第四話
沖縄旅行から帰った翌日、東都大の早坂教授から受診の催促があった。
夕餉が終わりテレビでも見ようかとリモコンを手に取ったとき、妻の志津江が「東都大の早坂様って知ってる方?」そう言いながら電話の子機を達也に差し出してきた。
(早坂…)達也の顔が一瞬曇る、まさか自宅にまで電話をしてくるとは予想していなかった。
達也は渡された子機を見詰め戸惑う様に耳に当てた。
「五十嵐君、盆休みはそろそろ明けると思うが…」やはり来院の催促である。
達也は「今月は多忙で伺うことが出来ません、体が空き次第こちらから電話を入れますのでしばらくの猶予を下さい」と電話を切った。
妻は訝しげに達也を見詰め「あなた…お仕事の電話なの」と心配げに聞いてくる。
「うん、医療機器の契約の件で…」そうごまかし顔が強張っているのに気付き慌てて笑みを浮かべた。
妻は子機を受け取ると何か言いたげに暫く達也を見詰め部屋を出て行った、その後ろ姿を見ながら妻に打ちあけられぬ想いに達也は胸が痛んだ。
テレビをつけたが映像は全く目に入らず代わりに早坂教授の貌が目に浮かぶ。
そして先程の教授の声が耳元に蘇った、電話での早坂教授の対応は先日の高圧的態度とは打って変わり懇願に近かった、それはまるでセールスマンが客に逃げられるのを怖れるが如く注意深く言葉を選んでいた…そんなふうに感じられたのだ。
医者が患者宅まで電話し来院を懇願するなどやはり尋常じゃない、裏を返せば教授は達也の脳を飢えるほど欲求している…そう考えれば納得がいこうか。
もしそれほどの欲求であればいずれ自宅にまで押しかけてくるは必至、そうなれば志津江にも分かってしまう…(やはり行かねばならぬのか)達也は憂鬱に心が沈んだ。
休暇が明けた8月18日達也は9日ぶりに出社した、休暇中に遊び呆けたのか社員らは一様に疲れきった顔に沈んでいた、達也にしてみればけっこう無理をして大企業並みに長期休暇を計画したのだが…疲れ果てて出勤されてはかなわない。
しかし夏の長期休暇は今や世間の常識、これも致し方なしと苦笑いに椅子に座った。
フロアーを見渡す、僅か1フロアーの事務所で起業当時はたった3人で始めた会社であったが今や社員数は30人を超えていた。
しかし今日は半数しか出社していない、残りの半数は引き継ぎを終え今日から8日間の休暇に入ったからだ。
(今月も残すところあと二週間か…売り上げはまあまあだし、この分だと上半期は乗り切れそうだな)
そんなことを考えながら達也は未決箱に詰まれた書類の束を上から順に承認印を押し又読み込んだりし順次既決箱に積み上げていった。
そして最後に残ったのが新型MRIのマニュアルであった。
(おやもう届いたんだ)真っ新なマニュアルが3冊が積まれていた。
達也はその1冊を手に取ると頁をめくり新型MRIの仕様に見入っていった。
彼は頁を秒2頁ほどの高速でめくっていく、それでも3cmほどのマニュアルをめくり終えるに20分近くを要した。
(5年前に比べれば多少なりとも進歩したかな…さて、この機種に売りが立つのは秋口か…となれば工場でのマニュアルの読み合わせを急がねばならない)
昨今 高額医療機器セールスは熾烈を極めていた、達也の中古医療機器販売会社とて御多分には洩れない。
大学病院や大手病院などは購入先はほぼ大手が独占し弱小が入り込む余地は無く、否応なく中小病院へと絞られていく、中小病院の経営は医院長の才覚で成り立つ これは多くの中小企業と何ら変わりはしない。
経営が得意な医院長、医療職人の様な医院長、医療機器販売業者らが目を付けるのは後者であろうか。
お迎え付きハイヤーでショールームへと案内し、フェアと称し酒や料理を振る舞い 展示された新型医療機器の便利さや性能を微にいり細に入り説明し併せて実際に操作してもらう。
それは車のセールスと同様で試乗すれば欲しくなるのはあたりまえ、客がその気になれば巧妙に仕立てられた採算フローで高額医療機器導入の可能性をより具現化していくのだ。
