第三案件 その6
川崎雅史は、空を見上げていた。
身体中が痛く、呻き声を上げるが、それすらも痛い。
息を吐いても吸っても痛い。
生きていることに感謝――そんな訳は無い。
こんなにも痛いのだ。
怨嗟の呻きが漏れるだけだった。
川崎が、こうして生きているのは奇跡だった。
足下が乱雑に回転した際、3階の窓から放り出されたのだが、運良く空中で机にぶつかり、落下速度が軽減された。
そのため、落下の衝撃が減ったのだ。
とは言え、手脚、肋骨の骨折、頭部の強打――等々、重傷であることに違いは無かった。
痛みを軽減するべく、脳内麻薬が分泌され、多少感覚は麻痺しているが――それでも和らげられ切れないほどの痛みだった。
世界が廻ったとき、他にも数人が放り出されていた。
生きている生徒もいるし、死んでしまった生徒もいる。
そこかしこから呻き声が聞こえてくるが、川崎にはどうしようもない。
他人を思いやる余裕は無いし、自分が助けて欲しいくらいだった。
委員長や中竹はどうなっただろうか。
積み上げられた机が倒れ、その下敷きになる姿が、川崎が最後に見た姿だった。
その後、川崎は、窓から放り出されたのだが――
助かったとしても無事では無いだろう。
急速な眠気が襲ってきた。
身体の痛みもどこか遠くの出来事のように感じられる。
眠ったら死ぬ――そう思った。
寝てはならないと抗うが、それを上回る眠気だった。
遠くの方で救急車だろうか――サイレンが鳴っているのが聞こえる。
いやだ――と叫んだつもりだった。
実際には「ぁぅぁ」と弱々しい声が漏れただけだったが、川崎にはそれを認識するだけの余裕は無かった。
――結果的に、彼は助かるのだが、このとき、彼の意識はここで途絶えた。
【◇】
蒔田真希は、男性と向かい合うようにして椅子に座っていた。
部屋に窓はあるが、黒いフィルムで塞がれていた。
部屋は決して広くは無い。
3畳あるか無いかと言う狭さだ。
壁にはモニター、無線設備等々が埋め込まれている。
そして、空いたスペースにイスと机が置かれていた。
その一方に真希が座り、正面にはいかつい年配の男性――碧鋼琉一が座っている。
地面が水平に戻ってから、真希は急いで対特――内閣直轄対特殊事象警備部へと連絡を入れた。
彼女の迅速な連絡により、関係各所へと連絡が行き渡り、警察が現場を荒らす前に対特が割って入ることが出来た。
現場は、今、対特と警察、消防が救助活動、検証作業を行っている。
そして、真希は――東京支部長である碧鋼へと報告を行うべく出頭しているのだった。
「蒔田君、ご苦労だった。君のお陰で我々が割り込むことが出来た」
「いえ――」
「早速で悪いが、報告してもらおうか」
「はい。――その、何から話したものか――」
「気にしなくて良い。順番に話してくれ」
「はい」
そう返事をすると、真希は話し始めた。
黒い刀を持つ彼らが、この中原学園にいるかもしれないこと。
探し出すべく訪れたこと。
異変が既に起こっていたこと。
体育館にて男子生徒が、変容していたこと。
彼らが戦闘に加わり、倒し、解決となったこと。
――そして、確認する前に逃げられたこと。
包み隠さず、ありのままに報告した。
「蒔田君は、偶然だとしても、そのふたり組が現場にいたのは怪しいな」
「怪しい――ですか」
「事変の兆候を何らかの手段で知っていた可能性がある。どう思うかね」
「どうと言われましても――偶然、その場に居合わせた私が、彼らを偶然じゃ無いと断じるのは無理があるかと」
「ふむ。まぁ、そうだな」
真希は、自分が偶然そこに居合わせただけだと言える。
だが、彼らはどうなのだろか。
偶然なのだろうか。
「彼らの写真は無いのだな」
「は、はい」
「そうか。――今度見かけたら、なんとか撮っておいてくれ」
「は、はぁ。難しいとは思いますが――」
「こちらで調べてみるが、足がかりは多いに越した事は無い」
「そうですよね」
「まぁ、いい。本日は、ご苦労だった。帰ってゆっくり休んでくれ」
「はい」
失礼しますと挨拶をして辞する。
金属製の扉を押し開けると、日の光が差し込んでくる。
空は朱く色つき始めていた。
タラップに脚を載せると、ギシリとサスペンションが軽く軋む音を立てる。
彼女らが居たのは、2トントラックのコンテナだった。
コンテナの表面には、引っ越し会社の塗装が施してあり、この車が、対特の持ち物だとはぱっと見では解らないように仕立ててある。
真希は、車から降りると、大きく伸びをし、深呼吸をした。
ここのところの怪異の増加――
今日の自分を省みる。
何と不甲斐ないことか――
自分が一番、事件の核心に近いところにいたにも関わらず、何も出来ずに終わってしまった。
もっと知らなければならない。
この怪異が何なのかを――
人の姿をしたアレは、躊躇うこと無く斬って良いのかを――
そして、人の姿をしたモノを、自分に斬る覚悟があるのかを――
【◇】
そこは、倉庫として使われている部屋だった。
部屋に設けられた金属ラックには、段ボールが所狭しと詰め込まれ、それだけでは収納場所が足りなかったのだろう。
窓際の床にスノコが敷かれ、その上にも積み上げられている。
「やぁ、千石くん。ご苦労様でした」
窓から差し込む夕暮れの光が逆光となり、男の白衣を朱く染め上げる。
