召喚なんてやるもんじゃない
どうしてこうなってしまったの?
……。
わたし、ミアナ・マージェ。
王都にある名門校、アンジュ高等学院、魔法科に所属する1年生。
アンジュ学院は国の貴族や富豪の子女たちが通う学院だ。
もちろん、例外もあるけれど。
魔法科はそんな例外な生徒を受け入れている科だ。
この科は身分や貧富に左右されることなく、魔法に優れた生徒たちが集められている。
わたしもその一人で。
ほんの数か月前は王都からずっと離れた田舎で暮らしていた。
わたしの両親は農夫で、わたしはその次女として生まれた。
兄弟は兄二人に、姉と弟がいる。
上の兄はすでに結婚していて両親と同じ農夫をしている。
姉も近くの農家の息子と近々結婚する予定だ。
わたしも、兄や姉のように、近隣の農家に嫁いで畑仕事に勤しみながら一生を送るのだろうと思っていた。
そんなとき、国から視察団の一行がやってきた。
わたしの居る国、アルデンス国は治安が良い。
なんでもわたしの曽祖父の代には荒れてたそうなんだけれど、祖父の時に新しく国王陛下になられた現大公殿下(今は国王を譲位なされて大公として隠居生活を送られている)が、わたしたち下々の治政を抜本から見直し、大改革を行った。
不正を働いていた中央の役人の排除から始まり、地方では、領民から不当に税を取り立ててた領主を罰したり、その手腕は見事だったそうだ。
(祖父はことあるごとに、熱く当時のことを語る)
その頃からの慣習で、年2回、王都から離れたこの田舎の領地にも、国の視察団が来るのだ。
視察団は、一級騎士や魔道戦士たち、王都を支える煌びやかな人たちで構成されている。
辺境の田舎に来るとすごく目立つ。
この春に来た視察の一行がわたしに目を止めた。
我が家の畑の生育状況を見に来てた時だった。
農家はわたしの家だけじゃないけれど、採れる作物の質がいいことと、田畑が領主の館に近く、王都に出荷している花も栽培しているからとの理由で選ばれたのだ。
畑仕事の様子を見るのも視察の一環だからと、祖父母、両親、兄たち夫婦や姉、弟といっしょに苗たちの世話をしていたら、両親とわたしが視察の一団に呼ばれた。
何か粗相があったのかと、びくびくしていたら、アンジュ高等学院魔法科への入学の勧めだった。
一家の中でわたしだけ、魔力があってそれも半端ない量だとかで、
このまま田舎の農家で一生を終わらせるのは惜しいということなのだ。
両親はその話に困惑したようだったけれど、わたしたちからの話を聞いた祖父は感極まった表情をした。
そして、わたしに王都に行くよう促した。
祖父は、大公さま大好き、王族大好きな人だから。
その大好きな王族、国のお役に立てるなら、こちらからお願いしてでも行けと言わんばかりな勢いだった。
その勢いに押され、あれよあれよという間にこの学院の女子寮を借り編入していた。
1年からとはいえ、中途からの編入だから、当然他の生徒たちとは理解度に開きがある。
授業にも追いつけなくて、放課後残って自主学習するのが常になっていた。
今日もその自習中。
今月の課題である転移魔法の詠唱を繰り返していた。
転移魔法の基礎的なもので、机の上に置いた羽をほんの少しでも動かせれば良いのだけれど、わたしが何度詠唱しても、羽根は机の上に縫いとめられたように動く気配がない。
先生は魔法が発動しないのは、わたしの発音が悪いからだと言った。
ラ行の発音するところをナ行でしているそうだ。
自分ではちゃんと発音しているつもりなんだけれど、地方の言葉の訛りが出ているそうだ。
自習を始めたときは明るかった空が今ではすっかり暮れて暗くなってきた。
ああ、羽動きそうもないな、
いつになったら正しい発音で詠唱できるようになるのだろう。
一人になると、やっぱり故郷のことを思ってしまう。
畑の花は青のブルーデジエンスの蕾があがる頃ね。
一家総出で収穫の準備しているのだろう。
畑仕事は1日の終わりになるとくたくたになったけれど、収穫された野菜や花たちを見ると、そんな疲れも忘れてしまうくらい愛しかった。
いけない、課題に集中しなきゃ。
余計なことを考えずに詠唱しなきゃ。
発音、発音。
わたしは気を取り直し魔法を唱えた。
何回も繰り返して、ようやく詠唱の効果が現れた。
でも課題通りに「羽が動く」ではなくて、とんでもない方向に……。
動かす予定の羽は、今は見えない。
羽のあったと思われる場所に、青の詰襟に幾つかの勲章が付いた服、腰に帯剣を纏った、30歳くらいの背の高い男がいる。
