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第二話 やっぱり迷子な彼女

 僕は必死に走っていた。

 別に遅刻をしそうだからではない。

 一条さんと待ち合わせしているからだ。

 待ち合わせと言うと、語弊や誤解を招きそうなので一応説明する。

 一条さんは方向音痴だ。

 地図という目に見える形で場所を示せば、彼女は完璧だ。何丁目の何番地と言えば、レシートの裏にでも、さらさらっと緻密な地図を描くだろう。

 しかしだ。

 彼女は方向音痴だ。

 一体自分がどちらを向いているか。

 そもそも北はどっちか。

 方角が定まらないまま地図を眺めてもどこにも行けない。

 もちろん、コンパスなんぞを持ち歩けば解決しそうなものだが、彼女は頑なにそれを拒む。

 曰く「曲がり角に出る度にコンパスと地図と睨めっこしてたら、いつ目的地に着くのかわからない」との事だ。

 ああなるほど、と思った。いちいち地図と方角を照らしあわせてたら、間に合うものも間に合わない。

 じゃぁ携帯のGPSを使うのはどう? と訊くと「危ないでしょう?」と至極当然な回答が返ってきた。コンパスを使うよりはましだが、携帯の画面から目を離すと、途端に方角が不明になる。それじゃ確かに危ない。一条さんの口調から察するに、それで危ない目に遭ったのは一度や二度じゃないだろう。

 という事で。

 毎朝辛うじて一条さんが辿り着ける場所(どうやら自宅前の道に沿って歩いて、『一個目の曲がり角』までは大丈夫らしい)で待ち合わせをし、途中まで一緒に登校する。その後、学校に程良く近付いたら一条さんに方角を指示し、僕は別ルートを通って学校に行く。クラスメイトにバレると面倒だからだそうだが、僕としてはちょっと悲しい。

 おかげで僕はこの『余分なルート分』の時間を見越して家を出ないと遅刻してしまう。

 学級委員長たる僕が毎日遅刻しては、担任の香川先生も黙っていない。

 『道場』で『指導』されるか、その遅刻の理由を糾弾されるか。

 今はどっちも避けたい。

 一条さんはまだ学校に慣れていない。出来れば、いかに担任とは言えこの変な能力を教えたくないのだそうだ──筋金入りの方向音痴と地図生成能力の事を。

 彼女の名誉のために言うが、彼女は決して頭が悪いとか、全然記憶力がないとか、そういうわけではない。

 むしろその逆だったりする。

 これは僕の悪い癖でもあるのだが、話の筋を先読みをしてしまう。ところが一条さんは、さらにその先を読む。これが割と面白くて、傍目には何だか分からない会話になっている事がある。でも当事者同士が分かっていればそれでいいのだ。

 こんな感じで日々を過ごし、一条さんが転校して来てから三日が経った。でも興味は尽きない。訊きたい事がどんどん増える。

 今までどうやって学校に通っていたんだろう? とか。

「ねぇ一条さん」

「その疑問には答えられない」

「まだ何も言ってないよ?」

「分かってる。でもその先は言わないで」

 ギロリ。

 一条さんの目がつり上がった。

 僕はため息と共に肩を竦めた。

「そうは言っても気になるし」

「気にしなければいいじゃない」

「僕は学級委員長なんだよ? クラスメイトが道に迷って学校に来られない。今もその手助けをしてる。そこで疑問が出る。今まではどうしてたのかってね」

 我ながら卑怯な言い回しだと思った。

 でも一条さんはそれを理解した上で答える。と思う。たぶん。

「……今までは学校が見える場所とか、バスの路線上にあったりして、方角を気にする必要がなかったから! これでいい?」

 そう言うと、一条さんはそっぽを向いてしまった。耳が赤くなっているのが微笑ましい。

「なるほどね」

 僕たちの通う学校は街の中心地にあるが、一条さん宅からは、学校直通の交通手段がない。ほぼ徒歩二〇分の距離だ。もしこの区間を、無理やりバスを乗り継いで通学しようとすれば、万単位で定期代がかかる。

「苦労したんだねぇ」

 僕はしみじみと言った。

「あんたに同情されたくない」

「冷たいなぁ」

「どうやって暖めんのよ」

 ほぼ口論だ。

 こんな感じで、毎朝僕たちは口論じみた会話をしつつ通学している。

 傍から見たらどう見えるかな? とちょっと気になる。

「もうちょっと離れて歩いてよ」

「これ以上離れると、まるで尾行してるみたいだ」

「……」

 一条さんが無言で僕を睨み付けた。

「……だから転校するの嫌だったのに」

 ──おお?

