員長だ。それなら『ボディガード』役として不自然ではないだろう? 暴漢を撃退したとは言え、悪い噂はそう簡単には消えん。当面は不審者がどうだこうだとPTAがうるさいだろうから、集団での登下校を促す事になる。それに」

 理事長は、ここで一旦言葉を句切った。そして僕を見た。目が笑っていた。

「──通学経路も同じようだしな」

 完敗だった。


「まさか『ボディガード』をやらされるハメになるとは……」

 僕は理事長室から出て、大きくため息をついた。

 何で僕が巻き込まれる必要があるんだ?

「私がお祖父さまの孫だって事は、『公式』には伏せられてる。香川先生とかは知ってるけど。でも、まさか呼び出しされるとは思わなかった」

 ピンときた。

 ははーん。そう言う事か。

「まんまと乗せられたって事さ」

「?」

「一条さんのお祖父さん、怖い人だね」

「あんたが言ってる事が分からない」

「説明する?」

「んー、何か悔しいけど」

 僕は誰もいない廊下を歩きながら、説明を始めた。

「今朝の件があったからね。ちょうどいいと思ったのさ」

「何に?」

「言ってたでしょ? 僕を呼び出して『ボディガード』を押しつけるためだよ」

 僕は窓から校庭を見た。米粒みたいな生徒がわさわさと動いていた。

「今朝の件は皆が知ってる。犯人逮捕に一条さんが一役買った事も含めてね」

「そうね」

「そこに理事長からの呼び出しがかかる。僕が近藤のバカに気を取られてるうちにね。きっと香川先生に指示があった。『誰にも気付かれずに、孫娘を理事長室に呼んで欲しい』とか」

 公にその祖父と孫の関係が伏せられている以上、香川先生はこっそりと一条さんを呼び出す必要があった。そして邪魔をするのはどうせ僕くらいだ。

「ここまではどう? 合ってる?」

「うーん、まぁ香川先生がそこまで気を遣うとは思えないけど……合ってはいる」

 甘いな一条さん。香川先生は女性でありながら、体育会系だ。上からの命令は絶対なのだよ。

「でも香川先生は、一条さんが方向音痴な事を知らない。知ってるのは僕と理事長だけだ。だから香川先生は一条さんに『理事長が呼んでいる』としか言わなかった。これはどう?」

「う、うん。だから困ったのよ。理事長室がどこにあるかは知っていたけど、どうやって行けばいいのか……で、あんたは近藤君と話し込んでて気付きもしないし。あんたたちのバカ話が終わるのを待ってるのは不自然だし」

「バカ話……は、まぁ確かにそうだけど。とにかく君は、仕方なく理事長室に向かった。途中で何人も何人もの人に理事長室はどうやって行くのか訊きながらね」

「……うう。それは否定出来ない……」

 一条さんは唇を噛んだ。悔しいらしい。

「で、僕は君がいない事に気が付いた」

「君って呼ばないで。何か嫌だ」

 んん? まぁいいか。

「ええと、一条さんがいない事に気づいた僕は大慌てする。極度の方向音痴たる一条さんがいない。どこに行った? 一人で帰った? そんなバカな、と思ってクラスメイトに訊くと、香川先生の名前が出て来る。でもどこに連れて行ったのかは知らない。香川先生は、ちゃんと『こっそりと』君──じゃなくて一条さんを連れ出したんだ」

「うん、まぁ……そうね」

「そして僕は、その時点での唯一の手がかりである『香川先生』を探した──まぁ職員室なんだけどね。で、どこに行ったのか訊き出した。そこでも香川先生は、理事長の『こっそりと』に従い、僕にも行き先を教えるのを渋った。何とか訊き出したけどね」

「案外当てにならない命令なのね、その『こっそり』って」

「心外な。その体育会系的な命令系統を打ち破る努力をしたのは僕だよ? そこは認めて欲しいね」

 僕はちょっとだけ胸を張った。

「あーはいはい。それで?」

 一条さんは何の感慨もなく次を促した。ちぇ。まぁいいや。

「そこから先は、一条さんが採った方法を真似した」

「どゆ事?」

「訊きまくった──と言っても一人目でビンゴだったけどね。西校舎から理事長室に行くには、北校舎に向かって西側の階段を上って東に向かわないといけない。で、僕は階段を上った。階段までは見えるから、いくら一条さんが方向音痴でも迷いようがない。問題は上った後。さて、北はどっち?」

