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第八話 少林塾

 安政二年三月――。

 春の陽気が少しずつ満ちてきたとはいえ、長浜の浜辺にはまだひんやりとした潮風が吹きつけていた。

 寄せる波は白く泡立ち、震災で崩れた石垣の残骸が潮に洗われて鈍く光る。砂浜にはところどころ若草が芽吹き、冷たい海風に揺れていた。


 吉田東洋は、長浜梶ヶ浦に建てた仮住まいの庭先に立ち、遠くを見やった。

 海風が袴の裾をはためかせ、潮の匂いが鼻をくすぐる。

 この地にはかつて、彼の知行地があった。そして今は、藩政から退き、隠居した身の拠り所でもあった。


 東洋が藩政の表舞台から姿を消したのは、己が志を捨てたためではない。近年の藩政は保守派によって硬直し、黒船来航の報が土佐に届いても、上層部は「御公儀憚り」を盾に海防策を講じようとしなかった。

 海防の強化を訴え、改革を推し進めようとしたが、その急進的な手法は反発を招き、やがて排斥されるに至った。

 

 だが、これは敗北ではない。

 むしろ、嵐が過ぎ去るのを見計らい、再び潮目をつかむための退きにすぎなかった。


「たとえ藩政から一時退こうとも、必ずこの手で土佐を変える――」


 その決意は揺るぎなく、東洋の胸に燃えていた。


 長浜は、城下から西へと伸びる街道の終着地であり、湾内の漁業と交易で栄えた港町である。

 梶ヶ浦は海に面した集落で、波止場には修復半ばの木組みや、震災で折れた杭がまだ目立っていた。少し内陸に入ると鶴田の村が広がり、野菜や薪炭を運ぶ荷車が絶え間なく往来している。


 その光景を眺めながら、東洋は次の一手を思索する。

 藩政から遠ざかっても、時を浪費するつもりはなかった。ここで新たな人材を育て、時至れば一挙に世へ送り出す――。


 そのための拠点として、一つの計画を胸に秘めていた。

 それが「私塾」の開設である。


 既存の藩校は保守的な学問に終始しており、時代を切り拓く才を育てることはできない。

 ならば己の手で塾を開き、自由闊達な議論を交わし、未来を担う人材を育てよう。


 潮風が吹く庭先で、東洋は静かに目を閉じた。彼の脳裏には、まだ瓦礫の残る町が、未来へ羽ばたく苗床のように映っていた。




「四月大安の日、吉田東洋、長浜鶴田に塾を開く――」


 その報せは、朝倉藤兵衛の耳にも届いた。

 春先の霞が棚引く山あいで、藩の役目を終えて戻る途中、藤兵衛は報を告げる同僚の言葉に足を止めた。


「……東洋先生が?」


 心臓が一拍遅れて高鳴る。

 保守派との政争に敗れ、失脚して隠棲していた東洋が、再び姿を現すというのだ。


(この機を逃すわけにはいかぬ……!)


 かねてより東洋との接触を望んでいた藤兵衛にとって、それは天の恵みのような好機だった。

 開明派の筆頭と謳われた東洋ならば、己の学んだ知識、異界で得た経験をも理解し、活かす道を見出してくれるはずだ。


 そして、その下に集うのは同じ志を持つ人材たち――。


 藤兵衛は高鳴る胸を抑えきれず、塾開きの日を待ちわびた。




 一方、宇佐の淡輪治郎兵衛もまた、長浜へ向かう支度をしていた。

 浦戸での漂着船の一件以来、治郎兵衛は『海国図志』を懐に忍ばせ、東洋と会う機を窺ってきた。


「いずれ東洋先生が藩政に返り咲く――」


 そう信じる治郎兵衛にとって、今回の少林塾開設はまさに天命ともいえる出来事だった。

 宇佐から長浜までは、沿岸の村々を結ぶ街道を伝い、馬を駆れば一刻いっときほどの距離である。震災で一部が崩れた浜道を避けながら、治郎兵衛は慎重に馬を進めた。


 春の潮風が頬を撫でる。

 浜辺には、震災で折れた杭や崩れた堤が、まだ修復されぬまま残っていた。


(この国を、外の世界と繋げねばならぬ……)


