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第三案件 その4

 ギャギラッ――斜めになっているからか、体育館の鉄扉がけたたましい擦過音を立てる。

蒔田真希(まきたまき)の華奢な身体では、その扉を開けるだけでも一苦労であった。

そんな真希の視線の先には、ひとりの男子生徒が立っていた。

床に対し、真っ直ぐに――真希の方へと落ちてきそうな――そんな不安定な印象を与える立ち方だ。

かなりけたたましく音を立てたのだから、来訪者に気がついていないとは思えないのだが、中空を眺めていた。


「ねぇ」


 真希が声を掛けながら――ゆっくりと近づいていくが、男子生徒から(いら)えは無い。

ゆっくりと――斜めになった床を登っていく。

ぎゅッと靴が床から滑るまいと食いつく音がする。

静かな体育館の中を、真希の靴音が反響した。


「あなた、聞こえてる?」


 再度、真希は問い掛ける。

図面ケースを――中には彼女の刀が収まっているが――掴む手に力が入る。

男子生徒の様子を観察する。

口を半開きにし、どこか明後日の方を見つめ続けている。

気を失っているのか――彼女の問い掛けに応答が無いどころか、身じろぎのひとつも無い。


 真希は、右手を伸ばし、そろりそろりと男子生徒へと歩を進めた。

3メートル、2メートル――バシィッという音と共に、伸ばしていた右手を払われる。

思わず、痛ッと声が漏れた。

十分に警戒していたつもりであった。

何が起きたのか、何で手を払われたのかが解らなかった。

男子生徒を見れば、その右腕が異様に伸びている。

異様――

だらりと力なく垂れてはいるが、手の甲が床に付く程度に伸びている。

本来、手首があるべき高さに肘のような関節が見えるが、本当に関節があるのかは疑わしかった。

まるで蛸の足のような軟体生物の腕にも見える。

そこから、腕で払われたのだと解るが、払われた瞬間は見えなかった。


「ねぇ。――まずは、名前を教えてくれない?」


 再度、真希が話しかけるが、相変わらずピクリとも反応が無い。

距離――彼のテリトリーに侵入していないから反応が無いのだろう。

真希は、右腕に注意しつつも、彼の全身を視界に納め、先ほどより一層警戒しつつ、図面ケースを右手に持ち――彼のテリトリーを侵犯した。


 来た――と真希は思った。

2メートルを切って少し近づいてから――1.8メートル程度だろうか――その右腕が鞭のようにしなり図面ケースを払おうとする。

注視していたにもかかわらず、その先端――手首はよく見えなかった。

先端が見えなくなるような勢いの腕が、図面ケースにぶつかる。

バチィッと激しい音が体育館に響く。

真希は、その威力に負けないよう、しかと図面ケースを押さえておく必要があった。

その甲斐あって、図面ケースが持って行かれる事は無かった。

ほッと一安心した――再度、バチィッと図面ケースを――反対側から叩かれた。

振り抜かれた右腕が戻ってきたのだ。

彼のテリトリーを侵犯したままであるところの図面ケースを左右からビンタしている形になる。

さすがに、それは無警戒であった。

勢いに流されるように、彼のテリトリーから出てしまう。


「うわッ。ととと――」


 斜面を登るようにして立っていたが、その勢いにバランスを崩し、倒れてしまいそうになる。

が、なんとか踏みとどまった。

しつこくテリトリーを犯してくる真希に興味を示した――と言うよりは、本格的に追い払うためだろう。

男子生徒が、真希へと向き直る。

眉の下の影が、きついように思える。

白目の部分が光を反射してもよさそうなのに、それが見えてこない。

まるで――目が無くなっているかのようにも見える。

実際の所、既に眼球は無く、まさに人の皮を被った化け物と化していたのだが、真希には判断の付かないことであった。


「ひゃッ」


 なんとも間抜けな声を出してしまった――と恥ずかしい思いをしつつ、真希は、一歩飛び退いた。

斜面になっているため、着地し、男子生徒へと向き直ったときには、二歩分以上は飛び退いた形となった。

右腕だけの攻撃だったが、左腕も右腕のように伸び、左右バラバラに振られる。

足下を薙ぐような左腕の動き――だが、それに先んじて真希は斜面を大きく回り込むようにして駆け上がる。


「ほら、こっちこっち」


 からかうような声を掛けつつ、どうした物かと悩んでいた。

男子生徒からは明らかな敵対行動――

それに対し、真希は、どう対応するべきか――

駆け上がりつつも、上半身を沈み込ませ、横薙ぎに振るわれた右腕を躱す。

先ほどよりも、細く、長く変化したようにも思えるが、常に振るわれているため判然としない。


 バシィッと床を叩く音が響く。

真希は、一瞬早く、横っ飛びに躱していた。

そのまま床を転がるが、斜面となっているため下へと転がり落ちていく。

が、それもまたひとつの計略であった。

回転を活かして起き上がり、真横に駆け抜ける。

男子生徒の追撃より一歩、二歩、先んじる。


 ただそれまでだった。

真希は、こういう状況になった際に、どうするのかを考えていなかった。

異変の中心に、彼ら――先日の男子生徒ふたりが居ると思ったのだ。

彼女は、そこまでしか考えていなかった。

異変に対し、どういう対応を取るのか――

この男子生徒に話しかけたこともそうだ。

応えがあったらどうするのか――

無かったら、敵対行動を取ってきたら――

そういう様々な状況を考えず、ただ話しかけてしまった。


 男子生徒からの攻撃を転がるようにして避ける。

こうして、攻撃されているにもかかわらず、ただただ逃げ回るだけだ。

