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第一案件 その3

 蒔田真希(まきたまき)は、犬と対峙していた。

子供は無事に逃げてくれたようだ。

足音が遠く――聞こえなくなる。

真希は、左手で図面ケースを前に構え、犬を警戒しつつ、右手でポケットをまさぐる。

片耳に取り付けるヘッドセットを取り出し、右耳へと掛け――

犬が飛びかかってきた。

左手に持った図面ケースを斜め下から顔面に向かって振り上げる。

振り上げるという動作は、彼女が思っていたよりも重たい所作だった。

彼女が意識する軌道よりワンテンポ遅い。

ヘッドセットをいじっていた右手を慌てて添え、両手で振り上げた。

顔に当てることは出来なかったが、胴体にぶつけることには成功する。

しかし、力は相手の身体全体に逃げてしまい、手に伝わってくる感触は鈍い。

そのまま棒に乗せた犬を振り上げたような物だった。


 投げ捨てられたような形となった犬が、真希から離れた位置にトンボを切って着地する。

そして、ダメージなど微塵も感じさせず、ノータイムで飛びかかってくる。

真希は、図面ケースの両端を持つような形で、犬の噛み付き動作を防いだ。

犬の勢いに負け、転倒、尻から地面に叩きつけられる。


「痛ッ」


 尾てい骨と地面が、激しくぶつかり、あまりの痛さに顔を歪めた。

とは言え、図面ケースから手を離す訳にはいかなかった。

グチャリグチャリと図面ケースを何度も囓りながら、真希の喉笛を噛み切ろうと犬の顔が迫る。

その口から赤黒い涎が垂れる。

垂れるが、垂れたそばから霧となって、文字通り霧散する。

真希は、周囲に漂う霧を――好きこのんで吸い込みたいとは思わなかった。


「くッ。――こンのぉッ」


 ベンチプレスでは無いが、気分はベンチプレスか重量挙げか――

じわりじわりと腕を突っ張るように伸ばし、犬と自身の身体に隙間を作る。

グンッと犬が真希へと迫るべく力を掛けた。

その一瞬を見逃すこと無く、腕を突っ張ったまま、耐えていた力を背中へと逃がす。

地に着いた腰を支点として力が後方に移動した。

図面ケースに食いついたままの犬が空中へと浮かぶ。

素早く膝を曲げ、犬と真希との隙間へと滑り込ませ――「やぁッ」と気合い一閃、斜め後方へと蹴り飛ばす。

ぐにょんというクッションでも蹴り飛ばしたかのような――中身が乏しい物を蹴り飛ばしたかのような鈍い感触を残しつつ、犬が真希から離れた。

真希は、後方に転がった勢いをそのままに、くるんと回転し、片膝を立てる姿勢から素早く立ち上がる。

あれだけ犬に噛み付かれたのに、ぐちゃぐちゃになりつつも折れもせず、原形を保っている図面ケースを左手で突き出すように構えながら――

右手でヘッドセットを操作し、登録された短縮ダイヤルへと接続を試みた。

2度目のコールの途中で繋がる。

女性オペレーターの声が聞こえるが、途中で遮るようにして――


「状況レッド。対象、レベル2。抜刀許可を求めます」

『ッ、コードをお願いします』

「パール436、蒔田真希」

『――コード確認しました。状況をお願いします』

「すでに――」


 犬の方は、そんな真希の通話を待つ理由は無かった。

前足を拡げたまま、糸に吊り上げられるかのような不自然なジャンプから、回転(ロール)し、噛み付き攻撃を繰り出す。

しかし、真希としても自由になった右手を遊ばせておく理由は無い。

素早く図面ケースを両手で構え、その攻撃に対し、横薙ぎとなる一閃を加えた。

そして、図面ケースを右手に残し、犬を見やる。

下あごを斜め下に垂らしながら、それでも真希への攻撃を諦めそうには無かった。

真希の右手には、鈍い手応えが残る。


「戦闘中です。写真を撮っている暇はありませんッ」

