第二十四話
フヮッと青い霧が流れると達也等4人と上級人の男1人が社長室にボッと浮かんだ、その陰は一瞬にして実像へと化していった。
社長室には既に達也の父以下3人が待機していた。
「おっ達也、捕らえたか よしでかした、でっ遮蔽ドームは消し去ることが出来たのか」
「はい、放射装置と発電機は放射能の飛散を懸念し制御系のみを破壊しました、これにより動力系は停止し我々が帰る頃は外気温はそうとう下がっていましたから数時間もすればオワフの外気温は元に戻るでしょう」
「そうか上出来であったなぁ、それでこいつが実行犯か…まさか殺したわけではあるまいのぅ」
「いえ、スタンガンで気絶しているだけです」
「では目を覚まさぬうちに脳に転位阻止チップを打ち込まんといかんな」
言うと父はカバンから先が尖った金属筒状の注射器の様なものを取り出した。
「達也、こやつを俯せに寝かせてくれぬか」
「こうですか…」達也は抱かえていた男をカーペットが敷かれた床にそっと横たえると俯せに返した。
「そうじゃ うなじを真上にしてな、達也 頭が動かぬようそのまま強く押さえていてくれ」
父は言うと男の髪をうなじから上へ掻き上げ注射器状の先を首筋30mmほど上方に当てがうとその角度を頭頂方向へ向けた。
「こんなもんじゃろう」
言うと同時に注射器端部のボタンを押した、「ブスン」と小さな音を立てると男の体がビクンと震えた。
「よしこれで転位はできまい、達也よ此奴の脚も縛ってくれ 目が覚めて暴れられたらかなわんでな」
言われて達也はリュックから長めのインシュロック3本を取り出し俯せに寝ている男の脚を縛った、そして膝を折ると もう一本のインシュロックを手と脚を縛っているインシュロックへ通し繋いだ。
「これで身動きは出来ないでしょう、それで父さんこいつをどうやって自白させるんです」
「そうさなぁ少し痛い目みせるしかないが…時間はまだ4時か、こやつ声は出せぬが暴れられると隣りにいる秘書らに知られてしまうじゃろうなぁ」
「父さん、社の終業は午後5時ですが秘書らは6時頃までいるはず、困りましたね」
達也は思案顔で父を見た。
「だったらうちに来ませんか、滋賀の安曇川町というところで燐家から400mは離れていますから多少の音なら聞かれやしません、どうせ私と祥一の二人だけで暮らしてますから気兼ねは入りません、そうだ使ってない納屋がありますからそこでどうでしょう」と祥一の父が提案した。
「そうか それは助かる、では御言葉に甘えお邪魔するか、では安曇川町と言うたかな そこの納屋近辺の映像を送ってくれますか」
5分後、祥一の家の離れにある納屋へと全員転位した、転位してまず驚いたのはその朽ち果てようである、窓は破れ土壁は所々崩れて隙間から風が吹き込んでいた、また納屋内には錆果てた年代物の耕耘機や脱穀機に蜘蛛の巣がかかり数十年 人が入った形跡は感じられなかった。
「申し訳ない、妻が亡くなって20年近くもほったらかしのままで…ここまで朽ち果てていようとは」
祥一の父は申し訳なさそうな顔で皆に頭を下げた。
「よいよい、此奴の口を割らせるには少々乱暴にせんといかんよって、これなら床や壁が汚れるのを心配せず気兼ねなくやれるというものよ」言いながら父は苦笑した。
「哲也君、そいつの息を吹き返してくれぬか」
哲也は言われて土間に倒れている男の肩を掴むと上半身を引き起こした、そして後ろ手のまま正座させると男の腰に膝を当てながら気合いもろとも男の両肩を後方へ強く引いた。
少々乱暴なやり方だが男は「キュッ」と喉を鳴らせ息を吸った。
男は薄目を開け暫し朦朧としていたが気が付いたように周囲を見渡し始めた、その時 男は全く見知らぬ者等に取り囲まれ また己が縛られていることに気付き驚愕に目をつり上げ立ち上がろうと必死に藻掻きだした。
男の後方に待機していた哲也は その藻掻きの背中に膝を強く押し当て首を押さえると同時に髪を掴み後方に引いて男の抗いを制した。
(動くな!)哲也はドスの効いた思念で男を威嚇する、次第に男の藻掻きは弱々しくなり遂にはあきらめた様に力を抜いた。
(おぬしの脳に転位阻止チップを埋め込んだ、もう転位は出来ぬ…おや お前は北方民族の者か顔付きですぐに分かったわ、まっどこの民だろうと関係無い これから儂が聞く質問に素直に応えねばこの場で処刑する)