 幼い頃から潮と共に生き、海の力を身近に感じてきた。

 浦戸の港からは、多くの漁船や廻船が北は大阪、南は江戸へと往来する。そこに積まれる砂糖、木綿、陶器――それらは土佐を豊かにし、藩を支える礎となってきた。


 しかし今、土佐はその海の力を活かす術を持たぬまま、閉ざされたままだ。

 治郎兵衛は『海国図志』の紙背を指でなぞり、心に誓った。




 安政二年四月三日、長浜鶴田――。


 浦戸湾の南に広がるこの地は、震災の爪痕を色濃く残していた。

 崩れた石垣、沈んだ船、波にさらわれた家々……。

 浜辺には折れた柱や瓦がうず高く積まれ、潮に濡れた藁が風に揺れている。村人たちが瓦礫を片付ける姿には疲労の色が濃く、震災の記憶はいまだ生々しいままであった。


 その荒涼とした景色の中に、ひときわ新しい建物があった。

 まだ白木が鮮やかで、木の香りが漂う簡素な平屋――。しかしその屋根には、堂々とした板が掲げられている。


「少林塾」


 黒々とした墨痕鮮やかな三文字は、波の音にも負けず、往来する人々の目を強く引きつけた。

 その名は、かつてこの地を治めた長宗我部元親の菩提寺「少林山雪蹊せっけい寺」の山号に由来する。


 「時が来れば必ず土佐を変える」――。


 東洋はかつての栄華を象徴する名を冠することで、土佐再興の志を示したのだった。


 講堂には、藩校の生徒、郷士の子弟、下士の次男坊まで、多くの塾生が一堂に会していた。

 ざわめきの中、藤兵衛は後列から場内を見渡した。


(これほど多くの同志が……)


 その中に見知った顔を見つけ、藤兵衛は小さく頷いた。


 やがて場内が静まり返ると、奥の襖が開き、吉田東洋が姿を現した。

 質素な浅葱色の袴ながら、その立ち姿には一分の隙もない。背筋は刀のように真っ直ぐ、痩身ながらも精悍な面差しは冷えた鋼を思わせた。

 眼光は鋭く、見据えられた者は自然と背筋が伸びる。


「――諸君、よく集まってくれた」


 落ち着いた声音でありながら、その一言は場内を満たし、空気を張り詰めさせた。


「この塾は、ただ学問を習う場ではない。我らが生きるこの国の行く末を、己が胸に問うための場である。知を積み、思いを交わし、策を練る――それをもって、土佐を強くするのだ」


 若き塾生たちは、一言も漏らすまいと耳を傾けた。


「近年、異国の船が沿岸を往来することが増しておる。その数は年々増し、我らが海の静けさはもはや過去のものとなった。土佐は四方を海に囲まれた国――海防を誤れば、一夜にして国を失うこともあろう」


 東洋は声を荒げず、淡々と事実を並べた。しかし、その言葉は胸に重く響き、聴く者に深い危機感を植えつけた。


「今のまま、藩の上だけに任せてよいものか――否、我ら一人ひとりが考え、声を上げねばならぬ時代が来ておる」


 場内に低いざわめきが広がる。

 それは不満ではなく、己の胸に問いかけるような沈黙だった。


 東洋は一呼吸おき、塾生を一人ひとり見渡した。


「ゆえに――諸君にも問いたい」


 鋭くも熱を帯びた眼差しが塾生を射抜く。


「今の土佐の海防、このままでよいと思うか。それぞれの胸にある考えを語れ。己が言葉で、己が責を負う覚悟をもって」


 場内の緊張は最高潮に達した。

 藤兵衛は無意識に拳を握り、治郎兵衛は懐の『海国図志』を固く握りしめた。


 こうして――土佐を変える最初の声が、この小さな塾舎に響き渡ったのだった。

挿絵(By みてみん)


参考文献:『真覚寺日記』

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