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紅の令嬢と黒の執事 ― ヴァルディア事件録  作者: 南蛇井


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8/22

容疑者の証言

―王立警邏庁・地下尋問室―


石の壁が湿気を含み、冷気が肌を刺す。

狭い空間の中、唯一の明かりは壁際に立てられた一本の蝋燭。

その炎が揺らめくたび、影が三人の顔を不規則に照らしていた。


尋問官席に座るのはノア・クロフォード。

冷徹な瞳の奥に、わずかな疲労の色。

彼の前に座らされているのは、両手を縛られた少女――エリナ・ファルサス。

震える肩、噛みしめた唇。

彼女の瞳には涙が溜まり、滴がぽたりと床石を濡らした。


そして、そのやり取りを黙って見守る影がひとつ。

黒い外套を羽織ったアデリア・グラウスが、観察席の暗がりに腰を下ろしていた。

彼女の背後には、白衣に聖印をつけた教会の立会人が立っている。

その表情には、感情というものが一切ない。




王立警邏庁――地下尋問室。

石壁に囲まれたその空間は、まるで罪を閉じ込めるために造られた牢のようだった。

湿った空気と蝋燭の煙が混じり合い、息をするたび喉が痛む。


拘束台の前に座らされているのは、まだ二十にも満たない少女。

淡い金髪が涙で張り付き、震える肩が細く揺れている。

エリナ・ファルサス。

――毒殺された貴族、ルネ・ファルサスの実の妹。

あの夜、給仕係としてワインを運んでいた少女だった。


尋問官席に立つノア・クロフォードが、記録用の羽ペンを止めることなく低く問いかける。

その声は冷ややかで、しかしどこか痛みを隠していた。


ノア:「……エリナ・ファルサス。

    君は事件当夜、貴族席へワインを運んでいた。間違いないか?」


エリナは震える唇で答える。

「……はい……でも、違うんです……違うんです。兄を殺すつもりなんて、なかったんです……!」


嗚咽が途切れ途切れに響く。

その音が狭い室内に反響し、まるで彼女自身を責め立てているかのようだった。


ノア:「では――誰がワインを準備した?」


エリナ:「教会の方々です。私は……ただ、指示された通りに……」


彼女の涙はあまりにも自然で、偽りとは思えなかった。

だがその隣、観察席の暗がりにいたアデリア・グラウスだけは、静かに目を細めていた。


蝋燭の明かりが、彼女の瞳の奥に淡い金を宿す。

彼女の耳は、泣き声の“音”ではなく――呼吸の“間”を聞いていた。


(……おかしい。嘘をつく人間は、一瞬呼吸を止める。

 でもこの子は止めない。

 まるで、自分の意思で言葉を選んでいないみたいに……)


アデリアの視線が、エリナの首筋に流れる。

薄い肌の下、うっすらと金色の紋様が光を帯びていた。

それは“聖印”――教会の祝福を受けた者だけが刻まれる印。


アデリアは息を詰める。

(……なるほど。懺悔の契約魔法。“真実を封じる祈り”が刻まれているのね。)


ノアが静かに羽ペンを止めた。

彼もまた、少女の首元の光に気づいたのだろう。

だが、何も言わない。ただ視線を落とし、記録に“沈黙”を書き加える。


蝋燭の火が揺れる。

少女の涙が床に落ちる。


そして、アデリアの胸の奥でひとつの確信が生まれた。


(この子は嘘をついていない――

 けれど、“真実を話すこともできない”。)


モノローグ:

「涙の裏にある沈黙は、誰かの命令で作られたもの。

 そして神の印は、今日もひとつ、真実の口を塞ぐ。」



尋問室の空気は、まるで凍りついていた。

ノアの声と、エリナのすすり泣きだけがその静寂を破っている。


アデリアは、ノアの背後――闇に沈む観察席から、少女をじっと見つめていた。

わずかな呼吸、まばたき、瞳孔の揺れ。

どれも、嘘を見抜くために彼女がかつて叩き込まれた“観察の技”が捉えている。


蝋燭の炎がひとつ、揺らめいた。

その瞬間、アデリアの瞳が鋭く細められる。


(……呼吸が、止まらない。)