机の上に腰かけてる人物、短く切りそろえられた白色の髪に青色の瞳持つ美麗な男が、わたしを睨み付けていた。
「あなたは、分かっているのですか?」
低く冷たい声が教室に響く。
「宰相さま、おゆぬしください!」
わたしは即座に足を曲げ床に手を付き平伏した。
わたしはパニックに陥っていた。
王都の催しで、学院の生徒たちが招待されたときに、数回遠目で見た人物だ。
それでも印象に残ってたのは、柔らかく慎ましい微笑だ。
その宰相さまがひどく怒っていらっしゃる。
宰相さまは机から腰を下ろすと、平伏するわたしに近づいた。
「王宮にあったわが身を召喚などありえない! ……許してはならない」
わたしの顎を掴むとくいと顔を上に向かせる。
宰相さまと目があってしまった。
わたしは恐ろしさで竦みあがった。
涙がぽろぽろ流れてくる。
お許しくださいと、何度も何度も宰相さまに懇願した。
宰相さまの目がすっと細められた。
ああ、怖い。
これからわたしはどうなるのでしょう。
祖父の期待を裏切るどころか、家族にまで罪が問われてしまうのでしょうか。
ごめんなさい、
ほんとうにごめんなさい。
魔法なんて、召喚なんてやるもんじゃないんです。
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まさか、こんなに囚われてしまうとは。
……。
初めて彼女を見たのは、僻地の視察の時だった。
年2回の公的な視察ではなく裏の、非公式な視察の時だ。
そこで彼女、ミアナに会った。
その時わたしは今の宰相職ではなく二隊の魔道戦士長で、彼女は10歳に満たなかったと思う。
彼女の畑では甘酸っぱいヒラウの果実の収穫をしていた。
彼女も腰を屈んで草に成ったヒラウの実を摘まんでかごに入れていた。
彼女を見たとき、魔力を持っているのが感じられた。
でもまだその時はほんの微量で、実用できるレベルではなかった。
わたしが彼女の魔力を感じたように、彼女もわたしの魔力を感じ取ったのだろうか。
目立たぬよう身を隠していたわたしを見つけると、摘んだばかりのヒラウの実を籠からひとつ取り出した。
「うちのヒなウはおいしんですよ、旅人さん、どうぞ」
と、翠の大きな目を細め、うれしそうな笑みを浮かべて差し出した。
彼女の笑顔は採れたてのヒラウの実のようにみずみずしく愛らしかった。
それからも、彼女のいる地方へ視察に行く際は、彼女をもこっそり観察した。
彼女の持つ魔力に変化があるかどうか気がかりだったからだ。
王都にあるアンジュ学院は魔力ある平民をも受け入れる。
それは有望ある魔道士の育成という目的もあるが、彼らを敵国から保護する役目もあるからだ。
魔道を扱う者は、各国とも非常に数が少ない。
その分魔道士は見いだされると国家の戦力として優遇されるのが常だ。
当然数が少ない魔道士は狙われる対象でもある。
他国に嗅ぎ付かれる前に有望な魔道士の卵を保護しなければならない。
当面、彼女の魔力に変化はなかった。
しかし6年たったこの春に、状況は変わった。
宰相に就任してからは、わたし自ら地方に行くことはなくなったが、報告は受けていた。
そして彼女の魔力が以前よりも増す兆候があるということを知った。
ただちにアンジュ学院への編入の手続きをするよう、宰相として部下に命じた。
入学した彼女、ミアナ・マージェは確かに以前より多くの魔力を有していた。
しかし、魔法科としての成績は良くなく、むしろ最低だった。
農仕事ばかりをしていたから他の学生より遅れを取るのは当たり前だと思っていたが、それだけが理由ではなかった。
ミアナの詠唱する発音に問題があった。
彼女は「ラ行」をきちんと言えない。
「ラ行」の音は「ナ行」になる。
詠唱に「ラ行」のない呪文はほとんど存在しない。
ラ行の言えない魔道士は当然、戦力外だ。
他国に即、狙われる心配はなくなった。
それでも、豊富な魔力をミアナが抱えていることには変わらない。
さて、どうしたものか。
と思っていた時に、彼女の詠唱した魔法で、宰相の執務室から、アンジュ学院1年魔法科の教室の机の上に召喚された。
ミアナが言うには、移動の魔法、机の羽を動かす魔法の詠唱をしていたと言うのだが、その魔法がどうしてこうなった?
よりによって人を呼び出す召喚魔法なんかに。
かかったのが同じ国で、彼女の事情を知るわたしだから良いものを、これを他国のそれも重職にある人物を呼び出していたとあっては、国際問題になる。
「あなたは、分かっているのですか?」
わたしの口調がつい厳しいものになっても仕方ないだろう?
