表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
紅の令嬢と黒の執事 ― ヴァルディア事件録  作者: 南蛇井


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

7/22

王都グラン・テアトル(王立大劇場)

――王都グラン・テアトル。

白大理石の柱が月光を返し、金糸のカーテンが舞台照明を受けてゆらめく。

王国最大の劇場は今宵、社交界の夜会と呼ぶにふさわしい華やぎに満ちていた。


楽団アルトクラーヴによる新作音楽劇《暁の聖女》。

王族や大貴族、各国の使節が列席し、取材用の魔導通信が静かに光を放っている。

拍手と談笑が交錯し、香の煙が薄く流れる――まるで祝祭そのものだ。


その喧騒から遠く離れた二階席の影。

アデリア・グラウスは、静かに外套の襟を整えた。


灰色の生地は、かつて彼女が身にまとった宝石の輝きとは正反対。

それでも姿勢は貴族のそれで、眼差しだけが鋭く、冷たく舞台を見下ろしている。


「人の歓声は、美しくも脆い。

 その裏に何が隠されているのか――誰も見ようとしない。」


舞台では聖女が祈りを捧げる場面。

照明がゆっくりと落ち、弦の音が空気を震わせる。

観客たちの視線は一斉に舞台へ。だが、アデリアだけが動かない。


彼女の手の中、黒革の小冊子が微かに開かれていた。

そこに刻まれた文字――《グラウス・ファイル》。


「あの夜も、こんなふうに拍手が鳴っていた。

 そして私は、断罪される役を“演じさせられた”。」


瞳の奥に、三年前の断罪の炎がよぎる。

舞台の聖女の声が遠のき、代わりにあの夜の群衆の罵声が甦った。


彼女の唇が、ほとんど無意識に動く。

――「幕が上がるのね、また。」


歓声の渦の中で、アデリアだけが沈黙していた。

まるで、この夜の悲劇をすでに知っているかのように。


舞台では、祝祭の合唱が高らかに響き渡る。

光のヴェールが役者たちを包み、聖女が天へ祈りを捧げる。

その姿は荘厳で、清らかで――そして、残酷なほどに美しかった。


「罪を赦し給え。神よ、この身を光に還したまえ。」


役者の声が天井に反響し、観客たちは恍惚とした表情で拍手を送る。

だが、その中でただ一人、アデリア・グラウスだけが動かなかった。


白い手が、ゆっくりと扇を閉じる。

深紅の唇がわずかに歪み、瞳が静かに伏せられる。

その瞬間、舞台の祈りの光は、三年前の“断罪の夜”と重なった。


貴族たちの視線、断罪を宣告した王の声、

そして、自らの潔白を叫ぶことすら許されなかったあの夜。


「あの夜も、こんなふうに拍手が鳴っていた。

 そして私は、断罪される役を“演じさせられた”。」


扇の影に隠れた横顔に、微かな笑みが宿る。

それは嘲りでも悲しみでもない――

ただ、“再びこの幕が上がる”ことを、知っている者の微笑みだった。


舞台の光がさらに強くなり、聖女が天を仰ぐ。

その祈りの最中、アデリアの睫毛が震えた。


「神が赦すというなら、私も――もう一度だけ、裁いてあげる。」


観客席のどこにも届かない声。

けれどその言葉が、確かに“物語の始まり”を告げていた。



白大理石の回廊を渡るたび、靴音が柔らかく響いた。

王都グラン・テアトル――王国最大の劇場。

今宵は《アルトクラーヴ楽団》の初日公演《暁の聖女》。

王族、宰相府の高官、教会の司祭、そして商業同盟の代表までもが列席する、

まさに“王都の心臓”が脈打つ夜だった。


だが、その最奥。二階バルコニーの影に、ひとりだけ異質な存在がいた。


アデリア・グラウス。

かつては宰相家に連なる名門の令嬢。

社交界の花にして、王国の誰もが羨む“才色兼備の象徴”だった女。


――三年前までは。


その夜、彼女は断罪の舞台に立たされた。

陰謀によって仕組まれた“悪役令嬢”の座。

友に裏切られ、婚約者に切り捨てられ、群衆の前で“虚構の罪”を背負わされた。

その裁定の日を、王都は芝居のように語った。


《断罪の令嬢、沈黙す》。


名家《グラウス家》は没落し、彼女の爵位は剥奪。

だが、彼女は生き延びた。

表舞台から姿を消し、今はただの灰色の外套をまとった“観察者”。


――裏社会では、匿名の諜報員《灰の観測者》として知られている。


今夜、彼女がこの劇場に姿を見せた理由はただひとつ。

“誰か”が動く――その予感を掴んだからだ。


舞台の光が聖女を照らす。

その光の中で、貴族たちは杯を掲げ、笑い、神の名を口にする。

だが、アデリアの視線は彼らの笑みの裏を、

その指の震えと視線の交差を、冷たく計算していた。


「表では祝祭。

 けれど、その幕の裏では……血の契約が交わされている。」


彼女の周囲には誰もいない。

だが、その灰色の瞳は、確かに世界を見通していた。


――“観察者”としての夜が、再び始まる。


黄金の燭台が照らす貴賓席――そこだけは、劇場の喧騒が届かぬ静寂の箱庭だった。


アデリアの視線が、ふとそこに吸い寄せられる。

豪奢な椅子に腰かけた男がひとり。銀糸の刺繍を施した燕尾服、指先には宰相家の紋章を刻んだ指輪。

――《宰相代理ルドルフ・ヴェルナー》。


三年前、断罪の舞台に彼女を立たせた張本人。

法の名を借りて、彼女の家を潰し、栄誉を奪い、沈黙を強いた男。


そして、その隣に座る白衣の男――教会聴聞局の高官、《シェル=ルーメン》。

聖職者の装いをしていながら、その眼差しはまるで刃のように冷たい。

舞台ではなく、客席のざわめきをじっと観察している。

まるで“別の芝居”の成り行きを確かめているかのように。


アデリアは扇を軽く閉じ、唇の端をわずかに歪めた。


「……覚えているわ。

 あなたの声。あの夜、“罪人を裁け”と告げた響き。

 今度は、どんな真実を焼くつもり?」


舞台では、聖女が“罪を贖うための祈り”を歌っていた。

光のヴェールが彼女の白衣を包み、拍手が波のように広がる。


しかし――その音の中に、アデリアの心は微動だにしない。

彼女の瞳は、舞台ではなく、あの二人の男を見据えていた。

仮面をかぶった支配者たち。

正義を語りながら、真実をねじ曲げてきた者たち。


「人は、舞台の上では正義を演じる。

 けれど、罪を決めるのはいつも――観客席の側よ。」


彼女の扇が、静かに音を立てて開かれる。

その一瞬の仕草が、まるで宣戦布告の合図のように、

光と影の狭間に溶けていった。




評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