人は嘘をつくとき、ほんの一瞬――呼吸を止める。

脳が“虚偽”を構築する間、体が無意識に緊張を走らせるからだ。

だが、エリナは違った。


彼女の呼吸は滑らかに続き、まるで誰かに操られているように一定のリズムを刻んでいた。

泣きながら、怯えながら――その声だけは、機械のように整っている。


ノア:「君の証言は一貫している。だが、なぜワインを渡した?」

エリナ:「……祝福を受けたものだから、です。教会の……指示で……」


アデリアは目を伏せる。

呼吸、声の高さ、まばたき――どれも“恐怖”とは噛み合っていない。

それは自発的な言葉ではなく、外から与えられた台詞。


モノローグ:

「彼女は嘘をついていない。

 ――けれど、自分の意思で話してもいない。」


薄暗い蝋燭の光が、エリナの首元を照らした。

そこに浮かぶ淡い金の紋様――懺悔の聖印。


アデリアの思考が瞬時に走る。


(“懺悔契約魔法”……教会が信徒に課す沈黙の呪い。

 懺悔の内容を外部に漏らせば、魂が罰を受ける――

 だから“神の代理意識”が、本人の発話を制御する。)


ノアは気づかないふりで記録を取り続ける。

彼の視線が一瞬、アデリアへ流れた。

その一瞬の沈黙が、二人の間に“理解”を走らせる。


――この少女は、神に“操られている”。


アデリアの唇がわずかに動く。

「罪を語れない信徒……。なるほど、これが“赦しの形”なのね。」


蝋燭がふっと消える。

闇が広がる中、少女の声だけが機械的に続いていた。


「……兄を、愛していました。

 だから、神にすべてを委ねました……。」


その言葉が、誰の意志によるものなのか――

もはや、彼女自身にも分からなかった。


ノアは尋問記録盤の表面を指先でなぞった。

青い魔導符号が淡く瞬き――一瞬、ノイズのように乱れる。


ノア:「……おかしいな。魔力の波形が歪んでいる。」


彼の瞳が細くなる。

符号の揺れは、人為的な干渉――

しかも、尋問室の中で発生している。


ノア:「この反応……“封語陣”だな。」


その名を聞いた瞬間、アデリアの指先が止まった。

蝋燭の光が彼女の横顔を照らし、冷たい金の瞳に影を落とす。


アデリア:「尋問の前に、“懺悔の祈り”を強制されたのね。」


ノアは頷き、符号盤を閉じた。

その音が、石壁に鈍く反響する。


ノア:「聴聞局のやり口だ。信徒に封語を仕込めば、どんな尋問も“神の名の下”で黙秘にできる。」

アデリア:「それでいて、“虚偽”は語らせない。……罪の形を選べないまま、真実だけが封じられる。」


アデリアは静かに席を立つ。

ヒールの音が、冷たい床を一歩ずつ打つ。


その視線の先――立会人の聖職者。

白衣の裾から覗く、聴聞局の聖印。

彼は、アデリアの視線を感じた瞬間、無意識に胸元の聖印を握りしめた。


アデリアは微笑む。

その笑みには、冷ややかな知性と怒りが同居していた。


アデリア:「なるほど。真実を語らせる儀式じゃなく、

 “語らせないため”の儀式ね。」


蝋燭の炎が、ひときわ強く揺らぐ。

白衣の男は一瞬だけ唇を震わせ――そして、目を逸らした。


ノアは記録盤を閉じたまま、低く呟く。


ノア:「……これで、“証言”は使えないな。」

アデリア:「いいえ。使えるわ。

 ――“沈黙の理由”そのものが、証拠になる。」


二人の視線が交錯する。

尋問室の空気が張り詰め、闇の奥で誰かの祈りが微かに響いた。


それは“救い”ではなく、“隠蔽”の祈りだった。



アデリアは深く息を吸い、

ノアの問いかけを止めるように、指先を軽く上げた。


