第十五話
外界知覚…信勝は人の脳レベルによりそれに適合した世界が知覚出来ると言った、その世界は四つ有り第一段階が現世、以降 混血種集合世界・上級世界・最上級世界と知覚レベルによりその世界は上がっていく。
これら四つの世界は同じ空間に層を成し時空差を持って層状に共在すると 回りくどい説明や証明を添えて信勝は語った、果たしてそうだろうか、これはあくまでも信勝の脳レベルでの認識であって真理ではない。
達也からすれば信勝の認識や証明は形而上学的傾向が見え、対立する唯物論的見地または実証主義や不可知論の立場から考察すれば、彼の思考は客観的実在やその認識可能性を認めるヘーゲル・マルクス主義で言う弁証法を用いない 形式的な思考に流れていると感じられるのだ。
蟻の外界認識、マウスの外界認識、犬の…人の…と外界を認識するレベルは知能により知覚出来る世界も捉え方も大きく異なってくる、それら引用から人そのものも脳レベルにより知覚のみに留まらず肉体をも層を異にすると結論づけるは達也の経験の浅さもあろうが納得はしていない。
現にあのラピュタ世界に行った際 肉体は車には残ってはいなかった、だからといってそれだけで肉体という実存もその世界に転位したと結論づけるは矛盾が残る、達也が上級世界に行きたいという動機の一つにこの転位と実存の真理に一歩でも近づきたいという願望もあったのだ。
二人は街の通りに浮かび上がった、視野が開けた瞬間 達也は危うく通行人と衝突しそうになり身を捻って躱した、しかし相手の美しい女性は特に驚いた様子も見せず軽く会釈して通り過ぎていった、現世なら悲鳴ものであろうが この世界では頓着無きことであろうか。
道は中央部分が二車線の車道でその両側に2m幅ほどの歩道が設けられていた、達也等はその右側の歩道上に浮かび上がったのだ。
歩道にはまばらに人が歩いていたが特に二人の挙動に関心を持つ通行人はなく無表情に通り過ぎていった。
それでも達也らは通り過ぎる一人一人の表情を窺った、この世界の住人は白人・黒人・東洋人の区別はつきにくく混在顔と表現したらいいのか…そう己を見ているような感覚、そんな表現が妥当と達也には感じられた。
(達也君、正面右の人…君そっくりだと思わない)
信勝が達也の心を見透かすように言う、見ると言われるとおり自分の大学時代の写真にそっくりだと思った。
(本当だ、似ている…でも信勝さんにも似ている)
(やはり君もそう思うんだ、ということは俺は君に似ていると言うことか…君とねぇ)
(私に似ていることがいやなんですか)
(俺は君より男前だと思ってたからさクククッ)
(アホラシ、そんな笑える服着てよく言いいますねフフフッ)
(服は関係ないだろう、しかし彼らの服…よく見ると色や形は似ているが生地の風合いが全く違う、あれは不織布じゃないかな)二人は東に向かって散策しながら対向する人々の服装を細かく観察し始めた。
(やっぱり…織布のように柔らかに見えるが織り目が無い、あれは全て不織布だよ もう50人ほど見ているが織物生地は無かった、前回は生地まで注意がまわらなかったが…迂闊だったもしこの世界で織物が遠い過去のものであれば非常にヤバイ)
しかしすれ違う人々は二人の服に関心を払う者はいなかった、現世に於いても通行人の生地まで関心を寄せる人は少なかろう。
二人は次第に考えすぎかと思えてきた、それは行き交う通行人が二人には全く無関心で通り過ぎて行くからであるが…しかし二人はすれ違う人々の服の形や生地の風合いを細かく記憶に留めた、次回来訪時に備えるためである。
(信勝さん、この辺りは現世で言うとどの辺りになるのかなぁ)
達也はこの世界に転移してからの疑問を信勝に聞いてみた。
(以前来たとき老人に見せられた地図から察するに現世で言うインドのデリー辺りじゃないかな)
(インド…そんな遠いところに転位したんだ、でっこの世界での地名は何て言うの)
(それが聞かなかったんだ、事前にこの周辺の地名などは調査しておくべきだったな…)
信勝は不安げに達也を見た。
(あれほど行きたいと言ってたのに…信勝さん今日まで何してたんですか、これでもし現世の職質みたいなものを受けたら万事休すですよ)達也は信勝の安易さに呆れ少々腹が立ってきた。
