第三案件 その2
私立中原学園――男女共学の高等学校である。
文武両道を謳ってはいるが、どちらかと言えば文に重きが置かれており、卒業生の進路は、有名大学への進学も多い。
学費は、近隣の学校の中では、頭ひとつ抜きに出て高い。
そのためか、生徒数は、定員ギリギリのことが多いとの話だ。
中原学園は、校門から入ってすぐ、正面玄関前のエントランスに大きな花壇があり、花壇中央に時計が立っている。
両脇には国旗と学園旗が掲揚され、ゆらゆらと風に揺られていた。
花壇をぐるりと周回するように道があり、右手に駐車場、その奥に体育館が見える。
左手は、校舎を迂回するようにして校庭に繋がっているようだった。
正面に見える校舎は、4階建て――その奥に5階建ての別棟があるようだ。
白いブレザーに学生カバン。そして不釣り合いな図面ケースを携えた女学生――蒔田真希は、そんな中原学園の校門前に立っていた。
時刻は、昼間――普通であれば、授業中の時刻である。
有り体に言えば、サボりというヤツだった。
先日のふたり組をどうしても捕まえたい真希は、授業中の学園に潜入することで、とっ捕まえてやろうと意気込んでやってきたのだ。
「――はい。これから伺わせて頂きます。
では、失礼致します」
会話を終え、電話を切る。
さすがに他校の生徒――しかも白いブレザーなどという悪目立ちをする制服姿で校内を彷徨いては、一発で見付かってしまう。
そこで、あらかじめアポイントメントを取っておいた。
生徒会による他校のカリキュラムを参考にしたいとか云々。
進学率の良い貴校を参考にしたいとかなんとか。
普通、そう言う事は先生がする事ではあるが、我が校では生徒の自主性がどうたら。
アポを取るだけなら、そちらの生徒手帳を拾ったとかでもいいのだが、拾ってないのだからボロが出かねない。
名前程度なら、ネットで調べれば新聞記事なりが出てくるだろうが――
何せ、アポイントメントは取ってある。
校内を見学させて欲しい――とでも言えば、ある程度は彷徨けるはずだ。
さぁ、いざ行かん――と心を新たにした時だった。
ガシャンとガラスの割れる音が複数――そして「うわぁぁぁ」という悲鳴――
真希の目の前で、複数の教室、その窓からロッカーが突き出してきていた。
ほぼ同時に――そして、いくつかの教室で生徒が外へと投げ出される。
ベランダの手すりに掴まることの出来た生徒はよかったが、掴まることの出来なかった生徒が落ちていく。
4階から放り出されては、助からないかも知れない。
窓ガラスの破片が、キラキラと陽光を反射する。
放物線を描いて――いや、放物線にしては不可解だった。
下に落下するのでは無く、校舎から離れた位置へ落ちていくのだ。
窓から物を投げたとしても、放物線を描いて落下するはずである。
しかしながら、今、目の前を落下していく物体は、ほぼ直線を描き、しかも校舎から離れた位置に落ちるのだ。
「何が――」
真希が1歩踏み出したときだった。
ふっと足下の感覚が失われる。
足払いでも喰らったかのような喪失感――
身体が倒れ込む。
しかし、真下にでは無い。
横に倒れ込む。
そのまま、倒れ込んだ方向に転がりそうになるのをグッと堪える。
いや、堪えようとした。
しかし、感覚が狂う。
地面に対し、力を入れているつもりなのだが、身体は、斜め下方向に引っ張られるのだ。
斜度のきつい斜めの床に対し、床に対し垂直に力を込めようとするが、身体は重力方向に引っ張られるような感覚――
しかも、30度か――それ以上はありそうな角度だ。
とてもでは無いが、まともに立っていられそうに無い。
立つのがきつい角度では無いのだが――身体は、その斜めを垂直と感じているが、視界と情報が一致しない。
めまいを起こしそうな気持ち悪さだった。
しかも、徐々に傾きは大きくなっているようにも思える。
視界と感覚が惑わされた結果の錯覚だったのか――今の真希には、判断が付かなかった。
【◇】
川崎雅史は、日々の生活に退屈していた。