 僕は、一条さんが転校に至った経緯には、触れないようにして来た。もし嫌な思い出か何かがあったりしたら、地雷を自ら敷設して踏みつける事になるからだ。

 だから、ふと漏れたのか、一条さんから転校に関しての話題が出たのは、ちょっとした驚きだった。

 拡大解釈すれば、僕に気を許しつつあると取れなくもないが、それは自意識過剰だろう。

「やっぱり、通学の問題で?」

「それもあるけど……」

 一条さんはそこで言葉を切った。

 おいおいそこで切るのか? と僕の中の悪魔が言う。ここは突っ込みドコロだろうと。

 いやいや。

 ここは突っ込んではいけない。

 僕は悪魔の誘惑に打ち勝った。

 つまり無言を貫いた。

「私ね、これで二回目なの」

 一条さんから続きを話し出した。

「へ?」

「ほら、変な能力って言うか」

「地図の事?」

「それもあるけど。私はほら、ズバズバ言っちゃうタイプだから」

 ああ、それは何となく分かる気がする。

「……何か言った?」

「いえいえいえいえ。別に何にも」

 僕はブンブンと首を振った。一条さんはため息をついた。

「だから今度は気をつけようと思ったの。そしたら、初日からあんたにバレるし。しかも学級委員長だし。最悪だわ」

 最悪と言われてはさすがに黙ってはいられない。こんな面白い会話はクラスメイトと出来ない。

「光栄の至りにございます」

「まぁ、今の所は大丈夫。その点は信頼してる。いい? その点だけよ?」

 そこだけ強調されてもなぁ。

「及第点ですか」

「赤点ギリギリ。でも補習はしないからね」

「残念」

 と、ここでお終い。

 例の分岐点に到着したからだ。

「じゃ一条さん。北はあっちね」

 一条さんは、僕の指差す方向を見て何事かを呟いた。きっと「北ね、北北……」とか言ってるに違いない。

「んじゃ僕は、これから別ルートでダッシュします。それでは」

「うん。ありがと」

 ありがと。

 一条さんからの初めての謝辞を頂いた。

 三日間の努力が結実した。

 この一言で、僕は今日一日が良き日である事を確信した。


 理科の先生である(たちばな)先生は、教室に入るなり、こう宣言した。

「今日は実験の予定だったが、俺の都合で中止して小テストをする」

 当然、クラス中がブーイングに包まれた。

 理科の授業でこんな『抜き打ちテスト』をされる事は、実はしょっちゅうだ。始めのうちは何おぉと思ったものだが、もう慣れてしまった。でも、テストを受ける心の準備や、テストに対する心構えとか、その後の結果を知りたくないと言う心の葛藤があって、困ると言えば困る。

「あーそれから、一条は今回は除外する。転校してからまだ三日目だ。さすがに俺の流儀にはついてこれないだろう?」

 クラス全員の目が一条さんに向けられた。

 ──あー、先生。それ言っちゃダメだよ。

 僕は密かに嘆息した。

 ちらっと隣を見る。

 一条さんは、香川先生の粋な計らい(?)で、僕の隣の席に座っている。と言うか、転校生の面倒を見るのは学級委員長の『仕事』だと言い切られていた。僕にとっては願ったり叶ったりなので問題ない。僕はね。

