盲導犬 秘境に生きる
その1 消えたおにぎり
地元を流れる吉野川の上空を、カラスが一羽——。生成AIと奮闘していて時間が押してしまった。市の障害者ボッチャ大会の開幕時刻が迫っていた。
クルマに乗り込むと
「食べてて」
朝食替わりのおにぎりを、妻に手渡された。サランラップの包みを開けて頬張る。
盲導犬のエヴァンは足元で何やらゴソゴソしている。
時間がないというのに、妻はいったん家に戻る。
「おかしいなあ。私のおにぎり、どこへやったのだろ」
腑に落ちない様子だ。
「あ、お父さんの足元のサランラップ!」
一瞬のスキを突いて、パクリとやったらしい。しかも、二個。
筆者がおにぎりを半分食べる間の出来事だった。
「それ、もらっていい」
残りをねだる。妻も腹を空かせていたのだ。
その2 人は褒めるが
廃校になった小学校の体育館に、ボテ、ボテと鈍い音が響く。
毎週、練習をしている方もいると聞いた。筆者は二回目の参加ながら、いまだルールも知らない。しかし、とじこもりがちな障害者にとって、またとない交流の場だ。勝敗など度外視して、言われた通りに、大きなおにぎり大のボールを投げておく。
寒の戻りで、石油ストーブを囲んで順番を待つ。エヴァンは注目のマトだ。
「賢いね」
「偉いね」
腹がくちくなったせいか、エヴァンはいつになく落ち着き払っている。
「訓練されとるからなあ」
などと納得の方もいた。知らぬが仏か。
その3 妖怪やーい
この一帯は妖怪の里として、つとに有名だ。
児啼爺は当地の出身だ。往時には六〇種にあまる妖怪がいた、という触れ込みである。筆者もずいぶん妖怪の小説を書いてきた。AIに作らせていたのは、このあたりをイメージした景色である。
必要は発明の母というか、児啼爺たちはある必要から、この世に生を受けた。
四国三郎・吉野川は中流域で一千メートル級の山々を縫って流れる。鮎でさえ一気にはのぼれないような急流に加え、川の左右には切り立った崖。古来、遭難事故が絶えなかった。
「あそこに行ったら、恐ろしいお化けが出るぞ」
村の衆は一計を案じたのだった。
効果のほどは不明である。ただ、筆者の治療院の患者さんには
「(一人になりがちな))小学校の下校時、言い伝えのある場所は怖くて怖くて走って帰った」
という高齢女性もいる。あまり脅すとトラウマになりかねない。
その4 イニシアティブ
エヴァンが間食した日の夕食は、軽く済ませることにしている。何事もなかったかのように、音を立てておいしそうに食べている。
先日はいつもより早く夕方の散歩に出かけたので、夕食に間があった。取り敢えず、少し水だけ与えようとすると、飲まない。ご馳走の前には何も胃袋に入れたくない、というのは人畜共通の心理なのかも。
ことほどさように、イヌも自己主張している。
散歩の時間に通り雨が降ったことがあった。寝る前のトイレをさせるため庭に出ると、雨はすっかり上がっていた。思いついて、ハーネスを付け、散歩に誘った。ところが一歩も動かない。
「えー、行くの? 今日は遅いから、もう寝ようよ」
そんな態度だった。
以前は白杖を突きながら、よくあちこちに往診した。
盲導犬ユーザーになったのは
「ずいぶん危険な場所が多いみたいじゃないですか。絶対、盲導犬が必要ですよ」
という障害者仲間の勧めによる。四国にUターンしたのを機に秘境観光に訪れ、自然環境の厳しさを目の当たりにしてのアドバイスだった。
お陰で、エヴァンがいれば、どこにでも行ける。家の周囲にも危険な場所はあるものの、夜昼を問わず外出できる。しかしまあ、エヴァンが尻込みする時は大人しくしているのが無難のようだ。




