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第十六話

 二人は薄暗い屋敷の居間に浮かび上がった、現世帰還きかんを肌で感じた瞬間 天地不明の目眩めまいに襲われ達也は思わず片膝をついた、隣で信勝も同様に両膝をついて項垂うなだれていた。


「フーッ…気持ちが悪い」言いながら信勝は目をつむり頭を振りだした。

「しかし危なかった、正直もう帰れないかと思ったよ、しかしあの野郎腕を強く握りやがって…まだ腕がしびれてる、おいおいれてるよ…」腕をまくった信勝は腫れ上がった腕を痛そうに見詰めだした。


目眩は次第におさまっていく、達也は数度の深呼吸を終え 胡座あぐらを組もうと床に手をついた。

その時腕に鋭い痛みを感じ思わず腕をまくった、腕には赤い手形が浮き上がり熱を持ってれ上がっていた。


達也は隣りに胡座あぐらを組む信勝の腕を見た。

同様に赤く腫れていた、一体どれほどの握力で握ったらこれほどのあとが残るのか。


今思えばあの男に掴まれた瞬間 猛獣に噛まれるが如くあらがうことさえかなわぬ恐怖を感じた。


常人をいっする力…達也も大学時代 空手部で正拳巻藁まきわら突きの鍛錬前には有頭骨損傷防止のため握力増強をさんざんやらされた、このため3年の後期には握力は85kgまで上がりリンゴを握りつぶせるまでになっていたが…いま腕の腫れを見たときとてもこんな真似は出来ない思った。


大学時代の先輩に握力120kg超えの強者がいて一度腕を強く掴まれた事があったがその比ではない これはまるでゴリラで有る、一体あの世界の人間等はどんな鍛錬を積んでいるのか…。


「信勝さん…この痛みはどうやら橈骨か尺骨にヒビが入っているか折れてると思う、昔昇段試験の際 上段蹴りを受けそこなって尺骨を骨折したことがあったけど…あの時の痛みに似てるんだ」


「おい本当かよ、折れてなきゃいいが…どうりで痛いはずだよ、くそぉあいつら一体何なんだ」


「それより病院に行かなくちゃ、この辺りに病院はないの」達也は痛みに顔をしかめ信勝を見た。


「接骨院ならたしか表通りに有ったはず、しかしこれって保険は効かないよなぁ…」


達也は壁に掛かった時計を見た、針は9時45分を指している…上級世界に転位したのは僅か30分前(あれからたった30分しか経っていないんだ)達也はあきれた、3日も休暇をとり妻にも出張は3日と言ってあるのに(さてどうしたものか…)骨折しているかもしれぬのに悠長ゆうちょうに妻への言い訳を考えてる己に苦笑した。


「達也君なに笑ってんの、接骨院は9時から開いてるから行くよ」言われて達也は立ち上がった。



 接骨院で二人とも尺骨にヒビが入っていると言われ大袈裟おおげさにもギプスをめられた、二人は病院で原因をあれこれ聞かれたが適当に誤魔化ごまかして昼前に帰ってきた。


「信勝さん、これじゃぁ家には帰れないし会社にも行けやしないよ…」


「なあに奥方には3日と言ってきたんだろ、だったらギプスが取れるまでこの家に泊まればいいじゃない」


「そうだね、悪いけどそうさせてもらうよ、しかし腹が減ったな 信勝さん何か旨いもの作ってよ」


「お前は居候いそうろうかよ…しかたない俺の不注意で怪我けがをさせたんだからな、昼飯にはちと早いが何か作ってやるか」そう言うと信勝はギプスの腕を重そうに抱え部屋から出て行った。



 三日間二人はゴロゴロと自堕落じだらくにその日を送った、それでも初日だけは上級世界をのぞき込み調査を始めたが1日でやる気はせた 信勝に全くその気ないからだ、よほど連行がこたえたのだろうか。


「達也君、これほど住基ネットでがんじがらめな世界だったとは…さっき見たろ レストランで飯を食うにも入口でスキャン光を浴びてた、あれは生体認証と思うんだ。


こうなると街の辻や道路上でも通行人に対し自動的に生体認証が行われている可能性は高い、これでは向こうでの永住は不可能じゃないかなぁ、この世界で言えば外国人がビザを切らし不法就労しているようなもんよ。