(そんなに怒るなよ…ここに再来して前回は運が良かっただけと今は反省してるんだから、まっ今回は君に上級世界を見せたかっただけ、なっ早々に引き上げればいいだろ、次回は現世でもっと時間をかけ慎重に調査してから再来しようよ、達也君そうと決まれば街をじっくり見学して帰ろうか)
信勝は準備は整ったと確かに言った…しかし案の定である。
このいい加減さに呆れ こんなことだろうと心の片隅で想いながら誘いを断れず転位した自分にも腹が立った、(早々に引き上げよう)達也はそう心に決め短時間で出来る限り多くの見聞を広めようと思った。
車道には車輪の無い箱体が行き交っていた、その箱体には窓は無く どうやら無人車のようだ。
(達也君、あれが先程言ってた地上輸送機だよ、ほら10cmくらい浮いてるけど どんな技術で浮いているやら君なら興味をそそられるんじゃないかな)
「そうだね…あの駆動源がどうなっているのか是非にも知りたいところ」
(達也君 声!、この世界の人らは思念で会話するから声帯が退化しているんだ、もし喋り声など聞かれたら大変だよ)
(そうなんだ 気をつけないと、でも難しいな…咄嗟の時は声が出そうで)
(僕も最初はそうだった、だからいつも口に小石を含んでたよ、何なら君もやってみるかい)
(えっ小石!…もう後でいいよぉ)
達也はいいながら視線を少しずつ上方に転じていった、道路両側に聳えるビル群は奇抜なデザインに造形され首が痛くなるような高層ビルばかりである、また空にはUFO状の飛翔輸送機が極低速で飛んでいるが爆音もプロペラも無かった、それら見るもの全てが達也には驚異に映り 胸が高鳴っていった。
(達也さん、博物館とか技術館みたいなものはないの、あったらぜひ行きたいんだけど)
(有るよ、でもその前に少し寄りたいとこが有るんだ…)
達也は信勝に案内されるように歩いた、そして暫く歩くとビル間の路地へと入っていく、勝って知ったように頓着なく歩く信勝を訝しみ達也は(どこに行くんだい)と聞いた。
(うん、例の老人の所さ…しかしあれから30年近くたつから建物さえ無いかもしれないがね)
二人は路地からさらに細い路地へと入っていく。
暫く歩くと信勝は立ち止まった(たしかこの辺りのはず…でもあの時の雰囲気とだいぶ違っているが)
信勝は辺りをキョロキョロしながら数メートル歩くと右手に建つ3階立ての古いビルを見上げた。
(これだ、確かあの2階に住んでいたはず…達也君ダメ元でちょっと訪問してみるかい)
(いいけど…いるのかなぁ)
その古いビルは周囲の洒落た雰囲気から沈んで見えた、壁は薄汚れ入口の扉は長い間開いていないのか朽ちて傾いていた。
信勝は思念を絞り2階の部屋内を覗き見る。
(誰もいないや、人が住んでる形跡も無い…空き家のようだな、やはり100歳越えの老人が未だ一人で暮らしてるはずはないか、さて これで手蔓は切れたわけだ…)
信勝は途方に暮れた顔で二階を見詰めていた。
(信勝さんもういいよ、今度来たとき寄ればいいじゃない それより街をもっと見たいし技術レベルも観察したい、通りに戻ろうよ)
その時、二人を挟んだ路地の両側に黒い影がフッと浮かんだ、最初に気付いたのは達也である。
(信勝さん…あれ)
達也は信勝の袖を引いた、信勝は促されて路地の両側を見る、黒い服を着た二人が右に 又同じ服装の者が左に3人、その5人は腰に吊された金属状の武器らしきものに手を掛け間合いを徐々に詰めてきている。
二人は何事かと体を寄せ合い身構えた、そのうち左の3人の中央の男が一人近づいてきた。
(君らはこの建物の2階を見ていたようだが…ここの老人と知り合いか)と思念で語りかけてくる。
(いえ、建物が古風な造りなのでつい見入ってしまって…)信勝は間髪入れず応えた。
(そんなふうには見えなかったが…ところで君たちは見慣れぬ服装をしているが何処から来たんだ、それと名を教えてくれないか)男はそう言うと胸のポケットからアイホン状のものを取り出した。
(………あちらから来ました)信勝は東の方を指差し大きな音をたてて唾を呑み込んだ。
(あちらから…私は地名を聞いているんだが)
この言葉で左右に控えた4名が一斉に腰から武器らしきものを抜いた。
(お前らどうも怪しいな)男の口調が変わった。
(ちょっと一緒に来てくれんか)
そう言うと男は達也と信勝の直近へ進み素早い身のこなしで二人の腕を掴んだ。
(あぁぁ痛い!)