販売業者等は病院の経営状態から見て 端っから返済困難と調査されても躊躇無く販売又はリース契約を断行する、そこは信販会社と持ちつ持たれつ保険は万全の体制を布いていた。
せっかく導入した医療機器を早い場合は3ヶ月で売りに出す病院も少なくない、普通であれば売った業者が焦げ付き回収に引き取ろうが、そこが達也等の付け目である。
販売業者とて中古など引き取っても煩わしいばかりで、それら面倒な手続きを信販会社に代わり一切引き受けるのだ、結局は返済不能に陥った医院長が損金分をローンで返済する羽目になるのだが…高額なMRIを少ない患者対象に採算が合うはずは無いと分かってはいても巧妙なセールスに麻痺してしまうから不思議である。
達也は以前勤めていた医療機器メーカーの営業マン数人と未だ懇意にしていた、彼らは友人でもあったが情報源でもある。
謝礼と引き替えに高額医療機器の納入病院と納入機器リストが入手出来た。
そのリストには◎○△×が付けられ早期売り・売り可能性大・見込み無し・危険など納入先の経営・経済状況を調査した結果印が付けられていた。
これらリストに基づき各病院にアプローチしていくのだが、先の新型MRIの発売が6月初めであったことから売りが立つのは早くて10月初めと達也は読んでいた。
達也の会社は昨年の初め港区芝浦の空き倉庫を改造して医療機器整備工場を立ち上げた…と言っても整備工わずか四人の工場だが この新型MRIの受け入れのため整備マニュアルの読み合わせを整備工らと早期に行わねばと考えていた。
達也は積まれたマニュアルを眺め(昼から工場に行くか…)と考えた。
その時ふと想いが走った、3cmもの厚いマニュアルを僅か20分足らずで速読できる己の脳の不思議さに想いが及んだのだ。
常人にこの高速読が出来ないのを知ったのは小学校4年の新学期であった。
その日学校で受け取った教科書を何気なくめくって遊んでいた、そして全ての教科書をめくり終えるに30分は係らなかった。
次の日、授業中に校庭をぼんやり見ていたとき「達也君!授業をしっかり聞きなさい」と叱られた。
達也はビックリし咄嗟に出た言葉は「もう知ってるもん」であった。
これに先生は切れた「知っているならもう聞く必要はないわね!だったら校庭で遊んでなさい」と声を荒げた、10歳児に切れる先生も先生であるが達也の言い方もそうとう生意気に聞こえたのであろう、結局その日の授業は受けさせてもらえず午前中に家に帰った。
家に帰ったとき父母は大学に勤めに出ており祖父一人が庭先で植木の手入れをしていた。
「達也!こんな時間にどうしたのだ」祖父はオロオロして駆け寄った。
「熱でもあるのか」と言いながら額に手を当ててくる、達也はそれを邪険に払いのけ「違うよ!先生が帰れっていうから…」言ってから急に涙が溢れ祖父に抱きついた。
「おうそうか可愛そうに、何があったのか儂に聞かせてくれんか」そう言って強く抱き締めてくれた。
達也は学校での顛末を祖父に泣きながら訴えた。
「そうか…お前もか
血は争えぬものよ お前の父親も子供の頃に同じような事があったのぅ。
もう泣くな、お前の父親に昔教えたことをお前にも教えてやるから。
いいかよく聞け、お前は普通の子ではない…天才ということはまだ分からぬだろうが特殊な能力を持って生まれたんだ、儂もお前の父親もそうなのじゃよ、これより社会でうまく生きていくためにはその能力は隠さねばならん、じゃからこれからは人前では知っていても知らぬ振りをすることよ、そうすればもう虐められることはないからのぅ。
しかし言うは易いが実行は難しい、さあ爺とこれから練習をしようか」
その日は夕暮れまで祖父といろいろなシチュエーションで知らぬ振りを演じる練習を繰り返し行った。
