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ヤマト西事記  作者: 玄弥
2/3

秋の章 ~第一場・第一幕~

「それは……確かなのですか?」

 女の緊迫した声が、建物の中に響く。


 時は移り、秋。

 若き神殿長は、キビツ大神殿本殿にある祭壇前の広間――人の背丈の六倍ほどもある天井を幾つもの太い柱が支える、初秋の涼しさを含んだこの場所で、眼前に控えた配下の神官ジンドから驚くべき報告を受けたところであった。

「……はっ、エーリヤ様。ソウジャの〈キノシロの廃城〉にて、〈鬼王ウラ〉が復活したとの(よし)

 恭しく(こうべ)を垂れた神官の男が、苦い口調で告げる。

 その額には、自らが告げた言葉の内容への恐怖と緊張から、ぽたぽたと脂汗を垂らしていた。


 エーリヤは、この石造りの神殿の冷えばかりではない寒気にぞくりと身を震わせた。

(……ついに、この時が来てしまった)

 あの悪夢の日からずっと、彼女は〈鬼王ウラ〉の伝承について調べ続けていた。あらゆる古書に目を通し、宝物殿をかき回し、果てには分神殿に密使を出して、それとなく周辺の民話の収集にまで当たっていたが、収穫は芳しくなかったのだ。

 ――このうえは、〈中央〉に頼る他ない。

 苦悩に歪み、俯いていた美しい(かんばせ)を上げると、凛とした態度で男に命令を下した。

「ジンド。お前はガルドクロウ城の地頭殿へ急ぎ伝えなさい。私は、〈中央〉へ連絡を取ります」

 下命に従い、足早に去ってゆくジンドの姿を見送ると、エーリヤは祭壇の奥の間へと向かった。

 深々としたお辞儀で出迎えた、奥の間に詰めている巫女らに礼を返すと、彼女はその小さな部屋の中央、石板を重ねて作られた祭壇に歩を進める。そこに安置されていたのは、彼女の掌ほどの水晶球であった。彼女はその前に座ると、一心に呪を唱える。

 やがて水晶球が淡く光り始めると、〈キョウの京〉の官僚服を着た男の姿が浮かび上がった。

「伝令官様、雅楽寮(うたりょう)へ御出仕のポンドフィールド伯爵にお取次ぎ下さいませ。 ……火急の報せがある、と」



  *  *  *



 顔を白く塗る化粧を施した壮年の男……ポンドフィールド伯爵は深く溜息をついた。

「なるほど……かの〈鬼王〉がのぅ……。よりにもよって、儂の代でこんな事が起こるなど……」

 それは、民ではなく京での己の出世を心配している口調であったが、エーリヤは何も言わなかった。伯爵の機嫌を損ねるのは得策ではない。

「伯爵、何卒お聞き届け下さい。(みやこ)の軍勢を遣わして下さいますよう、〈元老院〉にお願いをっ」

 エーリヤは必死に懇願した。いかに精強で知られるビゼンの兵といえど、伝承に謳われるほどの化生(けしょう)に太刀打ちなどできようか。ただでさえ、〈ロストブリッジ〉周辺の〈サンノウ群島〉に潜む、まつろわぬ民やモンスターに対する防備のために兵力を割かれているというのに。

「わかった。暫し……そう、二日ほど待て。宮廷に何とか掛け合ってみよう」

 短く告げると、伯爵の幻像は消えた。二日。それは今のエーリヤにとって、否、このビゼンの民にとって、永遠にも等しい時間に思えた。

 さらに、それに追い討ちをかけるように不吉な報せが、彼女の耳に飛び込んできた。

「神殿長! かっ、川が……川の水が!」


 急を告げに来た巫女とともに門外へ出ると、そこは一面の「赤」であった。

 川の水が、毒々しい……まるで血のような深紅に染まっていた。かつては、青く茂る美しい光景を見せていた麦畑や水田までも。これでは、このあたり一帯、今年の穀物の収穫は見込めまい。

「これは……一体……」胸が悪くなるような光景に、エーリヤはただ呆然と呟いた。これもまた、〈鬼王ウラ〉の呪いだというのか。

 見れば、皆一様に青い顔をした村人たちが、門前に集まってきていた。その中には、この地におわす大神殿と同名の村――キビツ村の村長(むらおさ)、ヒュビネ翁の姿もあった。

 ヒュビネ翁は一歩前に出ると、皆を代表して口を開いた。「姫巫女様……儂ら、一体どうすりゃあ()えんじゃろう……」彼の目は人知を超えた事態に怯え、縋るようにこちらを見詰めていた。


 一体どうすれば良いのか。そんな事は、エーリヤ自身が聞きたかった。遥かイセにまで赴いて修行に励み、若き天才と呼ばれた彼女だったが、人生経験そのものは目の前の老人の半分にも満たない。だが、民を安心させるのも神職にある者の務め。エーリヤは己の不安を押し殺し、人々に笑顔で語った。

「大丈夫です。先ほど、私自ら〈中央〉へ連絡を取りました。さほど時間をかけず、宮廷の誇る討伐軍が来て下さることでしょう」

 それはエーリヤの願望にすぎなかったが、それでも、人々は安堵の表情を浮かべた。さらに続けて、「煮炊きや風呂の水は、神殿の井戸から提供しましょう。この神域の水は、まだ穢れてはおりませんから」と告げると、ようやく皆散り散りに帰っていった。女たちは少し早足に。恐らく、一刻も早く水を貰うため、桶を取りに行ったのだろう。

