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紅の令嬢と黒の執事 ― ヴァルディア事件録  作者: 南蛇井


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静けさの中の歪み

夜明け前の王都――中心街から少し離れた丘の上に、聴聞局本庁舎はそびえ立っていた。

白大理石で築かれた尖塔は、朝霧の中でも神々しい輝きを放ち、

鐘楼からは静かな祈祷歌が流れている。


その荘厳さはまるで、罪を浄化するための聖域のようだった。

……だが、地上の清浄とは裏腹に、その地下には別の顔がある。


暗く、冷たい石壁。

そこには「懺悔録音石」を保管するための封印庫が並び、

魔導印の光だけが淡く揺らめいていた。


封印札の列――その中のひとつが、かすかに震えている。

一枚の書類が、他と違う“鼓動”を放っていた。


それはノア・エルドリンが提出した報告書。

宰相府の公印が押され、“事故”として正式に処理された書類。

だが、その備考欄の片隅――そこに、彼が密かに記した一行が存在した。


『被害者の死因、記録抹消を確認。

 だが、誰が“神”を名乗ったのかは不明。』


誰も目を通すことのない、誰にも気づかれない“余白”。

しかしその行は、まるで小さな歪みのように、封印の魔法陣の中でわずかに光を放っていた。


それは、完全に閉じた記録の中に残された――たったひとつの“違和感の種”だった。


王都の外れ、古い監視塔の屋上。

朝の風が冷たく吹き抜け、雲の切れ間から差す陽光が、白い聴聞局の尖塔を照らしていた。


アデリアは手摺に片肘をかけ、望遠鏡をゆっくりと覗き込む。

そのレンズの先――荘厳な建物の最上部では、祈祷師たちが朝の鐘を鳴らしていた。

清らかな音。

だが、彼女の目にはそれが“偽りを隠す鐘の音”にしか聞こえなかった。


瞳は冷たく澄み、けれどその奥には、炎のような怒りが潜んでいる。

それは激情ではない。

何度も欺かれ、何度も真実を塗り潰されてきた者だけが持つ、静かな憤怒。


アデリアは懐からノアの報告書の写し――そこに残された“余白の一行”を取り出した。

紙の端に刻まれたわずかなインクの痕。

彼女には、それがまるで“信号”のように思えた。


「……見つけたのね、ノア。次は、私の番。」


風が彼女の髪を乱し、コートの裾を揺らす。

聴聞局の尖塔が朝日に輝くその光景を見据えながら、

アデリアは静かに呟く。


「封印は完璧。だが、“完璧”ほど脆いものはない。

 必ず、綻びがどこかにある。」


その声は、風に溶け、鐘の音にかき消される。

だが、確かに――彼女の中で、次なる“狩り”が始まっていた。



王都・聴聞局技術部門――白い石造りの廊下に、規則正しい羽ペンの音と、魔導機械の低い唸りが響いていた。

ノアは淡々と、日常へ戻るように作業机へ腰を下ろす。

手元には、昨日提出した事件報告書の控え。

そして、その脇に――一枚だけ、解析データの写しが残っていた。


それは、《懺悔の録音石》の波形解析記録。

正式なデータはすでに抹消されたはずだった。

しかし、この紙片だけは、誰の手違いか、処理から漏れていた。


ノアは息を潜め、指先で波形をなぞる。

通常なら一層しか存在しないはずの音層が、二重に重なっている。

その奥、わずかに乱れた波形の隙間から――聞こえてくる。


《……赦せ。赦しは命令だ。》


ノアの心臓が、わずかに跳ねた。

耳の奥で、冷たい声が蘇る。


(命令音声……残留波動が、人為的に挿入されている。

 これは偶然じゃない。)


彼は無言のまま、紙を折り畳んで懐に滑り込ませた。

それは規則違反だとわかっていた。

だが、もう一度――真実を見極める必要がある。


封印されたはずの事件、その“声”の正体を。


ノアは机上の魔導灯を消し、部屋の暗闇に身を沈める。

蛍光石のかすかな光が、懐のデータを照らすように滲んだ。


(……神を名乗る者。

 お前はいったい、誰だ?)


その問いだけが、静寂の中で燃え続けていた。


夜の王都は、まるで息を潜めていた。

霧を纏った運河沿いの石畳を、灯籠の明かりが淡く照らす。

水面に映る光がゆらぎ、遠くの鐘楼が時を告げる。


その静寂の中――

アデリアが歩いていた。

黒いコートの裾を揺らし、片手に古びた新聞の切り抜きを握りしめて。

《貴族ルネ・ファルサス、突然の倒伏――舞台上の不幸な事故》。

印刷の黒が、月光に照らされて鈍く光る。


対岸から、ひとりの影が近づいてくる。

ノアだ。

彼の懐には、封印済みの報告書が入った封筒。

――その中には、誰にも知られぬ“一行”が刻まれている。


二人の視線が交わる。

言葉はない。

ただ、互いの存在が、同じ重さの沈黙を抱えていることを知っていた。


アデリアは一瞬、口を開きかけてやめた。

ノアもまた、手をポケットに入れたまま、静かに頷く。


一瞬のすれ違い。

運河の風が吹き抜け、二人のコートの裾を翻す。


アデリアの指先から、新聞の切れ端が滑り落ちる。

ノアの足元で、それが石畳の上に舞い、静かに止まった。

ノアは足を止めず、ただそれを一瞥する。

その文字――「御心のままに」。


彼は小さく呟く。


ノア:「……幕は、まだ上がったばかりだ。」


二人は背を向け、別の方向へと歩き出す。

運河の水が、彼らの足音をかき消していく。


その胸の奥には、同じ名が浮かんでいた。


――《告解師(シェル=ルーメン)》


そして、夜の王都は再び静寂に沈む。

だがその静けさの底では、確かに何かが動き始めていた。


夜の王都に、鐘の音が滲む。

湿った風が街の明かりを揺らし、霧の向こうで塔の尖端が月を裂いていた。


アデリアは屋上の縁に立ち、夜空を仰ぐ。

眼下では、運河の灯りがいくつも線を描き、人々の営みが小さな明滅として瞬いている。

その光景を、彼女はどこか遠いもののように見つめていた。


コートの裾が風に流れ、髪が頬を撫でる。

その瞳には、凍りついたような静けさ――けれど確かな意思が宿っている。


アデリア(モノローグ)

「封印された真実。操作された証言。抹消された記録。

 けれど、誰かが見ていた。誰かが書き残した。

 ――書かれなかった真実も、私たちの目は逃さない。」


その声は、夜の空気に溶けて消える。

だが、まるで応えるように――

遠く、王都中心の尖塔群がぼんやりと光を帯びた。


聴聞局の鐘楼。

白亜の壁面に刻まれた“神の紋章”が、一瞬だけ脈打つように歪む。

微かな閃光が塔を走り、すぐに闇がそれを呑み込む。


アデリアはその異変を見逃さない。

その唇がわずかに動いた。


アデリア:「……やはり、まだ動いてる。」


夜風が吹き抜け、彼女の影が屋上の石畳に長く伸びていく。

そして、鐘楼の歪んだ光を最後に――

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