物語の向こう側
第一章 書き換える力
私は物語が好きだ。
そして物語はやはりハッピーエンドでなくてはならない。小説でも漫画でも映画でも。私はこの世のすべての物語をハッピーエンドにする。それが私の使命。
──私は物語の中身を弄ることができる。
物語の内容を弄って、ハッピーエンドに変える。ああ、なんて素敵なんだろう。
私にこの力があると知ったのは小学校三年生の時だ。ある漫画を読んでいて、主人公が報われない恋をして終わってしまった。そんな、こんなのってないよ、そう思った瞬間、物語の中身が書き変わっていた。主人公はめでたく意中の人と恋仲になり、結婚して幸せに暮らしました。そんな物語に変わった。
最初は自分の記憶違いだと思った。でも次の日、クラスメイトの美咲ちゃんが言ったのだ。
「ねえ、『恋する少女マリー』の最終回、なんか変じゃなかった?」
私の心臓が跳ねた。
「え、どういうこと?」
「だって、先月号でマリーが事故に遭って、好きな人に想いを伝えられないまま終わる予定だったじゃん。雑誌の予告にもそう書いてあったのに」
「そう……だっけ?」
美咲ちゃんは首をかしげながら、自分の記憶に自信がなさそうに言った。
「うーん、私の勘違いかな」
それから私は気をつけて観察するようになった。物語を変えた後、周りの人がどんな反応を示すのか。
「──あれ?この話、こんなラストシーンだったっけ?」
「そうだよな。主人公が最後に死んで終わったはずだよな……?」
そんな会話が聞こえてくる度に少しドキッとする。──私だ。私が物語の内容を変えたのだ。
愛する人との約束を守れないまま、主人公が死んでしまう。やっぱり、そんなのってないよ、と思った。そして、物語の内容は書き換わった。
私はそんな風に、物語を変えていく。
第二章 代償
中学に入ってから、私の能力はさらに強くなった。
今では本を手に取って数秒集中するだけで、物語の結末を自在に操れる。悲劇を喜劇に、絶望を希望に、死を生に。世界中のどんな物語も、私の思うがままだ。
でも、気づいてしまった。
物語を変えるたびに、現実の私の周りから何かが失われていくことに。
最初に気づいたのは、飼っていた金魚のキンちゃんが死んだ時だった。その前日、私は図書館で借りた小説の主人公が飼い犬を失う場面を、「犬は元気に回復した」という展開に書き換えていた。
次は、仲良しだった隣の席の佐藤くんが転校した。その週、私は映画で親友同士が永遠の友情を誓い合うバッドエンドを、「二人は同じ街で一緒に暮らし続けた」というハッピーエンドに変えていた。
偶然かもしれない。でも、偶然にしては重なりすぎている。
一種の現実逃避、かもしれない。でも物語くらいハッピーにして欲しいものだ。現実は、全然ハッピーじゃないのだから。
だから私は今日も物語を変える。現実で失うものがあったとしても。少なくとも物語の中では、誰もが幸せでいられるのだから。
第三章 出会い
高校一年の秋、私は彼と出会った。
図書室で、私が今まさにある小説の結末を書き換えようとしていた時だった。
「やめた方がいい」
振り向くと、見知らぬ男子生徒が立っていた。切れ長の目に、どこか憂いを帯びた表情。同じ学年だと思うけれど、見たことがない顔だった。
「何の話?」
「その本の結末を変えようとしてるんだろう。やめた方がいい」
背筋が凍った。私の能力を、この人は知っている。
「あなた、誰?」
「俺は神城蒼。君と同じ力を持つ者だ」
彼はそう名乗った。
「ただし、俺は君とは逆のことをしている」
「逆……?」
「俺は物語をバッドエンドに変える。それが俺の使命だ」
信じられない、という顔をする私に、蒼は静かに続けた。
「物語には本来あるべき形がある。作者が意図した、必然の結末が。それを無理やり捻じ曲げれば、世界に歪みが生じる。君が物語を変えるたびに、現実で何かを失っているだろう?」
図星だった。
「君が無理やりハッピーエンドにした物語の『不幸』は消えない。ただ、別の場所に移動するだけだ。物語から現実へ」
「じゃあ、あなたは……」
