懺悔の改竄 ― “真実を神に封じる方法” 【時系列】
夜半の王立警邏庁。
外では雨が降っている。静かな雨音が、石壁を叩き、闇に沈んだ廊下を濡らしていた。
ノアは合鍵を差し込み、誰にも気づかれぬよう、重い扉を押し開ける。
そこは――警邏庁でも限られた者しか立ち入れぬ禁書庫。
金属の棚が無数に並び、蝋燭の光だけがその影を揺らしている。
「……これが、ルネ・ファルサスの“最後の懺悔記録”だ。」
ノアの声は低く、かすれていた。
羊皮紙を取り出し、机の上に置く。赤黒い封蝋には《聴聞局封印印》――神の裁可を示す聖印が刻まれている。
アデリアは無言で手袋をはめ、指先で羊皮紙をなぞった。
その目は、わずかな筆跡の揺らぎを逃さない。
「おかしいわね。」
彼女が囁く。
「墨の滲み方が違う……“転写魔法”で上書きされてる。」
ノアが顔を上げる。
「改竄、か。」
「ええ。懺悔の文書を“書き換えた”のよ。」
蝋燭の炎が、二人の影を長く伸ばした。
その影の先で、神の名を刻んだ封印が、静かにひび割れていく。
アデリアは微笑にも似た吐息を漏らす。
「――信仰の名で、罪を塗り潰すなんて。滑稽な芝居ね。」
ノアの瞳に、淡い怒りの光が宿る。
封印を破る音が、静寂を裂いた。
禁書庫の空気は冷たく澱んでいた。
アデリアが羊皮紙をそっと持ち上げ、蝋燭の光に透かす。
淡い魔力の残滓が文字の下に滲み――“本来の言葉”が、かすかに浮かび上がった。
『私は見た。上層貴族たちが、孤児を“捧げ物”として扱うのを。』
その一文を読み上げた瞬間、ノアの眉がわずかに動く。
だが、次の行を目にした途端、二人の間に沈黙が落ちた。
『我が口より出た虚偽を、神に詫びる。』
アデリアが唇の端を歪める。
「……懺悔の途中で、言葉が変わってる。」
「“罪を告白した者”が、“虚偽の罪人”にされたというわけか。」
ノアの声には、抑えきれない怒気が滲んでいた。
アデリアは指先で、文字の境目をなぞる。
「転写魔法の痕跡がある。つまり、誰かが意図的に“神の筆跡”を上書きしたのよ。」
蝋燭の炎がぱちりと跳ね、封印の赤が黒く変わる。
その色はまるで――血のようだった。
モノローグ:
「懺悔とは、本来、罪を浄化するための祈り。
でも、彼らの“神”は違う。
――罪を隠すために、人の声を消す。」
ノアが静かに息を吐き、羊皮紙を閉じた。
「……この記録を持ち出せば、俺たちも“虚偽の告白者”にされるな。」
アデリアは微笑みながら答える。
「いいじゃない。嘘を暴くために、少しくらい嘘を被るのも――慣れてるもの。」
ノアの声が、静寂を裂くように落ちた。
「……つまり、彼は真実を告げた。だが、教会がそれを“虚偽”にした。」
アデリアは頷き、懺悔記録の端を指先で軽く叩く。
羊皮紙の裏面には、聴聞官の認証印――《シェル=ルーメン》の名が刻まれていた。
「懺悔を訂正できるのは、聴聞官だけ。
しかも、文体と魔力の筆跡が違う。これは……“上書き”ね。」
ノアの視線が、淡い蝋燭の光の中で鋭く光る。
「聴聞局の内部。本人か、あるいは直属の補佐官……」
その言葉に、アデリアは小さく微笑む。
「やっぱり、“神の沈黙”を操るのは人間の手ってことね。」
ノアは拳を握りしめ、静かに息を吐く。
「罪を告白した者が罰せられる……これが信仰国家のやり方ですか。」
炎の光が彼の横顔を照らす。
それは冷徹な官吏の仮面ではなく、
かつてアデリアが知っていた“真実を守る男”の顔だった。
