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作者: ぶどう

友達の死。

3年以上交流のない友達の死。


通夜に集まった友人は、思い出話で笑いあったらしい。もしかしたら私もその思い出話の中心に亡き者として「いた」、いや、「いなかった」のかも知れない。いつ頃からか死は私にとって図らずも身近な物に感じられているからだ。自殺未遂という事実を伴って。


そう、死んだ彼は自殺だったらしい。もし存在するなら、彼の霊と対話し、どのような心境で死ぬまでを過ごしたか知りたい。そこには一人の友達としての弔辞は存在しない。ただ彼の死を、彼を自殺に導いた苦悩という美で飾りたいだけである。そして彼に対して、私の人生経験の糧となって欲しい、という期待しか今は感じない。


実際に棺桶の窓から顔を見れば変わるのだろうか。人物の死という何物にも変えられない貴重な悲しみの体験が得られるのだろうか。いや、死因からして顔を拝めるかどうかもわからない。だから実際に私が肌で感じられるのは、明日の葬式に出席するのかと、友達に送ったメールとその後の軽い対話だけかもしれない。


あまりに漠然とし過ぎている。親戚が亡くなったときも、大体こんな気持ちだった。親戚との関係を希薄に感じている私にとっては家族の死をもってしないと、人並みの悲しみを得られないのだろうか。



人が死ぬというのはどういうことなのだろうか。

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