攻撃するべきなのか、逃げ回るべきなのか――

斜めになった体育館を走り回るのは、体力を使う。

早急に結論を出さねばならないのだが、それでも――結論を出せずにいた。

自然と息も上がり、足も鈍ってくる。


「あうッ」


 バシィッと音が響くのと、ふくらはぎに鋭い痛みが走るのは同時だった。

ストッキングが破れ、足に赤い線が走る。

出血まではしていなかったが、威力と激痛に転倒――そのまま体育館の床を転げ落ちていく。

ガンッと壁にぶつかり止まるが、未だにどうするべきか悩んでいた。

あの男子生徒を――斬ってしまって良いのか――


 立ち上がるが、足に激痛が走る。

かすっただけだと油断をしてしまった。


 バチィという激しい音と共に、真希の身体が後ろへと押される。

咄嗟に図面ケースを縦に構え、横に振り抜かれる腕を防いだのだが、腕に痺れが残った。

ぐッと踏み込んだ足に痛みが走る。


「まずッ――」


 男子生徒が右腕を振り上げるのが見えた。

ピユンという風を切る音がしたかと思うと、真希の左脇腹に激痛が走る。

一瞬、時が止まったかと錯覚するような衝撃と共に、身体がはじき飛ばされた。

あまりの激痛に、目の前が白くなる。


「カハッ」


 その攻撃は、真希の呼吸を止める。

痛み、苦しみ、息苦しさ――両膝を付き、空気を求めるようにぱくぱくと喘いだ。


「何やってんだッ」


 体育館の入口から誰かの声が響く。

涙で視界を歪ませながらも、声がした方へと顔を向ける。

ふたりの人影が見えた。


「武臣ッ、頼んだ」

「ああ、解った」


 人影は、二手に分かれ、片方が真希へと駆け寄ってくる。

あの時の男子生徒だ。

やはり、この学園にいたのだ。

何故嘘を吐いたのかと問い質そうかと思ったときに、彼の制服――袖に白のストライプが無い事に気がつく。

この学園の制服――じゃない。


「おい。大丈夫かッ」


 ぼさぼさヘアーの男子生徒――確か、彰という名前だったはずだ。

その男子生徒に腕を掴まれ、無理矢理立たされる。


「ッ――あんたッ」


 彼もこちらに気がついたようだ。

真剣な面持ちだったが、微妙に引きつったように見えた。

見れば、彼は頭から血を流していた。

どこかで既に戦闘を繰り広げていたのだろうか――


「血が――」


 真希は、慌ててハンカチを取り出すと、そっと血を拭った。

傷はすでに塞がりつつあるのだろう――血は乾きかけていた。


「いや、いい。大丈夫だ」


 彰は、真希の手をそっと押しやると彼女を問い詰めた。


「で、あんたは何をやってるんだ」

「なに――って」


 そう問われ、真希は答えに窮する。

彰に対し、嘘を吐かれたことを問い詰めようと思っていたのだが、その勢いもどこかへと霧散した。

視線が、もうひとりの男子生徒――彰と一緒に来た武臣ではなく、元からここにいた男子生徒へと向かう。

彼は、武臣に対し、鞭のようにしなる腕を振るっていた。

対する武臣は、黒い刀を抜き――刹那の交差、そして、その手を切り落とす。


「グギャ」


 その悲鳴は、真希が聞いた初めての男子生徒の声かも知れない。


「え? な、何してるのッ」

「お前――まだ、ヤツが人間だとでも思っているのか」

「だって――」

「見ろ。あれでも人間か?」


 そう彰が言って、切り落とされた手首を指差す。

彰へと向き直っていた真希が、その指を追って視線を移す。

そこには人間の手首――らしき物が転がっていた。

いつぞやの犬のように――傷口から血を流すでは無く、黒い霧を周囲へと撒き散らしていた。


「解っただろ。もう手遅れなんだよ」

「そ、それでも治療してみなきゃ――」

「どうやって捕らえる気だ」

「そ、それは――」


 真希に、具体的なアイディアがある訳でも無く、その声は尻すぼみに小さくなっていった。


「おい。彰、まだか」

「すまん。今行く。――あんたは、早く避難しろ」


 真希へ、そう言い捨てると、斜面となった床を駆け上がって行く。

真希は、彰を呼び止めるかのごとく手を挙げるが――呼び止めてどうするのかと行った具体的な考えも無く――宙を彷徨(さまよ)わせるのだった。


「武臣ッ」

「遅い」


 武臣が、男子生徒の攻撃を弾くようにしていなす――と同時に後ろへと飛び退いた。

そして、武臣と入れ替わるようにして彰が前に出る。


 真希は、そんなふたりを後方――下方から眺めていた。

彼らは、あの男子生徒を殺すだろう。

それが正しいのかは、解らなかった。

ただ、この間の犬と同じような現象に陥っているのだとしたら――もう手遅れだという彰の言葉も理解出来る。

あの何とも言えない奇妙な手応えは、今でも覚えている。

真希は、自身の手を見つめ、握ったり開いたりを繰り返した。


「私は、――私は、何をしているんだ。

 この現象を、ただただ見守るだけなのか――

 彼らに嫌な役を任せっきりにして良いのか――」


 ぎゅッと拳を握り、上方――彼らの戦っている方を見やる。


「良い訳が無いッ」


 パチリパチリと図面ケースの留め具を外す。

中から現れた白木造りの鞘を手に取ると、図面ケースを後ろへと投げ捨てた。

身体の正面に刀を構え、素早く、それでいてどこか静謐(せいひつ)さを(まと)いながら鞘から、その白い刀身を引き抜いた。


「対特東京支部3班、蒔田真希、参るッ」


 誰に対しての名乗りだったのか――

自身への発破だったのか――

そう名乗ると、真希は、戦場へと駆け出した。


twitter @nekomihonpo


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