その日から達也は演じるのに徹した、それによって先生には可愛がられ また生徒達みは自然と仲間に入れて貰える様になっていった。
しかし中学に通学する頃 好きだった祖父が亡くなった。
それからは演技することに意義が見いだせなくなっていった、先生も生徒もつまらない存在に見えてきたのだ、授業を聞いていても部活をやってもつまらなかった、結局1年生の1学期も行かぬ内に不登校になっていった。
朝は学校に行くふりをして本屋や図書館に行った、そして1日中本棚の端から手当たり次第に本を取りめくっていった。
その間何度も補導されそのたびに母親が学校に呼び出された。
達也は母親の涙を見て学校に再び通い出す、しかし三日として続かないそれでも中間試験・期末試験はいつも満点を採り試験成績だけは常に学年のトップであった。
そんな或る日、母親が達也を呼び「試験の有る日だけ登校しなさい」と真剣な眼差しで言った。
母親が初めて不登校を認めた日である、達也はこの日から大手を振って図書館に通った、そして二年が経ったとき図書館の殆どの本は脳に焼き付けられ また理解も終えていた。
達也の速読は文章を速く読むための速読術とは桁が違った、1分間に3万文字が一字一句脳に焼き付いていく、そして自由に格納取り出しが出来るのが不思議であった。
図書館に通い出した頃はその焼き付いていくさまが面白く手当たり次第に速読していった、そして速読量増大に伴い知識量も膨大となり今度は自然と理解していく己の脳に面白味を見いだしたのだった。
達也は椅子から立ち上がると壁に掛かった時計を見た。
(10時か…工場へは昼と言わず涼しい今のうちに行った方がいいかな)
そんなことを思いながら後方の窓辺に寄りブラインドに手を掛けた。
そしてその一枚を折り下げ外を眺める、下界は真夏の太陽が降りそそぐぎらついた街並みが望めた。
(そう言えば沖縄では醜悪なラピュタは存在しなかった…あれからこちらに戻りまだチェンジはしていない、こちらでも消えていれば良いが…やってみるか)
達也はブラインド越しに下界を見詰めた、しかし視覚チェンジに戸惑った三日ぶりだろうかチェンジするに今一勇気がでなかった。
十数秒 ためらいの時間が流れた。
(よし!)心は決まった、達也は後方を振り返り社員等がこちらを注視していないか確認すると再びブラインドの隙間から外に視線を移した。
視線を地平線近くに転じ ゆっくりと目を瞑り意識を研ぎ澄ませていく。
そして目に力を込め瞼を開きながら視覚チェンジを開始した。
一瞬にして視界は暗褐色に切り替わった。
瞬時 達也は反射的に腰が引けた、そこには今まで見たことの無い鮮明な世界が広がっていたからだ。
そして今 達也はあの醜悪なラピュタの真上にいたのだ。
今 達也はビルの16階にいるはずである、しかし足下に床は全く感じられなかった。
(やはり東京には存在するんだ…)
足下およそ100m下方にあの醜悪な世界が広がっていた、達也は恐怖にうろたえ掴まるものを手探った、しかし有ったはずの窓枠は消え茫漠とした空中に一人浮かんでいた。
達也は狼狽え現世界に視覚を戻そうかと迷った刹那、今見えている世界は架空の世界 そんな想いが過ぎた。
実世界の己は確かに16階のフロアーに立っているはず、戻ろうと思えば視覚チェンジすればいつでも戻れる、そう考えると狼狽えは薄らいだ 代わりに今日こそじっくり見てやろうという想いが湧き出るにそれほどの時間はかからなかった。
達也は視線を足下から前方に転じ、そして横…後方とせわしなく動いた。
その空間には数え切れないほどのラピュタが浮かびゆっくりと視線の右手方向へ動いている。
そのとき己に新たな感覚が芽生えたような気がした、それは言葉では表せない奇妙な感覚。
例えば眼下に浮かぶラピュタに飛び移ろうと思えば行ける、また前方に浮かぶラピュタに瞬時に移動できる そんな奇妙な感覚である。
