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紅の令嬢と黒の執事 ― ヴァルディア事件録  作者: 南蛇井


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6/22

証言操作 ― 「語られた嘘」

翌朝、王立劇場の控室には冷たい朝靄が漂っていた。

壁際に整列した十数名の劇場スタッフたちの表情は、眠気ではなく“恐れ”に曇っている。


長机の向こう、ノア・クロフォードが書類を整え、低く指示を出した。

「順番に話してもらいます。見たことを、そのまま。」


ひとりの若い給仕が震える声で口を開く。

「ワインを運んだのは……黒髪の女給でした。」


次の者が続く。

「確かに見ました。白いエプロンに、黒い髪をひとつに束ねていたと。」


三人目も、同じように。

「顔は……よく覚えていませんが、間違いありません。」


部屋の空気が、異様なほど均一だった。

語られる声の高さも、抑揚も、間の取り方さえも――まるで同じ脚本を読んでいるように。


アデリアは壁際の椅子に腰掛け、静かにその様子を見ていた。

指先でカップを回しながら、ひとりひとりの呼吸と視線の揺れを観察する。


(語尾が同じ……目線も。誰かが“正解”を教えたのね。)


彼女の唇がわずかに歪む。

そこにあるのは恐怖でも困惑でもない――職業的な違和感、そして冷たい興味。


ノアが淡々と次の名前を呼ぶたびに、

「黒髪の女給」「白いエプロン」「顔は覚えていない」

――まったく同じ三行が、機械のように繰り返された。


アデリアはそっと瞼を閉じる。


(これは“記憶”じゃない。“暗記”だわ。)


彼女の心の奥で、久しく封じていた刑事としての勘が、

ゆっくりと目を覚まし始めていた。



アデリアは黙って椅子に腰を下ろし、

テーブル越しに並ぶ給仕たちを順に見つめていた。


彼らの瞳は怯えている――だが、どこか整然としている。

誰かが“恐怖の使い方”まで教えたかのように。


ひとりが証言を始めると、

隣の者がわずかに頷き、次の者がそのリズムに合わせる。

――まるで呼吸まで揃えているようだった。


アデリアの視線が、ひとつ、またひとつと流れていく。

手の動き、足の角度、そして“沈黙の順序”。

彼女の中で、かつての刑事としての技術が静かに蘇っていた。


(視線誘導……発言のタイミング……無意識の確認動作。

 ――訓練されてる。)


彼女の心が、冷たく確信を刻む。


「本当に“見た”なら、人は思い出そうとするはず。

 でも、彼らは“間違えないように話している”。

 ――これは、訓練された証言。」


その瞬間、アデリアの目が一人の男に止まる。

部屋の隅、壁際に控えていた聴聞局付きの補佐官。

彼は、証言者が話し始めるたびに――必ず一度、指先で胸の十字をなぞっていた。


(なるほどね。祈りの形で“確認”を取っているのか。)