『――少しお待ち』

「待てませんッ。抜刀しますッ」

『え? え? だ、ダメです。お待ちく――』

「蒔田真希、抜刀しますッ」


 再度、飛び掛かってくる犬をアイススケートのスピンのように身体を回転させ躱す。

半回転――犬に対し背中を向けつつ、手にした図面ケースの留め具を外す。

パチリパチリと留め具が外れ、図面ケースが遠心力に従って、真希の中心から遠ざかる。

それに伴って、白木造りの鞘が姿を現した。

留め具を外していた左手で、その鞘を掴むと、回転を活かしたまま刀を走らせる。

真希の脇を抜けていくような形で、遠ざかりつつある犬の身体を追いかける形で横一文字に――振り抜いた。

「ギャン」と――始めて犬が、悲鳴らしい悲鳴を上げた。

後ろ足1本がべちゃりと落ち、その切り口から赤黒い霧が漏れ出す。

地面に落ちた足は、地面を赤黒く汚しながら、空気が抜けるかのようにじわじわと潰れていく。

とてもまっとうな生物の肉体とは思えなかった。


 犬が、多少よろつきながらも立ち上がり、真希を睨む。

それを受け、真希は、刀を左半身が少し前に出るような形で上段に構えた。

――その刀は、不思議な色をしていた。

とても白い――波紋が白いと言うのでは無い。

刀身、その全てが白いのだ。

今しがた、そこに居る化け物を斬ったにもかかわらず、一点の曇も無く白いのだ。

余りの白さに、太陽の光を受け、ぼんやりと輝いているようにも錯覚する。


「ふぅぅぅ」


 真希は、刀を構えたまま息を吐いた。

周囲の音が遠ざかる。

その遠ざかる音の中には、オペレーターからの「抜刀許可でました」という声も含まれていたが――真希には聞こえていなかった。

刀の柄を強く、それでいて柔らかく握る。

ゆっくりと呼吸を繰り返す度に、心が静かになっていくのを感じていた。


 真希の準備が済むのを待っていた訳では無いのだろうが、結果的に、そのようなタイミングになってから犬が攻撃に移る。

やはり、どこか不自然な力の掛かり方をしたようなジャンプ攻撃――

真希は冷静に攻撃を見、右脚を左後ろへと引き、犬の攻撃をいなすような形で身体を移動させる。

脚の位置から自然と身体が回転する。

その回転に合わせ、左腕が刀を引っ張り、右腕が刀を押し込む。


「痛ッ」


 左半身が敵の攻撃側に晒されることとなり、自然、先に振り下ろされた左腕が、犬に対し面することになる。

その左下腕を掠めるかのように犬の腕が振り抜かれていた。

赤いスジが4本――ズキンという痛みと共に走る。

目の前を通過していく犬――それを追いかけるようにして刀が白い尾を引きながら走る。

手には、空中にあるビニール袋でも叩いたかのような不確かな手応え――

それでも、振り抜くことで、確かに斬ったという手応えに変わった。


 斬りつけられた力を逃がすような形で、犬が反転、着地し、再度、相まみえる。

真希は、左腕が痺れ、力が入らなかったため、右手で刀を中段に構える。

それほど深く斬りつけられたとは思っていなかったのだが、傷口からは4スジの血がしたたり落ちていた。

ズキンズキンと鈍い痛みが傷の存在を自己主張する。

どこか甘く見ていたのだ。

失敗した。

犬の姿に惑わされた――等と、言い訳にもならない。

自然、荒くなりそうになる呼吸を、ゆっくりと、深呼吸することで落ち着かせる。


 犬が、土煙を上げつつ――突進してくる。

これまで数度のジャンプ攻撃から、一転して地を這うような攻撃――

手首を返しつつ、刀を下段へと移動させ――

上半身を反らせるようにしつつ、腰からの回転を使い、すくい上げるようにして斬撃を見舞う。


 犬は、前足の爪を刃に乗せるようにして防御を図った。

前足をクッションとして斬撃の威力を殺し、刃の勢いを使い、上へと逃げるつもりだったのだろう。

