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紅の令嬢と黒の執事 ― ヴァルディア事件録  作者: 南蛇井


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17/22

聴聞局の聖都会議

 夜は、まだ終わっていなかった。

 王都の地表がわずかに白みはじめた頃、聴聞局本庁舎の地下――第七会議室だけが、沈黙の底で目を覚ましていた。


 ここは、表向きには閉鎖中の書庫階層。

 だが、実際には局の最高評議会が開かれる、王国で最も深く、最も声を秘す空間だった。


 長い石造りの回廊が、まるで聖堂の臓腑のように続いている。

 壁に埋め込まれた聖印灯が、冷たい青光をほとばしらせ、無人の空気を淡く染める。

 遠くから――心臓の鼓動にも似た低い駆動音。

 それは、地下全域に張り巡らされた魔導装置《声の審問機》の心拍であった。


 分厚い扉が軋みを上げ、静寂を割る。

 その内側――円卓の中央に、光の輪が浮かんでいた。

 七人の黒衣の聴聞官がそれを囲み、中央席には、ひときわ白い法衣の男が座している。

 聴聞官長《シェル=ルーメン》。


 彼の衣の白さは、光を拒むほどの白。

 表情は穏やかに整っているが、目の奥には温度のない銀灰が沈んでいた。


 彼の周囲には、誰も声を発しない。

 沈黙こそが、この場所の第一の規律であり、祈りであった。


 机上には、ひとつの《懺悔録音石》が置かれている。

 黒曜石のような表面に、薄い金線が幾重にも走り、まるで血管のように光を流す。

 それが、聴聞局が“神の声”と呼ぶものの正体。

 信徒の告白を吸い取り、変換し、神託として再構築する――「信仰を管理するための器官」だった。


 その周囲に、補佐官たちが黙して控える。

 誰も息を荒げず、まるで空気ごと封印されたような静けさが満ちていた。


 外の夜明けが、まだ届かぬ場所。

 この地下だけが、永遠に“夜”を生きていた。


シェル=ルーメン(心中)