アデリアはその横顔を見つめ、低く呟く。
「――この国じゃ、祈りよりも沈黙の方が、ずっと重いのよ。」
アデリアは羊皮紙をそっと持ち上げ、鼻先に近づけた。
古びた紙の匂いの奥に、微かな異臭が混じっている。
甘く、それでいて薬草のように鼻を刺す――。
「……この香り、覚えがあるわ。」
彼女は瞳を細め、言葉を選ぶように呟いた。
「封印墨の香り……“ラウダナム”ね。
記録を焼く前に、上書きの儀式で使う薬品。
つまり、これは“隠滅の途中”だった。」
ノアが眉をひそめ、羊皮紙に目を落とす。
文字の端に、ほんのわずかに焦げ跡――
まるで誰かが、証拠を炎にくべようとして途中で手を止めたようだった。
アデリアはゆっくりと視線を上げる。
蝋燭の炎がその瞳の奥に映り、氷のような光を宿す。
「罪は祈りで消せない。
隠したって、匂いは残るのよ。」
その言葉に、ノアは息を飲む。
沈黙が、地下書庫の空気を一層重くする。
彼女の指先に残る香は、まるで“真実そのもの”が抗っているようだった。
アデリアは羊皮紙を静かに机へ戻した。
ノアは黙って、その焦げ跡を指先でなぞる。
「……ルネ・ファルサスは、教会の内部告発者だったんだな。」
低く漏れたノアの声に、アデリアは頷いた。
「ええ。彼は見たのよ――“神の名のもとに行われる取引”を。
孤児たちが、“信仰の供物”として闇市場へ流される光景を。」
ノアは奥歯を噛みしめる。
「それを止めるために、聴聞局に密告した……だが、」
「その懺悔を、“虚偽の自白”として上書きされた。」
アデリアが言葉を継ぐ。
その声は冷たいが、奥に怒りがあった。
「教会は罪を“赦す”のではなく、“塗り潰した”の。
――神の沈黙を、偽装に使って。」
ノアの拳が机を叩く音が響く。
「つまり、被害者は“神に殺された”ってことか。」
アデリアはゆっくりと息を吐き、羊皮紙に残る墨の焦げ跡を見つめる。
「懺悔の改竄……。罪を暴こうとした者が、祈りによって葬られる構図。
まるで“信仰”そのものが、真実の敵ね。」
――そして、その記録の片隅には、微かに走る署名の線。
儀式の立会人として記されていた補佐官の名は、
今はすでに「行方不明」と報告されていた。
アデリアの瞳が細く光る。
「神が沈黙したとき――
次に声を上げるのは、きっと“真実”そのものよ。」
アデリアは、焼け焦げた羊皮紙をゆっくりと畳んだ。
それはまるで、亡き者の遺言を弔うような手つきだった。
蝋燭の炎がわずかに揺れる。
静寂の中、彼女は古びた封筒を取り出し、羊皮紙をそっと滑り込ませる。
封を閉じるその動作に、一片の迷いもなかった。
ノアは黙って蝋を垂らし、紋章の印章を押し当てる。
封蝋が固まる音だけが、部屋に響く。
ノア:「……この国の罪は、神が裁かない。
だから、俺たちがやる。」
彼の声には怒りよりも、確信の重みがあった。
アデリアは視線を上げ、その瞳に映る炎を見据える。
アデリア:「舞台は整ったわね。
――次に倒れるのは、観客席の側よ。」
その言葉が落ちた瞬間、
薄暗い禁書庫の空気が、まるで息を潜めるように沈んだ。
外では鐘の音が遠くに響く。
祈りを告げるはずのその音が、今は“審判の前触れ”のように聞こえた。
アデリアは外套の襟を整え、最後に蝋印を指で軽く叩く。
「――幕を上げましょう。
神の沈黙に、終止符を打つために。」
静かな宣告が夜を切り裂き、
新たな真実の幕が、音もなく上がっていった。