 その一条さんは先生を真っ直ぐ見据え、こう言い切った。

「いえ。大丈夫です」

 ──言うだろうと思ったよ。

 人と違う能力を持っている彼女は、人と比べられる事を極端に嫌う。

 転校生だからって特別視しようものなら、僕なら張り倒されている。

 相手が先生なのでさすがにそこまではしないだろうが、挑みかかる様なその目つきは、下手すると飛びかかるくらいするかも知れない。

「だが試験の範囲。これ分からないだろう?」

「大丈夫です。教科書は一通り見ました」

 クラス中がざわめいた。

 一条さんは自覚がないのだろうが、それを言う事で自分が特別な人間だと宣伝しているようなものだ。

「いいのか?」

「先生の手間を考えたら」

「いい心がけだ」

 橘先生はニヤリと笑い「では各列の先頭、プリント取りに来い」と宣言し、いつも通り『抜き打ちテスト』を開始した。


 毎度思うのだが、この先生、『小テスト』と称して抜き打ちテストをやる。だがその分量たるや。中間や期末のそれと大差ない。どこが小テストだ、と言いたくなる。

「終わった者は挙手。その後は退室して好きにしてよし」

 二年生になり、この先生の授業で初めて『抜き打ちテスト』をやられた時。

 この『終わった者は好きにしてよし』の言葉に素直に喜んだものだ。

 その時実施されたテストの中身を見るまでは。

 ──くそー、今日はいい日だと思ったのにぃ……。

 僕は必死で問題を読み、解き、消しゴムで消し、問題を解いた。

 と。

 開始して一〇分くらいだろうか。

「先生」

 手を挙げたのは、他ならぬ一条さんだった。

 え? お、終わったの?

「白紙答案は受け付けないからな」

 橘先生は、そう言いながらもニヤニヤしていた。

 ──確信してんのか?

 僕はちらりと一条さんを見た。

 背筋を伸ばしての挙手。

 まるでお手本のような姿勢。それには、回答で埋めつくされた答案用紙への自信が窺えた。

 先生がソレを一瞥。

「……よし。退出を許可する」

 橘先生はそれだけ言い、教壇に戻った。

 僕はこっそりと一条さんに話しかけた。

「……ね、ホントに終わったの?」

「……私が先生とかみんなを欺してどうすんのよ?」

「……そりゃそうだ」

「……で、あんたはどうなのよ?」

「……半分、くらい、かな?」

 僕は、まだ余白が大半を占める答案用紙を見た。見て己の能力の限界を嘆いた。

「……もうちょっと頭がいいと思ってたのにな」

「え?」

 僕が顔を上げると、一条さんは教室を出るところだった。

 教室の後ろの扉を開け、閉める寸前。

 クラスメイトが必死に答案を埋めているその時。

 僕だけが後ろを振り向いていた。

 そこで一条さんが取った行動は、もうびっくりだ。

 べー。

 小さく舌を出して、すぐさま扉を閉めた。

 ──くっそー!

 これで僕は二番目に、この教室を出なくてはならなくなった。

 そうでなくては男が廃る。

 人間追い詰められると、普段以上の力が出ると言う。

 火事場の馬鹿力だ。それが脳みその回転に結び付くかどうかは別問題だが。

 僕は遮二無二答案用紙に向かった。

 とは言え。

 分からない事は分からない。

 そこで僕が取った手段は、答案を『埋める』事だった。

 結果、先生から呼び出されても構わない。

 正規の試験ではないので、赤点がどうとかは関係ない。そもそも理科室で実験するはずの予定を覆したのは、他ならぬ橘先生だ。抜き打ちテストは、普段からの予習復習をこなしているかどうかを図るには効果的だが、今の僕にはそんな事はどうでも良かった。

 選択問題は鉛筆を転がし、計算式は適当に埋めた。元素記号なんてのは、しょせんアルファベットの二文字だ。イットリウムが分からなくても『今』は困らない。

「はい!」

 僕は大声を張り手を挙げた。

 橘先生がゆっくりと近付く。もう僕の心臓はバクバク言っている。

 先生が僕の答案をすっと机から取り上げ、一瞥。メガネの奥に不気味な輝きを見た気がした。

「……結城」

「はい」

 橘先生は僕にしか聞こえない声でこう言った。

「……今回だけだぞ……」

 見上げると、そこには意地悪そうな顔をした橘先生がいた。

「退出を許可する」

 そう宣言されたが、嬉しさ半分、落胆半分だ。よりによって一番借りを作りたくない先生に『借り』を作ってしまった。後が大変なのはもう分かり切っていた。

 だが。

 僕にとってはそれよりも大事な使命がある。香川先生から承った『仕事』だ。

「ありがとうございます」

 僕はペコリと頭を下げ、そそくさと教室から出た。


「遅い!」

 一条さんが開口一番、僕に言った言葉だ。

 僕だって頑張ったんだ。あの場あの時で考えられる、不正にならないあらゆる手段を使い、橘先生に『借り』まで作ってここにいるんだ。それを一条さんは「遅い!」の一言で済まそうとするんだ。

 と、喉まで出かかった反論は、一条さんに先制された。

「……でも、ちゃんと『二番目』に出て来たのは認める。テストの結果までは責任は取りませんけどね」

 と、意地悪く微笑まれた。

 ──くーーっ!