ミアナは即座に震えあがった。
「ゆぬしてください」と例のナ行の発音で謝罪の言葉を言う。
わたしはすぐに言い過ぎたと後悔した。
「王宮にあったわが身を召喚なんてありえない。(このような事態にならないよう、わたしの目の届かない範囲での詠唱は)許してはならない」
わたしは屈み、平伏して顔を下げていたミアナの顎を持つ。
上向きにさせて顔を覗き込んだ。
ミアナは長いブラウンの髪をぷるぷる震わせ、大きな翠の目からぽろぽろ涙をこぼしている。
なんだこのかわいさは。
目が離せない。
ミアナはとても可憐だった。
とくんと波打つ打つ、自分の心臓の音を感じた。
その後わたしは、魔道の説話で学院の理事長、王都にいる陛下と王太子に連絡した後、ミアナを連れて自宅の邸宅へ行った。
ミアナは自分がどんな処罰を受けるのかひどく恐れおののいていたが、すべては詠唱魔法の発音違いが引き起こしたこと。
彼女を落ち着かせた上で、ラ行がきちんと発音できるまで学院は休学し、我が邸宅の侍女として暮すよう約束させた。
「なトアーぬさま」
アナが邸宅に来てから二か月たった。
わたしの名は、ラトアールだ。
相変わらずラ行の発音は悪いままで、わたしを「なトアーぬさま」と呼ぶ。
でもわたしはことさらそれに目くじらを立てて直そうとは思わない。
彼女の訛った言葉はとても愛らしい。
魔法の練習は週に一度している。
それは実益を兼ねての魔法。
それもラ行の入らない魔法を中心にしている。
邸にある温室の気温を調節する魔法がそうだ。
温室はミアナが来る前は放置状態だったが、彼女に管理を任せている。
気温の調節の呪文にラ行は含まれていなかった。
ミアナは、故郷の畑で育てていた野菜の苗や花を植え育て始めた。
温室にいる時のミアナは生き生きとしている。
自分の魔法が効き役に立っていることもあってよけいうれしいようだ。
ミアナの魔法は、ラ行抜きだと思った通りに苦もなく発動するようだった。
難度の低い高いに関係なく。
祖父の言葉を思い出し、学園に復帰したい素振りも見せるが、まだそのレベルには至っていないと言い含め許可していない。
もとより、彼女を学園に復学させる気など全くないのだが。
王城の執務の休憩時間に王太子とお茶を飲みながら話をする。
殿下とは彼が小さい時から遊び相手として傍に仕えていたので、その分気安い関係ではあった。
このところの話題は、わたしの邸にいるミアナのことだ。
ことあるごとにわたしをからかう。
「なトアーぬちゃん、なんてかわいく呼ばれてるんだ?」
「殿下、今飲んでるお茶を、すぐさま口内が爛れるくらいに熱くしてさしあげますよ?」
「おおこわっ、それは勘弁。悪い冗談はやめてくれよ、なトアーぬちゃん?」
「殿下!」
「ごめん、ごめん、本気で怒るなよ」
王太子はくすくす笑いながら目くばせをする。
「それより、まとまったようだね、ミアナの養子縁組の話」
王太子は机上に広げられた書類の中から一枚を取り出す。
殿下の言葉にわたしの顔に一瞬に朱が走った。
「父上も喜んでいたよ。ようやく堅物のなトアーぬちゃんが身を固める決意をしたのかとね」
……もう王太子のからかいに、いちいち文句を言う気も起きない。
そう、わたしはミアナと婚姻を結ぶべく環境を整えている。
わたしと身分の釣り合う貴族と養子縁組させてから後、妻に迎えようと準備していた。
ミアナがわたしを召喚した魔法はいわくつきのものだった。
ラ行をナ行に変換した転移の初歩魔法。
国家機密の文書を集めた書庫にその答えがあった。
文書によるとその魔法は禁呪された古代の魔法。
自らの一生の伴侶を呼び出すもの。
それは異界だろうが関係はなく働くもの。
呼び出される人間の人権が損なわれるからと、(いきなり呼び出されればそれは人攫いだろう)禁呪とされていた。
それでも、召喚は相当上級の魔道士が魔力を蓄えようやく成功する魔法である。
ラ行読み違えただけのミアナが成功させた。
そこにも驚きだが、彼女の伴侶にわたしが呼び出されるとは……。
そして魔法に、ミアナにすっかり囚われてしまった。
わたしは、そのことをミアナに伝えていない。
もちろんプロポーズもまだしていない。
ミアナは16歳、わたしとはずいぶんな年の差がある。
ミアナの前だと素直に自分の気持ちが言えない。
(王太子に言わせると、通常のわたしは素直とは程遠い人物だというが、ミアナの前では分かりやすい性格をしているとか……)
召喚なんてやるものではない。
けれど、その存在をわたしは否定しない。(終)