「俺がバッドエンドに戻すのは、君がハッピーエンドに変えた物語だけだ。本来の姿に戻すことで、君が現実に流出させた不幸を物語の中に封じ込める」
蒼の目は真剣だった。
「頼む。これ以上、物語を変えないでくれ。君が救いたい気持ちは分かる。でも、その代償を払うのは君自身だけじゃない。君の周りの人たちもだ」
私は何も言えなかった。
「考えておいてくれ」
そう言い残して、蒼は図書室を出て行った。
その日から、私は物語を変えられなくなった。手に取った本のページを見つめても、指が震えて集中できない。もしかしたら、私は今まで、誰かの幸せを奪って物語を救っていたのだろうか。
第四章 選択
それから一週間、私は一冊の本も読まなかった。
いや、読めなかった。ページを開くたびに、蒼の言葉が頭に響く。「君が救いたい気持ちは分かる。でも、その代償を払うのは君自身だけじゃない」
金曜日の放課後、また図書室で蒼に会った。
「決めたか?」と彼は聞いた。
「まだ」私は正直に答えた。「でも、教えて。どうしてあなたは私が変えた物語だけを元に戻すの?他のバッドエンドはそのままにして」
蒼は少し考えてから、答えた。
「作者が最初から意図したバッドエンドには、それなりの意味がある。悲しみや喪失を通じて何かを伝えようとしている。でも、君が無理やり変えたハッピーエンドには何もない。ただの歪みだけだ」
「じゃあ聞くけど」私は声を荒げた。「なんで物語は悲しくなきゃいけないの?読者が泣かなきゃいけないの?ハッピーエンドじゃダメなの?」
「ダメじゃない」蒼は静かに言った。「でも、それは作者が選ぶべきことだ。君が選ぶことじゃない」
「作者は……作者はもうこの世にいない人もいる!物語だけが残されて、登場人物たちはずっと不幸なままなんだよ!」
私の目から涙がこぼれた。自分でも驚くほど、感情が溢れ出していた。
「私の母さんも、父さんも、交通事故で死んだ。小学校三年生の時」
蒼の表情が変わった。
「母さんの最期の言葉は『ごめんね』だった。私に謝って、それで終わり。父さんは何も言えないまま逝った。そんなの、そんなのあんまりじゃない」
「だから……」
「だから、せめて物語の中では。せめて誰かが、幸せになってほしいって思っちゃいけないの?」
長い沈黙が流れた。
「君の力が目覚めたのは」蒼がゆっくりと言った。「その事故の後?」
私は頷いた。
「なら、君の力は」蒼は言葉を選ぶように続けた。「君自身の物語を書き換えようとした結果かもしれない」
「え?」
「現実を変えられないから、物語を変える力が生まれた。君は自分の物語をハッピーエンドにできなかったから、他の物語を救おうとしている」
心臓を掴まれたような感覚だった。
「でも、それは本当の救いにはならない」蒼の声は優しかった。「君が救うべきは、物語じゃない。君自身だ」
第五章 真実
次の日の放課後、蒼が私を屋上に呼び出した。
「実は、俺も君と同じなんだ」
秋の風が蒼の前髪を揺らした。
「俺の妹が、三年前に病気で死んだ。まだ小学生だった。妹は物語が大好きで、特にハッピーエンドの話ばかり読んでた」
蒼は遠くを見つめながら続けた。
「でも現実は違った。妹はどんどん弱っていって、最期は苦しみながら逝った。そんな妹を見ていて、俺は思ったんだ。こんな不幸があるなら、せめて物語くらい不幸であるべきだって」
「それで、バッドエンドに……」
「ああ。物語の幸せを奪うことで、せめて世界の不幸の総量を平等にしようとした。馬鹿げてるよな」
蒼は自嘲気味に笑った。
「でも最近気づいたんだ。俺がバッドエンドに変えるたびに、周りで幸せなことが起きてたんだよ。クラスメイトが賞を取ったり、近所の人が宝くじに当たったり」
私たちは同じだった。物語を変えることで、現実との均衡を崩していた。
「じゃあ、どうすればいいの?」私は聞いた。
「分からない」蒼は正直に答えた。「でも、一つだけ試したいことがある」
「何?」
「俺たち二人で、一つの物語を共同で変えてみたらどうだろう。君がハッピーエンドにして、俺がバッドエンドにする。同時に」
「それって……」
「相殺されるかもしれない。物語も元のまま、現実への影響もゼロになるかもしれない」
