第七話 名を継ぐもの
安政二年三月十四日――。
冬を越えた朝方の海風はなお冷たく、浦戸湾の水面は灰色に沈んでいた。
波の合間には、震災の爪痕がまだあちこちに残っている。折れた杭、崩れた石垣、漂着した木材……。
「寅の大変」から三か月余り。復興は進んでいたが、浦戸の港はかつての賑わいには程遠かった。
齢二十二になる淡輪治郎兵衛は、桟橋に立ち浦戸の潮風を浴びながら、沖を見つめていた。
彼の肩には、浦戸番所御用手附という重い役目がのしかかっている。浦戸は土佐藩にとって海の玄関口であり、城下と瀬戸内を結ぶ物流の要衝であった。
淡輪家は代々、宇佐の浦奉行を務めてきた郷士であり、代々の当主は「四郎兵衛」を名乗ることを慣例としてきた。
「四郎兵衛」という名は、ただの通り名ではない。それは淡輪の一族が持つ使命の象徴であり、同時に呪縛でもあった。
初代・淡輪四郎兵衛――かつては総浦奉行として土佐一国の海を治めた男。江戸初期の寛永年間、執政・野中兼山の治政下で海防と港を掌握し、塩田と漁業の利を藩財政に注ぎ込んだ一族の栄華。
だが寛文十一年、兼山の失脚はすべてを奪った。重税に耐えかねた百姓一揆と保守派の反発は、一夜にして兼山派の家臣を失脚させ、四郎兵衛もまた部下の不正を口実に総浦奉行職を失った。
以来、二百余年、宇佐の浦を治める地方奉行として細々と続いた家。一族は「いつの日か再び藩政に返り咲く」という悲願を胸に、代々「四郎兵衛」の名を背負ってきたのだ。
父、七代目・淡輪四郎兵衛の背中は大きく、厳しかった。
「おまんは淡輪の嫡子じゃ。いつかこの家を背負い、四郎兵衛の名を継がんといかん」
その言葉は誇りでもあり、同時に治郎兵衛の胸に消えぬ影を落とすものでもあった。
彼は幼少の頃より藩校に通い、兵法・経世の学を修めながら、浦戸の実務を叩き込まれてきた。
黒船来航以降、異国の脅威が高まる時勢にあって海防の重要性が増し、淡輪家宿願への機運は増していた。治郎兵衛は次期当主として実務を学ぶため、より規模の大きい浦戸番所へ出役し、若くして奉行補佐に近い職を任されている。
その日、浦戸に漂着船の報せが届いたのは、彼が朝餉を終えた直後であった。
「お役人様、唐船が沖に打ち上げられちょります!」
治郎兵衛の顔が引き締まる。
唐船――清国からの交易船が嵐に遭い、土佐沿岸に漂着することは珍しくない。
だがここは藩の玄関口である浦戸。対応を誤れば、藩の威信に関わる。前年の暮れにも岸本沖で唐船漂着があったばかりだ。領民は「黒船襲来では」と恐れおののき、城下は大混乱となった。
さらに気を尖らせる物もあった。
清国に蔓延している阿片である。幕府からは「阿片およびその喫煙具の流入を厳禁すべし」との厳命が下されていた。通常の航路を避けて通る荷抜けの密輸船の可能性もあり、今回ばかりは細心の注意で荷改めをせねばと心を引き締める。
治郎兵衛は即座に十数名の手勢を率い、船着場から小舟で現場へと急行した。
「阿片を持ち込ませれば一族の恥、浦戸の恥じゃ。荷改めは厳重に行え!」
強まる潮風の中、沖に帆が破れた清国船が浮かんでいた。甲板には疲弊した唐人たちが横たわり、そのうち一人が弱々しく手を振った。
治郎兵衛は通詞を通じて事情を聞き取り、救助を命じた。
「怪我人は蔵屋敷へ運べ。荷は藩の倉に収め、検分はわしが立ち会う!」
部下たちが一斉に動き出す。治郎兵衛も甲板に上がり、船内を一歩ずつ進んだ。
「貨単は残っちゅうか?」
通詞がうなずき、口之楷書で書かれた貨物目録を広げた。
「砂糖五十斤、茶葉百斤、陶磁器二十……」
淡輪は目録を読み合わせ、現物と照合していく。桶や俵が次々と確認される中、部下の一人が叫んだ。
「淡輪殿……ここに妙なものが!」
船倉の奥から運び出された木箱は、海水に濡れ、外装の麻布はすでに半ば腐りかけていた。麻布を解くと、内側から油紙に包まれた書物が現れ、強い紙魚の臭いが鼻をつく。油紙には「廣東」「厦門」といった出荷地の墨書きがあり、その中の数冊には朱色の書肆印が押されていた。その中には十字紋が付された書もあった。
「この紋は……切支丹の書じゃな……」
幕府の法度で禁じられた漢文の聖書である。封印すべきと治郎兵衛は即座に判断した。
だが、書物の束の中に異彩を放つ分厚い冊子があった。
「海国図志……?」
表紙を読み上げ貢を繰ると、異国の地図や軍船の図、港湾施設の詳細が描かれていた。内容は海防論を中心とした実用的なもので、まるで戦略書のようであった。
治郎兵衛の胸が高鳴った。
(これほどの書が世にあるとは……!)
幼い頃から潮風に晒され、港を出入りする船と物資を目にしてきた。塩も魚も木綿も、すべては海を渡り、国を豊かにしてきた。彼の頭には常に「海の向こうには、無限の富と知恵が広がっている」という思いがあった。
藩は閉ざされた城下に留まり、古い法度に縛られているが、外の世界は確実に変化している。
阿片戦争の報が土佐にも届いたとき、治郎兵衛は震える思いで聞いた。
「清国ですら泰西諸国に屈した……いずれ日ノ本も、同じ運命を辿るやもしれん」
この『海国図志』を藩に提出すれば、今の保守派の上層部は「御公儀憚り」として闇に葬るだろう。
しかし――この書があれば、海防を強化し、土佐を守る策を練ることができる。
治郎兵衛の脳裏に浮かんだのは、かつて藩政を担い、今は失脚して隠棲している吉田東洋の顔だった。
この書を活かせるのは、海防に通じた開明派の東洋しかいない。いずれ国防の機運が高まれば、必ず藩政に復帰する――。
「これを……東洋先生に託す」
治郎兵衛は静かに決意した。
禁書である漢訳聖書は厳重に封印し、藩の倉庫に収める。だが『海国図志』の分冊だけは、己の懐にそっと滑り込ませた。
港に吹く風が冷たく頬を打つ。治郎兵衛は拳を固く握り、胸の内で呟いた。
「四郎兵衛の名に縛られるがやない……この国を、海を、変えるがじゃ―」
その声は、波音にかき消されながらも、確かに未来への響きを残した。