第三話 どうしても迷子な彼女
1
結局、学校に爆弾らしきものは発見出来なかったと言う。
休校は翌日解除された。
その犯行声明(?)を投げ込んだ人物も、『不審者』も謎のままだ。
校長先生は相変わらずグダグダだし、刑事さんからも新しい情報はない。
まぁつまりは。
「安心しろ安心しろって言うだけで、一体何を安心しろって言うのかしら」
例によって僕の前を歩きながら、一条さんがボヤいた。
いつになったら、横に並んで歩けるのかな?
「まぁ、頑張ってるんだと思うよ?」
「誰が?」
僕が、とは言わなかった。
「関係者各位が、だよ」
「転校早々面倒だわ」
一条さんはため息をついた。
「面倒なのは確かだね」
「小テストも無駄になったし」
「ああ……あれは、僕にとっては好都合。うやむやに出来る」
「あんた、悪知恵だけで生きてるの?」
「生きるための知恵ですよ、お嬢様」
「……あんた、それ学校で言ったら二度と口利かないからね」
「言わないよ。『お嬢様』だなんて。一条さんのイメージを損なう」
「どんな印象よ。私は清廉潔白、大和撫子が如き振る舞いをしてる。今のところ、変な能力はバレてないし」
僕はとりあえず反論せずにおいた。
が、一条さんはその『間』が癪に障ったらしい。
「この一週間で分かった事がある」
「へぇ?」
「あんたがなぜ学級委員長なのか」
「なぜ、は余計では?」
僕の突っ込みは無視された。
「あの学校、みんな大人し過ぎる。誰かが率先して行動する校風じゃない。そこにあんたがいた。あんたは、何事につけ首を突っ込み、口を挟みたがる」
「それ、褒めてんの?」
「どっちでも。とにかく、そういう男子がいれば、満場一致で学級委員長なんて決まるでしょう? しかも、本人は一言半句の文句も言わない」
「抵抗はしたんだよ?」
学級委員長の選出の際、僕以外の全員が挙手した事を思い出した。
「僕以外誰も立候補しないからさ」
もちろん、立候補したには理由がある。それは──。
「見返りを求めたって無駄。柔道部にいるのがその答えね」
おわ? 見透かされた?
実は、学級委員長就任にあたり条件を申し出た。
それは二つ。
そのうちの一つは人事権だ。
一条育英学園は、自らが事を成すならば自ら成せ、と生徒手帳にも学園紹介パンフレットにも記載されている。一条さんが言う通り、実態が大きく違うのは僕のせいじゃない。
でも人事を僕の一存で決められるなら。それはこのクラスを掌握したも同然だ。色々小細工が出来る。
そしてもう一個。
学園では部活動への入部が義務だ。文武両道、何でも出来るように、大学に進学しても就職しても、すぐに円滑なコミュニケーションを取れるようにする、と言うのが学園側の方針だった。
でも、そうかなぁと常々思っていたので、どうせなら無所属を認めて欲しいと言ったのだ(ちなみに一年生の時は天文部だったが、入部届けを出した初日から幽霊部員として活動していた)。
そして。
それらは全て却下され「その根性をたたき直してやる。お前は今日から柔道部員だ」と香川先生の一言で奈落の底に落ちた。
以来。どうやって香川先生の目を欺いて、部活動に出なくても文句を言われないようにするかに腐心して来た。
「僕は自由が欲しかったんだ」
「親から小遣いもらって、学校に通って、授業を受けて、家に帰ってゲーム三昧のどこが不自由なの?」
「い、いやゲーム三昧とまではいかないけどさ」
実は僕には兄がいて、家にあるゲーム機は兄の独占状態だった。親も、とんとん拍子で大学に現役合格し、既に就職先まで決めている兄に文句は言わない。文句の矛先はもっぱら僕に向けられている。
「ふうん……」
一条さんが立ち止まり僕を見た。ドキッとした。
「そっか、お兄さんがいるのね」
僕はまたドキッとした。さっきの『ドキッ』とは質の違う『ドキッ』だった。
「な! 何でそれを!」
「実際、部活動に勤しんでいるわけでもなく、香川先生がほぼ黙認状態で帰宅部的な行動を勝ち取ってる。でも家に戻っても自由はない。とすると、上にお兄さんかお姉さんがいる。結構歳は離れている。そうね、大学四年生くらいかな? それくらい離れていると、さすがに刃向かえない。で、あんたは家にいても好き勝手には振る舞えない。自由が欲しいってのはそんなトコかな?」
