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03

 差出人はアシュザトン・リドリー公爵令息の母、公爵夫人から。公爵夫人はシャピリアの新しいチョコパイの虜になっていた。


「シャピリア嬢。あなたのお菓子は、王都中の話題です。私はあなたのチョコパイを独占したい。リドリー公爵家の専属菓子職人として、王都に戻ってきてはもらえませんか?」


 手紙に書かれていた。最後には、あのアシュザトンの言葉までも添えられていた。


「もし、専属になってくれるなら婚約破棄を取り消しても良い」


 シャピリアはペイジーに手紙を見せた。手紙を一読し、眉をひそめてみせる。


「婚約破棄を取り消すと?彼らは才能ではなく、チョコパイを欲しているだけだ」


 シャピリアもそうだろうなと、静かに頷いた。


「ええ。ですが手紙は私にとって最高の勝利の証です。愛したカカオと努力が、公爵家の品位よりも勝ったのですから。ふふっ」


 シャピリアは公爵夫人に返事を書いた。


「今、新しいパートナーとレイモンフダル領のカカオを育てることに夢中です。貴族としての名誉よりも、新しいお菓子の可能性を追求したい。公爵夫人ではなく、自分の作ったお菓子で世界を幸せにする男爵令嬢でいたいのです」


 手紙を書き終え、ペイジーの方を向いた。


「ペイジー様。私にとって最高のパートナーです。領地のカカオと作るお菓子を、私自身を誰よりも理解し、愛してくださっている」


 ペイジーは真剣な瞳を見つめた。あの飢餓で痩せ細っていた時の面影は、もうどこにもない。日々の美味しい食事と、シャピリアの熱意に触れたことで体は健康を取り戻し、顔には知的な輝きがある。


「シャピリア嬢。それは……」


 シャピリアの手を取った。


「愛しているのは、貴女の作るチョコパイだけではありません。貴女自身の情熱と屈しない心です。救ってくれた貴女に心から感謝しています」


 ペイジーはシャピリアの頬にふんわりと、口付けを落とした。


「腹ペコ男爵は、もう卒業です。ですが、貴女の作るチョコパイが、私の人生の糧であることに変わりはありません。一生涯、最高の助手でいたい。夫として、このレイモンフダル領で、共にカカオと愛を育てていきたい」


 シャピリアの目に、熱いものが込み上げてきた。アシュザトンとの形式的な婚約とは比べ物にならない、心からの、真実の愛の告白に。


「ペイジー様……毎日、チョコパイを作って差し上げます。カカオを、世界で一番の愛の味に変えましょう」


 シャピリアは、ペイジーの手に自分の手を重ねる。婚約破棄はシャピリアに自由と本当に愛する人との、甘い出会いを運んできた甘さは世界で一番のチョコパイよりもずっと濃厚で、幸福なものだった。



 レイモンフダル領は、変わった。公爵令息との婚約破棄から一年。シャピリアとペイジーが共同開発した新しいチョコパイは、王都の高級菓子店で飛ぶように売れ男爵家に莫大な利益をもたらしていた。


「昨月の売り上げです。王都の貴族が、公爵家の御用達店でチョコパイを買い求めているそうです。貴女を下賤と罵った公爵令息も、今はきっと妻と共に店を訪れているでしょうね」


 朝の食卓で、ペイジーは満足そうに分厚い帳簿を見せた。今や、シャピリアの婚約者であり、レイモンフダル男爵家の経営戦略顧問として、領地経済を牽引している。


「敢えてこれみよがしに言いませんが、とても愉快ですね、ペイジー様」


 笑った。手元には、さらに新しい菓子の試作品が並んでいる。


「利益は申し分ありません。ですが、チョコパイは努力の結晶。これをもっと広め、レイモンフダル領全体を豊かにしたいですね?」


 シャピリアの言葉にもペイジーは深く頷いた。


「同感です。成功を一過性のブームで終わらせてはいけません。そこで、次の手を考えました」


 ペイジーが紙に描いた図面を広げたものは王都の目抜き通りに建つ、一軒の瀟洒な建物のスケッチだ。


「王都に、レイモンフダル男爵家の直営店を出すのです。店の名前は、もちろんシャピリア。販売を外部の店に任せるのではなく、自らの手でブランドを確立する。これにより、利益率も上がりますし、何よりカカオへのこだわりを直接お客様に伝えることができますっ」


「直営店……!ですが、初期投資が大変なのでは?」


 不安を口にすると、ペイジーは微笑んだ。笑うと可愛い。


「大丈夫です。錬金術の研究で資金を浪費した私が言うのも何ですが、経営に関する知識が残っています。それに、幸いまだ王都に協力してくれる旧友がいますので」


 ペイジーは、錬金術の研究で手を貸してくれた王都の資産家である友人に接触。彼の持つ空き家を店舗として借り受ける手はずを整え、直営店シャピリアの開業準備は急ピッチで進んだ。


 故郷のレイモンフダルでカカオの仕入れと新しい菓子の開発に専念し、ペイジーが王都に赴いて店舗の内装、宣伝戦略の全てを指揮した。ペイジーが最もこだわったのはブランディングだ。


「美味しいチョコパイを売るだけでは弱い。物語を売る必要があります」


 王都から戻ったペイジーは興奮気味に語る。


「物語、ですか?」


「そうです。世間は公爵令息に婚約破棄された男爵令嬢が、故郷でチョコパイを成功させたという貴女の背景に興味を持っています。そこに家を追われた腹ペコの元貴族が加わった、という噂も」


 ペイジーはにやりと笑う。


「そこで、店のキャッチコピーはこれです。愛とカカオで人生をひっくり返した、男爵令嬢のチョコパイ」


「えっ、恥ずかしいです!」


 顔を赤くしたがペイジーは続けた。


「私は店の顔になります。毎日、王都の店に立ち、お客様にレイモンフダル・カカオのこだわりとチョコパイへの愛を語る。客から痩せましたねと聞かれたら、こう答えるのです。ええ、飢えていましたが、今はシャピリア嬢のチョコパイで人生の糧を得ていますと」


 ペイジーは自らの過去とシャピリアとの出会いを、最高の宣伝材料に変えようとしていた。腹ペコ男爵の過去は、今やチョコパイで救われた貴族という魅力的な物語になっていることを、商機にするらしい。

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