第二案件 その5
紫水彰と千石武臣のふたりは、組まれた足場を飛び移るようにして下へと移動していた。
彼らが進む別館は、大規模な改装中らしく、床材、天井材が全くなく、ぶち抜きとなっている箇所も見受けられた。
足場が組まれ、上から下へと移動が可能なように見えるが、しっかりと固定されている訳では無く、この逆さまになった状態では、長時間、体重を預ける気にはならなかった。
ギギギと金属を引っ掻く音がしたかと思うと、彰が掴まっていた足場が、わずかにではあるが、下へとずれた。
「彰ッ!」
「うわっと」
そう、声を上げながら、近くの柱へと取り付く。
彰が乗っていた足場が、自重に耐えきれず崩れ落ちていく。
鉄パイプが、ガランガランッと大きな音を反響させつつ落下していった。
「バレたかな?」
彰が、近くまで寄ってきた武臣に問い掛ける。
問われた武臣は、下を覗きながら――どうかなと応えた。
「時間経過による落下物が皆無と言うこともあるまい」
「そりゃ、そうかも知れんが」
「なんだ。バレていたいのか?」
「そういう訳じゃ無いさ。バレていないことに越した事は無い」
「バレるとかバレないとか、そういうことを認識するだけの頭が無いかも知れないしな」
「そう言う事もあるか」
「可能性として――な」
そして、下への移動を再開するのだった。
【◇】
「な、なに!?」
蒔田真希は、どこかから聞こえてきたガランガランという音に驚き、その場で身を固くした。
右手は、柄へと添えられる。
周囲をゆっくりと見回し、すぐにでも抜刀できるだけの心構えをした。
――ゆっくりと2往復、視界内に動くモノは無い。
ほぅと息を吐き出し、力を抜いた。
大がかりな改装なのだろう。
階段すらも改装を行っていた。
天井に当たる部分に化粧板すら張られず、鉄で作られた無骨な姿をさらしている。
化粧板が張られていたら坂となってしまう。
そんな坂を下る必要が無いのはありがたい。
真希は、階段を駆け下りた。
急いでいるとは言え、足音には注意を払い、しなやかに――それでいて素早く下っていく。
4階分下りようかとしたとき、どこかから物音が聞こえてきた。
金属のぶつかる音。
人の声。
そして――オオォォォという声。
声と言って良いのか解らない。
風の吹き抜ける音にも聞こえるが、こんなところで風が吹き抜けるだろうか。
真希は、それを彼らの戦闘音と判断した。
身を隠しつつ、通路を覗く。
人の姿は見えない。
音は先ほどより大きく聞こえた。
このフロアか、もしくは下である可能性が高い。
天井の板が張られていないフレームの上を駆ける。
衣類売り場の予定地で戦闘が開始されていた。
半分くらい化粧板の貼り付けられた壁や柱を蹴るようにして――彰と呼ばれていた少年が駆ける。
「武臣、採取は?」
「ダメだな」
ふたりは、ひとりの男と相対していた。
男――外見の特徴から男と呼んだが、人なのかは微妙だった。
フロア内の高さ、およそ3メートル、男の身長が1.7メートルほどだろうか。
その男は、フロアの中ほどに浮いていた。
つまり、足下が70センチほど――宙に浮いているのだ。
彰が、フレームの上を走る、跳ぶ、壁を蹴って男の後ろへを回り込む。
背後の柱を蹴って、手にした黒い刀を振るう。
男が、その場で回転し振り返る。
その動きにぎこちなさは感じられない。
回転椅子に座って振り返るかのごとく、スムーズなモノだった。
男が、無造作に腕を振り上げる。
目の前を跳んでいる羽虫でも払うかのような、そんな所作だった。
ただし、指先から黒い何かを伸ばしてだが。
それは、真っ黒な爪のようにも見えた。
「うおッ」
「彰ッ」
振り下ろしていた刀を引っ張り上げるようにして振るう。
黒い爪に合わせるようにして振り抜く。
チッと何かを擦るような音がしただけだった。
黒い爪は、中程から綺麗に刈り取られた。
先端は、ボロボロと瞬く間に粉となり、黒い霞を残して――それもすぐに霧散して消えた。
その様を見ても、男は表情1つ変えること無く、振り上げた手を見つめていた。
背後から、武臣が、彰の刀と同じ黒い刀を真横に振るった。
男の右脚を膝下から切り落とす。
ぼてッと鈍い音と共に下へと落ちた。
