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紅の令嬢と黒の執事 ― ヴァルディア事件録  作者: 南蛇井


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18/22

ノアとアデリアの協議

夜気は沈黙を抱き、

廃墟と化した研究棟の奥へと、ゆっくりと忍び込んでいった。


王都北区。

かつて王立学院の頭脳が集い、魔導学の最先端を誇ったその棟は、

今では封鎖されたまま、十数年の時を止めている。

崩れた天窓から差し込む月光が、漂う埃の粒を鈍く照らした。

割れた試験管、焦げた記録石、錆びた魔導装置――

すべてが、ここで起きた「何か」を沈黙のうちに語っていた。


カメラのように視線が滑る。

一枚の机に、古びた羊皮紙の束が積み重なり、

その隙間に、黒く乾いたインクの痕が走っている。


そして――

その静寂を裂くように、

微かな足音が響いた。


黒の外套を翻し、アデリアがゆっくりと姿を現す。

片手に小さなランプ、もう一方の手には、あのノート。

《Glaus File》。

金の文字が薄闇の中で、ほのかに脈打つように光っている。


アデリアは一歩、机に近づくと、

埃を払うように指を滑らせ、視線を巡らせた。


「ここで“声”の研究が行われていた……」

「聴聞局の前身。――過去は封印されても、痕跡までは消せない。」


彼女の声は、ひどく静かだった。

しかし、その沈黙の奥にあるものは、冷たい観察ではなく、燃える探求心。


そのとき――

部屋の奥、影の向こうにわずかな動き。

アデリアがランプを傾けると、

青白い光の輪の中にひとりの男が立っていた。


ノア。

白衣の代わりに質素なコートを羽織り、

その手には封筒を一枚。

表情は穏やかだが、瞳の奥には緊張が走っている。


アデリアは微かに息を吐き、唇に笑みを刻んだ。

封印された研究の記録を追う、ふたりの再会。

沈黙が、言葉以上の意味を帯びて、廃墟の空気を震わせた。



埃が沈み、

再び静寂が部屋を支配した。


二人の間には、挨拶も形式もなかった。

ただ――視線の交差と、ほんのわずかな頷き。

それだけで十分だった。


ノア:「……来てくれたんですね。」

アデリア:「あなたの報告を無視する理由がないわ。」


アデリアの声は低く、

しかし、その奥に微かな熱を含んでいた。


ノアは軽く息を吐き、

封筒を机の上に置いた。

手の動きは慎重で、

まるで中身そのものが“爆弾”であるかのように。


封を切る音が、廃墟の空気を震わせる。


広げられた紙片には、複雑な波形の線が走っていた。

黒と青のインクで刻まれた魔導解析図。

そして、その隣に転写された魔法陣の図面。


アデリアがランプを近づけると、

淡い光の反射が紙面に宿り、

線の一部がゆらりと“反応”した。


ノアが静かに告げる。


「これが――“聴聞局式信号”です。」


彼の指先が、波形の特異点をなぞる。

そこだけが、まるで呼吸しているかのように淡く脈打っている。


アデリアの瞳が細められる。

その表情に、驚きではなく、確信があった。


この部屋に漂う空気が、

過去の研究の亡霊を呼び起こしたように、わずかに震えた。


二人の沈黙が、言葉よりも雄弁に――

同じ結論を告げていた。


ノアは懐から一枚の透明な結晶片を取り出した。

ランプの灯が反射し、内部に複雑な波紋が浮かぶ。


ノア:「録音石の残留データです。」


彼は淡々と告げるが、その声の奥に潜む緊張は隠せない。

アデリアの前に結晶を置くと、掌をかざし、微細な魔力を流し込む。


光がほとばしり、机上に波形の投影が現れた。

青と白の線が幾重にも重なり、まるで呼吸するかのように脈動している。