信勝が思念で呻いた、達也も声が出そうになるのを何とか堪えた。
腕の骨が軋み脚の力が抜け二人は掴んだ男に身を委ねるように腰を落とした、気が遠くなるほどの握力なのだ、この抗いようもない男の力に逃げる気は完全に失せた、ただもう呻くのがやっとだった。
男は二人の抗いが失せたと見るや他の4人に目配せをした、それを合図に他の4人は殺到し二人を抑えるように取り囲んだ。
それでも彼らの容赦の無い強制執行に達也と信勝の顔は引きつり体が勝手に足掻いた。
(動くな!)男はドスのきいた声で二人を恫喝すると他の4人は一斉に二人を抱えこむ。
(よし!)その声がかかった刹那 二人の網膜には白く靄が掛かり 気付いたときには薄暗い部屋に佇んでいた。
その部屋は10畳ほどの広さで窓は無く金属製の机とそれを取り囲む様に椅子が数脚有るだけだった。
5人の黒服の内 一人の男が壁に設えられた箱のボタンを押すと腕を掴む男一人を残してその場から瞬時に消えた、残った男はようやく二人の腕を放すと(君らはこの部屋からもう逃げられん転位遮蔽を厳重に掛けたからな、さぁ立ってないでそこに座れ)男の口調には怒声が含まれていた。
二人はその怒声に怯えたように椅子に座った。
(さてと じっくり聞こうか、もう一度聞くが住所と名を正直に言え)
二人は無言で項垂れた 返す言葉が見つからない、達也が危惧したとおりの成り行きである。
この世界の地名や人名にはどんなものが一般的なのか調査はしていない…二人は余りにも安易にこの世界へ進入したことを悔い項垂れたのだ。
(住所も名もありません…)信勝は観念したようにぼそっと呟いた。
(無いわけないだろう、隠すと為にならんぞ!)男は威嚇するよう机を叩き二人を睨み付ける。
(本当に知らないんです、気が付いたらあの場に立っていたんです)今度は達也が口を開いた。
(お前等二人とも記憶喪失でも装うつもりか!、拷問ならいつでも掛けてやるぜ)
男は不敵にほくそ笑むと二人を睨めつけた。
(拷問…)聞いて二人は無様に震え始めた。
(何だお前ら、怖いのか だったら洗いざらい喋るんだな!、まずお前等の名と出身地、それとあのビルに住む老人との関係を包み隠さず喋るんだ)
この質問で自分らが何故職質から連行に至ったかはあの老人に関係があるのだと気付いた、あの呆けた老人は一体何者だったのかと信勝は震え始める。
(わ…分かりました喋ります、僕らは兄弟で出身地はトウキョウ、僕は兄のノブカツ 彼は弟のタツヤです、あのビルの老人は7年前 旅行でこの地に訪れた際 街を案内してもらたんです、今日はその御礼に伺おうとビル前にいたところを…)
(トウキョウ…何だそれは そんな地名聞いたことがない、それにお前ら奇妙な名前だな…お前ら本当はどこから来たんだ)
(ですからトウキョウです、ここからだと東の方角にあたります)
(うむぅ…まだ言うか、でっ老人と会ったのが7年前と言ったが間違いないんだんな、じゃぁ老人のその時の顔を俺に送ってみろ)
言われて信勝は朧に浮かんだ老人の顔を思念で男に送った。
(んん少し若いな)男は言いながら胸からアイホン状の板片を取り出すと暫く操作を行っていた。
(7年前というのは間違いないようだ、しかしトウキョウという地名は何処にも載っていない…その近くにもっと大きな街はないのか)
(ミヤギ・サイタマ・シズオカ・アイチ・オオサカ・ヒョウゴ・オカヤマ・ヒロシマ…)
信勝は半分やけで思いつく県名を次々に並べていった。
(あったハイチ…こんな辺境から来たのか、確かに東の果てだ こんな所に人が住んでいるのか…)
男は交互に二人を見詰めながらその衣装に目をとめた。
(なんだその見窄らしい服は、ハイチという所はそんなボロ着しかないのか…やれやれ10年も待ってようやく仲間をおさえたと思ったら ただのお上りさんだったとは…お前等もう帰っていいぞ、それとそんな異境のボロ着で歩いているとまた捕まるから早く田舎に帰ることだな)