達也は眼下に浮かぶラピュタの地表を見詰めた、と同時に見詰めれば見詰めるほどその映像が鮮明化していくことに驚く、数分で下界はチェンジ前の視覚と何ら変わらぬほどの鮮明視野となり 先程の架空の世界という想いは次第に薄れていった。
以前見たラピュタ表面のあの腸の様な醜悪なうねりは不秩序に連なる長大な建造物であることが解った、そして…
「社長!」その時後方の空間に声が涌いた、達也は反射的に視覚を元に戻した。
その瞬間 軽い立ちくらみで膝が崩れそうになるのを踏ん張って窓枠にしがみつく、そして大きく息を吐きながら何事も無かった様な顔で後方を振り返った。
「社長、どうかされたんですか顔が真っ青ですよ…」
「いや大したことはない、軽い立ちくらみかな…休暇中遊びすぎたようだ」
言葉を繕いながら何とか椅子に座った。
「それならよろしいのですが…ところでここに置いたマニュアルは読まれたでしょうか、たった今 以前よりアプローチしていた深川の岩田総合病院から例の新型MRIを売りたいとの連絡が入りました、よってこれより交渉に向かおうと思うのですが 引き取り価格はどの辺りで設定致しましょう」
営業1課の佐橋課長である、得意顔に目が輝いていた。
「そうか、でかした あんな大手の病院がようも相手にしてくれたなぁ、他社に先駆け実直に動いた成果が報われたというもの、引き取り価格は例の新古売値の0.6掛けで取り敢えず交渉してみろ、しかし岩田病院の経営状況から見て負債を余り大きくするとヤバイかもしれん…これからもいいお客さんになりそうだから、まっ最悪は0.8掛けとなってもしょうがない、くれぐれも逃がさぬ様にな」
「承知しました、ではこれより向かいます」佐橋課長は一礼し意気揚々と引き上げて行った。
(予想外に3ヶ月で売りが立ったか…しかし岩田総合病院はもう長くはないかもしれぬ)
達也は机上のマニュアルに視線を落とした、最新3テスラMRI…小売価格16億円を超える。
プライベートジェットであるホンダジェットの価格は450万ドル(約4億7000万円)と言うから 実納入価格が半値8掛けとしてもジェット2機が買える価格であろうか。
しかしいくら開発費が係ったと言え…とろい技術者の無駄工数まで払わされる購入者はたまったものではない、原価を知っているだけに達也は妙に腹が煮えた。。
達也が6年前に独立したのは何も中古医療機器を売りたいからではない、開発製造のシステムさえ変えればもっと安価な医療機器を普及させることが出来ると発起し、友人二人を集め起業に参加して欲しいと頼んだのだ。
しかしある技術公開の問題で挫折し、結局は医療機器製造業包装等区分許可を取得し当面は中古機器の買い取り販売で凌いでいるのに過ぎない、いずれは第一種を取得し製造販売に着手するつもりでいるが…既に五年が過ぎていた。
昔 上司が言った言葉が思い出された。
「薬の開発は巨額の投資をしても長いスパンで回収できる、しかし医療機器は3~5年で新しい機器に更新されてしまう、ゆえに治験に資金を投じても回収できない可能性が非常に高い。
これは薬の研究開発水準と同等レベルに医療機器開発承認プロセスを合せた結果といえ、自らハードルを上げてしまったと言えようか。
たしかに高度管理医療機器は副作用や機能に障害が起きたとき、まかり間違えば人の命や健康に重大な影響を与えるリスクはある、とはいえ日本の治験は海外の何倍も資金が掛かる、それは薬の研究開発が日本の治験産業を育てたからとも言えよう、またそこには無数に張り巡らされた利権の網も存在することを忘れてはならない」と指摘した。
上司は自社の高度医療機器が高額なのは日本の薬事法が旧態依然であるからと指摘したのだが…実際そうだろうか、確かにそのウエイトは異常に高い、しかし達也はそれは氷山の一角にしか聞こえなかった、実際…開発の現場では呆れるほど無駄が多すぎるのだ。