父も同様にドスの効いた思念を男に送った。
(お前らは何なんだステートエージェンシーか)男は唸るように思念で返してきた。
ステートエージェンシー…父は一瞬首を捻った、しかし…。
(そうよ 儂らはそこのエージェントだ、お前は連邦で禁止されてる時空越境を犯しあの島の現世人類を100万人も殺した、訳を言え 素直に吐けば混血種集合階層に送るだけに止めてやるがどうじゃ)
(フンあんな虫っけら殺してなんで罪になるんだ、時空越境だけなら軽犯罪だろうが混血種集合階層に送られるほどの罪は犯していない!脅しても無駄だ)
男は取り囲む者等が官憲と勘違いしたのか急に太々しい態度で父を睨み据えた。
(此奴儂らをエージェントと知って急に態度がでかくなったのぅ、少し痛い目をみんと分からぬようじゃ、哲也君!分からしてやれ)
言われて哲也は握った男の髪を放すと正面に回った、すぐに強烈な平手打ちの音が納屋に響いた。
哲也は10発ほど叩き 次いで脚で顔面を思い切り蹴り飛ばした。
見てる者等は息を呑んだ、日頃大人しい哲也がこれほど暴力的になろうとは思わなかったのだ。
蹴り飛ばされた男は土間に頭を打ち据え鼻血を噴いて唸った、哲也は唸る男の髪を掴むと再び引き起こし拳を振り上げた。
(哲也君もうよい!)父は慌てて哲也を制した、哲也の形相から放っておけば殺しかねない勢いに映ったからだ。
哲也は制されたがおさまらず髪を掴んだまま握った拳をそのまま男の顔面に繰り出した、嫌な音をたてて男の頭が仰向けにのけぞった、しかし哲也は素知らぬ顔で髪を放すとゆっくり立ち上がった。
男の顔は血に染まり苦悶に歪んだ、そして横に倒れようとするのを哲也は邪険に足裏で制する。
男は項垂れ血を滴らせて呻いている、倒れたくとも脚で抑えられ無意識に座っているといった感じ見えた、納屋内は咳き一つ聞こえない緊張の場と化し 吹き込む風の音だけが聞こえていた。
暫くして男はゆっくりと頭をもたげると 弱々しく(エージェントが一般市民にこんな拷問をして許されるのか、お前ら全員訴えてやる)と呟いた。
(儂らをただのエージェントと思っておるようじゃが 儂らは特別よ、さぁまだ痛い目を見たいか なんなら死ぬまで続けてやろうか)父は男に憤怒の眼光を放った。
男はその眼光に萎れたように先程までの威勢は何処へやら今度は小刻みに震え始めたのだ、それを見て父は言葉を継いだ(さぁ言え、どうして島の住民を蒸し殺したのじゃ)
(…………)
(此奴よほど死にたいらしい、哲也君!)
(言う!言うからもう殴らないでくれ)男は悲鳴のような思念で喚いた。
(そうか、ようやく言う気になったか…では包み隠さず全部吐いてみよ)
(……我々は言うとおり北の辺境の民、その昔世界統一戦争の際最後まで抵抗した民族よ、為に今以て連邦政府からは疎んじられ差別されている…。
我等の生業は肉食バクテリア製造業…知っていると思うが免疫抑制剤の原料で温度78度・湿度80%以上で爆発的に増殖する性質から従来スチーム法で繁殖させていた、しかし一昨年隣り村の業者がスチーム釜を破損させバクテリアの一部を洩れさせ、ためにその一村が全滅したことがあった。
それ以来中央から見放された我が辺境では新たなスチーム釜を設備しようにも余裕は無く、為に再発可能性有りと決めつけられバクテリア培地である混血種集合階層の奴隷や死刑囚の供与が打ち切られたんだ。
気温の低い北方では主食である農作物は育たない、よって古来より唯一の収入源であるバクテリア製造でなんとか生計を立ててきた…それが培地である生体供与を止められたとなれば我々に死ねというようなもの…。
確かに時空越境法に触れるかもしれん、しかし生き残るため我々は苦肉の策として時空最下層の現世人類の生の人体に目を付けたんだ、ここなら新鮮な生体が幾らでも手に入るし陽射しも強い。
コストのかからない自然光を利用した巨大な温室釜と無尽蔵な生体…これで我等北方の民は連邦政府に援助されずとも生き残る最後のチャンスを見つけたと喜んだのに…。
お前らが我々のドームを破壊したんだ…。
くそぅ ほんの僅かに残った貴重なバクテリア株を島民に全部植え込んでしまった…ドームが消えた今頃は冷え切った株は全滅したはず…あぁぁもう終わりだ、お前らエージェントは何の権利があってドームを破壊したんだ)
