閑話2 その1
よく晴れた心地の良い日だった。
日差しは少し強いが、風がほどよく熱を奪ってくれる。
洗濯するもよし、散歩するもよし、昼寝するもよし――そんな休日だった。
蒔田真希は、駅前の商店街を歩いていた。
休日の昼下がり――町は人出で賑わっている。
学生服姿の人間が歩いていたところで、なんら不自然なところは無いのだが、彼女の制服は少し目立つ。
白いブレザーに独特の蒼い影が出来る。
彼女としては、休日に制服を着て彷徨きたくなどは無いのだが、彼女なりの理由で致し方ない。
休日ともなれば、そこいらの出店でクレープを買って食べたり、ファーストフードでお腹を満たしたりもするだろう。
白いブレザーなど、一旦汚れが付いたら落ちにくくてイヤなのだ。
いくら学生服で、普通の服と作りが違うとは言え――汚れるのはイヤなのだ。
それでも、敢えて学生服で彷徨いている。
カチャリ――そんな彼女の不満を汲み取ったのだろうか。
手にしていた図面ケースが音を立てた。
彼女なりの理由とは、この図面ケースだ。
私服姿で、こんな大きな図面ケースを持ち歩くのは、どうにも不自然だ。
――と、彼女は信じている。
恐らく――世間の方々は、そんなことは気にしないだろう。
結局、彼女のような女子高生が、休日に図面ケースを持ち歩いていることの方が不自然なのだ。
とは言え、周囲も、そんなことは気にしていない。
図面ケースを持ち歩く必要がある女子高生だっているだろう。
さすがに、中身が刀だと知れたら、反応は異なる物になったかも知れないが――
なにせ、彼女に奇異の視線を向ける人間は少ない。
怪訝そうにしている視線では無い。
しかしながら、彼女がそれなりに視線を集めているのも、また事実であった。
それを彼女は、図面ケースの所為だと信じ切っていた。
彼女としても、こんな図面ケースなぞ、持ち歩きたくは無いのだが――
ここ最近、怪異に出くわすことが多い。
いざ、出くわした際に手ぶらでした――では、済まされないのだ。
そんな訳で、彼女なりの理由によって、制服姿で、図面ケースに刀を忍ばせ――休日を過ごしているのだった。
周囲の思惑は異なる。
図面ケースを持った女子高生が珍しいから、真希を見ているのでは無かった。
――そういうエッセンスが無い訳では無いが、比重としては軽い。
彼女は、自身の容姿に少々疎かった。
さすがに絶世の美少女とまでは言わないが、美少女の女子高生――
しかも、知る人ぞ知る有名校の制服だ。
仮に知らなかったとしても、その白いブレザーは、物珍しく――
また、女子に人気のデザインをしているので、それだけで人目を引いた。
好奇の目で見る男どもが声を掛けないのは、どこか楚々とした雰囲気の中に、何か――近づいてはならない壁を感じていたからだろうか。
そんな訳で、双方の認識の間に横たわるズレが補正されること無く、彼女は歩を進めた。
商店街の外れに児童公園がある。
真希は、公園に寄る予定など無く――そもそも、行動の予定など無いのだが――本当に偶然の産物であった。
たまたま、ふと、公園へと視線を転じたのだ。
ベンチに白い服を着た女性が座っている。
女性というシルエットでは無かった。
ほっそりとした子供だった。
年は――最大限譲歩しても中学生だろうか。
――恐らくは小学生だろう。
そんな女の子が、ぽつんと木陰の中、ベンチに座っているのだ。
別段、気に留めるような情景では無い。
それでも真希は、気になった。
何が気になったのかと、よくよく見てみれば――その白い服は、貫頭衣のように見えた。
少し離れた所に、大きな病院があったから、そこの入院患者だろうか。
付き添いの人が居るようには見えない。
散歩の途中で体調でも崩したのだろうか。
気になった真希は、彼女に近づいていく。
近づくにつれ、女の子が泣いているように見えた。
後ろ姿しか見ていないが、静かに泣いているように見える。
回り込んで顔を見る。
泣いてはいなかった。
入院生活が長いからだろうか――病弱なのは間違いなさそうだ。
その白い肌に大きな目、そして、その可愛らしい目に一杯の涙を溜めていた。
真希に気がつき、にこりと微笑む。
心配ありませんよ――と虚勢を張っているようにしか見えなかった。
「どうしたの?」
真希が、簡潔に、かつ、やさしく問うた。
女の子は、どこか困ったように視線を彷徨わせてから――なんでもありませんと応えた。
気丈に振る舞おうとしつつ、声の震えは隠し切れていなかった。
真希は、一瞬迷う。
気丈に振る舞い心配は無用だと言う彼女の心を尊重し、これ以上触れない方が良いのか――
泣きそうになっている女の子を助けるべきなのか――
真希は、膝の上に置かれた手に手を重ね――再度、問うた。
「大丈夫。お姉さんに話してごらん」
女の子の身体が、ぴくんと震える。
顔を背け、視線が彷徨う。
何かをしゃべろうと、顔がこちらを向くが――声にはならず、ゆっくりと俯いてしまう。
「大丈夫だから」
重ねた手を軽く握りながら、再度、優しく声を掛けた。
ひっくとしゃっくりを上げ、今にも泣き出しそうな顔をしつつ、おずおずと真希の後ろを指差した。
「あれ――」
真希が、指の差す方を見やる。
あれ――彼女の言う「あれ」が目に入る。
