ノアとの静かな対話 ― “共犯者たちの夜”
書斎に流れるのは、雨音と湯の沸く音だけだった。
先ほどまで紙とインクの匂いに満ちていた空間に、いまは淡い紅茶の香りが混じっている。
ノアは部屋の奥で白衣を脱ぎ、袖を軽くまくり上げていた。
研究室にいるときよりも柔らかな表情をして、ゆっくりとポットを傾ける。
湯がカップに注がれるたび、静かな蒸気が立ちのぼり、橙の光に溶けていった。
アデリアは机の前で筆を止め、そっと彼を振り返る。
その瞳には、まだ書き終えたばかりの文字の余韻――そして、消えぬ警戒の光が宿っている。
ノア:「また危ない橋を渡りましたね、令嬢。」
アデリア:「あなたが隣にいるなら、渡れるわ。」
ノアは一瞬だけ微笑む。
けれど、その笑みの奥には、言葉にできない不安が滲んでいた。
彼女が進む道が、どれほど危ういかを知っているからだ。
それでも、止めることはしない。
彼女が望む“真実”の形を、誰よりも理解しているから。
紅茶のカップがアデリアの前に置かれる。
湯気が二人の間に漂い、まるで薄い帳のように沈黙を包み込む。
アデリアは軽く微笑みながらも、その視線は静かに鋭い。
目の奥では、まだ燃えるような決意が消えていない。
ノア:「あなたは本当に、引き返すという言葉を知らない。」
アデリア:「進むしかない道を、選んだだけよ。」
ノアは短く息を吐き、紅茶に視線を落とす。
その表面に揺れる光の輪が、二人の影を重ね合わせていた。
アデリアはその揺らめきを見つめながら、
心の奥で静かに思う――
いつか、この穏やかな夜さえも“記録の断片”になるだろうと。
窓の外では霧雨がまだ降り続いている。
遠くの尖塔――聴聞局の象徴である白い鐘楼が、薄い光の中に滲んでいた。
ノア:「……せめて、今夜くらいは穏やかでありますように。」
アデリア:「平穏なんて、夢の中だけで十分よ。」
二人のカップが軽く触れ合う。
“チン”という小さな音が、夜の静寂の中に溶けていく。
その音が、まるで約束の合図のように響いた――
共に真実を記す者として、生きるという約束。
霧雨の向こうで、王都の鐘がふたたび鳴る。
二時の音。
それは、嘘に抗う者たちの夜が、まだ終わらないことを告げていた。
窓際に灯されたランプの明かりが、ゆらゆらと壁を照らしていた。
外では霧雨がまだ降り続き、王都の尖塔群が淡く滲んで見える。
その頂――聴聞局の紋章が、夜霧の中でまるで呼吸するように光を脈打たせていた。
アデリアは静かに立ち上がり、窓辺へ歩み寄る。
彼女の背に、書斎の橙色の灯が重なり、
その影がゆっくりとノートの上に伸びていく。
机の上には《Glaus File》が開かれたままだ。
最後の行に書かれた文字はまだ湿っており、
インクの余熱がかすかに光を反射していた。
アデリア(モノローグ):
「この国では、罪を償うより、消す方が簡単なのね。」
その声は、まるで誰に聞かせるでもなく、
夜そのものに語りかけるような静けさを持っていた。
彼女は視線を上げ、窓の向こう――
聴聞局の塔を真っ直ぐに見据える。
目の奥に宿る光は、怒りではなく、記す者としての覚悟。
「だからこそ、私は記す。――嘘を、真実に変えるために。」
彼女の指先がノートの表紙に触れる。
柔らかく、しかし決意に満ちた動きでそれを閉じると、
革の表紙に刻まれた金の文字《Glaus File》が
ランプの光を受けて一瞬だけ強く輝いた。
ノアが静かに紅茶のカップを置き、アデリアを見る。
その瞳には、何も言葉はない――ただ、理解だけがある。
彼は短く頷き、彼女もまた、静かにそれを受け止めた。
窓の外、霧が流れ、尖塔の光が一瞬揺らめく。
まるで王国そのものが息を潜め、
彼らの“静かな反逆”を見守っているかのようだった。
そして、
ランプの灯がわずかに揺れ――暗転。
アデリア(心の声):
「嘘の上に立つ国なら、私はその影に真実を刻む。」
「それが――私たちの約束。」
霧雨に濡れた夜の王都。
カメラはゆっくりと窓の外へとパンアップしていく。
屋敷の明かりが遠のき、
その向こうに立ち並ぶ尖塔群が、夜空へ牙のように突き出ていた。
最上部、聴聞局の鐘楼。
石壁に埋め込まれた紋章が、
突如としてかすかな赤い光を帯び――一瞬、脈動する。
雷鳴のような低い響きが遠くで轟く。
誰も気づかぬその瞬間、
空気がわずかに震え、王都全体が息を呑むように沈黙した。
アデリアはカップを持ち上げ、
湯気の向こうにぼんやりと光るその紋章を見つめる。
紅茶を一口、静かに飲み下ろすと、
瞳の奥で確かな覚悟が光を帯びた。
アデリア:「――幕は、もう上がってる。」
ピアノの低音が静かにフェードアウトしていく。
余韻の中、ページが閉じられる音が――“パタン”と響く。
その音が、まるで一幕の終わりを告げる拍子木のように
暗闇の中へと吸い込まれていく。
蝋燭の炎が最後の瞬きとともに消える。
残されたのは、ノートの表紙だけ。
《Glaus File》の金文字が闇に沈み、
ただひと筋の赤い反射光が、聴聞局の紋章と重なり合う。
『To Be Continued』