アデリア:「……少し、“静かに”してみましょうか。」


ノアが頷く。

尋問室を包むのは、蝋燭の燃える微かな音と、

エリナの荒い呼吸だけになった。


アデリアは、あえて沈黙の間を作る。

追い詰めず、促さず――ただ「隙間」を与える。

暗示の支配は、常に“間”のない言葉の流れに依存する。

だからこそ、沈黙は唯一の反撃だった。


やがて、エリナの瞳が揺らぐ。

焦点がぼやけ、唇が震え始める。


エリナ:「……せい、いんの……下……」

彼女の声は、まるで夢の中から掘り起こされるように。

「……黒い……花が……」


その瞬間、尋問室の空気が裂けた。


エリナの喉から、押し殺した悲鳴が漏れる。

彼女の首筋に刻まれた聖印が、灼けるように赤く輝いた。


ノア:「ッ、神罰反応――封語が逆流してる!」


ノアが素早く記録盤を投げ捨て、

掌で魔導式を描く。


“魔封鎖陣・第七環”。

床に青い円環が展開し、エリナの周囲を包み込む。

光が火花のように散り、呪詛の暴走を押さえ込む。


アデリアは冷静にその光景を見つめていた。

だが、その手はわずかに震えている。


アデリア:「……やっぱり、彼女の証言には“封印”がある。

 ――『黒い花』。それが、封語の核ね。」


ノアは歯を食いしばりながら、封鎖陣の強度を上げる。


ノア:「……“黒い花”だと? 聴聞局の印の下に?」

アデリア:「神の名で隠された“毒”の印。

 ――つまり、彼女はただの証人じゃない。“運び手”だったのよ。」


エリナの意識は次第に遠のき、

光の中で彼女の唇が微かに動いた。


エリナ:「……兄さま……ごめんなさい……」


その声は、魔力の奔流にかき消された。


蝋燭の炎が音を立てて弾け、

石壁に映る影が、一瞬だけ――“黒い花弁”のように揺れた。



尋問室の空気が、

まるで凍りついたように静まり返っていた。


魔封鎖陣の光が消えたあとには、

ただ、白く息を切らす少女の姿だけが残る。


医療官たちが駆けつけ、

淡い治癒の光を彼女の胸に当てる。


医療官:「意識は……混濁状態です。反応はあるが、言語機能が……」

ノア:「封語が中枢にまで入り込んでいる。下手に解呪すれば、魂が焼ける。」


その傍らで、

聴聞局の立会人が淡々と書板に筆を走らせた。


立会人:「懺悔は守られた。魂は無垢です。」


その一言に、アデリアの手が震えた。

次の瞬間――机を叩きつけるような音が響いた。


アデリア:「“魂の無垢”で命を奪うなんて……!」

 「あなたたちは、神の皮を被った処刑人ね。」


蝋燭の炎が、その怒りに応えるように揺れる。

だが、立会人はただ一礼し、冷たく言葉を返した。


立会人:「信仰の秩序に異を唱える権限は、貴女にはない。」


沈黙。

その沈黙の中で、ノアがゆっくりと記録帳を閉じた。


ノア:「……これで、“真犯人が存在しない事件”が完成した。」


その声には、怒りでも諦めでもない、

ただ、深い疲労が滲んでいた。


アデリアは視線を落とす。

ベッドに横たわるエリナの唇が、微かに動いた気がした。


――祈りの言葉。

けれど、その祈りが誰に届くのか、もう誰にもわからない。


モノローグ:

「神の沈黙は、罪を隠すための幕。

 ――そして、エリナはその幕の中で、まだ祈り続けている。」


蝋燭の火が、最後の一つ、音もなく消える。

闇が尋問室を満たし、沈黙だけが残った。


――暗転。


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