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紅の令嬢と黒の執事 ― ヴァルディア事件録  作者: 南蛇井


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11/22

封印と記録

朝の光が王都の石畳を照らす頃、新聞売りの声が街角に響き渡った。

「王都新聞、朝刊入ります! 本日トップは、ルネ・ファルサス様――舞台上での突然の倒伏!」


手にした新聞をめくると、見出しは格式ばった書体でこう記されている。

『貴族ルネ・ファルサス、突然の倒伏――舞台上の不幸な事故』


本文には、舞台上で倒れたルネの姿と医師の処置の様子が淡々と描かれる。

原因については「原因不明の体調不良」と書かれ、毒殺の痕跡や陰謀の匂いは一切触れられていない。


小さな挿絵には、赤い絨毯の上に横たわるルネの姿が静止画のように描かれ、観客席のざわめきも、舞台の喧騒もすべて凍りついた瞬間として表現されている。

しかし、その静けさは真実を隠すための演出に過ぎなかった。

新聞という名の舞台は、事件性を巧妙に覆い隠し、表向きは“不幸な事故”として完璧に仕上げられているのだ。


アデリアの目は、文字の一つひとつを冷ややかに追いながら、微動だにしなかった。

「王国は今日も、自らの罪を紙面に書かせずに眠る……」


彼女の指先が、記事の端を静かに押さえる。

表向きの世界は平穏だ。だが、その下には、誰も見ぬ真実が沈んでいる――。



王族や貴族、そして各国の外交使節たちは、手元の新聞を静かに目で追いながらも、表向きにはいつも通りの微笑みを浮かべる。

シャンデリアの光に反射する金糸の刺繍や宝石の輝きの中で、彼らの会話は、あくまで社交の潤滑油として流れるだけだ。


「……あの夜、舞台上で倒れたらしいな」

「毒だという話もあるが、真偽はわからん」


しかし、それ以上の言及はなく、誰も公式に声を荒げたりしない。

新聞記事が告げる“事故死”の文字は、社交界にとってはそのままの事実として受け止められ、疑念や恐怖は表面化せずに抑え込まれる。


舞踏会の音楽が淡く響き、グラス同士が触れ合う乾いた音だけが夜を彩る。

外向きには平穏だが、誰もが心の奥で、その事件の痕跡を薄く感じている――しかし口に出すことはない。


アデリアの瞳は、人々の笑顔をすり抜けるように静かに舞台の暗がりを映す。

「表向き、王国は今日も“消えた事件”を眠らせている……でも、真実は消えてなどいない。」


社交界の空気は完璧に保たれ、誰もが自らの役割を演じる舞台の上に立っている――

ただし、その舞台の下では、沈黙の真実だけがひっそりと呼吸していた。


舞台裏では、昨夜の混乱を経験したはずの劇場関係者や給仕たちが、まるで予定通りの脚本を演じるかのように並んでいる。

その声はどれも落ち着いており、微細な揺れもなく、証言内容はあらかじめ誰かに仕込まれたものをなぞるだけだ。


「はい、ワインを運んだのは黒髪の女給でした」

「ええ、確かに見ました。白いエプロンに、黒髪をひとつに束ねて――」


だが、劇場の雇用記録にはその“黒髪の女給”の存在はない。

まるで彼女は幻だったかのように、誰も異議を唱えない。


書類は丁寧に改竄され、証拠は上層部の手で抹消された。

現場写真やメモ書きも、微かな痕跡さえ残さぬよう処理されている。


外の世界に届くのは「事故死」という一行だけ――

真相は、王都の闇にそっと葬られ、一般市民の目には絶対に触れない。


アデリアは静かに書類の山を見下ろす。

「嘘は整列するほどに真実らしくなる――でも、匂いだけは残るのよ。」


舞台の光の下、整然と並ぶ証言者たちは、もはや真実ではなく、上層部が望む“物語”を演じる駒に過ぎなかった。

朝の王都。

冷たい光が石畳を照らし、新聞売りの少年が通りを駆け抜けていく。


「号外! 王立劇場での不幸な事故! 貴族ルネ・ファルサス急死!」


アデリアは通りの隅、灰色の外套のまま立ち止まり、一枚の新聞を手に取った。

紙面の見出しは整然と、まるで祈りのように静かだった。


『貴族ルネ・ファルサス、突然の倒伏――舞台上の不幸な事故』


記事の文字を目で追うたびに、彼女の指先から温度が失われていく。

毒殺の文字も、教会の名も、どこにもない。

あるのは“原因不明の体調不良”という便利な曖昧さだけ。


街角では、新聞を手にした人々が口々に噂を交わしていた。

「可哀想に、あんな若くして……」

「でも、劇場で倒れるなんて、縁起でもないね」


その声のどれにも、真実を問う熱はない。

王都は、罪よりも安寧を選び続ける。


アデリアは新聞を折りたたみ、視線を遠くの鐘楼へと向ける。


モノローグ:

「王国は今日も、自らの罪を紙面に書かせずに眠る。

……だけど、眠りの底では、腐臭は確実に広がっている。」


その瞳に、わずかに“次の舞台”を見据える光が宿る。

沈黙を破る役――それが、かつて断罪された令嬢に与えられた新たな役割だった。


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