あんぐり。
僕は口を開けたまま、流麗に述べられる一条さんの言葉に聞き入っていた。
「い、一条さん?」
「どこまで当たってた?」
「……訂正箇所は、そうだね、一応兄貴に刃向かってはいる」
「兄弟ゲンカなんて、刃向かうとかに入らない」
「左様で……」
僕は毒気を抜かれたように肩を落とした。一条さんに、ほぼ家族構成と力関係を暴露されてしまった。反論する余地すらなかった。
「でも羨ましい」
「それは人によるよ」
一条さんは僕が一人っ子じゃない事を言っている。そして自分に兄弟姉妹がいない事も。
「いても邪魔なもんだよ? 事ある毎に比較される。親は比較対象がいるから過ちを指摘しやすい」
「ほとんどあんたが指摘を受けるわけね」
「ぐ……」
「そう言う会話が欲しいの」
「……」
言いたい事は分かる。確かに兄弟がいると良くも悪くも賑やかだ。対して一条さんの場合、学園の理事長でもあるお祖父さんとの二人暮らしだ。家政婦さんくらいは雇っているかも知れないが、気が許せる相手ではないだろう。
それに。
今の一条さんがここにいるのは、転校してきた結果だ。
それまでは一人暮らしか寮に入っていたのかのどちらかだろう。一人暮らしは不安だらけだから寮だろうか? そんな中で、自分が特殊だと自覚している一条さんの事だ。会話らしい会話はなかったのかも知れない。
「まぁ、これも学級委員長の努めだよ。愚痴の相手から木の上に引っ掛かった風船まで、何でも来いってなもんだ」
「結城君」
「はい?」
突然名前を呼ばれた。
「パソコン持ってる?」
「え? ああ、うん一応」
「自分専用?」
「ノート型だけどね」
「じゃこれ」
一条さんは鞄から手帳を取り出し、何やらメモしてびりっと破った。
ああ。
そう言う事。
「ほれ」
突き付けられたメモの切れ端。そこには、一条さんのメールアドレスが書かれていた。
「お兄さんにいじめられて、ご両親にヘコまされたらメールして。どん底まで落としてあげるから」
そう言う一条さんは、ニターッと笑っていた。
2
翌日。
「はよー」
教室に入ると、何やらざわざわしていた。
何だろう?
「なぁ、何かあったのか?」
僕が声をかけたのは、前の席に座っている、一年生の時に同じクラスだった近藤と言う男子だ。
近藤は面白い。何が面白いって、その発想が面白い。天然なのかも知れない。
「不審者が捕まったんだとさ。これで安心かな、委員長殿?」
「へぇ」
「へぇって、それだけか? まだ面白い情報があるんだぜ?」
ほら来た。『犯罪』を『面白い事』に結びつけるその発想。いいなぁコイツ。
「その情報って?」
「お前、タダで情報がもらえると思ってんだろ?」
「学級委員長の特権を行使する。言い給え近藤君。その情報とやらを」
「職権乱用じゃないのか?」
「いいや」
僕は言い切った。
「僕は学級委員だぜ? クラス内に良からぬ噂が立っているなら、それを知る立場にあるんだ」
近藤は面白そうに僕を見た。
「まぁいいさ。去年辞めた先生。覚えてるか? 去年まで柔道部の顧問だった先生」
「へぇ」
「また……お前は何か欠けている。感情がないのか?」
「いや、あるけどさ。僕にあんまり関係ないだろ?」
「次に俺が言う情報を聞いても、そのポーカーフェースを貫けるか?」
なぜか近藤は自信満々だった。
「賭けるか?」
「ジュース一本」
「おし。乗った。だから話せよ」
「捕まえたのは『一条さん』だ」
──なんですとーーーーっ!
「……お前ホント分かりやすいな。これでジュース一本頂きー」
「ど、どどどど、どうやって」
「いや、そこまでは俺も知らない」
「お前、肝心なところがなきゃ情報なんて価値がないんだぞ? あの『一条さん』がどうやって元・柔道部顧問を取り押さえられるんだよ」
「……何か不思議なパワー使った……とか?」
「お前に訊いた僕が間違っていた」
「そうとも。始めから本人に訊きゃいいんだ。でもジュースはもらうからな」
「くそー」
僕は悔しそうに言い捨て、一条さんを見た。
一条さんは、澄ました顔で席に座っていた。
──あれ?
