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短編作品

星が墜ちるまで

作者: 花依はな
掲載日:2026/08/05

ふわっとした世界観設定ですがお読みいただけると嬉しいです。

※ハッピーエンドではありません。結末にご注意ください。

明かりの消えない不夜城は、いつだって不気味に歪んでいた。


立ち並ぶ高層ビルの隙間を這い回る魔物と、それを狩る人間たち。現実の輪郭が曖昧なこの都市で、ステラは第9部隊の隊長として生きていた。……前世で画面越しに遊んでいた『ゲーム』の世界で。


ゲームの知識があるからこそ、彼女は誰よりも冷静に、死線を取り仕切ることができた。

「ステラ隊長」と部下に慕われ、上層部からも一目置かれる存在。だが、ステラだけが知っている残酷な事実があった。


この世界の『本編』に、ステラという名の隊長は存在しない。


魔物が空から雨のように降り注ぐ『流星事件』。物語が大きく動き出すその日、自分は命を落とす。最初から決まっていたシナリオ。変えられない結末。


(だから……これ以上、あの人を好きになってはいけない)


第3部隊を率いる男、アル。


金髪に近い色素の薄い髪は肩口で無造作に揺れ、その隙間から覗く青い瞳は、いつも気怠げで、けれど射抜くように鋭い。制服の襟元を緩め、隊長という重い肩書きを軽くいなす男。好物のホワイトチョコを指先で折る仕草すら、嫌になるほど洗練されていた。


「隊長らしくない」と噂される彼は、ただそこに立っているだけで周囲の視線を奪っていく。そして——ステラの心すらも。


作戦会議が終わった夜、二人は決まって本部の屋上に並んで立った。

ビルの群れから吹き上げる生ぬるい風の中、アルはポケットから小さな板チョコを取り出し、パキと音を立てて半分に折る。


「ほら、ステラ。ちゃんと糖分補給しなよ。真面目すぎる頭がパンクしちゃうぞ」

「また余りもの?」

「まさか。君にあげるために買ってきたんだよ」


アルは当たり前のように彼女の肩に腕を回し、自分のほうへぐっと引き寄せた。

密着する体温。彼の服から漂う香水と、甘いチョコレートの匂い。ステラの心臓が、痛いほど跳ね上がる。差し出されたホワイトチョコレートを口に含むと、まろやかな甘さが舌の上で溶けた。


「ステラは肩の力抜きなよ。俺が半分背負ってあげようか?」


アルの長くて細い指が、ステラの頭をポンポンと優しく叩く。触れ方ひとつ、髪を撫でる力加減ひとつまで、宝物を扱うように丁寧で——それが、ステラの胸を甘く締め付けた。


「……恋人じゃないんだから、こういうのやめて」

「じゃあ、付き合う?」


ふわりと柔らかく目を細め、首を傾げるアル。


「言い方が軽すぎるの」

「本気なんだけどなあ」


空を見上げながらぽつりと呟いたアルの声は、夜風にさらわれて消えそうなくらい軽かった。いつもの冗談。そうやって笑い飛ばせばいいはずなのに、ステラの胸の奥は甘く痺れたように痛んだ。


(本気なわけ、ないじゃない)


そう自分に言い聞かせて彼の手を払おうとした瞬間、アルの長い指先が、ステラの唇にそっと触れた。


「ば……っ」


息が止まる。

払おうとした手が、彼の制服の袖口を掴んだまま凍りついた。


「ひどいな、ステラ。俺に『バカ』なんて言おうとしただろ」


低く柔らかい声。アルの青い瞳が、逃げ場を塞ぐようにステラをまっすぐ見つめている。いつもの気怠げな色なんてどこにもない。そこにあったのは、今にも崩れそうなほど熱く、切ない色だった。


アルの指先が、ステラの柔らかい下唇を、愛おしむようにゆっくりとなぞる。

触れられている場所から、彼の体温がじんわりと熱を広げていく。ステラは必死にブレーキを踏み込もうとするのに、体中の細胞が「この手に抱きしめられたい」と悲鳴を上げていた。