朝起きて、朝食を食べ、制服に着替え学校へと出かける。
満員電車に揺られ、校門をくぐり、クラスメイトに挨拶をする。
自分の席に座り、机の左側にカバンを掛ける。
後ろの席の近藤が来ると、横座りになり、彼とゲームの話をする。
先生が来たので前へと向き直り授業を受ける。
昼休みが近づくと、そわそわと落ち着かず、チャイムと共に教室を駆け出す。
購買で人をかき分け、ハムカツ&卵サンドと珈琲クリームのパンを買い、ミルクティーのパックを買って戻る。
近藤や山口、水城らとカードゲームに興じ、昼休みを終える。
家に帰ってからのゲームのことを考えつつ、午後の授業を乗り切り、ホームルームの終了と共に教室を出る。
夕暮れの電車の中は、寝過ごしそうになるが、どうにか耐え、家へと帰る。
テレビを付けつつ、ゲームをやり、母親に呼ばれたので夕食を食し、風呂へと入る。
風呂上がりに予習複数を行うが、ゲームの続きが気になり真剣味は足りていない。
就寝直前までゲームをし、歯を磨いて布団に潜り込む。
そして、いつもの朝が来る。
そんな変わる要素がどこにも無い。
退屈な日々を過ごしていた。
そして、そんな日々がいつまでも続くと思いながら、日々に飽いているが、何も行動する訳でも無く、日々を消化していた。
その日も、特に代わり映えのしない、いつも通りの朝だった。
いつも通りの朝、いつも通りのメンツ、いつも通りの日常が始まる。
「よぉ」
「おう。聞いてくれよ。全然ドロップしねーんだよ。もう70周はしたと思うぜ?」
「70とか。序の口じゃねーか。wikiのコメント欄見たか? 100周コースらしいぞ」
「げぇ。まぢかー。回復厳しーかも」
「無駄が多いんじゃね? wiki見ろよ」
「まあな。でもそれじゃ味気ないじゃんか」
「じゃ、がんばって廻すんだな」
「うへぇ」
近藤とゲームの話で盛り上がる。
その日は、少し、暑かった。
自転車通学の近藤は、身体が汗を掻き、少しでも涼みたかったのだろう――教室後ろの窓を開け、ベランダへと出た。
「あぢぃ~」
「ああ、今日は、暑いな」
「チャリ通やめてぇ~」
「はッ。オマエん家からチャリ以外でどうしろと」
「む? バイクとか?」
「お前、金、ねーだろ」
「くっそ。あぢぃ~」
近藤がベランダでだらしなくぐったりとしていた。
が、そんな近藤が、校門にたたずむ白い服を着た少女に気がついた。
「おい。アレ見ろよ」
「あれ?」
そう言いつつ、川崎がベランダに移動しようとしたときだ。
大きな地震でもあったのか。
足下が持ち上がるようでいて、喪失したかのような――そんな不可思議な感覚を味わった。
船で大波に揺られたような――
そんな川崎の目の前で、ロッカーがゆっくりと倒れて行くのが見えた。
教室の後ろから、大きく開け放たれた窓をくぐり――ベランダに出ていた近藤へと向かっていく。
脳内麻薬が分泌され、神経が過敏になっているのか、妙にゆっくりと――
こちらへと振り返っていた近藤が、両手を交叉させ顔をかばった。
「うわぁぁぁ」
近藤の悲鳴で、ゆったりとした時間感覚が霧散する。
通常の時間の流れを取り戻し、ロッカーが近藤を外へと押し出す。
そして、窓から遠ざかるようにして落下していった。
「おい。近藤ーッ」
手を伸ばし、届くとは思えなかったが、自然と伸びた手が視界に入る。
ベランダへ向かおうとして、腿に激痛が走る。
見れば、机が、椅子が、そして他の生徒たちが窓際へと流されてきていた。
「痛ぇ。痛ぇって」
足が押し千切れるかと思うほど痛かった。
何かがぶつかる度に腿を千切らんとばかりに激痛が走る。
手を突っ込み、少しでも浮かそうと力を入れるが、びくともしない。
助けを求めようにも、誰も彼もが状況が解らず、自分の身を護ることで精一杯だった。
阿鼻叫喚――その言葉が相応しい場となっている。
日々の退屈を嘆いていた川崎には、退屈さの有難味を噛みしめるだけの余裕は無かった。
Twitter @nekomihonpo