少しやせ気味のひょろりとした男だ。
笑顔で相対しているが、その細められた目は、何かを睨み付けるような鋭さを放っており、決して笑ってはいない。
その笑顔が、偽りであることを隠しおおせていなかった。
「いえ。――これが今回の物です」
千石武臣は、事務的に用事を済ませようとする。
ポケットから出した手には、小瓶が握られていた。
表面が焦げ茶色――を通り越し黒く見える小瓶だった。
口の側は、茶色の遮光瓶本来の色をしていた。
中の物体で黒く見えているようだった。
白衣の男は、瓶を受け取ると頭上にかざしつつ軽く振り、中身を見透かすように見つめた。
首から提げた身分証が揺れる。
顔写真と共に社名と名前が見て取れる。
聖甘藍総合病院、第二医局医師――奥玉和茂。
それが、この男の身分だった。
「いつもながら、良い仕事ですね」
「――どうも」
奥玉医師は、武臣に笑顔を向ける。
そっけない返事をした武臣の顔は、少しも笑ってはいなかった。
ゴソゴソと奥玉が、ポケットに小瓶をしまい込む。
「報酬は、いつものように」
「ええ、それで構いません」
「何かありますか」
「いえ、何も――」
「そうですか。それでは、また――連絡が行ったらお願いしますね」
「こちらこそ――、よろしくお願いします」
一瞬、何かを躊躇うようにしてから、武臣は深々と頭を下げた。
それをどこか満足そうな笑みを浮かべつつ、奥玉は見つめていた。
失礼しますと会釈をしつつ、武臣が部屋を出る。
扉を開くと、紫水彰が壁により掛かって待っていた。
バタンと音を立てつつ扉が閉まる。
第三カルテ室と書かれていた。
「終わったのか」
「ああ。まぁ、何も特別なことも無いしな」
「そうだな――」
廊下をふたりで歩きつつ、一瞬会話が途切れる。
向かいから、スーツ姿のサラリーマンがカツカツと音を立てつつ近づいてきていた。
ふたりは、廊下の片側により、お互いに軽く会釈をしつつすれ違った。
足音が小さくなるのを待ってから、彰が口を開く。
「で、どうする。病室に寄っていくか」
「いや。――今日はいい」
「なんでだよ。折角、病院まで来ているんだから、顔くらい見せてやればいいのに」
「戦った後は――どうもな」
「そうか。愛菜ちゃんも喜ぶだろうに」
「彰だけでも顔を見せてやってくれ」
そう言う武臣の顔は、どこか寂しそうな苦笑とも取れる笑みを浮かべていた。
彰は、その顔を見てしまうと、どうにもそれ以上、何かを言う気にはならなくなってしまうのだった。
「じゃぁ、俺は愛菜ちゃんの病室寄っていくけど――」
「ああ、頼む」
「解った」
病室のある階まで無言で歩き、じゃあなと軽く挨拶をして別れるのだった。
ガチャリと音を立て、第三カルテ室の扉が開いた。
中に居た奥玉医師の視線が扉から入ってきた人物へと向かう。
それはスーツ姿の男だった。
「おや。柘榴さんじゃないですか。今日はどうしたんです」
「近くまで来たから様子を見に――な。進み具合はどうかね」
「ええ。それはもう――順調ですよ」
順調と応える奥玉の顔は――先ほどまでのよそよそしい笑顔では無く、本当に嬉しくて仕方ないという笑顔であった。
ほらとポケットから先ほどの小瓶を取り出し、男に見せる。
「被験体も順調ですよ。もう、楽しくて楽しくてしょうがないですね」
「先生が楽しんで研究なされているのなら結構ですな」
「パターンも解ってきましたし、そろそろ培地の育成に励もうかってところです」
「ほう。培地というと――増やす目処が付いたと」
「いえいえいえ。それはこれからの目標ですが、いくつか培地の候補がいましてね。
それらに試そうかと――」
「なるほど」
柘榴と呼ばれた男が、周囲を見回しつつ、奥玉に近づく。
どうしましたと奥玉が問うたが、柘榴は扉の方を見つつ、声を発しない。
ほんの一呼吸か二呼吸、柘榴は耳を澄ませ、廊下に人が居ないことを確認する。
そうして、奥玉へと向き直った。
「ウチの目的に沿うモノは、出来そうですか」
声をひそめ、それでも肝心の所はぼかしながら奥玉へと向けられた言葉に、奥玉は全てを理解する。
彼――柘榴透は、とある製薬会社――白杂製薬集団有限公司の人間だ。
奥玉の研究している内容から出来上がってくるモノが、彼の――彼の会社の利益になるモノをなのかどうかと、問うているのだ。
「ええ、もちろんです。とは言え、白杂さんには協力して貰わないと困りますが」
「――何が必要だ」
「偽薬――ですかねぇ」
「――モノによるな」
「筋ジスに近い症状ですかねぇ」
「筋ジストロフィーか。――確認してみる」
「ありがとうございます」
「いや。いい。こちらも先生には、いろいろとお世話になっている」
「これで、実験が進みそうです」
奥玉が笑顔で応える。
それは医者と言うより、悪徳商人の笑顔に見えた。
商人では無いにせよ――腹の中で他人を食い物にすることしか考えていない男の顔だった。
柘榴は、その顔を見下すわけでは無いのだが、突き放したような気持ちで見やる。
他人を食い物にするだけならいいが、自分が喰われては敵わない。
成果だけをいただき、後腐れ無く切ることが出来るよう準備しておく必要があるな――と考えるのであった。
Twitter @nekomihonpo