だが、その白い刀身の切れ味は、その浅はかな考えを切り裂く。

カツと爪と刃が触れ合う音がしたかと思うと、そのままサクリと――犬の身体へと潜り込んでいく。

そして、その勢いを殺すこと無く、上へと振り抜いた。

前両足と顔を切り裂かれ、傷口から赤黒い血――否、霧を振りまきながら暴れる。

切り裂かれた顔の三分の一が、だらりと傷口を晒しながら垂れ下がっていた。

そこには、肉も骨も見えなかった。

赤黒い霧に隠れ、ただただ、赤黒い何かが詰まっているだけのように見える。


 真希は、このチャンスを逃すまいと、右半身を前に構え、一気に蹴り出した。

右腕を伸ばし、その白い刀身を犬の身体へと突き刺す。

痺れて力が入らない左腕を柄頭に添え――体重を乗せ、押し込む。

その白い刀身は、なんら抵抗なく、犬の身体へと吸い込まれていった。

そして、その身体を突き抜け、地面へとぶつかる。

その抵抗を活かし、刀身を起こして、地面に縫い付けた。

当然のことながら、犬は暴れる。

それを抑え込むようにして、真希は、犬を縫い付けたままにした。


「ナウマク、サン、バサラ、ケンウン、タカラ」


 真希が、そう唱えると、白い刀身に紅いスジが幾本も走る。

その紅いスジは、ゆったりと拡がるようにして光を放った。


「カーンッ」


 朱い光が弾けた。

その光が、犬の内部で弾け――それまで暴れていた犬の身体が大人しくなる。

そして、風船の空気が抜けていくかのように、犬の身体から赤黒い霧が周囲へと拡散していった。

中身が無くなり、すっかりぺしゃんこになった犬の身体――

その皮だけになってしまったかのような身体も、霧が無くなると、ぐずぐずと朽ちていく。


 真希は、通話を再開しようと思い、ヘッドセットに手を伸ばすが、そこにヘッドセットは無かった。

耳の辺りをぺたぺたと確認するが、ヘッドセットの手応えは無い。

「え?」と声に出しつつ、周囲を見回した。

ほどなくして地面に落ちているのが見付かる。

どうやら、犬との立ち回りを繰り広げていた最中に飛んで行ってしまったらしい。


「こ、壊れてないよね?」


 こわごわと拾い、耳に掛ける。


「もしもし?」

『蒔田さんッ!? よかった~。すっごい音がしたと思ったら、連絡が取れなくなって――

 心配してたんですよッ』

「ご、ごめんなさい」


 目の前に相手がいる訳でも無いのに、何故か頭を下げてしまう。

申し訳ないという心情が、表情にも出ていたのだが、一転、居住まいを正す。


「対象の排除、終了しました」

『了解です。お疲れ様でした。写真を送ることは可能ですか?』


 そう言われ、犬の死骸――死骸と呼んでいいのか、既にその皮の大部分も朽ち果てようとしていた。

ポケットからスマートフォンを取り出し、その様を何回か撮影する。


「今、撮影しました」

『処理班が向かっています。蒔田さんはどうされますか?』

「少し、周囲を散策してから帰ります」

『了解しました。何か発見した際は、速やかに連絡願います』

「了解です」


 真希は、手にした刀を鞘に収め――図面ケースに収めようと周囲を見回した。

そこで、図面ケースが破壊されていたことを思い出す。


「あのぉ」

『なんでしょう?』

「収納ケースをお願いできます?」

『破損、もしくは紛失ですね』

「えっと。破損です」

『あとで報告書を上げてください。処理班に届けさせますので、受け取ってください』

「済みません」


 報告書かぁ――と心の中で愚痴りながら、何度も頭を下げてしまう真希だった。


Twitter @nekomihonpo


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