第十二話 十三階段の鏡③
「や、やあ、いやあ」
駄々っ子のようにしゃがみ込み、両手で顔を覆う四辻を前に、その場にいた全員が凍りついた。
「そこは立入禁止……だ、大丈夫か?」
「先生」
東野が一歩前に出た。
「3Cの今村です。あとで職員室へうかがいますが、今は彼女を保健室に連れて行ってよろしいですか?」
「え、あ、ああ」
東野の有無を言わさぬ言葉運びに教師は思わずうなづく。
「ほら、立てる?」
東野の言葉にも四辻は無反応だ。
「仕方ない」
ガッ。
三上は無理やり彼女の脇に手を差し込むと、お姫様抱っこで持ち上げた。
「おお、力あるな。女子なのに。手伝うか?」
「大丈夫です。おほほ」
精一杯の裏声で返答する。
「四辻、首に手を回せ」
小声で三上が言うと、四辻がおずおずと手を伸ばした。
そのまま三人は現場を立ち去った。
「このまま出口まで。新藤先生は新任の二年の先生です。三年の顔までは覚えていないはず。あとはうちのサークルがやっておくので、今日のところは四辻さんを家に返してあげて下さい」
東野が段取り良く説明するのを、三上は後輩女子を落とさないように必死に腕に力を込めて聞いていた。
玄関で靴を脱ぎ変えて、東野と別れると校舎外に出る。
「立てるか? どっか物陰で制服を着替えないと、いつまでも女装ってわけにも行かない」
三雲学園の校門へと続く塀に背をもたれ、四辻は座っていた。その視線は低く、決して三上の顔を見ようとしない。
「は、早くしてくださいっす。わたし、このままじゃ……」
「大丈夫だ、すぐ戻る。いいか、自分の手を見ろ」
「手……っすか」
「そうだ。いつも目にするものを見れば安心するだろ。間違ってもスマホや鏡なんか見るなよ」
『鏡』という単語が出た途端、後輩の肩がビクンと震えた。その肩に優しく手を置く。
「すぐに戻る」
言葉通り三上は制服を着替えてすぐに戻ってきた。
四辻は下を向いたまま彼の手を取り、ゆっくりと立ち上がった。
「……私の家まで、一緒に行ってもらえるっすか? 多分母親がいると思うっすけど」
「ああ、もちろんだ」
先輩の温かい手に安心感を覚えながら、四辻は三雲学園と同じ棚神市の道を案内していく。初秋のトンボが飛んでいたが、必死に足元を見つめる四辻の目には入らない。
「そういえば三雲学園には入らなかったんだな。家からそう遠くないだろうに」
「偏差値が合わなかったっすから。それに雨ヶ丘の方が自由な校風で気が合うかと思って」
「そうか」
いつもの会話もどこか弾まない。
「……オランダで、ある五十代の女性が精神科に行ったんだ」
「? はあ」
「彼女が言うには『普通に見えていた人の顔が突然ドラゴンに変わる事がある』だと」
「ドラゴンに……。それは、どうして。わたしみたいに異変に触れたからっすか?」
「いや、MRIで診断した所、脳の認知を司る部分に病変が見つかったらしい。物体を認識する機能に障害が生じていたんだな。彼女の場合それが人の顔が異物になるという症状で現れた。その後投薬治療で症状は改善。普通に社会生活を送れるようになったそうだ」
「わ、わたしも戻りますかね」
「戻る」
一つ上の先輩は力強く断言した。
「原因があって結果があるんだ。俺が必ず原因を突き止め、異変を解決してやるよ」
四辻は何も言わなかったが、つながった手をより強く握りしめた。
見慣れた道に出た。毎朝通る歩道。いつもの角の電信柱。ああ、もう家に着いてしまう。
「そこの家っす」
三上が一軒家のベルを鳴らした。
「失礼します。雨ヶ丘高校の三上と申します。四辻さんが体調を悪くしたので送ってきました」
インターフォンに先輩が話しているのを聞きながら、四辻は三上の手をいっそう強く握った。事前の話し合いで言うことは決めてあったが、ここから先、彼なしで過ごさないといけないとなると心細い。
『あらあら、そうなの。わざわざありがとうね~』
ドアが開き、母親が出てきた。
「あら~、あなたが三上くん? いつも娘がお世話になってるみたいで」
「お母さん!」
思わず顔を上げてしまった。
見慣れた母親の顔に四つの口。それぞれがブシュブシュと水だか涎だか分からないものを噴いている。
「ひっ!」
「顔真っ青。大丈夫?」
四辻は自身の口元に手をやると、心配する母親も三上のことも置いてふらつきながら家の中に入った。
背後で母親が三上に謝る声が聞こえる。
さっさと歯を磨いて寝てしまおう。
そう思い洗面所に向かった。
歯ブラシを持ち、いつもの癖で顔を上げる。そこにいたのは……。
「いやぁぁああああああああ!!」
絶叫が家中に響いた。
何事かと母親が駆け寄ってくる。
きつくつむった目から涙を流しながら、その肩に顔を埋める。
「顔が、顔が……」
彼女の悲鳴は聞こえていたが、三上は足を止めなかった。
部長の一ノ瀬にはここに来るまでに何度も電話したが、返事も折り返しもない。向こうも向こうで不測の事態が起こっているのかもしれない。
となると頼れるのはあと一人。その人物は都合よく神棚市に出没する。
日が落ちてすっかり暗くなったアスファルトの歩道で三上は足を止めた。
見上げた先には今はもう使われていない図書館がそのシルエットを投げかけている。
彼はつばを飲み込み、その階段を上がっていった。
「やあやあやあ、誰かと思えば悟くんじゃないか。元気してたかい?」
薄ぼんやりと図書館内の電気がついた。
カウンターに足を組んで座っているのは、髪をウルフカットにした鼻筋の通った女性だ。革ジャンにジーンズという季節感のない格好をしている。女の名は御堂アヤメと言った。
「メッセージで送った通り、元気ですよ。俺はね」
「四辻ちゃんだったっけ? 大変なことになっているらしいじゃないか」
「ええ。なんでも目と鼻が全部口になって見えるとか」
「はっはっは。わんこそば食べるときにどこから食べるか迷ってしまうな」
「笑い事じゃあないんですよ」
「悟くんは『鏡』の言葉の成り立ちを知っているかな」
「調べました。確か、『輝きを見る』から転じたものだとか」
御堂はうなづいた。ウルフカットの髪が小さく揺れる。
「そしてもう一つ俗説がある。『影を見る』という『カゲミ』から転じたというものだ。どちらかが正しいのか、あるいは両方から来ているのか、今となっては正解はわからないね」
「それじゃあ四辻は、三雲学園の鏡の影を見たから、ああなったと?」
「鏡ってのは太古の昔から祭具であり神具だ。災い転じて福となすというが、使い方を誤れば福が災いに転じる場合もある」
御堂は長い脚を組み替えた。
「鏡が左右逆に映るのは知ってるね。じゃあなぜ上下に映らないのか……は長くなるから省略するとして、森羅万象あらゆるものに上下の区別があるように、鏡にも上下はあるのさ。私の見立てによれば、三雲学園の大鏡は──」
「上下が逆に設置されている?」
「元は可愛らしい噂話の鏡だったのだろう。それが校舎の改築とともに呪物に変化した。可能性は十分にあると思うね」
「! ありがとうございます。明日、試してみます」
御堂は嬉しそうに両手を広げた。
「大いに誤り、間違え給え。それが若者の特権だ」
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