「……」

「僕は『確信』を持って西に向かった。方向音痴の一条さんが、正しく北側に足を向けるとは思えない。で、見つけた」

「はぁ……私のこの方向音痴って治らないのかしら。何であんたにそこまで連呼されないといけないのよ……」

 治られると僕が困る。たぶん一条さんも。

「と、まぁそう言うわけで、後は僕が一条さんを理事長室にご案内。これで理事長の計画が完成。もう、すっかり掌で踊らされたよ。清々しいくらいだ」

「ったく、あのクソジジイめぇ……」

 一条さんは、お嬢様らしからぬ言葉を遣った。

「でも意外だったな」

「え? 何が?」

「いやほら。理事長が言ってたでしょ? 最近は僕の話題ばかりだって」

「……っ」

 お?

 一条さんが言葉に詰まった?

 うーん?

「まさか人間GPSの話までしてるとはねー。僕だって色々面倒だから表立った行動は控えていたんだ」

「……ごめんなさい」

「いや、謝るほどの事じゃないよ。多少勘がいいくらいで済む話だし。でも一条さんのは隠し通さないとね」

「方向音痴を? 地図を?」

「どっちもだよ。だから、わざわざ『条件』をつけたんだろうね」

「んー……」

「と言うわけで、これからは一緒に登下校だ。『ボディガード』だからね」

「う、うん……」

 何だろう? 一条さんの歯切れが悪い気がする。

「もしかして、一条さん……」

 嫌、なのかな?

「や! 違うの! そんなんじゃないから!」

「は?」

「え?」

 一条さんは僕を見た。目が潤んでいるのは気のせいか?

「いえ、その……あんたが迷惑じゃなきゃいいなと思っただけで、その……」

「ああ、それは大丈夫。僕は学級委員長だし。クラスメイトの安全を確保する義務がある。香川先生からも『仕事』だって言われてるし。それから、転校云々の件は気にしないでね。気が向いたらでいいからさ」

「……ああ、そっちね……」

 そっち?

 はて?

 色々な事情があって転校を余儀なくされた理由。これを僕に話すかどうかは一条さんに委ねられている。まぁ人間一六年も生きてりゃ知られたくない事くらいあるだろう。

 と色々話ながら廊下を歩き、階段を下り、僕たちは二年二組の教室に戻ってきた。

 当然ながら誰もいなかった。

「さて、どうしようか」

「どうしようって……あんた部活は?」

「ああ、それは大丈夫」

「その根拠のカケラもない自信はどっから湧いて来るの?」

「それは秘密」

「バカ」

 と言うわけで、何もする事がない僕たちは家路に就いたのだった。


 校門を出ると周囲は薄暗く、夕闇が迫ってきていた。

「すっかり遅くなったね」

「お祖父さまの長話と、それに輪を掛けたあんたの長話のせいだわ」

「まぁ、反論出来ないなあ、それ」

「家に着く頃には晩ご飯の時間だわ」

 そのキーワードで、ふと疑問が湧いた。

「一条さんの家ってさ、理事長の家だよね?」

「……何当たり前な事訊いてんの?」

「料理とかって、やっぱり誰かを雇ってるの?」

 僕の想像では、学園の理事たる家には召使い(?)が何人もいて、帰れば「お帰りなさいませ、お嬢様」と言われ、食卓には豪華絢爛な食べきれないほどの料理が並ぶ、そんな光景だ。