(ダメ……これ以上、踏み込ませちゃダメなのに……)


「……チョコの欠片、ついてたよ」


くすりと笑うアルの瞳は、冗談めかした言葉とは裏腹に、熱く揺れていた。

指先の感触が、唇から体中へ甘い毒のように広がっていく。ステラは泣きそうになるのを誤魔化すように、慌てて顔を背けた。


「……美味しかった。今度おごるね」

「本当? 楽しみにしとく」


アルは少し驚いたように目を見開いたが、すぐに優しい微笑みを浮かべた。けれど、彼の瞳はステラの強張った横顔を逃さなかった。


「……ステラ。無理してない?」


軽い口調の奥にある、射抜くような優しさ。

流星事件の足音が、すぐそこまで迫っている。もうすぐ自分はいなくなる。アルの優しさに縋りついて、「抱きしめて」と泣き叫びたい衝動を、ステラは必死に押し殺した。


「なんでもないよ。ほら、もう戻ろう」

「ステラ、俺は——」

「あ、今日の報告書、まだ途中だった」

「……ステラ」

「チョコ、ごちそうさま」


踏み込んでこようとするアルの言葉を、ステラは笑顔で遮り続けた。

アルはいつも、どこか寂しそうに眉を下げ、それ以上は追及せずに引き下がる。


嫌われたくないから。消えていくとき、彼に余計な寂しさを残したくないから。

死ぬことを知っている秘密も、溢れ出しそうな恋心も、すべて隠し通す。

それが、自分にできる唯一の愛し方だと信じていた。


そして、その日はやってきた。


――



『流星事件』。

歪んだ空から、星の破片のように魔物が降り注ぎ、街は一瞬で地獄と化した。


ステラの第9部隊と、アルの第3部隊は最前線へ投入された。

瓦礫と硝煙が舞う中、アルの斬撃が美しく閃き、ステラの魔法が重雷を打ち落とす。二人は背中を預け合い、完璧な連携で敵を薙ぎ払っていった。


「左、三匹来る!」

「助かる、ステラ!」


背中越しに感じるアルの体温。互いの癖も、間合いも知り尽くした立ち回り。

激戦の合間、アルが血を拭いながら軽口を叩く。


「怪我すんなよ? チョコ奢ってもらう約束、まだなんだから」

「……わかってるよ」


ステラは胸の奥で、静かに最後の息を吐いた。

知っていた。この先の曲がり角で、自分は死ぬ。

だからこれ以上、何も言い残さない。ただ彼の隣で、彼の背中を守り抜く。


その時、空間が歪み、巨大な異形の魔物が突如として現れた。

狙われたのは、体制を崩したアル。


(あ……今なんだ)