 エーリヤもまた、(きびす)を返すと本殿に向かった。水を取りに来た村の女たちが(いさか)いを起こさぬよう巫女たちに手配を命じたり、いずれ来る軍勢が泊まれるだけの場所の確保を検討したりと、するべき事はたくさんある。彼女は、誰にも気付かれぬよう小さく溜息をついた。



  *  *  *



 その頃。〈神聖皇国ウェストランデ〉の内裏の一角、民部省の会議室の一つにおいて、複数の男がテーブルを囲んで話し込んでいた。いずれも煌びやかな衣装に身を包み、顔には白粉、頬には紅を引いていた。この国の運営を担う高級官僚……すなわち、貴族たちである。

「ふぅむ……ポンドフィールド卿の仰るとおり、確かにビゼンは〈ナインテイル自治領〉との海運において重要な位置を占めますな。」

「左様。それだけでなく、昨今ではシモツイの漁港で水揚げされた美味なる魚が、この宮廷の食卓を彩っておりますぞ」

 民部長官であるモルライ侯爵の見解に、ポンドフィールド伯爵は我が意を得たりと言葉を添える。

「しかしながら……注目されている港湾方面と違い、実入りの少ない山地での被害でありましょう? 東方の(えびす)どもに睨みを利かせるためもありますし、いま〈ウェストランデ禁軍〉を動かすべきではないかもしれませんぞ?」

〈自由都市同盟イースタル〉と国境を接するミノに所領を持っていたウィストル男爵が横槍を入れてくる。それに対し、必死に言葉を探すポンドフィールド伯爵だったが……やがて、一つの案を閃いた。

「そ、そうだ!それならば、このような事態にこそ使える戦力を我々は保持しているではないですか! そう……〈冒険者〉たちを!」

「いやいや、〈冒険者〉こそ、我が宮廷の切り札ではありませんか。安易に民ども如きに貸し与えてよい者らではありませんぞ」

「しかしっ……」


「――〈冒険者〉が、如何なさいましたか?」


 静かに投げかけられた涼やかな声は、しかし口角泡を飛ばして議論する貴族たちの喧騒を吹き飛ばす程の力を持っていた。

「おぉ……これは、濡羽(ぬれは)殿……」

 ウィストル男爵が遠慮がちに声の主に呼びかける。 彼女こそは、女の身(しかも卑しき狐尾族の出自)でありながら、唯一内裏への参内を許された存在であった。

 その名は濡羽。貴族たちが「究極の兵力にして切り札」とする〈冒険者〉、その全てを束ねる家門〈Plant(プラント) hwyaden(フロウデン)〉の当主。通称、〈西の納言〉。

「なにかお困りの事が御座いましたら、遠慮なく仰って頂いて良いのですよ? 我ら〈冒険者〉は、そのためにいるのですから……」

 濡羽はそう言って人差し指を口元に当てると、艶然と微笑んだ。その甘い仕草に、その場の男たちは思わずぐびりと喉を鳴らす。元より、狐尾族は亜人種との戦いと、その戦いに疲れた心を癒す愛玩のために作られた種族である。その微笑みも、全身を覆う魔術師の法衣をもってしても隠し切れぬ豊満な乳房や悩ましい腰の稜線も、背中に流れる(つや)やかな黒髪の一房さえも、男たちの……否、雄たちの視線を捕らえて離さなかった。

「……それで、どのような難事をお抱えなのですか?」

 濡羽は、この場の上位者であるモルライ侯爵に視線を向けた。侯爵が当事者であるポンドフィールド伯爵に説明を促すと、伯爵は「実はですな……」と話し始めるのだった。


 彼の説明を聞きながら、濡羽は遠くを見るような眼差しに変わり、頭頂部にある狐耳に手を当てて、小さな声で“独り言”を始める。

 ――それは〈念話〉と呼ばれる、〈冒険者〉の持つ遠隔会話能力を使っている時独特の仕草である。〈念話〉を使い、どこか遠くにいる別の〈冒険者〉に連絡を取っているのだろう。その行動の迅速さゆえに、「……というわけなのです。濡羽殿、何とかならぬだろうか?」と伯爵が締めくくる頃には、既にお膳立ては終わっていた。

「ご安心下さい、ポンドフィールド卿。ちょうど、これからすぐに旅立てて、しかも御身の領地に知見のある〈冒険者〉が見つかったところですわ。 どうぞ大船に乗った気で、彼らにお任せ下さいませ」

 伯爵はその言葉を聞くと、礼もそこそこに、飛び出さんばかりの勢いでその場を走り去った。伝令官を通じて、すぐこの報せを届けるつもりだろう。自身の栄達の道が閉ざされずに済みそうなのだ。浮かれもしよう。

 その様子を見届けて可笑しそうにくすくす笑ったあと、濡羽は残された男たちに淑やかに一礼すると「どうやらお役に立てたようで、何よりですわ。それでは諸卿、失礼いたします」と言い残し、くるりと背を向けてその場を辞去する。

 去り行く女の、柳腰の下で左右に揺れる尻と、髪と同じ色のふわりとした尻尾を見送りながら、貴族たちは己が味方につけた者たちの強さと忠実さにほくそ笑み、しかし同時にその底知れなさに慄然とするのだった。

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