職質やつかまるのを怖れ毎日ビクビクして街に出ることもままならない…そんな想いまでしてあちらに永住する意味はもうないと思うんだが」と信勝はうそぶいた。


「そんな…たった1日調査しただけでどうしてそんなことが言えるの、きっと手立ては有る筈だよ、現に私や信勝さんの父は上級世界に留まっているじゃない」


「ふん、官憲に追われてな…」


「…………」


「…じゃぁ信勝さんが言ってた最上級世界の進入はどうなるの、上級世界からでないと進入できないって言ってたじゃない、せっかく携帯バリヤや進入携帯キーまで手に入れたのに…」


「まぁそう言なさんな、今は何も考えたくないんだ…それよりパチンコでも行こうや」と こうである。


三日目の夕方、達也は接骨院が止めるのも聞かずギプスを強引に外してもらった、患部はまだ少し痛んだが手首を使わなければ問題ないと思えた。


「信勝さん、調査する気がないならもう帰るよ…今度はいつ会うの」


「んん…その気になったら俺の方から連絡するわ」

全くその気のない返事である、達也はやれやれと思いながら信勝の屋敷を後にした。



 ハンドルを右に切ると左腕の患部が少しうずいた、達也は顔をしかめ左手は膝上に置き右手だけで運転を始めた、車は清澄通りから厩橋を渡り三ノ輪方向にハンドルを切った、道は予想外に空いていて家にはあと20分程で着こうかと思えた、その時不意に父の顔が脳裏に浮かんだ 信勝が思念で送ってくれたあのかおである。


脳裏に浮かんだ父の顔は見た目70~73くらいの老人に思えた、そう感じるのはほほがこけ せているからだろうか、父が失踪しっそうしたのは60歳 信勝が送ってくれたかおは失踪から8年後の顔像…これがもし痩せていなかったら現世年齢68歳相当に見えるのではと思えた。


上級世界の時間速度は現世の4倍と信勝は言った、確かに達也がラピュタ(混血種集合世界)から戻ったときも現世の時間経過は1/2ほどであった、これはどういうことだろうか。


父が思ったほど老けていない…と言うより現世と同様の経年けいねん変化。

達也はフッと真理めいたものが脳裏を過ぎった、それはラピュタも上級世界も時の流れは現世と同じで 移動した際の時空間差分が相殺されたことに気付かなかっただけではと…。


信勝は以前「各階層の位相は僕の調査では125.63秒の差で位相している」と言ったが あの信勝である、あの時は彼を凄いと感じ125.63秒の差の根拠も聞かず鵜呑うのみにしたが…今となれば理系能力に乏しい彼の洞察どうさつはきわめてあやしいと思われ今度信勝に会ったらその計算根拠をとくと聞かねばと思った。


またもう一つ不可解に感じることがある。

この腕を握ったあの男の無表情さは今でも覚えているが…。

特に力むのでもなく無造作に大の男の腕骨にヒビを入れる握力、もし彼が真剣に力を込めたならこの腕は握り潰されていたのではと…。


まるでゴリラ並みの500kg超えの握力…それはどんな鍛錬を積もうと人為的には不可能領域。

あれが上級世界人の真の力なれば達也にもその力量は備わっているはず…しかし達也が握力85kgに達するまでには日々の鍛錬を3年間続けようやく得られたもの、これはおかしい。


達也が以前ラピュタ世界から戻ったあの日、羽田空港の上空で下界を見た時 箱庭状に見える建物を一瞬で吹き飛ばす程の膂力りょりょく気吹いぶきを感じた…しかしその膂力の感覚は時間と供に失せていった。