『不審者』が捕まったのはいい。
それを一条さんが取り押さえた。これもまぁいいとしよう。
でも、その一条さんの周りには誰もいない。微妙な距離感がある。
「なぁ近藤」
「あん?」
「一条さんが『不審者』を取り押さえたってのは、誰から聞いた?」
「先生だよ」
「お前、日本全国に何人の『先生』がいるか知ってるか?」
「橘だよ」
んー?
「何で橘先生がそんな事をわざわざ言いふらすんだ?」
「さぁ……何でだろ?」
近藤は腕組みし、首を傾げた。でもきっと何も考えていない。コイツはそう言うヤツだ。
「……とにかく事情聴取だ。御協力感謝する」
「おう。ジュース忘れんなよ」
「……分かったよ」
僕は近藤を脇にのけて、一条さんに声をかけた。
「おはよう」
「おはよう」
朝の挨拶は既に済ませているので、これは単なるきっかけだ。
「あのさ」
「後で話がある」
「は?」
「とにかく後。今は話せない」
一条さんは前を向いたままだった。
──今は話せない。
何やら嫌な予感がした。
3
僕は朝のホームルームが始まる直前、香川先生に取り入ってわざわざ仕事を用意した。それも微妙に一人では出来ない仕事をだ。
「あ、一条さん、その扉開けて」
僕は山のようなプリントを抱え、一条さんに扉を開けてもらった。
「……もうちょっといいやり方なかったの?」
「時間がなかったんだよ。すぐホームルーム始まるし。その後すぐ授業だし。他にアイディアを思いつかなかった」
香川先生は体育教師ではない。なんと英語の先生だ。オリンピック強化選手に選ばれそうになったというのも、その素養があったからなのかも知れない。とそれを知ったときは変に感心したものだ。
それはともかく。
僕は香川先生に願い出て、無理矢理仕事をもらった。明日配るはずの周知文書だった。香川先生はその不審者逮捕の件もそれに盛り込みたいと言っていたが、そんなの配るまでもないですよ皆知ってますし、と撥ね付けた。
そして僕はその大量の紙束を抱えている、と言うわけだ。
職員室と教室の往復。正味一〇分くらい。充分だ。
「で、一条さんは超能力を使って不審者を取り押さえたと」
「……何かねじ曲がってるようだけど?」
一条さんは僕を睨みつけた。これだよこれ。一条さんが教室で見せない『本当の』顔。
「時間がない。手っ取り早く説明して」
「あんたと別れた後、目の前にいたのよ。『不審者』が」
「は?」
「全身黒ずくめ。ご丁寧にサングラスまでして。あらゆる特徴が一致したから声をかけたの」
「……何と仰られたのですか?」
「言葉、変になってるわよ?」
「先に進めて」
「『不審者ですか?』」
僕はバサバサと紙の束を床に落とした。
「ああもう! 何やってんのよ!」
「ああもう! じゃないでしょ! 何て無茶な! 相手が凶器とか持ってたらどうするんだよ!」
「大きな声出さないで」
一条さんは長い髪を掻き分けつつ、廊下に散乱したプリントを拾い始めた。
僕もそれに倣う。
「……僕を呼べば良かったじゃないか。あの後すぐなんでしょ?」
「……あんただと、大事になりそうな気がしたのよ」
「……なんてこった」
僕は天を仰いだ。
「そこまで信頼されていないとは」
「そうじゃなくて。あんたの場合、逃げるか大声出すとかするでしょう? そうしたら、私たちは揃って警察に事情を訊かれる。どうしてそこにいたのか。しかも先週転校して来たばかりの理事長の孫と学級委員長のあんたが、なんで一緒にいたのか。そうすると、私が方向音痴でその……」
一条さんが言い淀んだ。
変な能力の事を、ある程度は話さないといけなくなるって事か。
「一条さんの判断は正しい。けどね」
僕は立ち上がった。プリントはまだ大分廊下に残っていた。
「場合による。結果はいい。だけど一条さんが危険な目に遭う可能性だってあったんだ。それを僕が見逃したら一生後悔する」
「どうして?」
そう言って一条さんは僕を見た。純粋な疑問を宿した目だ。僕はかなり動揺した。上手く隠せる自信はなかった。
「……クラスメイト? だから?」
「なんで疑問形なの?」
「とにかく」
僕は言い切った。何とか平静を取り戻しつつ、再びプリント集めに取りかかった。
「なんでそんな無茶したのさ」
