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晴れ空と曇り空の理由

作者: sethy

 君は多くを語らない。

 だからこれは、ぼくの想像で補った話だ。


 あの日。二週間前のあの日。

 確かに、君の言った通り、雨が降っていた。あの日、朝方は晴れていたが、午前中の早いうちから雲が出始め、正午前には空が泣き始めたのだ。

 だから君は、ぼくとの待ち合わせに間に合うように家を出ようとして、そこで躊躇った。想像していたより強い雨だったからだ。

 悩んだ挙句、君は玄関で、用意していた靴を変えた。ファッションとして、既に身に着けている服に最低限マッチするレインブーツを引き出し、パンプスを靴箱に戻した。

 これが一つ目。

 急いだ君は、玄関を飛び出し、そこで傘を持っていないことにすぐ気付く。慌てて振り返り、玄関を開け、傘を片手に外へ出る。玄関の鍵を閉め、腕時計で時間を確かめながら、少し小走りになって駅へと向かう。

 これが二つ目。

 君の家から駅までの道に信号は三つ。その一つに、君はぎりぎり引っ掛かってしまう。点滅を始めた歩行者用信号を見上げ、傘を傾げて、君はここでも一瞬迷う。走るべきか。走って渡ってしまうべきか。そして、君はそれを諦めた。強い雨の中を駆けることへの懸念が勝ったのだ。

 これが三つ目。

 君は駅に着く。乗るはずだった電車は、既に出てしまっている。

 これが四つ目。

 でもきっと、一番の問題は、最後だろう。

 君は携帯電話を取り出して、ぼくにメールする。一つ電車を乗り遅れた旨を伝え、少し遅れそうだと告げる。次の電車が来る。君は乗り込み、いつもの癖ですぐに扉側を向く。そうしたはずだ。ぼくにはそれがわかる。この一年、誰よりも近くにいたのだ。君の癖は、わかるつもりだ。

 この日、ぼくたちは映画を観る予定だった。結局、観ることはなかったが、その予定だった。だからいつも、休日に会う時には待ち合わせ場所にしている駅とは、違う場所を待ち合わせ場所にした。ぼくが指定したのだ。いつも待ち合わせる駅にも、映画館はあったが、あえてぼくが別の場所を指定した。新しくできた映画館がある。そこへ行こう、と。

 これが五つ目だ。

 いつもとは違う駅で、君は電車を降りる。人でごった返す改札を抜けようとして、君は手にした傘を落とす。誰かにぶつかって、それが誰かはわからず、謝罪もない。急いでいる身では苛立ちを覚えただろう。ため息を漏らしながらしゃがみ、傘を拾う。立ち上がって、歩き出す。

 そこで君は出会ってしまう。


 五月の大型連休を迎えた日。よく晴れた空の下、眩しい日差しを受けて、街路樹がキラキラと輝いていた。歩道脇まで迫り出したカフェのテラスに座るぼくは、その清潔な光に目を細めながら、しかしそれとはまるで異なるものを見ていた。

 あの日と同じだった。映画を観ようと待ち合わせた、二週間前のあの日と。

 君が約束の時間に遅れることは、そんなに珍しい事ではなかった。だからぼくは、特に気にしなかった。いつものように、ぼうっとイヤホンから聞こえる音楽に身を委ねながら、行きかう人の波を見つめていた。

 そこに、君がやってきた。いまと同じ表情をして。あまりのことに、ぼくはかける言葉を考えた。でも、結局何も言えなかった。その顔に浮かんだ違和感は、それほどにわかりやすかった。

 ぼくの視界を塗り潰す、清潔な陽光と対比して、もし天気に例えるならばそれは、曇天の空だろう。どんよりとした、常の明るさを忘れた空。

 でも。

 ああ、でも。

 あの時、ぼくにはその向こう側にある、君の青空が見えてしまった気がした。

 これはつよがりじゃない。本当のことだ。だからこんな日が来ることを、ぼくはどこか予感していた。

 いや、違う。

 君の顔を見つめながら、ぼくは一口、コーヒーを啜った。曇った顔を見つめながら、ぼくは自分が抱いた感覚を、自ら否定する。

 ぼくはずっと以前から、薄曇りの向こう側にある、君の青空を知っていた。その青空を見たいと願ったし、一度は見ることができたと思った。だからあの日、君の表情だけで、君に何があったのか、どんな想いを抱いているのかがわかったのだ。

 知っていた。そう。ぼくはずっと知っていた。知っていて、それを、君の薄曇りの空さえも愛した。いつかは晴れると信じて。いや、いつかは晴れさせてみせると思い込んで。

 言葉少なに語られた『理由』

 あの日、ぼくとの映画の約束を、体調不良を理由に反故にした後、君は駅で偶然再会したあの男に会った。君がずっと想い続けている男に。そこでよりを戻したい、と言われた。これはやはり想像だが、大方、二度と泣かせたりしない、とでも言われたのだろう。

 そんなのは言葉だけだと、君が一番わかっているだろうに。

 結果は、見えているだろうに。

『理由』を語った君のその唇が、ぼくの真似をするように、コーヒーを飲んだその唇が、いまからどんな言葉を紡ごうとしているのか、ぼくはもう、わかっていた。それもきっと、ずっと以前からわかっていた。知っていた。君が誰かとぼくを比べ続けていることも、君がぼくではない誰かを想い続けていることも、すべてわかっていたのと同じように。

 もしあの日、雨が降らなければ。

 君が靴を変えなければ。

 傘を忘れて出なければ。

 信号に一度も引っ掛かることなく駅まで着いていれば。

 いつも通りの電車に間に合えば。

 そして、いつも通りの駅で降りていれば。

 いつも通りの待ち合わせ場所を、ぼくが指定していれば。

 どれか一つでも違っていれば、いま、君が口にしようとしている言葉を、聞かずに済んだのだろうか。

 いや、そうではない。

 君はきっと、そうだと思い込んでいるだろう。でもそうではない。それはただの理由に過ぎないのだ。

 遅かれ早かれ、こんな悲しみが訪れることは、わかっていた。君の空が、君の青空を隠し続ける限り、答えは、初めからわかっていた。

 残念なことに、男が鈍感だと考えるのは、鈍感であって欲しいと願う女性の迷信なのだ。男にも、ちゃんと感じる部分はある。それが女性とはベクトルが異なっているだけで。

 君がゆっくりとカップをテーブルに戻す。

 その細く、長く、白い指。

 肩までの栗毛。

 他人より少し大きく、愛らしい瞳。

 ぼくはそれらをいま、この瞬間も、愛おしいと想っている。感じている。

 伏目がちにぼくを見る君には、どんな空が見えているのだろうか。

 唇に残ったコーヒーの雫を、君の舌先がわずかに拭った。

 何かを話そうとする、一瞬の間。

 君が顔を上げる。

 愛おしい唇が動く。

 わかっていた、知っていた言葉を、君が口にする。


 最後の言葉を、口にする。

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