「闇があればこそ、光は映える。

ならば、我らは闇を統べる光でなければならぬ。」


 その微笑は、祈りにも似て、恐ろしく無垢だった。

 やがて、聖印灯の青光が彼の瞳に反射し、

 “声なき会議”が、静かに幕を開ける――。



会議室の空気は、沈黙そのものに形があった。

 呼吸ひとつすら、聖典の一節を汚すかのように重く響く。


 中央に座る男――シェル=ルーメン。

 年齢を推し量ることはできない。

 淡い金の髪を後ろで緩やかに束ね、横顔を撫でる光を拒むように、その肌は白磁のごとく冷たい。

 瞳は無機質な銀灰。そこには人間的な揺らぎがなく、

 ただ“命令”だけが宿っていた。


 声を発すれば、低く穏やかに響く。

 だがその音は、どんな嘆願よりも強く、

 まるで空気そのものが跪くような力を帯びていた。


 彼の前には二つの物が置かれている。

 ひとつは漆黒の《懺悔録音石》。

 もうひとつは、時代を感じさせる古びた聖典。

 どちらも彼の支配の象徴であり――

 人々の“罪”と“信仰”を、同じ掌の上で扱うための道具だった。


 その周囲には七人の補佐官が控える。

 三人が前列、四人が後列に整列。

 全員、黒衣の法服をまとい、顔の半分を金属製の“沈黙具”で覆っている。

 それは、声を漏らすことを禁じられた者の印――

 沈黙こそ、神の言葉を守る最上の忠誠とされるためだ。


 彼らはまるで機械のように静止し、

 わずかな動作さえ、祈りの一部のように緩やかだった。

 その沈黙の海の中で、シェルだけが音を許されている。

 “声”を持つのは、神に選ばれた一人のみ――

 それが、聴聞局の絶対的掟。


 シェルはゆっくりと息を吐き、指先で懺悔録音石を撫でる。

 石の内部で微光が瞬き、

 まるで誰かの“声”が、そこに閉じ込められているかのように震えた。


 その光景を前に、補佐官の誰一人として瞬きをしなかった。

 彼らにとってそれは、信仰そのもの――

 “神の声”を再生するための器官であり、同時に恐怖そのものでもあった。


シェル=ルーメン:「……記録を始めよ。」


 低く落ち着いた声が、空間の密度を震わせる。

 補佐官の一人が無言で魔導石を起動し、円卓の上に薄い光の文様が浮かぶ。


 その瞬間、会議が始まった。

 王国の闇を統べる、沈黙の聖会が――。



石壁が、息を呑んでいた。

 重厚な空気の中、低い声がひとつ――

 ゆっくりと、しかし抗いようのない重さで降りてくる。


シェル:「……神の声を聞く者が、またひとり増えたか。」


 沈黙の海を裂くように、その言葉が円卓の中央へ落ちた。

 誰も動かない。

 補佐官たちはただ、額を垂れ、己の呼吸さえ隠すように佇んでいる。


 シェルは小さく笑んだ。

 笑みと呼ぶには冷たく、しかし、どこか慈悲にも似た曲線を描く。

 それは――神の代理を自認する者の微笑。


 彼の前の宙に、薄く光が走る。

 空中投影された透明な石板が静かに像を結んだ。

 そこに浮かんだのは、一人の女性の肖像。


 銀の瞳、黒い髪、そして理知を湛えた横顔。

 映し出された名は――

 《Adelia Glaus》。


 光文字が、淡く脈動する。


シェル:「罪深いことだな。」


 彼の指先が、空中に浮かぶ名をなぞる。

 その仕草はまるで祝福のようで、同時に宣告のようでもあった。


シェル:「聞くべきでない者が、声を知るというのは。」


 沈黙。

 補佐官たちは一斉に目を伏せ、誰ひとりとして顔を上げない。

 彼らにとって、その言葉は“処刑の予告”にも等しかった。


 石壁に反響するのは、ただ一つの声――

 神の名を騙る者の、静かな嘲笑だけだった。


 その笑みの下で、

 アデリアという名が、ひとつの「監視対象」として、

 聴聞局の記録に刻まれる。


 沈黙の中で、低い機械音が響いた。

 円卓の中央――厚い金属板が滑らかに分かれ、内部の機構がゆっくりと姿を現す。

 昇降装置の動きは、まるで聖堂の祭壇が息づくかのように静かで、規則正しかった。


 その中心に鎮座するのは、冷たい光を纏った金属の球体。

 かつて懺悔を記録するために造られた“懺悔録音石コンフェッション・コア”――

 だが、今、そこに宿るものは救いではなく、監視だった。


 球体の表面からは、蜘蛛の巣のように光導線が伸び、

 壁面の魔術端子へと絡みついている。

 線の先はさらに地下を抜け、街の教会塔、祈祷所、そして民家の祭壇端末へと繋がっていた。


 光が、ひとつ。

 そして、いくつも。


 補佐官Cが黒い手袋のままパネルに指を触れる。

 その瞬間、低音が室内を満たした。

 空気がわずかに震え、耳鳴りのような共鳴が生まれる。


 金属球体の中心部に、淡い金光の紋章が浮かび上がった。

 それはまるで“神の眼”が開くように――静かに、しかし抗えない威圧をもって輝く。


補佐官C:「試験波、王都西区まで到達確認。……聴取信号、安定しています。」


 声は震えていた。

 しかしシェル=ルーメンの表情は変わらない。

 彼は、まるで祈りの言葉を告げるように、ゆっくりと口を開いた。


シェル:「よろしい。……これで、信仰は記録される。」


 その言葉と同時に、球体の輝きがわずかに脈動する。

 それは、王都の隅々まで“祈り”を吸い上げる心臓の鼓動。


 そして――聴聞局はこの瞬間、

 人々の信仰そのものを記録する神となった。


光導線の脈動が止み、地下室は静寂に包まれた。

 ただ、《懺悔録音石》の奥底で微かな鼓動が続いている。

 それは、まるで都市そのものが息をしているかのようだった。


 シェル=ルーメンは、ゆっくりと立ち上がる。

 青白い光が彼の横顔を照らし、銀灰の瞳が冷ややかに輝いた。

 背に両手を組み、天井を見上げるその姿は、聖職者というより裁定者に近い。


シェル:「――人は己の良心を、神と呼ぶ。」


 低く、静かな声。

 だが、その響きには抗いがたい重さがあった。


シェル:「だが、我々はそれを形にしてやるのだ。

 信仰とは秩序。

 秩序は、“声”によって与えられねばならない。」


 その言葉が発せられるたびに、補佐官たちは同時に頭を垂れる。

 沈黙具に覆われた唇が、無言の祈りを形づくる。

 彼らは声を持たない――だが、彼の思想に従うことこそが、唯一の“賛美”だった。


 シェルはゆっくりと歩を進め、卓上の《懺悔録音石》の前に立つ。

 淡金の髪が光を反射し、彼の影が石の表面に落ちる。

 指先をかざし、微かに囁いた。


シェル:「赦されたいと願う限り、民は我らを神と呼ぶ。

 ……そして、その記録こそが真実となる。」


 球体がひときわ強く輝いた。

 それはまるで彼の言葉に呼応するかのように、

 “神の声”を受け取った証のようでもあった。


 その瞬間――この地下の会議室は、もはや政治の場ではなく、

 新たな神話が生まれる祭壇と化していた。


 最後の操作音が途絶え、地下室の光が静かに消えた。

 石壁に反射していた青白い輝きが霧散し、空気が重く沈み込む。

 音のない夜――まるで、すべての呼吸すら封じられたようだった。


 だが、卓の中央に鎮座する球体だけはまだ息づいている。

 《懺悔録音石コンフェッション・コア》――その改良型は、

 かすかに鼓動するような光を内に宿し、金の糸を脈打たせていた。


 ふと、球体の中心が赤く染まる。

 光は瞬き、淡く、しかし確実に形を成す。

 透明な投影面に浮かび上がったのは――ひとつの名。


 《Aderia Glaus》


 その文字が小さく脈動するたびに、

 周囲の光導線がまるで血管のように赤く染まり、

 室内に鈍い鼓動の音が響いた。


 そして――次の瞬間、光は唐突に途絶える。

 まるで誰かが記録を断ち切ったかのように。


 闇が戻る。

 同時に、地上の鐘が「四つ」を告げた。

 王都の夜明け前、最も冷たい時間帯。


 シェル=ルーメンは、わずかに口角を上げた。

 瞳の奥に宿る光は、夜明けよりも冷たい。


シェル:「夜が明けるな。――さて、“記す者”を迎えるとしよう。」


 その声が静寂を裂き、

 再び闇の中に溶けていく。


 球体の表面に、最後の一閃。

 “Glaus”の名がもう一度だけ光り、完全に消えた。


 そして、画面は暗転。

 鐘の音が遠ざかる中、淡い薄明が王都の尖塔を包み込む――。


 → Next Chapter:再会 ― 旧研究棟にて

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