「炊事、洗濯は、ほとんどお祖父さまがするわね」

「は?」

「時間がない時とか、出張でいない時とかは私がやるけどね」

 そういやそうだ。一条さんは、ここに来る前は一人暮らし経験者だ。自炊くらいするだろう。

 あれ? でも何か引っ掛かる。

「お父さんとかは?」

「いない」

「え?」

 しまった。地雷か、これ。

「……ごめん」

「え? 何で謝って……ああ! 勘違いしてるわ、あんた」

「へ?」

「私の両親は存命しております。ただ、海外に行ってて、たまにしか日本にいないだけ。あんた学校のパンレット見てないの?」

 パンフレット、パンレットね……。

「ごめん、見てない」

「あんたねー」

 ジト目で睨む一条さん。

「私だって目くらいは通したわよ。海外にも拠点があるのよ、ウチの学校は」

「へ、へぇ……」

「ちなみに私がここに来る前にいたのも、ウチの系列の学校。その前も」

 お? ちょっとだけ『転校』に関した話が出た。

「二回とも、同じ理由で?」

「これ以上は黙秘する! 色々あったの! 以上!」

「左様で……」

 まだそこまで信頼されてないか。まぁいいや。

 だが僕は何かが引っ掛かっていた。炊事、洗濯、自炊、出張、系列……。

 ──あ。

「しまったーっ!」

「な、何よいきなり」

「いや、明日親がいないんだ。同じ会社なんだよ。で、社員旅行だとか言って、今日の夜からいない」

「それがどうしたの」

「大問題。今晩の晩飯は作っておいてくれるとか言ってたけど、明日の昼飯がない」

「パンでも購買で買えばいいじゃない」

「……これを見て頂きたい」

 僕は空っぽの財布を見せた。

「……あんたの計画性のなさには呆れ返るわ」

 ええ、ええ。そうでしょうとも。

 僕だってそれに気付いたのは、近藤のバカとバカ話をしてる最中だ。我ながら情けない。

「お兄さんに借りれば?」

「兄貴はゼミの合宿で不在……」

 ウチの両親は金銭についてはとても厳しい。カードも通帳も印鑑も、どこにあるか分からない。

 かつて僕が中学に上がった時、親父はこう言った。

『お前は中学生だ。自分の事は自分で出来るようにならないといかん。という事でこれからは小遣いを渡す。だが、それ以上はやらん。その範囲内で好きに遣う分には文句は言わん。だが一銭でもオーバーしたら、それはお前の責任の範囲で何とかしろ』

「……ず、随分厳しいお父様なのね」

「そうでしょ? そう思うでしょ?」

 一条さんは一定の理解を示してくれた。

「でも逆に言えば、必要充分な金額を渡されているって事でしょ? それを無計画に使い込んだのはあんたの計画性の問題。違う?」

 理解はしてくれたが、追い打ちされてしまった。

「仰る通りにございます……」

「仕方ない」

「うん仕方ないんだ。明日は我慢しよう」

 大丈夫。一日くらいじゃ餓死はしない。

「一人分も二人分も作る手間は一緒だから、作ったげるわ」

 僕は不覚にも明日の事でいっぱいで、一条さんの言葉の半分も聞いていなかった。

 ──作ったげるわ?

「今、何と仰いました?」

「何で敬語なの?」

「いやその、何だって?」

 一条さんは僕を睨み付けたまま黙り込んだ。何かを迷っている。そんな風に見えた。

「……あんたには色々借りがあるし……でも、うーん……」

 新たな発見だ。

 一条さんが迷うのは道だけではない。選択肢があるとそれでも迷うんだ。

 その迷ってる一条さんを導くのが僕の役目だ。たぶん理事長もそう思っている、と思う。

「何を迷っているか分からないけど……」

 僕はとりあえず、はったりをかました。

「一条さんがその迷ってる事に点数をつけてさ、その点数が高い方を選択すればいいと思うよ?」

「て、点数?」

 一条さんは素っ頓狂な声を出した。

 ──はて? そんなにおかしい事言ったかな?

「ええと、点数、点数ね……」

 ぶつぶつと『点数』を連呼する一条さん。

 何に対する『点数』なのかは一条さんにしか分からない。

 僕は明日の食料の確保が最優先だ。

 まず手持ちがない。

 借りるとしても、まさか一条さんに借りるわけにはいかない。それこそ沽券にかかわる。僕にだってプライドくらいはあるのだ。

 そうこうしてる間に、一条さんの家まで来てしまった。

 お嬢様のご到着だ。

「一条さん?」

「は、はい?」

「家」

「家……」

 一条さんは言われて初めて家の存在に気付いたらしい。一体何をそんなに迷ってるんだろう?

 暗がりの中とは言え、それなりに大きな家だ。

 実物を見たのは今日が初めてじゃないけど、もしかして一条さん、家の中でも迷うんだろうか?

 訊いてみた。

「一条さんて、家の中でもやっぱり迷うの?」

「……キッチンと自分の部屋とバスルームについては大丈夫」

 ……全部は無理なんだ、やっぱり……。

「それより、迷ってた事決まった?」

「あんたのせいよ」

「へ?」

「あんたが点数だなんて変な事言うから、余計迷っちゃったじゃない!」

「ぼ、僕のせい?」

「そう!」

 一条さんは、金属製の門扉を押し開きながら僕を睨め付けた。

「とりあえず一晩迷う事にする! あんたの明日のお昼は、それ次第だからね!」

 がしゃん。

 派手な音がして門扉が閉じられた。

 ──僕のお昼が点数次第?

 意味が不明だ。

 とにかく、なぜかどこでも迷う事が出来る一条さんだった。

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