 手駒にされている。そんな言葉が脳裏をよぎった。

 その時。

 ひょいと橘先生が教室から顔を出した。

「結城。ちょうどいいから、一条を連れて校舎の案内してこい」

「え、でも」

「香川先生の事だ。そんな気の利いた事をさせてないだろう?」

 その通りだった。一条さんが来てから三日も経つのに、担任である香川先生から校舎の案内をしろなんて言葉は、一言も出なかった。

「……まぁ、青春を謳歌したまえ若人よ」

 橘先生はそう言って顔を引っ込めた。案外いい先生なのかも知れない。

「……と言うわけなんだけど、一条さん。案内する?」

「要らない」

 素っ気ない返事。

 そうでしょうとも。

 どうせ一条さんの頭の中には、既に校舎のマップが構築されてる。

 僕に方角さえ訊けば、音楽室だろうが図書室だろうが、どこへだって行ける。

「でも」

「?」

「まだ時間があるから」

 確かに。

 授業が終わるまで、後三〇分ある。このまま廊下で立ち話してても、何か悪い事をして立たされているみたいだ。

「一カ所だけ行きたい場所があるの」

「へ?」

「体育館。たぶん『西校舎』の裏側だと思うの。でも、校門から見えないから……案内してくれる?」

 おおおお。

「お安い御用ですよ」

 なぜか敬語を使っている僕だった。


 僕と一条さんは体育館に向かっていた。なぜか一条さんが僕の前を歩いていた。さすがに一本道なら迷わないって事だろうか?

 ところが。

「さっきまでいたのが東校舎。すると目の前の曲がり角を曲がれば、北校舎の廊下よね?」

 振り向いて、僕に確認を求める一条さん。なんでそんな自信なさげな目で見る?

「……まぁ、一本道だからね」

「でも分岐してる」

「そりゃ、階段がありますからね」

「どっちに曲がるの?」

「は?」

 そうだった。方向音痴だったんだ彼女は。

 それでも僕の前を歩こうとするのはなぜだろう?

「目の前の廊下を真っ直ぐ歩いて、突き当たって左に曲がれば北校舎の廊下に出る。右に曲がれば階段があるよ」

「そうよね。その通りだわ」

 何の会話か不明だった。

 ──大丈夫だよ、僕がついてる。

 なんて台詞をさらっと言えるようなら、一条さんはどう思うだろう?

 そんな事を考え、黙々と(さすがに他のクラスは授業中なので、私語は自粛した)歩き、西校舎と北校舎の接続地点に到達した時。

 校内放送のスピーカからノイズが鳴った。

『全校生徒に連絡します。今から緊急の全校集会を行います。生徒の皆さんは先生の指示に従って、体育館に集合して下さい。繰り返します──』

 はて?

 何があったんだろう?

「何かしら?」

「何だろうね?」

 避難訓練、ではない。

「緊急って言ってるし、何かはあったんだろうけど……」

 僕は今まで来た道を振り返った。徐々に生徒が教室から出て騒ぎ出した。

 ──ああ、こりゃ学級委員がまとめないと、すんなり行かないな。

「一条さん、僕は一旦教室に戻るよ」

「ええっ! 何でっ!」

 なぜか一条さんは驚いた表情を浮かべた。

 僕も驚いた。何で驚くんだ?

「いやほら。僕は学級委員長だし。この騒ぎだし。先生の指示に従えって言ったって、誰かがまとめないと」

「なら私も行く」

「へ?」

「何よ。それともあんた、私を置き去りにする気なの? こんな北も南も分からないような場所で!」

 そう言う一条さんの手は、僕のブレザーの裾をしっかと握っていた。

 北も南も分からない。

 そうでした。『極度』の方向音痴でしたこの方は。

「……その目、止めてよね」

 そう言って上目遣いに僕を睨む一条さんの目は、涙目だった。ホントに置き去りにされると思ったのかな? と言うか、学校の敷地内で迷子になっても、どうとでもなるとは思う。