希望の光が見えた気がした。
「やってみよう」
第六章 共鳴
私たちは図書室で向かい合って座った。間に一冊の小説を置いて。
「これ、知ってる?」蒼が選んだのは、古い恋愛小説だった。「主人公の女性が、戦争で恋人を失う話だ」
「読んだことある。すごく切ない話」
「今からこれを同時に変える。俺は主人公が恋人を失う結末に固定する。君は二人が再会して結ばれる結末にする。いいか?」
私は頷いた。
「せーの」
二人同時に、本に手を置いた。
私は目を閉じて、ハッピーエンドを強く願った。主人公と恋人が再会する場面、抱き合って喜ぶ二人、そして幸せな未来──
その時だった。
蒼の手のひらと私の手のひらが、本の上で重なった。触れた瞬間、稲妻のような感覚が走った。
気づけば、私は物語の中にいた。
いや、正確には物語と現実の狭間のような場所。周りには無数の本が浮かんでいて、そのページが風もないのにめくれている。
「ここは……」
「物語の狭間だ」蒼の声が聞こえた。振り向くと、彼もそこにいた。「君にも見えるのか」
「これ、あなたも見えてるの?」
「ああ。初めてだ、この空間を他の誰かと共有するのは」
浮かんでいる本の一冊が、私たちの前に降りてきた。さっき二人で触れていた恋愛小説だ。本が勝手に開いて、ページがめくれていく。
そして最後のページで止まった。
そこには二つの結末が同時に存在していた。恋人を失って泣く主人公と、恋人と再会して笑う主人公。二つの映像が重なり合って、揺らいでいる。
「これは……」
「物語が、どちらの結末も受け入れようとしている」蒼が言った。「でも、一つに定まらない」
その時、周りの本が一斉に開き始めた。無数の物語が、私たちに語りかけてくる。
『選んでください』
『私たちの結末を』
『あなたたちの力で』
圧倒的な声の数に、私は目眩がした。
「蒼、これ……」
「落ち着け。これは全部、俺たちが今まで変えてきた物語だ」
見ると、確かに見覚えのある本ばかりだった。私がハッピーエンドにした漫画、蒼がバッドエンドにした小説。
「私たち、こんなに多くの物語を……」
「ああ。そして、その全てが歪んでいる」
蒼の表情は苦しそうだった。
「見ろ」蒼が一冊の本を指差した。「これは俺が最初にバッドエンドにした物語だ。主人公を死なせた」
その本のページには、死んだはずの主人公が半透明の姿で彷徨っていた。生と死の間で、定まることができずにいる。
「そして、これは」私も一冊の本を手に取った。「私が最初にハッピーエンドにした恋愛漫画」
結ばれたはずの二人が、幸せな表情の中に奇妙な虚ろさを宿していた。本物の幸せではない、押し付けられた幸せ。
「私たち、何てことを……」
その時、すべての本が一斉に閉じた。そして、一冊の本だけが私たちの前に浮かび上がった。
真っ白な表紙の、何も書かれていない本。
「これは……」
本が開いた。最初のページには、こう書かれていた。
『あなたたちの物語』
第七章 物語の真実
白い本のページが勝手にめくれていく。
そこには私の人生が書かれていた。両親との幸せな日々、あの交通事故、一人残された私、そして能力に目覚めた瞬間──
「これ、私の……」
次のページには蒼の物語があった。妹との思い出、病室での最期、そして彼が能力を得た時──
「俺たちの物語が、最初から用意されていた?」
白い本は答えるように、新しいページを見せた。そこにはこう書かれていた。
『物語を変える者たちへ』
『あなたたちは選ばれました』
『世界のバランスを保つために』
『一人は光を、一人は闇を』
『しかし、それは間違いでした』
文字が浮かび上がり続ける。
『あなたたちが変えるべきだったのは』
『他の物語ではなく』
『自分自身の物語でした』
蒼が息を呑んだ。
『悲しみを受け入れること』
『それでも前を向くこと』
『それが、本当の物語の結末です』
「まさか……」私は震える声で言った。「私たちの能力自体が、試練だったの?」
白い本のページが最後まで進んだ。そこには二つの選択肢が書かれていた。
『選択肢A:能力を手放し、変えた物語をすべて元に戻す。あなたたちは普通の人間として生きる』