ノア:「通常の音声魔術では説明がつかない波形が混在していました。

周波数を逆算した結果……生成主は“聴聞局中枢”。」


アデリアの眉がわずかに動いた。

映し出された波形の中に、一定の間隔で打ち込まれる規則的なパルス。

それはまるで、祈りのリズムに似ている――だが、その奥に別の律動が潜んでいた。


ノアが指先で一点を示す。


ノア:「ここです。この区間だけ、波が反転している。

“祈り”ではなく――“命令”の波形です。」


その瞬間、部屋の空気がひりついた。

アデリアの視線が鋭く光り、唇がかすかに動く。


アデリア:「つまり、“神の声”は造られていた……」

ノア:「そうです。意図的に、人々の信仰心に干渉する構造です。」


ランプの炎が小さく揺れ、机の影が長く伸びる。

その風に煽られて、アデリアのノート《Glaus File》が一枚めくれた。


そこに記された文字――

〈Voice Pattern No.0 “Deus”〉


彼女の瞳に、光が宿る。

確信と、怒りの狭間に揺れる光。


ノアの声が低く、しかし焦りを滲ませて響いた。


ノア:「このままでは、彼らは“信仰の記録”を国家装置に変える。

懺悔録音石を――国民の監視網として。」


アデリアは机の上の波形図を指でなぞる。

指先が、ゆっくりと一つの線をたどり、止まる。


アデリア:「……なら、内部から暴くしかないわ。」


その言葉に、ノアの表情がわずかに揺れた。

驚き、そして――理解。

彼は深く息を吐き、アデリアを見つめる。


ノア:「次の“懺悔儀式”……あなたが、対象に?」

アデリア:「ええ。公式には、劇場事件の関係者として“再聴聞”に呼ばれるはず。

それを利用する。」


静寂が落ちた。

風が崩れた窓を抜け、古びたカーテンを震わせる。

ノアは視線を落とし、胸ポケットから銀の懐中時計を取り出した。


時計の針が「カチ、カチ」と音を刻む。

その微かな響きが、彼らの間に漂う緊張を際立たせた。


ノア:「危険ですよ。彼らはあなたを“聞く”だけでなく、記録する。」


アデリアは静かに微笑む。

ランプの光がその横顔を照らし、影が頬を滑り落ちる。


アデリア:「なら――その記録を“真実”にすればいい。」


ノアの目がわずかに見開かれた。

その決意の重さを理解した瞬間、彼の手が無意識に時計を握り締める。


時の音が、まるで二人の覚悟を刻むかのように響き続けた。


――外では、夜明け前の鐘が遠くで鳴り始めていた。


窓の外が、かすかに白み始めていた。

古びた研究棟の壁を透かして、夜の名残が静かに退いていく。

その薄明の光を背に、二人のシルエットが重なる。


アデリアは手にしたノートを開き、ペン先を滑らせた。

その動きには、迷いがない。


アデリア:「あなたの解析、借ります。

それがあれば――彼らの“神”を解体できる。」


ノアはランプの灯に照らされた波形図を見つめたまま、

小さく息を吐いた。


ノア:「……この手で、神を暴く、か。」


一瞬、風が吹き抜け、埃が舞う。

沈黙がふたりを包み、時計の針の音だけが空間を刻む。


アデリアは何も言わず、ペンを再び動かした。

インクが紙に滲み、記された言葉が光を反射する。


“神は造られた。ならば、壊せる。”


ページを閉じるとき、ノートの表紙――

《Glaus File》の金文字が、淡い朝の光を受けて輝いた。


外では、遠くの鐘が「五つ」を告げる。

新しい一日の始まり。

だが、この静寂の奥で、確かに何かが動き出していた。


アデリアは目を閉じ、心の奥で呟く。


(次に聞くのは、“神の沈黙”――。)


カメラがゆっくりと引き、

窓の外に昇る薄い光が画面を満たす。

やがて、風の音だけを残して――暗転。



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