聞いていた一同は震撼した、人の体をシャーレー代わりにバクテリアを植着け培養するなど人倫以前の所行…いくら時空が異なろうともこうまで倫理観に差があれば返す言葉さえ見つからなかった。
(でっ、株は幾人に植付けたのだ)
(残った株は僅かだったから…継代培養の為あの島のミリラニ・タウンという街の民100人を捕らえ、街の外れで逃亡できぬよう首枷をしてその生体に植え込んだ、3ヶ月後育った株をマウイと呼ぶ島の島民を培地にして増殖生産し、それが成功したら東南アジア・アフリカへと拡大する計画だった…)
(きさまら生きた人間を培地にするとは それもたった100人に植えるため100万人をも道連れにしやがって…此奴どうしてくれようか)達也の父は怒り心頭に体中が震え始めた。
(仕方が無いだろう、村には3000平方キロ用の大型遮蔽ドーム1基しか無かったんだから…)
(…………)
(何と言う言い草だ!罪の意識など欠片もないのか…はぁ阿呆らしてもうやっとれん、此奴とこれ以上話すと殴り殺したくなるゆえひとまず休憩しよう、祥一君部屋を借りれるかな)
(はい、ではお茶を用意しますからこちらへ)
全員納屋を出て鍵を閉め母屋へと移動する、みな俯いて寡黙に歩いた。
居間に通されると畳の上にまずは寛いだ。
「フーッ疲れたわい しかし幸いと言っては何じゃが上級世界連邦政府の侵攻でないと分かってまずは一安心よのぅ」
「お父さん 彼は我々をステートエージェンシーの者かと言いましたけど…それって上級世界の連邦警察のことなんですか」
「そう 儂らを追い回しておった連邦警察の部局に時空警察局というものが有ったが…奴は我々をそこの局員と勘違いしたようじゃの」
「お父さん否定しなかったよね」
「んん、まさか現世に居住する一般上級人と言えば奴は嘗めてかかり頑として吐かぬからのぅ。
さて奴をどうしたらいいじゃろぅ、こちらの警察に引き渡しても仕方ないだろうし…やはり転位防止チップを付けたまま混血種集合階層に放り込むしかないか」
「えっ、あのまま逃がすのですか 100万人も殺したんですよ、それに我々がこの現世にいなければマウイの次はハワイ諸島に留まらず培地を全世界に広げていったでしょう、僅か数千の辺境の民が生き残るため 現世の数十億の民を犠牲にしようと目論んだのですよ、そんなの絶対に許されません!」
哲也は顔色を変えて抗議しだした。
「哲也君落ち着け!それは現世人側の論理であろう、それを彼に適用するは無理が有るというもの、考えてもみなさい、現世人が食用とするため毎日牛豚鶏を何億頭屠殺していると思う、牛側の論理からすれば人間は畜生以下であろうよ、同様に上級人からすれば現世人は牛豚鶏と同様の観念からしてその殺傷に何で哀れみや倫理が伴おう、君も上級世界に一時期住んでそんな想いに至った経験があろう」
「そうですが…しかし逃がすなんて」
「お主も最近現世人と結婚し子を為したというから…まっ分からないでもないが、現世人倫を解せぬ奴を殺しても心は晴れぬもの、それは単なる意趣返しに過ぎぬからのぅ、それより混血種集合階層に送り、いずれ己が食肉バクテリアの培地として上級世界の辺境に送られたとき奴は気付くであろうよ」
「…………」
「さて、これで我々の役目は終わった…あの北方の民の話したことが事実ならば一つしかない遮蔽ドームは破壊され最後に残ったバクテリア株が全滅したとあらば今後は現世に転位してくることはあるまい。
しかし北方民族は他に4部族もありまた西夷民族や南方の辺境などに連邦政府から疎んじられた民族は未だ多いと聞く、これらの民族が連邦から迫害を受け続ける限りは現世に災いをもたらす種は尽きないと言うことよ。
ゆえにそうも安心はしておれんが…数年は大丈夫じゃろう。
さて帰るとするか、奴はこれより儂が混血種集合階層に連れて行く、哲也君そう拗ねずに儂と一緒に行ってくれぬか、奴が暴れたら儂の手には負えぬからのぅ」
父はそう言うと哲也の肩をたたいた。
哲也は拗ねながらも頷いて立ち上がった。
「今日はご苦労様でした、さぁみんな帰って下され」
父は皆を急き立てるように言うと残った茶を啜り哲也を伴って部屋から出て行った。