あの膂力はその世界の環境からのみ生まれるものだろうか…達也はそんなとりとめないことを漠然ばくぜんと考え また空想にふけっていた。


そんな注意散漫のさなか前を走っていた車が急に停止した、達也は驚愕し反射的にブレーキを踏んだがギリ間に合わなかった、かすかな音とともに軽い振動が車に伝わった。


前の車はウインカーを点灯しながら ふらつくように路肩に車を寄せる、達也もそれにならって車を路肩に横付けし恐る恐るヘッドライトに照らされた前車の破損状態を見た。


相手の車は幸いへこみもなく右のテールランプカバーの端が少し割れているだけだ、達也は胸を撫で下ろした。


その時 前の車から男2人が血相を変え飛び出すと達也の運転席側のウインドへ殺到した。


「降りろ!この野郎、降りてこんかい!」と辺りをはばからぬ怒声がウインドを震わせ ドアノブを壊すほどの勢いでガチャガチャ引く音が車内に轟いた。


達也は男らの怒声に身がすくおびえた、二人の顔は怒気に満ち今にも噛み付かんばかりの勢いなのだ。

こちらの過失とは言えわずかチョコンと当たっただけなのに相手は今にもガラスを叩き割りそうな激昂げっこう状態、達也は車外に出るべきかを迷った、出れば2・3発は確実に殴られそうな状況に心はえていく。


いつまでもドアを開けぬ達也にごうやしたのか左の男が急に脚を上げると渾身こんしんの蹴りでバックミラーをり飛ばした、バックミラーは一瞬で根元からもぎ取られコードのみでぶら下がった。


蹴った男はミラーが完全に破壊できなかったことがくやしいのか今度はぶら下がったミラーに手を掛けると思い切り引っ張った、「ブチッ」といやな音を立てて車が揺れた。


達也は恐怖にられ男の目を見た…完全に狂気に取りかれた目だ。

その時 男はそのミラーをサイドガラスに叩き付けてきた、達也は反射的に助手席側に身を寄せたがガラスは割れなかった、この割れなかったことが男を狂わせたのか半狂乱にミラーをアスファルトに叩き付けると「降りてこい!」と達也を鬼の形相で睨み付け今度はドアを蹴り始める。


車が左右に激しく揺れ始めると達也はとうとう観念した、買ってまだ半月もたぬレクサスLS、これ以上壊されたらかなわない、達也はウインドを全開し「今降りますから」と震える声で叫んだ。


その時二人の手がここぞとばかり我がちに車内に突っ込まれた、予期せぬ男らの行動に咄嗟とっさに身をかわそうとしたが強引に髪の毛を掴まれ2・3発顔を殴られ窓際へと引きずられた。


窓際に曳かれるとすぐに胸ぐらと肩を二人に掴まれ車外へ半身ほど引き出された、男等は明らかに達也を窓から引きずり出そうというかまえだ。


この傍若無人ぼうじゃくぶじん出鱈目げたらめさに達也はついにキレた その時身の奥底の何かがはじけた、胸ぐらを掴む男の手とスーツの肩口を掴む手をそれぞれ握り締めると折れよとばかりにその腕をねじった、くぐもった悲鳴と怒声が車外に湧きあがった。


達也はその手を離すと同時にドアの施錠を解きそのドアを内側から蹴り開けた。

男等はドアに弾かれ無様な形で路上に勢いよく転げた、そのすきに車外へ飛び出した達也は路上に立って身構える、達也の顔から先程までの怯えは完全に消えていた。


男等は立ち上がると狂ったような奇声を上げ怒気そのままに達也に飛びかかってきた。

その瞬間 不思議な現象が起こった、彼らの動きがスローモーションの様にゆるやかな動作に変化したのだ。


一人は達也のあごを狙って渾身こんしんの右ストレートをり出し もう一人は正面蹴りを入れてきた、その動きには腰が入いっており喧嘩慣けんかなれした所作しょさに達也には感じられた、しかし余りにも遅い…達也は難なく二つの打撃を左へかわすと瞬時に彼らの背後へ回った。


目標物を見失ったこぶしは無残にも車のピラー角に激突し いやな音をたてた、また蹴りはドアに突き当たりもろくもはじかれた。

二人にしたら目標物が一瞬で消えたと感じただろう、拳を繰り出した男は大袈裟おおげさな悲鳴をあげ拳を抱えてその場にうずくまった、残った男は背後に人影を感じ振り返ろうとした瞬間 叩くような衝撃で襟首えりくびを押さえられそのまま顔をドアふちに強烈な勢いで打ち据えられ脆くも崩れ落ちた。