 とは言え。

 僕が悪い事にしないとここは収まらないらしい。と一条さんの目が雄弁に語っていた。

「ゴメン。悪かった。一緒に教室まで戻ろう」

「……始めからそう言えばいいのよ」

 何だろう。

 この例えようのない理不尽さは。


『えー、緊急で集まってもらったのは、警察から連絡がありまして』

 体育館の壇上では演台の用意すらされず、マイクを持った校長先生が状況を説明していた。

『ここ一週間程、この学校付近で不審者が目撃されています。まぁ詳細は各担任に伝えてはいますが』

 ここまでは確かに聞いている。あ、一条さんは知らないな。

 と思ったら案の定袖を引かれた。

「……そうなの?」と一条さん。どことなく不安げな様子だ。

「うん。そう言う事らしいよ。不審者は男性。中肉中背。黒一色で統一してて、見るからに不審らしい」

「それだけ?」

「それだけ?」

 僕はオウム返しに訊き返した。

「だって……不審者だよ? これ以上詳細な特徴が分かったら、それは不審者じゃないでしょ?」

「こら! そこっ!」

 香川先生が目聡く僕らを見つけた。

「私語を慎め! 校長が話しているだろうが!」

 香川先生の声と、マイクを通した校長の声が、ほぼ同じ声量なのは何でだろう?

 とにかく僕らはそれ以上の会話を打ち切った。どうせ僕にも『不審な男性』以上の情報はない。

『あーゴホン』

 校長先生が咳払いした。

 続けていいかな? 校長先生の目がそう言っていた。

 僕は軽く会釈した。

『あーでは。その不審者だが、警察から追加で情報が入った。詳細は……何、原稿がない? そうか……え? 直接刑事さんが話す? 私はどちらでも……ええ、はい』

 どうにもグダグダな校長先生だった。

 替わりに壇上に登ったのはスーツ姿の男性。

「あれ、刑事かしらね」

 一条さんも気になるのか、何気なく僕に尋ねてきた。僕に訊いたって「さぁ」としか答えられない。それだとあまりに無粋なので、「たぶんそうじゃないかな」と返しておいた。

『あー、私は所轄の竹林と申します。この度は、不審者の件で色々不安を持たれているとは思うが、こちらも警備体制を強化している。時間の問題だ。安心して欲しい。ただ』

 刑事さんは、ここで一旦言葉を切った。何かを言い淀んでいる。そんな顔をしていた。

『こちらの学校、ええと……何でしたっけ? ああ、一条育英学園。とにかく、この学校に対しての爆破予告が、先ほど署に投げ込まれた。投げ込んだ人物はまだ特定出来ていない。今監視カメラの映像から解析を進めている。なので、そのなんだ』

 つまりだ。

 ちっとも安心出来る状況ではない事だけは分かった。

『校長、これ言ってもいいのですか? え? ああ、じゃ私から』

 刑事さんもグダグダだった。

『あー、その。本日はこれにて休校とするそうだ。念のため校舎内は警察が爆発物の捜索を行う。皆さんは保護者の方に連絡を取り、迎えに来て頂くか、出来るだけ集団で下校するようにして頂きたい。私からはこれで』

 刑事さんはひな壇から降りた。

 そして、ひな壇に誰もいなくなった。

 おいおい。

 誰かこの緊急の全校集会を締めくくってよ。

 と思ったら、香川先生がひな壇に跳び乗った。マイクは持っていなかった。

「では、本日はこれで全ての授業は終了とする。速やかに下校の準備をし、一旦各教室に戻って待機。その後は担任に従う事。──これでいいですね、校長先生?」

 見ると校長先生は、うんうん、と大きく頷いていた。

 全然安心出来なかった。


 教室に戻ると、なぜか香川先生がいた。

 さっきまで体育館にいたのに。

 電光石火とはこの事か。

「結城」

「はい」

「クラス全員いるか?」

 僕はぐるりを教室を見渡した。クラスメイトの顔くらいは頭に入っている。いなきゃすぐに分かる。

「いますね」

「では帰る方向毎にグループ分けする。どうやっても一人になるヤツはいるか?」

 学校が街の中心部という事もあり、大体は電車やバスでの通学だ。

 自転車通学のヤツもいたが、今日だけは電車とバスで帰る事になった。

 そうなると残るは徒歩組、つまり僕と一条さんだ。

「結城。お前一条を家まで送れ」

「へ?」

 一条さんが家に連絡すればいいだけなのでは?

「結城、ちょっと来い」

「は、はい?」

「いいから! とっとと来い!」

 僕は香川先生に首根っこを掴まれ、引きずられるように廊下に出た。

「一条は、訳あってお祖父さんと二人で暮らしている」

「じゃあ、そのお祖父さんに迎えに来てもらえば……」

「そのお祖父さんはこの学校の理事長だ」

「──は?」

 何という意外な事実!