車椅子、そして、それに乗ったり押したりしている男子が数名――
一瞬で煮立ったかと錯覚するぐらいに頭に血が上った。
怒髪天を衝くとはこういうことか――と冷静に判断する自分もいたが、そんなモノはノイズでしか無かった。
「こんのォ、何してるかーッ」
真希の怒鳴り声に、女の子がビクッとしたが、真希は気がつかなかった。
素早く立ち上がり、「これ持ってて」と女の子に荷物を預けると、砂煙を巻き上げながら走り出した。
女の子は、あまりのことにびっくりしたまま凍り付いてしまったかのようであった。
「うわ、やべぇ」
車椅子を押していた悪ガキが、真希に気がつき車椅子を押す。
真希の手が、その身体に触れる直前、くるりと身を翻し、やり過ごす。
車椅子が片側走行となり、タイヤを支点として回転、一瞬の後に着地、そして勢いのまま真希の後ろへと走り去る。
身体能力に一定の自信を持っていた真希としては、避けられたことが意外であった。
油断、おごり――所詮、子供の為すことだと甘く見ていたことは間違い無い。
してやられたと思う。
「待ていッ」
真希は、上体を沈めつつ、右脚を突っ張りブレーキ、身体が倒れないように左手を突きつつ、折りたたまれた左脚の力を解き放つ。
地面を踏みしめ、地を噛み、勢いの付いていた身体を逆方向へと押しやる。
腰の辺りまで伸ばされた髪が、大きく振り回された。
「うわッ。ケンちゃん、来るよ」
「えっ」
車椅子に乗った男子が、後ろから跳ねるようにして――跳んでくる真希を見て、慌てた声を出す。
それに釣られ、押していた男子も後ろを振り返る。
その眼前に、真希の手が伸びる。
「うわぁぁッ」
捕った――真希がそう確信したとき――
男子は、車椅子を突き飛ばし、上体を仰け反らせ――真希の手を避けた。
その回避は、真希の予想を超えてはいたが、対処の出来ないモノでは無い。
伸ばされた手を下ろし、上体を仰け反らせ不安定な状態にあった男子の身体を押す。
ストンッと、あっけなく地面に倒れ、呆気に取られた顔を真希へと向ける。
「そこで座ってなさい」
そう言い残し、更に跳ぶようにして車椅子へと向かった。
真希を見上げる男子は、どこか目をキラキラさせ、その様を追った。
「うわわわわッ」
車椅子に乗っていた男子は、大慌てで車椅子から降りると、後ろへ回り込み、車椅子を押し始めた。
人の乗っていない車椅子は軽い。
それまで以上のスピードで駆けていく――が、だからといって普通に走っている人間より速い訳では無い。
増して、真希が追いかけているのだ。
一瞬にして追いつき、その首根っこを捕まえた。
「うわーッ、離せ、離せよ」
「車椅子を女の子に返しなさい」
「ちょ、ちょっと借りてただけじゃんかよ」
男子が振り返るように真希を見上げ、言い訳を口にする。
それに対し、真希は――ゲンコツで応じた。
「イテェーッ」
「女の子を泣かせておいて、借りただけとは言いませんッ」
「な、泣いてなんかなかったし」
真希が、ゲンコツを振り上げる。
男子は、ヒッと防御態勢を取りつつ、言い訳を続けた。
「俺ばっか、ズリィじゃんかよぉ。ケンちゃんだって――」
半ば、引きずるようにして、そのケンちゃんの隣へと男子を放り出す。
「正座」
「え?」
「正座ッ」
その真希の静かな怒りを感じ取ったのか、ふたりは、慌ててその場に正座をした。
細かい石が、脚に突き刺さって痛い。
その痛さに顔をしかめるが――眼前の真希が怖かった。
怒りの形相――と言うわけでは無い。
だが、その全身から怒りのオーラが立ちのぼっているかのように感じられ、ふたりは泣き言も言わず従った。
そこから、彼らにしてみれば地獄の説教タイムが開始された。
足は痛いし、ちょっとでも言い訳をしようモノならゲンコツが飛んできた。
それは、彼らにしてみれば理不尽に思えたが、それを許さないオーラを纏っていた。
「もう、こんなことしないよね」
「はい――」
「しません」
「じゃぁ、謝る」
「ご――」
「私じゃない」
「う――」
ふたりが、女の子へと向き直り、少し頭を下げつつ――
「ごめん」
「ごめん?」
ごめんと聞き直してきた真希の不穏なオーラを感じ取り、ふたりがビクンと身体を震わせる。
「ご、ごめんなさい」
「ごめんなさいッ」
ふたりは、改めて深々と頭を下げた。
それを女の子は、どこか呆気に取られた表情で見ていた。
「もう、こんなことしちゃダメなんだからね」
そう真希がだめ押しを背に受けつつ、男子ふたりは足早に立ち去る。
そして公園から出ようかという所で振り返り、口に手を添えた。
「ちっぱいのくせに、うっせーよッ、ばーか」
「ケツがでかすぎんじゃねーのか、ばーか」
と、大声で真希へと叫んだ。
「なッ」と真希は、絶句する。
そうして、彼らは「ばーか、ばーか」と叫びながら、公園から走り去っていった。
真希は、その悪口にショックを受けたし、怒りもした。
――が、既にその悪ガキどもは居なくなっており、矛先が消え去ってしまっていた。
自分の内側で処理せざるを得ない。
女の子には聞こえない程度の小声でぶつぶつと文句を言うが、すぐに怒りは収まりそうに無かった。
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