アデリアは小さく息を吐く。

その瞳に、皮肉な笑みが宿る。


「神の名を借りて、嘘を教えるなんて……。

 この国の信仰も器用になったものね。」



ノアは黙々と手帳をめくっていた。

羽根ペンの音だけが、静まり返った控室に響く。


アデリアが横目で彼を見ると、彼はページの上から視線を上げる。

その瞳には、冷ややかな光と、わずかな迷いが同居していた。


「――何か、気づいたんですね。」


アデリアはため息をつき、椅子の背にもたれる。

「証言が揃いすぎてる。“黒髪の女給”なんて、最初からいないのに。」


ノアの手が止まる。

「……確認したんですか?」


「ええ。劇場の雇用記録を見たわ。黒髪の給仕なんて、一人もいない。」


短い沈黙。

ノアはゆっくりと手帳を閉じ、机の上に置いた。

薄暗い部屋の中で、金具の留め具が“カチリ”と鳴る。


「……やはり、《クロノス》が動いている。」


その名を口にした瞬間、空気が変わった。

給仕たちが小さく身じろぎし、誰かが聖印を握りしめる。

アデリアの眉がわずかに上がる。


「宰相府直属の……情報統制部隊、ね。

 事件の“真実”じゃなく、“物語”を作る人たち。」


ノアは答えなかった。

ただ、窓の外――まだ霧の残る王都の街並みを見つめている。


「彼らが動く時、真実は“封印”される。」


その言葉は、祈りのように静かで、

告白のように重かった。


ノアは報告書の束を机に置き、指先で軽く叩いた。

その音は、まるで封印を叩き割るかのように鋭く響く。


「――前夜、事件直後に《クロノス》から指令が下りていました。」


アデリアが静かに顔を上げる。

「どんな指令?」


ノアは淡々と読み上げた。

「“劇場関係者への聞き取り内容を統一せよ。異論を出す者は《聴聞局》が引き取る”。」


控室の空気が、一瞬で冷えた。

その言葉の裏にある意味を、アデリアは痛いほど知っている。


「……つまり、証言は“教会”と“宰相府”の合作ね。」

彼女は唇の端をわずかに歪めた。

「真実を語ることが、罰になるのね。」


ノアは何も言わず、ただ報告書の端を指でなぞる。

その仕草に、ためらいと疲労が滲んでいた。


やがて、彼は低く答える。

「この国では、“沈黙”こそが忠誠の証です。」


アデリアは静かに目を細める。

窓の外、鐘楼の影が伸び、王都の朝がゆっくりと色を失っていく。

その光景がまるで、真実が覆い隠されていく瞬間のように見えた。


「沈黙に従う者が英雄で、語る者が罪人になる――。

……それが、あなたの守る国の形なのね。」


ノアは答えなかった。

ただ、その沈黙が何より雄弁に、彼の立場を物語っていた。



木製のテーブルの上に、紙の音が静かに重なる。

アデリアが手際よく並べたのは、給仕リストの写し。

インクの滲みまで読み取るように、指先でひとつずつ名前を追う。


「――ここね。」

彼女は小さく呟き、赤いペンでひとつの欄を囲む。

「“欠員”になっている時間帯がある。けれど勤務報告には“全員出席”と記されている。」


ノアは隣で書類をめくりながら、低く返す。

「補佐官の行動記録を確認しました。彼は事件の三時間前、《聴聞局》から“祝福証”を受け取っています。」


アデリアが目を細める。

「――つまり、“黒髪の女給”は実在しない。作られた証人、というわけね。」


ノアが静かに頷く。

「虚構を一人、現場に置く。それが“真実を消す”最も簡単な方法です。」


一瞬の沈黙。

二人の視線が、重なった。

書類の上に流れる緊張が、目に見えるほど張り詰める。


言葉はいらなかった。

互いの沈黙の中に、理解があった。

――敵はまだ、この部屋の外にいる。


アデリアは手帳を閉じ、ノアの方を見やる。

「あなたの命令には逆らうけれど、推理なら並べてみせるわ。」


ノアの口元が、かすかに緩んだ。

「……それで十分です、アデリア。」


薄明の光が差し込み、書類の上に二人の影を落とす。

再び動き出した“相棒”の時間が、静かに刻まれ始めていた。


夜の帳が下りた王立劇場。

片付けられたはずの現場には、まだ消えない気配が残っていた。

ノアの部下が報告書を手に戻る。


「――補佐官、行方不明です。

 聴聞局の記録にも、昨夜以降の動きはありません。」


ノアは小さく息を吐き、報告書を閉じた。

「予想通り、ですか。」


アデリアは窓辺に立ち、遠くの尖塔を見上げる。

街の灯が霞んで見えるほど、夜気は冷たい。

「証言者たちはどうなったの?」


「全員、同じことを言っていました。」

ノアの声が少しだけ掠れる。

「“同じ夢を見た”と。――そして、何も思い出せないと。」


アデリアは静かに目を閉じた。

風がカーテンを揺らす音だけが、部屋に満ちる。


「嘘は、最初に教えられた瞬間よりも、

 信じ続けた時間の方が人を狂わせる。」


その呟きに、ノアが応じるように低く言った。

「教会が人の“記憶”にまで手を伸ばしたとしたら――」


アデリアは微笑む。だがその目は笑っていない。

「この国の真実は、もう“神の書き換え”の中にあるのよ。」


一瞬の沈黙。

遠くで鐘の音が響く――まるで、何かを悼むように。


ノアが最後の記録を手帳に書き込む。

《グラウス・ファイル004:証言操作事件 ― 状況:記憶改竄の可能性》


ページが閉じられる音が、闇の中に沈む。


――そして、幕が落ちる。



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