『選択肢B:能力を保ち、物語を変え続ける。その代償も払い続ける』
「どうする?」蒼が聞いた。
私は考えた。今まで変えてきた物語のこと、その代償として失ったものたちのこと、そして──
「蒼は、妹さんの死を受け入れられる?」
蒼は長い沈黙の後、答えた。
「いや、まだ受け入れられない。でも……」彼は私を見た。「妹が最期に言ったんだ。『お兄ちゃん、悲しい物語も必要なんだよ。悲しい物語があるから、幸せな物語が輝くんだよ』って」
私の目から涙が溢れた。
「母さんが『ごめんね』って言ったのは」私は自分の心の奥を見つめた。「私を残していくことへの謝罪じゃなくて、『大丈夫、あなたは強い子だから』って意味だったのかもしれない」
蒼が静かに頷いた。
「俺たち、ずっと逃げてたんだな」
「うん」
私たちは同時に白い本に手を伸ばした。そして、選択肢Aに触れた。
瞬間、世界が光に包まれた。
終章 新しい物語
気づけば、私たちは図書室にいた。
手元には、あの恋愛小説。ページを開くと、元の結末に戻っていた。主人公は恋人を失い、深い悲しみの中で生きていく決意をする。でも、その悲しみの中に、確かな強さがあった。
「戻ったんだな、すべて」
蒼が呟いた。
「うん」
私の能力は消えていた。どんなに集中しても、もう物語は変えられない。蒼も同じようだった。
「不思議と、寂しくないな」
蒼が笑った。
「うん、私も」
図書室を出ると、夕日が校舎を照らしていた。
「なあ」蒼が歩きながら言った。「これから、どうする?」
「どうするって?」
「俺たち、能力は失ったけど、物語が好きなのは変わらないだろ」
私は頷いた。
「だったら」蒼は立ち止まって、私を見た。
「今度は自分たちで物語を作らないか?変えるんじゃなくて、ゼロから」
「物語を……作る?」
「ああ。君がハッピーエンドを書いて、俺がバッドエンドを書く。で、二人で議論して、一番いい結末を見つける。どうだ?」
初めて、心から笑えた気がした。
「面白そう。やってみよう」
「じゃあ、今度の日曜日、うちに来いよ。妹の本がまだたくさんあるんだ。それを読みながら、アイデアを出し合おう」
「うん」
私たちは昇降口で別れた。家への帰り道、久しぶりに空を見上げた。
物語を変える力は失ったけれど、代わりに大切なものを見つけた気がする。
悲しみは消えない。母さんも父さんももう戻らない。でも、その悲しみを抱えながら、それでも前を向いて生きていくこと。それが私の物語なんだ。
そして今、私は一人じゃない。同じように悲しみを抱えて、それでも物語を愛している人が、そばにいる。
私は物語が好きだ。
ハッピーエンドも、バッドエンドも、どちらも必要だと、今は分かる。
そして、私自身の物語は──まだ途中だ。これからどんな結末になるのか、誰にも分からない。
でも、それでいい。
それが、本当の物語だから。
エピローグ
三年後。
「蒼、この展開どう思う?」
私は書きかけの原稿を蒼に見せた。大学の学食で、私たちは卒業制作の共同小説に取り組んでいた。
「うーん、ここはもう少し主人公を苦しめた方がいいんじゃないか?」
「ええ〜、でもこれ以上は可哀想だよ」
「その可哀想さが大事なんだって。そこから這い上がるからこそ、ラストが輝く」
私たちは議論を続けた。以前のように一方的に物語を変えるのではなく、二人で言葉を交わしながら、最高の物語を紡いでいく。
「そういえば」蒼がふと言った。「俺たちの共作、出版社から連絡来たぞ」
「えっ、本当に!?」
「ああ。編集者が面白いって。デビューできるかもしれない」
私は嬉しさで胸がいっぱいになった。
能力を失って三年。私たちは普通の大学生として、でも物語を愛する者として生きてきた。そして今、自分たちの手で、新しい物語を世界に送り出そうとしている。
「タイトル、どうする?」蒼が聞いた。
私は少し考えて、答えた。
「『物語の向こう側』は、どう?」
「いいな、それ」
夕暮れの学食で、私たちは笑い合った。
物語は、もう私たちを縛らない。
今、私たちが物語を創っているのだから。




