封印と記録
朝の光が王都の石畳を照らす頃、新聞売りの声が街角に響き渡った。
「王都新聞、朝刊入ります! 本日トップは、ルネ・ファルサス様――舞台上での突然の倒伏!」
手にした新聞をめくると、見出しは格式ばった書体でこう記されている。
『貴族ルネ・ファルサス、突然の倒伏――舞台上の不幸な事故』
本文には、舞台上で倒れたルネの姿と医師の処置の様子が淡々と描かれる。
原因については「原因不明の体調不良」と書かれ、毒殺の痕跡や陰謀の匂いは一切触れられていない。
小さな挿絵には、赤い絨毯の上に横たわるルネの姿が静止画のように描かれ、観客席のざわめきも、舞台の喧騒もすべて凍りついた瞬間として表現されている。
しかし、その静けさは真実を隠すための演出に過ぎなかった。
新聞という名の舞台は、事件性を巧妙に覆い隠し、表向きは“不幸な事故”として完璧に仕上げられているのだ。
アデリアの目は、文字の一つひとつを冷ややかに追いながら、微動だにしなかった。
「王国は今日も、自らの罪を紙面に書かせずに眠る……」
彼女の指先が、記事の端を静かに押さえる。
表向きの世界は平穏だ。だが、その下には、誰も見ぬ真実が沈んでいる――。
王族や貴族、そして各国の外交使節たちは、手元の新聞を静かに目で追いながらも、表向きにはいつも通りの微笑みを浮かべる。
シャンデリアの光に反射する金糸の刺繍や宝石の輝きの中で、彼らの会話は、あくまで社交の潤滑油として流れるだけだ。
「……あの夜、舞台上で倒れたらしいな」
「毒だという話もあるが、真偽はわからん」
しかし、それ以上の言及はなく、誰も公式に声を荒げたりしない。
新聞記事が告げる“事故死”の文字は、社交界にとってはそのままの事実として受け止められ、疑念や恐怖は表面化せずに抑え込まれる。
舞踏会の音楽が淡く響き、グラス同士が触れ合う乾いた音だけが夜を彩る。
外向きには平穏だが、誰もが心の奥で、その事件の痕跡を薄く感じている――しかし口に出すことはない。
アデリアの瞳は、人々の笑顔をすり抜けるように静かに舞台の暗がりを映す。
「表向き、王国は今日も“消えた事件”を眠らせている……でも、真実は消えてなどいない。」
社交界の空気は完璧に保たれ、誰もが自らの役割を演じる舞台の上に立っている――
ただし、その舞台の下では、沈黙の真実だけがひっそりと呼吸していた。
舞台裏では、昨夜の混乱を経験したはずの劇場関係者や給仕たちが、まるで予定通りの脚本を演じるかのように並んでいる。
その声はどれも落ち着いており、微細な揺れもなく、証言内容はあらかじめ誰かに仕込まれたものをなぞるだけだ。
「はい、ワインを運んだのは黒髪の女給でした」
「ええ、確かに見ました。白いエプロンに、黒髪をひとつに束ねて――」
だが、劇場の雇用記録にはその“黒髪の女給”の存在はない。
まるで彼女は幻だったかのように、誰も異議を唱えない。
書類は丁寧に改竄され、証拠は上層部の手で抹消された。
現場写真やメモ書きも、微かな痕跡さえ残さぬよう処理されている。
外の世界に届くのは「事故死」という一行だけ――
真相は、王都の闇にそっと葬られ、一般市民の目には絶対に触れない。
アデリアは静かに書類の山を見下ろす。
「嘘は整列するほどに真実らしくなる――でも、匂いだけは残るのよ。」
舞台の光の下、整然と並ぶ証言者たちは、もはや真実ではなく、上層部が望む“物語”を演じる駒に過ぎなかった。
朝の王都。
冷たい光が石畳を照らし、新聞売りの少年が通りを駆け抜けていく。
「号外! 王立劇場での不幸な事故! 貴族ルネ・ファルサス急死!」
アデリアは通りの隅、灰色の外套のまま立ち止まり、一枚の新聞を手に取った。
紙面の見出しは整然と、まるで祈りのように静かだった。
『貴族ルネ・ファルサス、突然の倒伏――舞台上の不幸な事故』
記事の文字を目で追うたびに、彼女の指先から温度が失われていく。
毒殺の文字も、教会の名も、どこにもない。
あるのは“原因不明の体調不良”という便利な曖昧さだけ。
街角では、新聞を手にした人々が口々に噂を交わしていた。
「可哀想に、あんな若くして……」
「でも、劇場で倒れるなんて、縁起でもないね」
その声のどれにも、真実を問う熱はない。
王都は、罪よりも安寧を選び続ける。
アデリアは新聞を折りたたみ、視線を遠くの鐘楼へと向ける。
モノローグ:
「王国は今日も、自らの罪を紙面に書かせずに眠る。
……だけど、眠りの底では、腐臭は確実に広がっている。」
その瞳に、わずかに“次の舞台”を見据える光が宿る。
沈黙を破る役――それが、かつて断罪された令嬢に与えられた新たな役割だった。