「無茶じゃないわ。こう見えても私、合気道やってんのよ。薙刀も使える。剣道もやってた」
なんですかその経歴。
「そこら辺のチンピラに絡まれても、無傷で相手を無力化する自信がある」
言い切られた。
「……経験がおありで?」
「黙秘します」
「左様で……」
僕は、男として一切頼りにされていない事実を悟った。
いやそれよりも。
「いくつか疑問が」
「はいどうぞ」
「取り押さえた後、誰が第一発見者だった?」
「橘先生」
「なるほど」
「その後は橘先生が全部やってくれた。警察に通報して、私を教室までエスコートして。事情説明もそこで。おかげで私は質問攻めにも遭わなかった」
僕は教室でポツンと一人で座っていた一条さんを思い出した。
事情説明が成されたのなら、何人かが興味を持って近付いて話し込んでも不思議ではない。
でも一条さんは一人だった。
「橘先生がした『説明』で、私は『ショックを受けている』事になってる」
「ショック?」
「そう」
「誰がさ」
「わ・た・し・が!」
僕は考え込んだ。『ショック』の定義が随分広範囲になったなぁ。
「……あんたね、その頭に致命傷になるようなショックを与えてもいいのよ、今ここで!」
「……で、橘先生からは『この事はあまり他の人に言わないように』言い含められた」
「ったく……そう。その通り。もっとらしい言い訳でしょう? 多感な年頃への配慮だって」
「多感……」
「……またあんたは……」
一条さんはプリント集めを中止して、僕に対し斜に構えた。しまった、彼女の間合いかこの距離は!
「や! ゴメン! まず話をしようよ。ね?」
「……もう」
僕たちは、床に散らかったプリント集めを再開した。
「……で、話したい事ってそれだけ?」
自分が『ショック』を受けた『多感な』少女である事を、僕に教えたいだけではないだろう。
「不審者を捕まえはした。でも、おかしいの」
「うん?」
「私が取り押さえた時、その人が何て言ったと思う?」
「『離せ、俺じゃない』とか?」
「もうちょっと踏み込んで欲しかったわね」
「……すみませんねぇ、発想が貧相で」
僕の皮肉は無視された。
「こう言ったの。『俺はハメられたんだ。俺はやってない』って」
「ほほう……」
「ここで質問です」
「はい?」
「元・先生が本当に『不審者』だったら、まず何と言うでしょう?」
ああ、そっか。
「きっとこう言うだろうね。『離せ。離さないとタダでは済まさないぞ』か『違う。俺はこれからコンビニ強盗に行くつもりだったんだ』」
「あんた、ここで気絶したいの?」
一条さんの目が底光りした。恐ろしい……。
「捕まったらまず逃げようとするでしょ? 実際逃げているわけだし。でもそうしなかった。いくら私でも、本気で抵抗されたら大人の男の人には敵わない。そこに橘先生が現れた」
「ちょっと待ってね」
僕は状況を整理した。
「……つまり一条さんはこう言いたいのかな? 『不審者ですか?』と問いかけ、向かってきた元・柔道部顧問を手玉に取り、関節技をキメた。で、『俺はハメられた、やってない』と言われた。はて、これはおかしい。自ら不審者である事を認め、訊かれてもいない事を答え、それでいて抵抗もしない」
「手玉は余計。でもそうね。おかしいでしょ?」
廊下に散らばったプリントはあらかた拾い終えた。ちょっとくらい遅れても一本背負いくらいで済むだろう。
「さすがにいつまでも押さえておけないし、私は大声を出すつもりだった。そこに橘先生が現れた」
「そこに僕がいないしね」
事情聴取されても平気、と言う事か。
「でも、私は警察に連行される事も、誰かに説明を求められる事もなかった。全部橘先生がした」
「へぇ?」
「あの先生、一目で状況を理解して、携帯からだけど『正確』に警察に通報してた。相手はあの刑事さんかも」
「どうして?」
「話し方がね。警察への第一報って雰囲気じゃなかった」
初動で民間人が担当刑事に連絡する事が、正しいのかどうかは分からない。でも何か引っ掛かった。何と言うか、手際が良過ぎる。
「うーん。でも結果として一条さんは何事もなく教室で、澄ました顔して座ってた」
「補足も要らないくらいの情報を橘先生が話したからね」
「そっか」
廊下に散乱したプリントは、再び僕の腕の中に収まった。