ステラは思考を挟まなかった。体が勝手に動いていた。


「アル——っ!!」


強引にアルの身体を押しのけ、自らがその巨腕の爪に貫かれた。

衝撃。内臓を灼くような激痛。視界が真っ白に染まり、口から大量の血が溢れ出す。


「ステラ……!?」


魔物を一閃で斬り伏せたアルが、血相を変えて駆け寄ってくる。いつもの気怠げな余裕なんて、欠片も残っていない。


「ステラ! おい、しっかりしろ! ステラ!!」


膝から崩れ落ちた彼女を、アルがなりふり構わず抱き寄せる。

ステラは震える指先で、彼の綺麗な制服の袖を掴んだ。力はもう入らない。けれど、声だけは穏やかに整えた。


「大丈夫……行って、アル……」

「馬鹿なこと言うな! 傷が深すぎる、今すぐ俺が背負って戻る——」

「あなたが残ったら、みんな死ぬよ」


ステラは血に染まった唇で、かすかに微笑んだ。


「私は……平気。ここにいる大きなやつは倒したから。追撃を、止めてきて」


アルの指が、彼女の血に濡れた髪を痛いほど強く引き寄せる。

二人の目が重なる。夜の屋上で交わした、あの甘い視線。

唇に残っていた、ホワイトチョコの感触。


「嫌だ……置いていけるわけないだろ!」

「……行って」


ステラは弱々しく手を伸ばし、彼の唇にそっと指を当てた。

いつか彼が、自分の唇に触れたのと同じように。


「行って、アル。……みんなを、守って」


アルは胸を打ち破られたような顔で目を閉じ、ステラの指の感触を確かめるように強く噛み締めた。やがて、血の涙を流さんばかりの瞳を開き、ゆっくりと頷く。


「……待ってろ。すぐ戻る。絶対に、死ぬな!」


疾走していくアルの背中。

ステラは崩れ落ちたまま、歪んだ空を見上げた。


痛みも、寒さも、遠のいていく。

まぶたの裏に残るのは、アルの背中と、肩に残った抱きしめられた感触、そして唇に触れた彼の指先。


(好きだったよ、アル)


言えなかった言葉を、心の中でだけ呟く。

ブレーキをかけ続けた恋心は、静かに、誰にも知られずに溶けて消えた。

それが自分の選んだ、最高に幸せな終わり方だった。


――



事件から数日後。雨の上がった中庭に、小さな慰霊碑が建てられていた。


アルは、その一番手前に立っていた。

いつもの軽薄な笑みは消え去り、その表情は氷のように冷たく硬い。


ポケットの中で、彼は小さな板チョコを取り出した。

指先が微かに震える。パキ、と重い音を立てて半分に折る。


半分を遺影の前にそっと置き、残りの半分を自分の口へ放り込んだ。


「……苦いな」


まろやかなはずのホワイトチョコレートが、喉を焼くほど苦かった。


目を閉じれば、あの日々のすべてが色鮮やかに蘇る。

血に濡れた彼女の髪の重さ。肩を抱いたときの華奢な感触。自分の唇に触れた、冷たくなっていく指先。「行って」と笑った、あまりにも静かな微笑み。


屋上で視線が重なったとき、彼女の胸が高鳴っていたこと。

「無理してる?」と聞いたとき、怯えたように泳いだ瞳。

「付き合う?」と冗談めかして言ったとき、赤くなった耳先。


(全部……気づいてたんだ)


彼女が自分との間に、分厚い透明な壁を作っていたこと。

踏み込もうとするたびに、上手にするりと逃げられていたこと。


(なんで俺は、あの時強引に抱きしめなかった?)

(嫌われるのを恐れて、なにも聞かずに笑って誤魔化したのは俺だ)


「いつでも言える」と思っていた。

戦いが終わったら、いつか彼女が壁を壊してくれると高をくくっていた。

だが、違ったのだ。ステラは最初から、いなくなる準備をしていたのだ。


ただの仲間としてじゃなく。同じ隊長としてじゃなく。

俺は、ステラを——一人の女として、狂おしいほど愛していたのに。


「……すぐ戻るって、言っただろ……バカ」


掠れた声が、無人の空に消えていく。

振り返る部下たちが、見たこともないほど深く沈むアルの背中に、かける言葉を失っていた。


夜。アルは一人、あの思い出の屋上に立っていた。

街のネオンは相変わらず明るく、空には星ひとつ見えない。


ポケットの中に手を入れる。

そこには、半分に折られたホワイトチョコレート。


渡す相手は、もうどこにもいない。

指の体温で溶けていく甘い塊を握りしめながら、アルは二度と届かない空を見つめ続けた。


彼女の香りと、唇に残された指先の感触だけが、永遠に解けない毒のように、彼の胸を刺し続けていた。

お読みいただきありがとうございました

8/9、ストーリー展開に変更はありませんが、会話の流れ、心情表現など大幅に加筆修正いたしました!

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― 新着の感想 ―
応援出来ればと思い来ました(^^) 書き手としても唸りました。死を悟りつつブレーキをかけるステラの切なさ、板チョコの甘さが最後に苦く反転する構成が本当に見事で、アル視点の余韻に胸を締めつけられました。
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