そう言うと男は立ち上がり先と同様に箱のボタンを押してその場から消えた。
残された二人はお互い顔を見合わせた、まだ震えは止まっていない。
(危なかったぁ、この衣装が救ってくれたんだ…しかしあの老人は一体何者なんだろう)
信勝は瘧にでもかかったように歯を鳴らし達也の手を握った。
(信勝さん先程あの男に送った老人の顔…あれは私の父の顔です老けているようですが間違いない!)達也は信勝を見詰めた。
(なに!君の父だと…そんなことが…、まっ達也君話しは後だ、それより早くここから逃げるぞ)
信勝は手短に言うと、転位した公園の草むらの映像を達也に送り震えるように思念に集中した。
二人は草むらに立っていた、僅か2時間前に現世から転位した場所だ、二人はまだ震えが治まらない、それは異国で拉致にあい 生死を分ける尋問にあった…そんな恐怖感覚なのだ。
(達也君、あの老人が君の父上だったとは…間違いないかもう一度いろいろな表情を送るから確認してみて)そう言うと信勝は以前会った老人の思いつく限りの表情を達也に送った。
暫くして達也の目に涙が浮かんでいた。
(こんなにやつれた老人に成り果てるとは…母を捨てた結末があんな薄汚れたビルの一室で一人寂しく死に行くとは…)
(達也君、父上が死んだとは限らないじゃない、あの男も死んだとは言ってないし、あんなに血眼になって手当たり次第ビルに近づくに者を連行することを考えれば父君はまだ生きてるってことは充分に考えられるよ)
(そうでしょうか…でももし生きてるなら120歳の老人だよ)
(達也君先送った老人の表情見ただろ、幾つに見えた 僕には70をせいぜい二つ三つ過ぎた老人にしか見えなかった、考えてみたまえ父君が失踪したのが15年前、僕が見た時は7年前…ということは僕が見た時分はこの世界なら父君は92歳のはず、多少呆けていたがとても92の老人には見えなかった、現世からこの世界に転位した場合この世界の時速に倣うって事はないのかもしれないよ)
(…今更何言ってんの現世に対しこの世界の時間速度4倍は間違いないって言ったのは信勝さんだよ、それを今になって時速に倣わないかもって…本当にアンタの言うことはいい加減なんだから)
(…………)
(信勝さん時速に倣わないかもしれないと言うなら もう一度戻って調べようよ、あの男に聞いたら父の消息が分かるかもしれないし時間速度も知れるでしょう…)
(達也君、ここは帰ろうよ…こんな所でうろうろしてまた連行されたらさっきの偶然はもう効かないし、本当に拷問に合うかもしれない、ねっ現世でもっと調査して来訪しても遅くはないよ)と言いながら林向こうの人影を震えながら目で追う信勝である。
あんなに来たがっていた信勝が2時間も経たぬ内に帰ろうと哀願し 周囲で動く人影に怯えを隠せない、よほど連行と拷問という威嚇がこたえたのだろうか、信勝の意外な気弱さを垣間見たように感じた。
(それほど言うなら…今日は愛知をハイチと聞き違え それとこの服に助けられたけど…今度掴まったら二度目はないかな、しかたがない信勝さんの言うとおり無理せずに帰ろうか)
達也は言いながら今日は何しにここまでやって来たのかと思う、二度目の来訪なのにその信勝が以外にもこの世界の地名や風習・規則も知らずただ単に行きたいというだけで連れてこられ、下手をすれば二度と現世に戻れぬ緊迫した状況に陥った、そんな不甲斐ない信勝がさらに上の最上級世界に行きたいという…この安易すぎる男に不安と不甲斐なさを痛烈に感じたのだ。
また父の謎も大きく胸に澱んだ、一体父は何しにこの世界に訪れたのか、それも官憲らしき男等に追われるような事態に…。
しかし未だ生きているという望みは得られた、唯一ここに来ての収穫は父の存命の可能性であろうかと心に明かりが灯ったようにも感じられた。
二人は手を取りあうと信勝の居間を思念上で浮かべた、その瞬間二人は草むらから消えていた。