後は歩きながらになる。
「半分持つわよ?」
「いいって。これは男の仕事だ」
それに香川先生からも言われている。彼女に重労働させるなと。色々話を聞いた今では、彼女に持ってもらっても問題ない気がするが。
「で、一条さんはどうするの?」
「何もしない」
「そうだよなぁ」
「そう。後は警察のお仕事。やってるやってないを判断するのは私じゃない」
「まぁ状況は分かった。ここ数日の騒動もこれで落ち着くのかな? あ、まだ爆弾魔の件があるか」
「それも、たぶんあの人ね」
「何で?」
「何でって……」
一条さんは、言葉を区切った。
「何となく」
「そりゃまた随分曖昧だね」
「女の勘って言えば納得する?」
僕は一瞬考えた。
「する」
後日。
取り調べの結果余罪が判明し、学校の爆破予告はその元・柔道部顧問の先生がやった事だと知らされた。
女の勘は正しかった。
4
僕はその日、授業に全然身が入らなかった。いつもの事だと言われればそうなのだが、その『いつも』より、身が入らなかった。
橘先生。
一条さんの話を聞く限り、何も問題はないように思える。全ては生徒を保護する立場からの行動だと言えばその通りだ。
だが。
一条さんは『自ら体験した』状況について誰にも話していない。たぶん、『直接』彼女から話を聞いたのは僕だけだ。
疑問が湧き出た。
一条さんはわずかな会話から、僕の家族構成や立場を言い当てた。
これは地図の構築という、特殊な能力の副産物なのかも知れない。実際彼女の洞察力は凄まじい。会話の先の先を読んで会話する。わずかな綻びから傷口を広げにかかる。これじゃ友達は出来ないよなぁ。
おっとっと。
そんな事じゃなくて。
その『洞察力』や『想像力』を、橘先生も持っているとしたら?
いきなり実験を中止して小テストを始めるような先生がだ。
考えてみると、実験をするぞーと言っておきながら、その裏では小テストの準備をしているわけだ。
二つの行動を同時に行い、それを周囲に気付かせない。
だからどうしたと言うわけではないが、『なぜか』気になる。これは一条さんの言葉を借りるなら『男の勘』だ。当てになるかどうかはともかくとして。
「おおい、結城」
僕は誰かに呼ばれ、我に返った。
「結城ー? 生きてるかー?」
近藤だった。
「……死んではいない」
「じゃ、覚えてるか?」
「何を?」
「ほらこれだ」
近藤は大げさに肩を竦めた。お前はどこかの外国人か。
「ジュースの件、よもや忘れたとは言わせんぞ?」
「ああ、ジュースね、ジュース」
僕はポケットから財布を出し、小銭を出そうとして……。
あ。
「すまん。細かいのがない」
「いいよ札で。お釣りはちゃんと返す」
「いや」
僕は財布を拡げて見せた。
「大きいのもない」
「なんてこった!」
近藤は嘆き悲しんだ。でも哀れんではくれなかった。
「結城、お前貸し一つな」
「……不本意ながら」
「しかし、よく金持たずに学校に来るよな」
「んー、使わないしなぁ」
「おお、そっかお前は家の人が弁当作ってくれるんだっけな」
「そうさ。僕は、三食を家人に賄ってもらう悲しい高校生なのだよ」
「何気取ってんだよ。要は小遣いがないだけだろうが」
「そんな身も蓋もない」
「事実は事実だ。それとも、貸しを二つに増やすか? 俺がお前に金を貸す事でだ」
一瞬、その誘惑に心が傾いた。
「……それは断る」
「まぁ、必要になったら言ってくれ。利息なしで貸してやる。それも貸しだけどな」
高利貸しより質が悪いと思った。
「さて。俺は部活に行く。どうせお前は帰るんだろう?」
「何で決めつける」
「違うのか?」
「いや違わない」
「お前は何を言いたいんだ?」
「僕は帰るんじゃなくて、部活に行く途中で用事を思い出して断念するんだ。サボるわけじゃない」
「お前な」
近藤はこめかみを押さえた。
「そういうのを屁理屈って言うんだよ」
「何とでも言え」
「おう。じゃな」
近藤は去った。
ヤツは野球部だ。万年一回戦落ちの弱小チームだが。それでも退部する部員はいないと聞く。よほど練習が緩いのか、とんでもない勘違いをしているのか。そのどっちかだと思った。
「じゃ、僕も帰るかな」
そう言って一条さんを見た。
いなかった。
──何ですとーーーーっ!