男は、宙に浮いているにもかかわらず、右脚に体重を掛けられなくなったからかバランスを崩す。
崩れながらも、上半身をひねり斜めに回転を加え――振り下ろすような形でバックブローを繰り出した。
先ほど刈り取られてしまった黒い爪が、今、まさに伸びている最中だった。
武臣は、その爪を防ぐかのように左腕を前へと突き出す。
とてもでは無いが、生身の身体で防げるとは思えない。
「危ないッ」
思わず、真希は、叫んでしまった。
別段、息をひそめて隠れていた訳では無いのだが、大きな声を出すことが邪魔になるような気がして、はばかられたのだ。
「纏繞ッ」
武臣が、言葉を発する。
突き出した左腕が、一瞬、像をぶらせたかと思うと、ぶよぶよと膨らんだかのように見えた。
それは液体であった。
多量の液体が、彼の腕にまとわりつき、波立っていた。
男の黒い爪が手に触れる。
その瞬間――黒い爪も液体に包まれる。
とてもそんな液体程度で、勢いを殺せるとも思えないのだが――確かに動きが鈍る。
武臣は、突き出して左手をくるりとひねり、手のひらを外側に出すようにして爪を誘導した。
液体の効果のあるのだろう――爪は、力が逃げるようにして手のひらに沿って移動し、腕の外側を舐めるようにして流れていく。
男の上体が流されていく。
振り抜いていた武臣の刀が、取って返すようにして斜め下から振り上げられる。
そして、音も無く、男の右上腕を切断した。
「でぇいッ!」
背後から、彰が壁を蹴った勢いを載せ、刀を頭へと突き刺した。
眉間から黒い刃を突き出すような形で動きを止める。
それも一瞬のことであった。
眼窩から赤黒い液体を流しつつ、身じろぎ、動き出そうとする。
「しッつこいんだよッ!」
突き刺した刀に体重を掛ける。
ズズズと眉間から喉へと移動し、そして身体の中へと――
そして気合いを入れて横へと振り抜く。
V字と言うよりは、L字に近い形で斬り割いた。
傷口からは、赤黒い霧が拡散していた。
赤黒い液体が、流れ出た瞬間、蒸発し拡散しているように見えた。
男が首をひねり、彰の方を見ようとする。
身体を縦断している赤黒い線が捻転する――
武臣が、液体に包まれた腕を突き出し男の腹へと突っ込んだように見えた。
真希の位置からは、そうとしか見えない。
一瞬のことであったが、即座に腕を引き抜く。
真希には見えなかったが、手に小瓶を隠し持っていた。
その小瓶に、赤黒い液体を詰めていた。
手早く蓋を閉める。
瓶の中身は、すでに液体では無くなっていたが、赤黒い霧を捕まえることには成功したようだった。
武臣が、彰に対し、首をくいッと動かす。
それを見た彰が、嬉々として刀を上段へと構えた。
「よっしゃぁぁッ!」
そこから斜め下へと振り下ろし、横へと振り回し、更に斜め下へと――雷かのような軌跡を描く。
「はッ」
武臣が、背後から――横に一閃、そこでくるりと手首を返し、下から上へと一閃、そして返して一閃と三角のような軌跡を描いた。
ふたりの刀は、止まらず、更に男を細切れにして行く。
身体の部位が、ぼとぼとッと落ち、血肉の代わりに赤黒い霧を撒き散らしながら消えて行く。
それは、極々僅かな時間での出来事であった。
真希が口を挟む余裕など、微塵もありはしなかった。
原形を保つことの出来なくなった男に、興味でも失ったかのように――とどめは刺し終わったと言わんばかりに、ふたりが刀を払い鞘へと納める。
「ちょっと」
真希が、ふたりに話を聞こうと声を掛けたときだった。
ふたりが周囲を見回し、近くの鉄パイプに腕を回した。
「お嬢ちゃん、気をつけ――」
彰が、そう声を発したかと思うと、真希は、足下が消失する感覚を味わった。
一瞬にして内蔵が上へと引っ張られるような気持ちの悪い感覚――つい先刻、味わったばかりの感覚だった。
首を動かし、落ちていく先を見つめる。
まっさらな床が目に入った。
ぶつかる――と目をつぶった。
身体は防御姿勢を取ったつもりだが、一瞬という時間の中で、どこまで身体が動いたかは怪しい。
彼女が、覚えているのはそこまでだった。
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