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紅の令嬢と黒の執事 ― ヴァルディア事件録  作者: 南蛇井


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9/22

懺悔の改竄 ― “真実を神に封じる方法” 【時系列】

夜半の王立警邏庁。

外では雨が降っている。静かな雨音が、石壁を叩き、闇に沈んだ廊下を濡らしていた。


ノアは合鍵を差し込み、誰にも気づかれぬよう、重い扉を押し開ける。

そこは――警邏庁でも限られた者しか立ち入れぬ禁書庫。

金属の棚が無数に並び、蝋燭の光だけがその影を揺らしている。


「……これが、ルネ・ファルサスの“最後の懺悔記録”だ。」

ノアの声は低く、かすれていた。

羊皮紙を取り出し、机の上に置く。赤黒い封蝋には《聴聞局封印印》――神の裁可を示す聖印が刻まれている。


アデリアは無言で手袋をはめ、指先で羊皮紙をなぞった。

その目は、わずかな筆跡の揺らぎを逃さない。


「おかしいわね。」

彼女が囁く。

「墨の滲み方が違う……“転写魔法”で上書きされてる。」


ノアが顔を上げる。

「改竄、か。」

「ええ。懺悔の文書を“書き換えた”のよ。」


蝋燭の炎が、二人の影を長く伸ばした。

その影の先で、神の名を刻んだ封印が、静かにひび割れていく。


アデリアは微笑にも似た吐息を漏らす。

「――信仰の名で、罪を塗り潰すなんて。滑稽な芝居ね。」


ノアの瞳に、淡い怒りの光が宿る。

封印を破る音が、静寂を裂いた。



禁書庫の空気は冷たく澱んでいた。

アデリアが羊皮紙をそっと持ち上げ、蝋燭の光に透かす。

淡い魔力の残滓が文字の下に滲み――“本来の言葉”が、かすかに浮かび上がった。


『私は見た。上層貴族たちが、孤児を“捧げ物”として扱うのを。』


その一文を読み上げた瞬間、ノアの眉がわずかに動く。

だが、次の行を目にした途端、二人の間に沈黙が落ちた。


『我が口より出た虚偽を、神に詫びる。』


アデリアが唇の端を歪める。

「……懺悔の途中で、言葉が変わってる。」

「“罪を告白した者”が、“虚偽の罪人”にされたというわけか。」

ノアの声には、抑えきれない怒気が滲んでいた。


アデリアは指先で、文字の境目をなぞる。

「転写魔法の痕跡がある。つまり、誰かが意図的に“神の筆跡”を上書きしたのよ。」


蝋燭の炎がぱちりと跳ね、封印の赤が黒く変わる。

その色はまるで――血のようだった。


モノローグ:

「懺悔とは、本来、罪を浄化するための祈り。

 でも、彼らの“神”は違う。

 ――罪を隠すために、人の声を消す。」


ノアが静かに息を吐き、羊皮紙を閉じた。

「……この記録を持ち出せば、俺たちも“虚偽の告白者”にされるな。」

アデリアは微笑みながら答える。

「いいじゃない。嘘を暴くために、少しくらい嘘を被るのも――慣れてるもの。」


ノアの声が、静寂を裂くように落ちた。

「……つまり、彼は真実を告げた。だが、教会がそれを“虚偽”にした。」


アデリアは頷き、懺悔記録の端を指先で軽く叩く。

羊皮紙の裏面には、聴聞官の認証印――《シェル=ルーメン》の名が刻まれていた。


「懺悔を訂正できるのは、聴聞官だけ。

 しかも、文体と魔力の筆跡が違う。これは……“上書き”ね。」


ノアの視線が、淡い蝋燭の光の中で鋭く光る。

「聴聞局の内部。本人か、あるいは直属の補佐官……」

その言葉に、アデリアは小さく微笑む。

「やっぱり、“神の沈黙”を操るのは人間の手ってことね。」


ノアは拳を握りしめ、静かに息を吐く。

「罪を告白した者が罰せられる……これが信仰国家のやり方ですか。」


炎の光が彼の横顔を照らす。

それは冷徹な官吏の仮面ではなく、

かつてアデリアが知っていた“真実を守る男”の顔だった。


アデリアはその横顔を見つめ、低く呟く。

「――この国じゃ、祈りよりも沈黙の方が、ずっと重いのよ。」


アデリアは羊皮紙をそっと持ち上げ、鼻先に近づけた。

古びた紙の匂いの奥に、微かな異臭が混じっている。

甘く、それでいて薬草のように鼻を刺す――。


「……この香り、覚えがあるわ。」

彼女は瞳を細め、言葉を選ぶように呟いた。


「封印墨の香り……“ラウダナム”ね。

 記録を焼く前に、上書きの儀式で使う薬品。

 つまり、これは“隠滅の途中”だった。」


ノアが眉をひそめ、羊皮紙に目を落とす。

文字の端に、ほんのわずかに焦げ跡――

まるで誰かが、証拠を炎にくべようとして途中で手を止めたようだった。


アデリアはゆっくりと視線を上げる。

蝋燭の炎がその瞳の奥に映り、氷のような光を宿す。


「罪は祈りで消せない。

 隠したって、匂いは残るのよ。」


その言葉に、ノアは息を飲む。

沈黙が、地下書庫の空気を一層重くする。


彼女の指先に残る香は、まるで“真実そのもの”が抗っているようだった。


アデリアは羊皮紙を静かに机へ戻した。

ノアは黙って、その焦げ跡を指先でなぞる。


「……ルネ・ファルサスは、教会の内部告発者だったんだな。」

低く漏れたノアの声に、アデリアは頷いた。


「ええ。彼は見たのよ――“神の名のもとに行われる取引”を。

 孤児たちが、“信仰の供物”として闇市場へ流される光景を。」


ノアは奥歯を噛みしめる。

「それを止めるために、聴聞局に密告した……だが、」


「その懺悔を、“虚偽の自白”として上書きされた。」

アデリアが言葉を継ぐ。

その声は冷たいが、奥に怒りがあった。


「教会は罪を“赦す”のではなく、“塗り潰した”の。

 ――神の沈黙を、偽装に使って。」


ノアの拳が机を叩く音が響く。

「つまり、被害者は“神に殺された”ってことか。」


アデリアはゆっくりと息を吐き、羊皮紙に残る墨の焦げ跡を見つめる。

「懺悔の改竄……。罪を暴こうとした者が、祈りによって葬られる構図。

 まるで“信仰”そのものが、真実の敵ね。」


――そして、その記録の片隅には、微かに走る署名の線。

儀式の立会人として記されていた補佐官の名は、

今はすでに「行方不明」と報告されていた。


アデリアの瞳が細く光る。


「神が沈黙したとき――

 次に声を上げるのは、きっと“真実”そのものよ。」




アデリアは、焼け焦げた羊皮紙をゆっくりと畳んだ。

それはまるで、亡き者の遺言を弔うような手つきだった。


蝋燭の炎がわずかに揺れる。

静寂の中、彼女は古びた封筒を取り出し、羊皮紙をそっと滑り込ませる。

封を閉じるその動作に、一片の迷いもなかった。


ノアは黙って蝋を垂らし、紋章の印章を押し当てる。

封蝋が固まる音だけが、部屋に響く。


ノア:「……この国の罪は、神が裁かない。

    だから、俺たちがやる。」


彼の声には怒りよりも、確信の重みがあった。

アデリアは視線を上げ、その瞳に映る炎を見据える。


アデリア:「舞台は整ったわね。

 ――次に倒れるのは、観客席の側よ。」


その言葉が落ちた瞬間、

薄暗い禁書庫の空気が、まるで息を潜めるように沈んだ。


外では鐘の音が遠くに響く。

祈りを告げるはずのその音が、今は“審判の前触れ”のように聞こえた。


アデリアは外套の襟を整え、最後に蝋印を指で軽く叩く。


「――幕を上げましょう。

 神の沈黙に、終止符を打つために。」


静かな宣告が夜を切り裂き、

新たな真実の幕が、音もなく上がっていった。

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