1台の新型MRIを開発するに技術継承を差し引いても最低十数万時間程度の工数は係る、また試作検証・治験費用も莫大である。
しかし実際は開発にかかった実工数や費用はそうとう低いことを達也は主任の立場から知っている、つまり水増し工数・無駄工数・無駄検証が多すぎるのだ。
正直 成果に寄与していない工数を集計をするたび能力の無い奴は会社から去れと声高に叫びたかった、無駄工数に旧態依然の承認プロセス、それに慣例に縛られた治験…これに利益を上乗せしたら中小医療機関ではとても購入できない価格に跳ね上がってしまうのだ。
達也は在職中いずれ独立し高度医療機器を少数精鋭で製造し販売することを計画していた。
価格は市場の2分の1でも採算は合うと計算されたからだ。
達也はメーカー在職中であった7年前、コイル格納用液体ヘリウムデュワー瓶のコンパクト化を研究中に室温超電導さえ実現出来ればコイル冷却は不要と簡単に考え、デュワー瓶のコンパクト化と平行して密かに室温超電導を研究し始めた。
しかし内外の室温超電導に関する資料を読み漁るにつれ実現の難しさを知った。
それでも研究着手から半年、ペロブスカイト型銅酸化物にある種の放射線を照射することで原子の振動(格子振動)が異常に高まることを発見、またSPring-8に依らずとも特殊キャビティとポンピング開発により超短波長且つ強力な放射線を発射させる小型のビーム管の試作に成功したのだ。
そしてペロブスカイト型銅酸化物にある元素を添加した高格子振動する酸化物生成にも成功し、極小ではあったが室温超電導コイル成形の実現を果たした、そして密かに実証試験行い室温超電導を実証したのだった。
この技術を特願し室温超電導磁石応用の核磁気共鳴画像処理機 (MRI) を製造すれば画期的なMRIが実現出来ると意気込み、妻の反対を押し切って会社を辞めた。
しかし特願作成中、請求項の大半が現代科学の域を逸脱する技術で占められ、言い換えれば1世紀後の技術であろうか、特願作成しようにも技術用語も実証試験方法も内外の技術文献には存在しなかった。
これを公表すれば世界的なセンセーショナルを巻き起こすは必至、この技術はMRIなどに応用せずとも商用として一国の経済を左右させる恐るべき技術であることを技術馬鹿の情けなさ…彼はこの時初めて感じたのだ。
昔、祖父が「解っていても知らぬ振りをしろ」と言った言葉が思い出された、幼少期のトラウマは成人した今でも心を蝕んでいた、時期尚早…そんな想いが飽和したときせっかく作成した特許出願書類であったが彼は本棚の奥へと封印した。
その後、起業参加予定の友人二人は達也の技術頼みが反故になったことを知り憤慨し去って行った。
達也は港区の工場へと車を走らせていた、助手席には真新しいMRIのマニュアルが乗っている、正則はそれを横目に見ながら機器サイズと重量を思い浮かべた。
(あれ1台でクリーンルームはほぼ一杯かぁ…となれば今の在庫を早々に売却するか倉庫を借りるしかないな、こんなことならもう少し大きな工場に仕立てるべきだったか)
そんなことを考えながらマニュアルの表紙を見た、デザインばかり凝らした優美なフォルムの写真画である(しかしどうしてこんなに大きいんだ)そんな想いが過ぎる。
達也考案のMRIであれば液体へリューム設備は不要で本体体積率は3分の1、重量も3分の1、コストは2分の1なのに…(こんなものが最新鋭とまかり通るは呆れる)
浜松町を過ぎた辺り、早坂教授の「君の脳は突然変異」と言った言葉がふいに思い出された。
祖父も父も俺と同じ脳であったのだろうか…そしてあのラピュタを見たのか そして父の突然の失踪、父は今も生きているのか それとも死んだのかは皆目分からない。
最近では父はあのラピュタの異世界に呑み込まれたのではないかと考える様になった。
(明日にでも実家に行き、母に父の失踪前後を詳しく聞いてみるか)
達也は霞に煙る竹芝の沖を見詰めた。