「タクシーを使って、とも考えたのだが、理事長が嫌がってな」

 なぜ嫌がる?

 目立つからかな?

「目立った事をするな。そう言われている」

「いやいや、そんな事言ったって、相手は爆破予告するような輩ですよ? 背に腹はかえられないでしょう?」

「その用法、正しいのか? まぁいい。とにかく一条家の者が迎えに来るとか、タクシーを手配するとか、そう言う事をしてくれるなと言われている。私もそうは言っても、孫娘の安全のためですよと言ったんだ」

 香川先生、理事長とそこまで詰めておいて、誰よりも早く教室に着いたんですか?

 それはそれで凄いと思った。

「とにかく頑として譲らない。今も理事室から出ようともしない。いくら説得してもダメなんだ。あの頑固ジジイは……おおっと」

 つい本音が漏れたらしい。香川先生は口元を手で覆った。何となく香川先生が女性だった事を思わせる仕草だった。

「……そこでだ。止むなく、仕方なく、お前に託す事にした。ここまではいいな?」

 いいな? 僕はこれに反論する機会って与えられるんだろうか?

「いいも悪いもないんでしょう? どうせ途中までは同じ道ですし、出来るだけ人通りの多い道を選んで帰りますよ。これでいいですか?」

「ん。じゃそう言う事で。頼んだぞ」

 香川先生は再び僕の首根っこを掴んで教室に戻った。僕は猫か。

「一条、お前はこの結城と一緒に帰れ。こんなんでも一応男子だ。ないよりはましだろう」

「結構です」

 一条さんは即答した。

 結構ってどっちの意味だ?

「タクシー呼んで帰ります」

「いやそれだと……ちょっと困る」

「なぜです?」

 一条さんは、ちらりと僕を見た。

 ああ、そう来たか……。特別扱いが嫌いなんだよな、一条さんは。

 ──仕方ない。

「香川先生」

「何だ結城」

 香川先生は面倒そうに僕に振り向いた。

「僕は徒歩なんで、今日はタクシー使って帰ります。それと、一条さんと帰る方向が『偶然同じ』なので、それに便乗させてもらいます」

「……」

 香川先生は反論しなかった。ただ目が。コイツめ、と言っていた。

 ──これでいいんでしょ? 一条さん?

 僕はちらりと一条さんを見た。

 一条さんは小さく頷いた。

「……分かった。じゃ一条は任せる。……くれぐれも粗相のないようにな」

 最後の台詞は僕にしか聞こえないような小声だった。

「分かってますよ。これでも僕は学級委員長ですよ? クラスメイトの安全を守るのは誰です? 先生ですか?」

「お前はホント口だけは達者だな」

 香川先生は呆れ顔だ。

「まぁいい。皆はグループ分け出来たか?」

 はーい。

 と、行儀のいい声が返ってきた。

「じゃ、今日はここまで。気をつけて帰るんだぞ──特に結城」

「何で僕なんですか」

「何となくだ。深い意味はない」

「もうちょっと信頼して下さいよー」

「そういう事をわざわざ言わなければ信頼する。男は黙って期待に応えるものだ」

 古くさい頭の先生なんだなーと改めて思った僕だった。


「で、タクシー呼ぶ?」

 僕は一条さんと大通りを歩きながら、一応訊いてみた。

「呼ばない。私の事情聞いたでしょ? タクシーなんか使ったらお祖父さまの事だからタクシー会社に乗り込むかも」

「……」

 どんな祖父さんだ。と思ったが、口には出さないでおいた。

「お祖父さま、頑固なのよ。人前では大人しくしろとか、一歩下がって歩けとかうるさいの」

 今それと逆の事してますよ一条さん。僕は目の前を歩く一条さんを見ながらそう思った。

 僕たちはとりあえず人通りの多い道を選び(選ぶのは僕の役目だが)、家路に就いた。

 道が分かれる度に「右? 左?」と訊かれるのには辟易したが。

 それでも。

 こうして一条さんと他愛もない会話をしつつ歩く。

 ──悪くないかな。

 信頼云々はともかく、今がいいならそれでいいか。

「ちょっと、この道三つに分かれてるけど、どれにするの?」

「ああ、この道はね……」

 やっぱり迷子な一条さんだった。

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