拳を抱えた男はその衝撃に驚き立ち上がろうと藻掻もが最中さなか、達也は強烈な蹴りを男の首筋に打ち込んだ、男は2mほど飛ばされ仰向けに転がった。


ほんの数秒の出来事である、二人とも気を失ったのか一人はドア下に無様ぶざまな形に倒れ もう一人は路上に仰向けに寝ていた。


達也の昂奮こうふんは次第におさまっていく、すると野次馬の声がようやく耳に入ってきた。

場所は浅草ROXの正面である、夕方の通行人や車を止めての野次馬が次第に数を増してきたのだ。


達也は我に返り男らの失神状況を見てこれはマズイと思った、幾ら激昂げっこうしたとは言えこの有様は言い訳できない、下手すれば過剰防衛と取られかねない状況だろうか、達也は暫く考えあきらめた様に携帯を取り出すと110番した。


達也は警察が来る前にせめて気絶した男らの息だけでも吹き返しておこうと倒れた男らを路上の一箇所に二人並べて仰向けにし 最近の蘇生そせい法を試みた、その蘇生法はただ足を持って上方に引き上げるだけだ。


気絶した男らはそれぞれ10秒ほどで息を吹き返し起きようと藻掻もがいた、達也はその男らの襟首を掴むと腹に膝を乗せ男らの挙動を制した。

片方の男…バックミラーを壊したときのあの狂気は何処へやら、腹を押さえられ口から血泡を吹き戦意は完全に喪失していた。

一方拳を壊した男は拳から血を滴らせ無言で達也のなすがままに首筋を押さえられていた。


すぐにパトカー2台が路肩に止まり警官が走ってきた。

その場で事情聴取が始まる、達也は事の顛末てんまつを順を追って説明し こちらから仕掛けたわけでなく彼らが勝手に怪我けがをしたと付け足した。


男等も同様に事情聴取されたが途中本部に問い合わせたナンバーから手配中の当たり屋と分かりパトカーに乗せられた、達也には後ろを付いてくるように言われ結局 浅草警察署に連行される羽目となったのだ。



 浅草警察署を出たのは9時を回っていた、達也が制した相手は悪質な当たり屋で車が新車と見るやその車の前に回ってブレーキを踏むらしい、追突した運転手が動転するのを見越し恐喝きょうかつに入り たいていは示談じだんに持ち込んで金をせしめる手口と警察は言っていた。


相手の男は一人が拳の複雑骨折と裂傷れっしょうで全治2ヶ月、もう一人は前歯を3本折り口腔外唇裂傷で全治は不明とのこと、これだけの怪我を相手に与えたなら過剰防衛に当たるところ達也が手を出したという相手証言が得られなかったため無罪放免となった、対応に当たった警官らは口々に喧嘩慣れした強者二人を向こうに回し威力で戦意喪失に持ち込むとは凄いとめそやしていた。


しかし幾ら誉めそやされようがバックミラーとドアの損害はどうやら自分持ちのようだ、被害届を出しても相手が相手だけに賠償が取れるのはいつのことやらとうそぶかれた。


思わぬ事で道草を食ってしまった、昂奮はだいぶ落ち着いてはきたが未だ肩は強張っていた、しかし不思議と腕の患部に痛みは感じられなかった。


達也はハンドルを握りながら先の激闘の場面を再び思い出した。


相手の理不尽さに切れた瞬間…身の奥の何かが弾け、こいつらを完膚かんぷなきまで叩きのめしてやろうと思った、いや思ったのでなく出来ると思えたのだ、普段ふだんであれば危ない連中には絶対近づかないヘタレな己であることは分かっている、学生時代空手部に所属していたとは言え万年初段で大昔のこと、正直今では型さえも覚えてはいない。


それなのにけわしい怒気どきを含む男ら二人を前にして勝てると感じたのは何故なぜだろう…それとあのスローモーションに見えた現象は何なのだ。


男を背後からドアへと打ち据えたあのとき、そしてもう一人の首筋に蹴りを入れたとき 力を意識的に抜いたのを覚えている、それでも男らはあっけなく気絶した。

あの時 怒気にまかせ思い切りドアに叩き付け また蹴っていたら…たぶんあの男らの首の骨は粉砕していただろうと思え達也は一瞬身震いした。


キレたとき…自分の身に何かが弾けたのを今でも覚えている、その想いが三日前の上級世界でこの腕を掴んだ男の像と重なった。


この身には想像も付かない未知の力がまだかくされている…達也は思わずブレーキを踏む脚に力がこもった。

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