あの一条さんが一人で帰るなんてあり得ない。それは、ほぼ自殺行為に等しい。
僕は手近なクラスメイト(女子)に一条さんの行方を問い質した。
「一条さん? 何か香川先生に呼ばれて連れて行かれたけど?」
「え? いつ?」
「さっき。あんたが近藤のバカと話し込んでる時」
しまった。
ついつい近藤の巧みな話術に引っ掛かってしまった。これを不覚と言わず何と言おう。
「ど、どこに行ったか聞いてない?」
クラスメイト(女子)は、さぁ? と言った顔をした。
僕は教室を後にした。
もちろん、クラスメイト(女子)にきちんとお礼を言ってから。
5
さて。一条さんはどこに行ったのか。
可能性は三つ。
一つ目。警察が来て、追加の事情聴取のため任意同行された。
二つ目。担任である香川先生が事件の詳細を知らないのはまずいと思い、一条さんを職員室に拉致した。
三つ目。それ以外。
その三つ目が思い浮かばない。
とりあえず僕は職員室に行った。
「香川先生! 一条さんは!」
「コラ結城! 職員室をなんだと思ってるんだお前は! もっと小さな声で話せ。その前にちゃんとノックして『失礼します』と言え!」
香川先生の方が大声だと思った。
「……非礼はお詫び致します。それより一条さんは?」
「……お前に関係ない」
いやいや。大ありなんですよ実は。
とは言えなかった。
なので別な手を使った。
「いえその、今朝の事件解決の件、クラスメイトから聞きましたけど僕も詳細を知っておかないと」
「なぜだ?」
「なぜって……僕は学級委員長なんですよ? 担任である香川先生がいない時にクラスをまとめる義務があるんです。その僕が事件の詳細を知らないのは大問題です」
「何が……問題なんだ?」
いいぞ、乗ってきた。
「万が一の事態に対応出来ません。これはクラスを運営・管理する上で、最大のリスクです」
「万が一って……そんな大げさな」
「いいえ!」
僕は言い切った。
「わずかが隙が命取りなんです! その油断がクラスメイトの危機に直結するんです!」
「あああ、分かった、分かったから静かにしろ。教えるから、な?」
勝った。
僕は勝利の味を噛みしめた。
「……で、どこに行ったんです?」
「……理事長室だ」
僕は絶望した。
「何ですって?」
「同じ事を言わせるな」
「いえ……その、香川先生がここにいるという事は、一人で行かせたんですか?」
「ん? そうだが……?」
僕は香川先生の反応を待たず、職員室を飛び出した。
「きちんと扉を閉めろ! それからちゃんと『失礼しました』と言えーっ!」
6
──一人で理事長室に向かっただって?
僕は自問自答した。
彼女が一人で理事長室に辿り着けるか?
否。
絶対にどこかで迷っている。
ただそれがどこなのか分からない。
これが三つ目の可能性だったのか。
三階建てのコの字型の校舎のどこかに一条さんがいるのは確かだ。
いくら方向音痴でも、理事長室が校外にあるなんて思わないだろう。
一条さんの事だ、迷ったとしてもそれを表に出す事なく、手当たり次第に「理事長室はどこですか?」と訊いているだろう。そしてその後、また別な人に同じ質問をするのだ。
そこで僕は、同じ手法を試す事にした。
「あのーすみません、女子生徒から理事長室はどこですか、とか訊かれませんでした?」
目の前を歩いていた、上級生と思しき女子に訊いてみる。
「ああ、さっき訊かれたわ。そこの階段上って『北に』行けば、後は真っ直ぐだからって教えたけど?」
ああ……何てこった。
「ありがとうございます!」
僕は呆然とする上級生(女子)を後目に、階段を駆け上って、北ではなく西に向かった。絶対に『北』に向かうはずはないと言う確信があったからだ。逆説的だが、方向音痴なら絶対に間違えるはずだ。
そして見つけた。西校舎の廊下で涙目で立ち尽くす彼女を。
そして罵倒された。
「遅いわよ、このバカっ!」
この世の理不尽さを嘆く僕だった。