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02

 シュヴァルツェンベルク。王都でも一目置かれる名門の子爵家の名前だったはずだ。しかし、頬は深くこけていて、目元には濃い隈があり、どこか神経質そうな印象を与える。


「シュヴァルツェンベルク子爵家の……?」


「今は、ただの腹ペコ男爵ですよ」


 ペイジーは自嘲気味に笑う。


「家を飛び出しました。正確には、追放されました。父に勘当され、領地も財産も全てを弟に譲り渡しました。自分の研究に熱中しすぎた愚か者です」


「研究……」


「ええ。錬金術です。特に生命力の向上に関する研究に没頭し、多額の資金を浪費してしまった。気がつけば家から追い出されていました。旅の途中で最後の金も底をつき」


 ペイジーは、恥じるように言葉を詰まらせた。


「腹ペコ男爵、ですか……」


 静かに頷いた彼から漂う上質な生地の匂いと、飢餓で痩せ細った体のギャップに胸が締め付けられるような気持ちになる。


「そうでしたか。ペイジー様。貴方はまだ、栄養失調の状態です。今日はゆっくりお休みください。明日、改めて身の振り方を考えましょう」


 ペイジーは何も言えず、ただ深く頭を下げた翌朝、ペイジーは客間に置かれた菓子に目を奪われた。シャピリアが試作していた新しいチョコパイ。


「これは……」

「昨日貴方を連れ帰った、レイモンフダル男爵令嬢のシャピリアです。お目覚めになられましたか、ペイジー様」


 シャピリアはエプロン姿のまま、客間に入ってきた。彼女はペイジーの飢餓感が一目でわかるよう、敢えて豪華な食事ではなく手軽に食べられる、高カロリーなものを用意しようと考えていたのだ。


「貴方が作られたのですか?このお菓子は……」


「ええ、領地の特産品であるカカオと、独自の製法で作ったチョコパイです。試作品ですがよろしければ召し上がってみてください」


 ペイジーは恐る恐るパイに手を伸ばした。一口齧った瞬間、瞳が大きく見開かれる。濃厚ななにかを見つけたように。


「こっ、これは……!驚くほど濃厚だ。チョコレートの深い苦味とそれを包み込むような甘さ、パイ生地の香ばしさが絶妙だ。こんなっ、た、魂を揺さぶるような食べ物は初めてだ……美味しい!」


 飢餓状態にあったペイジーにとって、チョコパイは出されただけのただの菓子ではなかった。失っていた生命力を呼び覚ます、魔法の糧。言葉を失い、次々とパイを口に運んだ。あまりの勢いに呆然としていた女が一人。


「え、あの、ペイジー様。もう少し、ゆっくり……喉に詰まりますので」


「は!ああ、すまない。あまりにも……あまりにも美味で……はは」


 ペイジーは気づけば全てのパイを食べ尽くしていた。目には涙すら浮かんでいて。


「ご馳走様でした。令嬢。あなたの菓子は芸術品だ。絶品でした」


「ふふ。ありがとうございます」


 シャピリアも純粋に自分の菓子を評価してくれたことに、心が温かくなるのを感じる。

 元婚約者の公爵令息のアシュザトンはシャピリアの菓子作りを「下賤な真似」と罵ったが、目の前の貴族はそれを「芸術品」と讃えてくれたという事実に頬が緩む。


「シャピリア嬢。貴女に雇用をお願いしたい」


 ペイジーは真剣な顔で唐突に言い出す。


「え?」


「私は、錬金術師としての知識を持っています。物性変化の知識です。貴女のお菓子作り、特にカカオの加工やチョコレートの抽出過程において、知識は必ずや役立つはずだ。素晴らしい菓子をもっと安定的に、もっと美味しく大量に作り出す手助けができます」


 ペイジーは研究に没頭した情熱をシャピリアの菓子作り、という新たな分野に見出していた。


「報酬は求めません。せめて、毎日チョコパイを食べさせていただけるなら、それで結構ですから」


「え?えっと、ふふ、男爵は面白いですね」


 シャピリアは、思わず笑ってしまった。


「腹ペコ男爵様。毎日チョコパイを食べさせろとはなかなか強欲な要求ですね」


「命を救ってくれた貴女に、これ以上の贅沢は言えませんよ」


「わかりました。ペイジー様、貴方をレイモンフダル男爵家のカカオ加工技術顧問として、お迎えいたします。報酬は日々の食事と……毎日のチョコパイです」


 こうして、婚約破棄されたチョコパイ令嬢と家を追われた腹ペコ男爵の共同生活が始まった。ペイジーはシャピリアの期待を、遥かに超える働きを見せた。


 錬金術の知識は熱の加え方、物質の分離、保存性の向上などカカオ加工のあらゆる面で革新をもたらす。


「シャピリア嬢、カカオ豆の発酵を少し湿度と温度を厳密に管理することで、チョコレートの持つ香りの成分が劇的に変わります」


「ペイジー様、温度管理とは魔法のようですね!」


「魔法ではありません。物質変化の理、錬金術です」


 二人の共同作業は驚くべきスピードで進んだ。シャピリアの卓越した味覚と発想力、ペイジーの科学的な知識と緻密な分析力が完璧に融合したのだ。


 数ヶ月が経った頃、二人はついに、王都でも販売できるレベルの新しいチョコパイを完成させた。そのチョコパイは以前のものよりも口どけが滑らかで、カカオの香りがより豊か。


「シュヴァルツェンベルク・チョコパイと名付けましょう。ペイジー様の知識なくして、これは完成しませんでした」


「いや、シャピリア嬢。貴女の熱意と、何よりも貴女のパイへの愛が、私にインスピレーションを与えてくれたのです。レイモンフダル・カカオの恋心シャピリアと名付けたい」


 顔を見合わせ照れくさそうに笑った瞬間、二人の間に流れる空気が友人や仕事仲間といった枠を超えた、特別なものに変化したのをシャピリアは感じた。


 新しいチョコパイはシャピリアの父であるレイモンフダル男爵が、王都の老舗高級菓子店に売り込んだ結果、予想を遥かに超える大ヒットとなった。という噂は瞬く間に社交界にも広がり、元婚約者のいるリドリー公爵邸にもチョコパイが届けられる。


 ある日、レイモンフダル男爵邸に一通の読み物が届いた。

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